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ケモノから牙のくちづけ  作者: 野中
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「おや、まあ」


直澄とハルカが階下に降りた後で、その部屋にやってきた金髪の青年は、わざとらしく目を瞠った。

彼に対して、部下に指示を出して動いていた城は軽く会釈する。

城にお疲れ様、と微笑んだ青年の足元で、片腕を失った状態で取り押さえられた男が呻く。


「畜生、何が銃は嫌い、だ。なんて腕してやがる…っ」


脂汗を浮かべた男の足は、両方の踵を撃ち抜かれ、骨が砕けていた。

だけでなく、膝裏にも、正確に、二発。


冷酷なまでに的確な腕前だ。


血を流し、もがく男に、この地域一帯の総元締めである金髪の青年は、同情めいた視線を向ける。

「ああ、うん。嫌いだけど腕は一流なんだよ、直澄くんは。可哀相にね、怪我、痛むだろう?」

優しげな言葉に救いを見出したのか、縋るような眼差しを向けてくる男に対して、青年は微笑んだ。


「安心して、いい病院に連れて行ってあげるから」

その隣でシンは溜息をついた。

彼の無言の、『ほどほどにしておけ』という意思表示は無視して、青年は続ける。

「お前の脂肪だらけの臓器でも、役に立つところはあるそうだよ。良かったね」


失血と絶望に青褪める男を見下ろし、ある程度溜飲を下げた青年は、踵を返して、何事もなかったかのような態度で腹心に話しかけた。

「さ、これからがちょっと大変だよ、シン。事後処理っていう面倒くさーいモノが待ってる。手伝ってね?」


「あー、分かった分かった」

その背中を見遣りながら、シンは死人のような表情の男に向かって小声で呟く。

「まあ、お前さんはまだ幸運な方だ。…それにな、ハルカと関係を持たなかったのは正解だぜ」

顔をしかめて、あとは死を待つのみの男を見下ろし、大男は肩を竦めた。


「ハルカを抱いた男は全員、揃って発狂死しやがった。誰が何をするわけでもないのに、だ。あの、ハルカを目の中に入れても痛くないほど可愛がってるあいつも、そこまで口出すほどヤボテンじゃねえしな。多分原因は、お前さんがハルカに感じたものなんだろうが」

言い捨てて、シンは青年の後を追った。

だからハルカは、別組織に在籍した二年前まではともかく、娼婦であっても、娼館にいながら男と関係を持ったことはない。

寸前まで行ったことは何度かあるようだが、相手側が萎えておじゃんになってしまうのだ。


娼館は秘密主義のようでいて、その実プライベートはまったくない空間だから、そういった情報は正確だ。

もともとハルカが客をほとんど取らないのは、彼女が高価いというせいもあったが、今ではシンの主であるあの男の気に入りだと言うことが、ハルカのつれなさの原因と思われているらしい。その噂がさらに、敷居の高さを上げているようでもある。あの二人が、実は遠縁で血のつながりがあるということは、幹部クラスの人間しか知らないことで、それについてはハルカの身の安全を慮り、緘口令が敷かれていた。とは言え、囲われ者の噂がある以上は、同じことだとシンなどは思うのだが。


しかし実情は、ハルカが生来もって生まれた薄ら寒い闇のせいで、相手がおかしくなるのを防ぐ為に、周囲が気を遣っているから、客が少ないのだ。


それだけは表面上どれだけ取り繕っても、ごまかせるものではなく。

しかし、ハルカは人気が高い。


頭のよさと、豊富な知識。

元来の性格はともかく、仕事ともなれば、男を立てることも忘れない。

連れて歩けば、自慢にこそなれ、恥をかくことは決してない。


とはいえ、女としては不完全なハルカに、シンが「やめちまえ」と言えば、彼女は意地なった表情で「絶対やめない」とそう言ったものだ。

ハルカにはハルカなりの理由があるらしい。

とは言え。



「オレも時折、ハルカが怖ぇ。あれと一緒にいて長く保ったのは、直澄くらいか。教育係として一ヶ月寝食を共にしながら、あの男だけは平然としてたからな。…ま、頭領のヤツは別格だろうが…あの二人が恋人になることは万が一にもありねぇ」



どこからどう見ても、二人の間になるのは揺るぎなく温かな、家族の愛情だ。

当然のように存在する欲目と、盲目的な信頼。

しかしそれは、至上のものとはなり得ない。


「直澄が帰ってきたからには、何かが変わればいいんだけどよ。―――――二年ってぇ歳月は、また微妙だなぁ…」


溜息をつきながら角を曲がったとき、丁度振り向いた金髪の青年が、笑顔で手を振ってきた。


























自分を含めて、人間は一様に道具。






ハルカが幼い頃から繰り返し現実で確認してきた真実を、脳裏で反芻しながら見上げた直澄は、訝しげな表情を浮かべていた。


「どういうことですか」

「どういうことって。言葉通りの意味ですよ」

口調を真似て言えば、直澄は微かにだけ勝手が狂ったように口を閉ざす。


その態度に、ハルカは今後、直澄の真似をすることに決めた。

挑むように直澄を見上げるハルカと、どこか冷めた表情の直澄が見詰め合うのを正面にして見守りながら、咲良は、やれやれ、と溜息をつく。

「おれが今後、アナタのボディガードになる?…聞いていませんが」


「今聞いたでしょ」

つん、と顎を逸らして、ハルカは言った。


「あのヒトとあたしとに血のつながりがあるって知られていなくても、娼婦としてあのヒトに囲われてるってことになっているので。結局、敵対組織に狙われるのは同じなんですよ」






セックスはお遊戯。






なのに、二年前、ハルカに常識を教える為に共に暮らしたこの男は、ハルカと関係を持つのを拒んだ。

不能なのかと思ったが、同僚の女たちの噂から察するに、そうではないらしい。

ならば彼も、今までの相手と同じでハルカが恐ろしいのか、と思ったが、それともまた違った。


直澄は覚えの悪い生徒であるハルカに、根気よく付き合い、厳しいながらも温かみを教えてくれた。

それでいながら、ハルカと同じようなにおいを彼に感じたのはなぜだろう。




―――――大金を貰うのでもなければ、アナタのお守りなんぞ、誰がするもんですか。




はっきりとそんなことを言われて。


だからこそ、意固地になった部分もあるかもしれない。

けれど、無視できないほど確かな執着に、眩暈がする。

二年前、直澄と離れるのは、本心を言えばいやだった。


それでも、大人しく手放したのは。

あの仕事が終われば、確実に直澄が手に入ると知ったから。

「あのヒトにはもう、話を通してあります。国外でのアナタの仕事が終わった後は。…直澄先生、アナタを、あたしにくれって」

真っ直ぐに向けられる黒い瞳に背中が震える。

これがもうすぐ、自分だけのものになる。


だが、意地でも平静を装った。



「おれの雇い主であるあの方が、命令なさるのでしたら、それに従います」






殺しは趣味。






しかし、直澄に関しては、どこを傷つけていいかが分からない。

分かっている。

彼を縛り付けておきたいとは言え、この方法が間違っていることは。

だが、どうしても。

どうあっても、手に入れたかった。

自分のものにしたかった。

彼を。


「なら、今日からアナタはあたしのものですね」


ハルカは、満足そうに微笑んだ。


全てが偽りと知っていながら。


















彼に、手ずから鎖をかけた。

また、自身の心にも。

そして、自ら踏み躙った。

その報いとして、本当の意味で、彼を手に入れることはこれから先、きっとない。

けれど、自ら手を放さない限り、彼は側にいてくれるだろう。

それでいい。

彼を束縛できている、その感触さえ確かなら。

他はもうどうでも。




二年前、ハルカが組織に向かうことを決意した時のように、直澄が手を差し伸べた。


その掌にハルカは、今度は惑うことなく手を重ねる。


温もりを感じ取りながら、自分と同じ籠の中へ、一生束縛してみせる、と強く思った。








歪み果ててはいたけれど。








――――――――――たぶんこれは、恋でした。













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