床屋殺し(卅と一夜の短篇第11回)
床屋を殺してしまった。
理由はある。髪型をモヒカンにされたのだ。床屋の椅子というのはどこでもそうだが、非常に座り心地がよく、ついうとうと来る。それで目を覚ましたころにはわたしの髪はモヒカンにされた。寝てしまったわたしが悪いという向きもあるかもしれないが、わたしはあの椅子に座り、床屋がカバーをかける前にしっかりと言っておいたのだ。「前髪は目にかかるくらい。刈り上げはバリカンを使わずにハサミで。耳は出してください」どこをどう曲解してもモヒカンにつながらない。にもかかわらず、モヒカンにしたというところに床屋の悪意を感じられる。それもいったいどんなスプレーをかけたのか知らないが、自然な感じに流れていた髪は今や逆立ってガチガチに固められていて、大きくて密度の濃い、ギロチンの刃のようなモヒカンに仕上がっていた。だから、わたしは彼奴めの商売道具であるハサミで心臓を突き刺してやったのだ。
別に誇るわけではないが、自分の髪型をモヒカンにされて床屋を殺したということになれば、いくらか情状酌量の余地が出てくるのではあるまいか? 人はみなわたし同様に、自分や自分が愛するものが床屋の勝手でモヒカンにされれば、同じような行動を取るのではないか? 義挙とまでは言わないが、正当な報復殺人としてくれてもいい気がする。警官だってわたしに同情して、わたしの肩にやさしく手を置くだろう――そりゃあ、あんた、辛かっただろうな。目が覚めたら、頭がモヒカンになってるんだもんな。もし、おれがあんたの立場に置かれたら、同じことをするかもしれん。だがね、あんた。おれも仕事ってもんがあるんだ。そりゃあ、あんたのやったことは正当かもしれないけれども、それはそれ。法律はモヒカンにされた報復にバリカンの電気コードで床屋を絞め殺すことを許しちゃいないんだ。つまり、おれはあんたをしょっぴいて、ブタ箱にぶち込まなければいけない。弁護士に知り合いはいるかい? いる? よろしい。うまくいけば、執行猶予がつくかもしれんからな。まあ、それは裁判員のご機嫌次第だが。さ、両手を出しな。面倒はかけんでくれ。
そう言って、わたしの両手に手錠をかけるのだ。
やはりいけない。世間の倫理はわたしの倫理に追いついていない。わたしは刑務所には入りたくなかった。ケーブルテレビの海外ドラマで見た刑務所のイメージはわたしにそぐわない(興味があれば、Youtubeで「breaking bad prison」と検索してみたまえ)。わたしは知的な人間なのだ。心臓もあまり調子がよくない。ああ、それなのに、なぜ、こんな北斗の拳のチンピラみたいな髪型に――。世間はモヒカンに対してアナーキーなイメージを抱いているから、きっとわたしは社会の鼻つまみものとして、しっし、とされるに決まっている。あの床屋を殺しておいて本当によかった。髭剃り用のカミソリで滅多切りにしてやったのだから、間違っても命を拾うことはしまい。
なにも凱旋門をつくれ、と言っているわけではない。ただ理解して欲しいのだ。人様の頭を勝手にモヒカンにするアナーキー床屋を一人地獄送りにしてやったのだから。そう、わたしは旧式の大きなドライヤーで床屋を殴り殺したのだ。
しかし、世間の無関心ぶりには感服するようなうすら寒いような。無頼の床屋一人とはいえでも、命は命だ。少なくとも自分たちの町内で殺人事件があったのに――わたしが髭剃り用クリームを口と鼻に詰め込んで窒息死させたのだ――、商店街はひどく静かだ。
これはひょっとすると犯罪者の言うところ、黄金の時間なのかもしれない。つまり、まだ犯行が明らかになっていない時間――逃げるもよし、証拠を隠すもよし、なんでもゆるされる時間なのかもしれない。
なんでもゆるされる素晴らしい時間にもかかわらず、わたしは足早に逃げることもせず、アリバイ工作を謀ることもなく、ただてくてく歩いている。それもぼんやりとした不安――わたしは本当に床屋を殺したのだろうかという不安のせいだ。
だが、確かにこのモヒカン頭で強烈な頭突きを食らわせて床屋の頭蓋をぶち砕いて殺したのだ。
ところが、次の瞬間には本当にそうだろうか。わたしは別の方法で床屋を殺した気がして、しょうがなくなる。
もし、床屋を殺していないと大変だ。あの床屋はわたしが床屋を殺した場面の一部始終どころか、殺されたときの感覚やわたしの怒りに歪んだ顔をはっきり見ているわけだから、全ての有力な情報はあっという間に警察のものとなる。これでは勝ち目は薄い。わたしには高飛びを許してくれるだけの財力もなければ、無罪を勝ち取れる強力なコネもない。
もし、床屋が生きていたら大変だ。
わたしは危険は承知で床屋へと戻っていった。すると、床屋のまわりに黒山の人だかり。しめた、とわたしは思った。これだけの野次馬は殺人事件でも起きなければ集まるわけがない。
わたしは腰を曲げて真下を向くと、固まったモヒカンを砕氷船の舳先代わりにして突進し、人の垣根を分け入った。そして最前列についたところで顔を上げた。わたしは驚いた。
床屋が生きている! それも制服を着た警察官が二人、手帳を手にして事情をきいているではないか!
きっと犯人――つまりわたしの特徴を話しているに違いない。
救急車の隊員が担架と一緒に店のなかから出てきた。きっと中身は床屋の死体だろう。
床屋が警官を相手にぺらぺらしゃべっていた。「最初は寝てたと思ったんですよ。でも、ちっとも目を覚まさないで――」
そのとき、風が吹いて、結び方の緩かった担架のカバーが外れて、顔の部分がめくれた。
目にかかるくらいに切った前髪と、バリカンを使わずにハサミで刈り上げて後頭部、耳はしっかり出るように切られた私の蒼白い死に顔がそこにあった。
ああ、そうか。
わたしはそのときになって初めて、モヒカン頭のわたしが町を歩き回っても誰も笑ったり指を差したりしなかった理由を知った。