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【sequence:008】

【sequence:008】


 俺たちが訪れたのは医療センターだった。フルド統領政府の出資によってギルドが運営している。そのためライセンスカードを持っている人間は格安で診療を受けれる、というのが売り文句らしい。

 そうまでして登頂者を集めたいというのだから、フルド公爵のこの塔に対する相当な固執っぷりが伺える。

 ともあれ、俺たちは受付の窓口で目的を伝え、四階の入院患者の病棟へと向かった。独特の香りが鼻腔をくすぐる。生と死の香りが織り混ざった臭いなんだろうか、という考えを胸中に留める。

 しばらく廊下を歩き、T字路を左に曲がったところで、「416」の番号が札掛けられたドアの前に着いた。下には「シアン・エメラダ」と手書きで記されている。

 俺がドアをノックすると、数秒の後、どうぞという微かな声が聞こえてきた。それを聞き、中へと進入する。

 病的なまでに白いベッドには、昨日リグ・ヴェーダの第一層で助けた、シアンが横たわっていた。顔色はさほど悪くないが、瞳には生気が感じられなかった。

 まぁ、無理もないか。仲間を全員失ったんだ。悚然としていない方がどうかしている。

「誰……ああ、キミたちは……」

 小さな丸椅子が近くにあったので、ベッドの脇に置いて座る。一応、顔は覚えていてくれているようで安心した。これで不審者扱いされたら、なかなか笑えない冗談だ。

「アインだ。アイン・ストレルカ。こっちは……」

「メルティです。お腹空きました」

 どんな自己紹介だ。

 メルティの視線の先には、見舞い品であろう果物の詰まった籠があった。怪我人への見舞い品まで奪おうっていうその豪胆さには驚かされる。もう少し倫理観を養うべきだろう。

 しかしシアンはクス、と忍び笑いをして、「いいわよ。どうせ一人では食べきれないんだし」と快諾した。どっかの食い意地の張った胃袋怪獣と違って人間ができてらっしゃる。

 当の胃袋怪獣はと言えば、それを聞くや否や、籠に飛びついた。何度も言うが、倫理観を養うべきだと思う。最低じゃねぇか。

「悪いな……」

「いいのよ。可愛らしい妹さんね」

 本当に人間ができてらっしゃる。妹じゃないけど。

 まぁ、こういう話になって、ややこしくするのはたいてい胃袋怪獣ことメルティである。バナナを三本まるごと口に突っ込むという女としても人としても終わってる姿を晒しながら、もごもごと喋り出す。

「ひほふほへははひはへふ。ふはへふ」

「食ってから喋れ。いや、喋らなくていい。言いたいことは分かった。何度でもいうが妻じゃない」

 俺が冷ややかに応じると、メルティは不機嫌そうにバナナを齧っていた。いっそ猿の仲間にでもしてもらえばいい。

「面白い子ね」

「馬鹿なんだ。そっとしてやってくれ」

 シアンは力なさげではあるが、微笑を浮かべる。薄幸の美人、という風体だが、あまりいい傾向とは言えない。

「花でも買いたかったんだが、事情があって無一文でな。悪いがこれで許してくれ」

「折り紙の……花。上手ね、綺麗だわ」

 シアンは、俺の手から百合の花を象って折られた折り紙を受け取ると、それをまじまじと見つめた。

 故郷には娯楽らしいものもなく、年下の子どもの面倒を見ることも多かった俺は、よく折り紙で何かを作っては子どもにプレゼントしていた。だいたいは三秒で潰されるんだが。

「どうでもいい特技が無駄にならなくてよかったよ」

「素敵だわ。ありがとう」

 いやマジで人間ができてらっしゃる。既にトリプルバナナからダブルリンゴにシフトしているそこの馬鹿は見習うべきだ。

「怪我の方はどうなんだ?」

「おかげ様で、そんなに酷くはないわ。完治に二週間もかからないってお医者様は言っていたわ」

「大したことはしてない。まぁ、無事で何よりだ」

 少々気恥ずかしさもあり、視線を逸らすと、その先には女神ラクシュミの像があった。

 怪我は治る。が、心の傷まではどうしょうもない。

 俺にも治すことは出来ないし、こればかりは彼女が乗り越えるしかないものなのだと思うと、神とやらは随分と辛い試練を与えるのだなと、憤りを覚える。

 上手い言葉が出てこず、沈黙の帳が下りる。その静寂を破るかのように、シアンが切り出した。

「ところで、なんの用も無しに見舞いだけ来たわけではないんでしょう?」

 さすがにお見通しだったようだ。もともと聞きたいことを尋ねるためにここへ来た。見透かされるあたり、まだまだだとは思うが、別段、不都合はない。

「まぁ、な。聞きたいのは、あんたらが護衛してたサヴァンニ商隊の積荷についてだ。何を運んでいたんだ?」

「わたしたちは単なる護衛だし、さすがに全部は知らないわ。食料や武器などの物資がほとんどだと思うけれど……なぜ?」

「いや、個人的なことだ。知らないならそれでいい」

 そう、単なる個人的な勘に過ぎない。セルマーの話に、シーバスの名が上がった。あれはつまり、偶然ではなく、狙いがあって俺を用心棒に選んだということではないか。そう考えただけだ。

 覚えていないのが業腹ではあるが、悪漢をぶちのめしたのいう話だけでも十分だった。そこに、わざわざその情報を出してくるということに、何か感じるものがあった。

 故に、単なる勘なのだ。第一、結びつけるものが何もない。こじつけもいいところだ。そんなことだから、当たってようが、外れてようが、大きな問題はない。

「そう……でも、そう言えば何か大きな荷物はあったわ。布が巻かれてる上、丁寧に鎖まで巻かれているから、少し気になったの」

「厳重な積荷だな」

「相当大事なものだったんだとは思うけど……ごめんなさい、それ以上のことはわからないわ」

「いや、十分だ。邪魔して悪かった、養生してくれ」

 だいたい聞きたいことは聞けた。丸椅子から立ち上がろうとすると、シアンが俺の腕を引いた。

「まさか、また塔へ行くつもり?」

「そうなりそうだ」

「ダメよ! あそこには、あれが……」

 いきなり見せるシアンの必死な形相に、思わずたじろぎそうになったが、すんでのところで堪えた。その怯えは尋常ではない。

 シーバスのメンバーですら恐れる何かがいるということか。シーバスがそもそもどれくらい強いのかは知らないけど。

 震える彼女の手を包み、そっと置く。

「ヤバいのがいるんだな。けど、心配ない」

「あれはピシャーチャとは比べ物にならないものよ! 本来は第一層には現れないはずなのに…」

「ピシャーチャより強いのか……そりゃいいな」

 白い肉達磨を相手するのも飽きが来る。もっと強いのがいるっていうのなら、それに越したことはない。上々じゃないか。

 想像しただけで、興奮が収まらない。

「あなたは……馬鹿だわ」

「知ってる。馬鹿と無茶をしにここまで来たんだ。ヤバいからって逃げてちゃ話にならない」

 わざわざ故郷を離れてまで、俺がこの地へ来たのはより強くなるためだ。あの目の上のたんこぶみたいな化物の師匠を超えて、強くなるためだ。

「心配はありがたく受け取るけどな。おい、メルティ行くぞ」

「ほ?」

 皮をむいたオレンジを、右手の指一本一本に指して齧る胃袋怪獣がいた。情けなくて頭が痛くなってくる。

 まさか全部食べてないだろうな、と思って心配したが、籠の中には桃とメロンが残っていた。気を遣ったとかではなく、メインディッシュとしてとってあるだけな気がする。

「もう行くんですか? まだ桃とメロンが残ってるんですが」

 そら見たことか。本当に最低じゃねぇか。

「それは残しとけ。いくらなんでも失礼だ」

「メロンはみんなで仲良く分けた方が美味しいと思うんです」

「自分が半分以上食べて、食べ残しを他人に渡すなんて行為を仲良く分けるとは言わない。ほら、もう行くぞ」

 わめき散らすメルティを無理やりかつぎ上げて、シアンに礼を言う。相も変わらず、「いいのよ」と微笑む。今度はしっかりとした見舞いの品を用意しておかないといけないだろう。

 病室を出る直前に、メルティが突然ぴたりとわめくのを止めて、耳許で囁いた。「もう一つ忘れてませんか」ああ、そうだった。忘れるところだった。

 こういうところがあるから、さっきまでのは演技だったのか、本気だったのか、よく分からなくなる。どうせ聞いたところで「女は女優なんです」とか言うんだろう。

 ドアの前で立ち止まって、振り返る。いつまでも外に出ない俺に、シアンは怪訝そうな視線を向けてきた。

「シアン、最後に一つ」

「何かしら……」

「セルマーって女を知ってるか?」

「……いいえ?」

「そうか。なら、いいんだ。お大事に」 

 手を挙げて別れを告げた俺は、今度こそ、病室を後にした。


◆◆†◆◆


 情報が集まる場所はローディナスにもいくつか存在する。酒場なんかは人も集まるし、情報の行き交いとしては盛んだろうが、なにせ酔っ払いの与太も混ざる。精度という面では心許ない。

 情報にも質がある。より良い情報には価値もつけられる。中でも一番情報が集まると評判を聞くのは歓楽街だ。ローディナス西区画のメルスール歓楽街。俺とメルティはその一画に建てられた、パブに来ていた。

 まだ日も高いというのに、薄暗い店内では艶やかな衣装に身を包む女たちに囲まれて何人か男が酒を飲んでいる。結構なことだ。

 足を踏み入れると、男と女の組み合わせ、しかもまだ年若いとなると、女たちの目を引くのか、すぐに俺とメルティの周りに女たちが群がってくる。

 メルティは現実をまざまざと見せつけられたこともあってか、目つきが鋭くなっていた。爆発しないうちに済ませたいところだ。

「マダム・ジェンナはいるか?」

 俺の問いに、女たちはきょとんとしてお互いに顔を見合わせ、そしてすぐにこちらに向き直った。

「ママはまだ寝てるわぁ。なぁに、ママのお客さんなのぉ?」

「それじゃぁ〜さぁ、ママが起きるまであたしたちといいコトしましょうよぉ〜」

「いや、そういう気分じゃなくてな」

 右手に紫電がまとわりついておりますが、メルティさんや。ちょっと落ち着きなさいよ。

「お兄さん、身体すごぉい。かたぁい」

 俺の周りに現れる女ってたいがい俺の話を聞かないよね。何人かの女がたわんだ胸を俺の身体に押し付けながら、腹やら背中を撫で回してくる。

 局所的な感触については是非もなし。それなりに得をした気分であるが、不可抗力であることだけははっきりさせておきたい。鬼の形相で睨んでくるメルティに、背中が震えた。

「随分と愉快な場所ですね」

「そうだな」

 愉快と言うわりには目が笑ってねぇぞ。

「柔い贅肉の感触はいかがですか?」

「それについては最高だ」

 目の前で雷光が連続で炸裂し、女は悲鳴を上げて壁際まで逃げていった。俺はといえば、まさか二発連続が来るとは思っていなかったので、一発目は避けたか、二発目に眩んで転げてしまった。

 そろそろ失明とかしそうで怖い。

「誰だい、うちの店で暴れるのは」

 低めの、ハスキーな声が店の奥から響いた。視界が戻ってくると同時に、カウンター横の扉から、ふくよかな体躯の女が現れる。こってりした化粧と盛り上がった髪型が、存在感を放っていた。

 一目で彼女がこの店のボスなのだと、そう思わせるものがある。それは一種のカリスマ性であり、ざっくばらんに言えば特筆してケバいからだ。

「あー……マダム・ジェンナ。初めまして」

「可愛い坊や。ここは坊やが来るには早い場所よ」

「女遊びに来たんじゃないんだ」

「へぇ、じゃあ、坊やは何を買うのかしら?」

「知りたいことがある」

「あたしのスリーサイズは教えられないわ。年齢も」

 言われるまでもなく、知りたくもない。

 彼女なりのジョークなんだろうが、俺からすればヘビー級だ。愛想笑いできただけでも褒めて欲しい。

「どこで知ったのかしら」

「笛吹きが教えてくれた」

「余計なことを……まぁ、いいわ。奥へ来なさい」

 マダムが巨体のわりに軽やかなステップで身を翻した。彼女の肉厚な背中を追って、部屋の中に入る。巨大なベッドに幅広の椅子とデスクの他には、大量の本が散らばっていた。足許にある本のタイトルには『淫らな昼下がり』と記されていた。メルティがそれを手に取って読み始める。何してんのお前。

 ともあれ、どうやらここが彼女の私室のようだ。

 ドアを締めると、マダムはベッドに横たわった。デスクじゃなくて、ベッドが定位置なのは、体型によるものか、単に眠いだけか。

「それで、何が聞きたいのかしら」

「俺のこと」

「面白いわね、坊や。隣に女がいなければ、とんだ口説き文句ね」

 マダムが愉悦に喉を鳴らす。

 寒気がした。

「アインは節操がないですね」

「酷い誤解だ」

「まぁ、坊やのことは知らないわね」

「アイン・ストレルカ。シーバスのメンバーを助けた」

「シーバスが行方不明なのは知ってるわ。でも、メンバーが助かったなんて話は聞いてない。つまり坊やは、自分の情報を売りに来たということかしら」

「いや……十分だ。ありがとう、マダム」

 界隈では有名な情報屋でもあるマダム・ジェンナがまだ昨日の件については知らないという。となると、ギルドはこの内容をまだ公開していないってことになる。今後どうするにせよ、今はまだ出回っている情報ではない。それがはっきりした。

 出来れば昨日俺がぶちのめしたという暴漢に話が聞けるとさらに確証が持てるんだが、顔も覚えてない以上探しようがない。とにかく、セルマーが俺に接触を図ったのが偶然ではない可能性は俄然高まった。

 だが、怪しいといえば、ギルドの行動自体が怪しいのだ。

 そもそも、考えてもみればおかしい話だ。ローディナスに来てまだ日も浅いとはいえ、リグ・ヴェーダがどういうところかくらいは理解している。あれは人の死など日常茶飯の場所だ。実際、俺たちの生死は保証されなかった。それをギルドが一つの商隊、一つのパーティーのために捜索隊まで出すなんてのは、余程のことがなければあり得ない。

 セルマーの目的。彼女の口から出たシーバスの名前。サヴァンニ商隊の謎の積荷と、ギルドの不可解な行動。

 どれもきな臭いことこの上ない。

 だからこそ、俺はセルマーの依頼を受けようとしているのだ。面倒ごとは確かに嫌いだが、喉奥にわだかまった何かが詰まってるようなこの感覚もまた嫌いだ。

 とにかく、リグ・ヴェーダに向かえばスッキリする。俺も存分に戦えるし、悪いことばかりではない。

「マダム、最後に一つだけ」

「なぁに?」

「セルマーって名前を知ってるか?」

 マダムは眠たげな瞳を擦りながら、シガレットに火を灯し、紫煙をくゆらせながら、しばらく惟る仕草をした。

「まぁ、よくいる小悪党の名前よ」

「そうか……お代は」

「今回は負けてあげるわ。今度、飲みにいらっしゃいな」

「あー……酒は飲まないって誓ったんだ」

「そうなの。残念ね。人生の半分を損してるわ」

 マダムはあくび混じりにそう言った。

 いや、その酒のせいで今面倒臭い目に遭ってるんだが。

 まぁ、遊びに来るくらいはしてもいいかもしれないが。

「邪なものを感じました」

 メルティがいる限りは無理そうである。

 

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