表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

【sequence:007】

【sequence:007】


 目を覚ますと、宿のベッドの上だった。俺の体内時計は今日も優秀で、外はちょうど日の出の時間帯だった。しかし、寝覚めがいいかどうかとは話が別だ。

 少し、落ち着こう。なんだこうなった。つーかこれはどういう状況なんだ。俺の脇で眠っているのは、ショーツ一枚のメルティ。まぁ、こいつはどうでもいい。万が一にも過ちはない。この状況下でも言い切れる。だが反対側のこの女は……誰だ?

 素っ裸である。歳は俺と同じか、少し下くらいだろうか。青みがかったボブカットの女が、微かな寝息をたてて、俺の隣で寝ているというこの状況はなんだ。

 つーか、俺昨日どうしてたっけ。そうだ、確か中央区の広場に行ったんだ。あそこは夜は露店などが立ち並んでいて、屋台なども出店している。腹も空いてきたので、屋台で飯を済ませようと、俺はメルティと広場へ向かったのだ。

「やっべぇ……そっから覚えてねぇぞ……」

 酒でも飲んだのか、俺は。

 駄目だ、よく分からん。とにかく身体を動かそう。そうすればこの奥深くに沈滞した思考も幾分マシになるだろう。

 二人を起こさないようにベッドを抜け、とりあえず毛布を被せておく。こんな状況を師匠に見られたらどうなることやら。去勢されるかもしれん。身が震えた。

 立てかけてあった棍を手に取って、外に出る。暗澹とした気持ちとは裏腹に、外の天気は麗らかな陽気に包まれていた。

 一通り身体を動かし、汗を流す。

 ストレッチをして身体をほぐす頃には、街の住人がちらほらと見え始めた。ぞろぞろ頃合かと、タオルで汗を拭き取りながら中へ戻っていく。

 そっとドアを開くと、部屋の中は混沌としていた。

 メルティが服も着ずに椅子に三角座りをして、こちらをじろっと睨んできた。獲物を射殺さんとする猛獣のような視線だった。これは下手を踏むと死ぬかもしれん。

「お、おはよう」

「おはようございます、アイン。これはどういうことでしょう」

 これ、というのがベッドで未だに眠っている裸の女についてのことだというのは、言われるまでもなく分かった。でもそれ俺の方が聞きたいくらいなんだよなぁ。

「お前、昨日のこと覚えてる?」

「アインがお酒に弱いってことは覚えています」

「やっぱ飲んでたのか……」

 初めて飲んだことになるが、まさかこんな記憶を失うハメになるとは。故郷の男連中がぐでぐでになっているのを介抱しながら、情ねぇなと思っていたのだが、なるほど馬鹿にできない。

 あれはきっと悪魔の飲み物なのだ。どんなのかも覚えてないんだけども。

「まさかとは思いますが」

「覚えてないんだよなぁ……」

「こんなダメ亭主を持ったわたし、なんて可哀想……」

 わざとらしくよよよ、としなだれるように泣く仕草をするメルティにいささか苛立ちを覚えた。何言ってんの、お前。

「誰が亭主だ」

「妻を横に他の女と不貞行為だなんて……」

「なんもしてねぇよ」妻じゃねぇし。

「覚えてないくせに」

「ぐ……」

 それを言われると非常に辛い。覚えがない以上は、俺の良心を信じるしかない。メルティは依然として俺を睨んだままだ。

「そもそもこいつが誰かも俺は知らねぇんだけど」

「わたしだって知りませんよ」

「お前、記憶あるんだろ」

「わたしが楽しく食事に舌鼓を打っていたら、アインが突然その場を離れました」

「はぁ、それで?」

「あとは何人か男の悲鳴が聞こえて、おそらくアインが暴れてたんでしょうが、それからわたしはいきなり腕を引かれました。そして気付けばここに戻ってきた次第です」

「つまり酔った俺は、よく分からんトラブルに首を突っ込んだと」

「そういうことになりますね」

 ヤバイな。途端にベッドの女からとてつもないトラブル臭が漂ってきやがる。詳しくは女から聞き出す他ないけれど、いっそこのまま放り出した方がいい気もしてきた。

 ただ、そんなことをしたら、男として色々と終わってしまう気もするんだよなぁ。どうしたものかと考え込んでいると、ベッドがもぞもぞと動いた。「んん……」と艶のある声が聞こえてくる。考えもまとまらないうちに、どうやら目を覚ましてしまったようだ。

 女が身体を起こし、毛布が盛り上がる。伸びをする腕のせいで、今にも毛布がこぼれ落ちそうだった。眠たげな目を擦って、ぼーっとこちらを見つめてくる。

「あー……おはよう」

「ん……おはよう」

 言葉は通じるらしい。いや、そんなことはどうでもいい。よくないか。通じないと困るしな。そういう問題じゃねぇな。駄目だ、考えがまとまらない。

 頭の中がこんがらがっている俺を他所に、メルティが椅子から降りて女に近付いていった。待て待て、お前何する気だ。

 肝が冷えそうになる中、メルティがすっと女を指さす。

「おはようございます。とりあえず、まずは早く服を着た方がよろしいと思いますよ」

 思ったよりも至極真っ当な意見が出てきて安心しかけたけれど、一つだけいいだろうか。おそらく大事なことだ。

 お前も服着ろよ。


◆◆†◆◆


「で、あんた誰だ?」

 床に脱ぎ散らかしてあった服はどうやら女のものらしく、着替えのために俺は一旦外に出た。メルティに呼び戻されて中に戻ると、女がベッドに腰掛けていた。

 なぜかまだ服を着ていないメルティは椅子に座って女に向けて威嚇をしていたが、それよりもまずずべきことがあるだろうに。とはいえ、ナイチチボディにいちいち目くじらを立てても仕方がないので、追及はせず放っておくことにした。

 床に腰を下ろす俺が質問を投げかけると、女が答えた。

「あたしはセルマー。昨日はありがとう、えーと」

「アインだ。こっちはメルティ」

「そう……アイン。あなた、凄いのね。とても逞しかった」

「はぁ、そりゃどうも」

 おい、昨日の俺は一体何をしたんだ。

「随分とお楽しみだったようですね」

「お前は黙ってろ」

「その子はあなたの……妹さんかしら」

 小言を挟んできたメルティに、セルマーが視線を向ける。しかしそれが余計な一言となった。

「妻です」

「妻……そう、色んな趣味があるものね」

「違う! 話がややこしくなるからお前黙ってて」

 メルティは不満げな表情のまま黙り込んだ。

 しかしこのままでは埒が明かない。非常に恥ずかしいのだが、思い切って本当のことを言うことにした。

「その、なんだ。実は昨日のことを全く覚えてないんだ」

「そうなの……あんなに楽しんだのに」

「楽しッ……あだっ」

 目の前で雷光が弾け、勢いで床を転がった。またかよ。

「どんなお楽しみがあったのでしょうね?」

 ヤバイ。微笑んでるのに、目の奥が笑ってない。お前顔立ちだけは逸品だから余計に怖いんだよ。微笑を浮かべるメルティの右手には紫電が走っている。二発目の準備は既に整っているようだ。次は黒焦げにされるかもしれん。

「あなた、あたしを暴漢から助けてくれたの。それも覚えてないのかしら」

「残念ながら」

「酔ってたってことかしら」

 全くもってその通りだ。酔っていたんだ。だからもう全部一夜の過ちってことにならないかな。ならないよな。

 師匠が巨大なハサミをジョキジョキと鳴らす幻覚が見えた。こんな時まで俺に圧力をかけてくる。そのハサミで何を切り落とすつもりなのだろうか。幻覚なので、笑顔だけが返ってきた。余計に怖いんだけど。

 (かぶり)を振って幻覚を払ったつもりだったのだが、セルマーはそれを拒否と勘違いしたのか、少し語勢を強めてきた。

「認めたくないのかもしれないけど……それでも行いの責任は取ってもらわないと。何事も等価交換じゃないかしら」

「責任……なぁ」

 どうやら覚えていないの一点張りでは、こちらの言い分はどう足掻いても通らないようだ。メルティを一瞥すると、柔らかい微笑みとともに、左手にも紫電が走っていた。三発目も覚悟する必要があるようだ。

 黒焦げの次はなんだろうな。灰にされるのだろうか。想像しただけでもぞっとしない。せめて片方はしまって欲しい。

「具体的には、何をすればいいんだ」

「強い男が必要なの。そのためのあなた」

「そこまで強くない、って言ったら?」

「大柄な男三人を吹き飛ばしておいて、弱いってことはないわ」

 昨日の俺はマジで何をしてんだ。全く覚えがないとはいえ、たとえ酔っていても長年の鍛錬で染み付いた技は離れないようだ。

「それに、行方不明だったシーバスのメンバーを救出したとか」

「それも知ってるのか……」

「ギルドの情報は早いわ。たぶん、誰でも知ってる」

 捜索隊まで駆り出されるパーティーだ。知られていてもおかしくないとはいえ、そこまでくると、言い逃れはできそうにない。

 こちらが何も言い返せないのを、降参と受け取ったのか、セルマーは話を続けた。

「あたしを第三層まで連れて行って欲しいの」

「第三層……ね」

 今日まで登頂に伴う探索が繰り返されるリグ・ヴェーダだが、今現在到達している層が第三層だという。これだけの歳月を費やしても、未だに三層目が限界だというのには素直に驚く。

 女が一人で第三層に行くのは確かに危険だ。ああいや、男女差別をするつもりは無い。男一人でも辛いだろう。俺だってそれくらいは理解しているからこそ、メルティを相棒にしているのだ。こいつろくに働かないけど。

「それなりの報酬も払うわ」

 セルマーが懐から袋を取り出す。彼女がそれを上下に振ると、金属が擦り合う音が聞こえてきて、中身が金であることを示しているのだと理解する。要は用心棒ってとこか。なるほどね。

 しかし、等価交換……ね。言ってくれる。

 メルティと目交ぜると、肩を竦められた。こちらに一任する腹積もりのようだが、そんな問題でもないぞと言いたい。

「少し、相談したい。期日はどれくらいだ」

「早い方がいいわね」

「なら、明日返答する。それで構わないか?」

「ええ……あたしの気が変わらないことを祈ってちょうだい」

 セルマーは口角を少し吊り上げ、ベッドから立ち上がった。流し目で短く別れの言葉が投げかけられる。

 俺は、返事はせず、手を振るだけに留めた。

 部屋のドアが締まると、途端に肩の力が抜け、長い溜め息を吐き出した。それは長い、長い溜め息だった。マジで厄介事に首を突っ込んでしまったようだ。

 今ここに誓う。

 酒はもう絶対に飲まない。


◆◆†◆◆


「それで、受けるんですか?」

 しばらくの間続いていた沈黙に耐えかねたのか、メルティが口を開いた。もたげていた首を持ち上げて、メルティを一瞥する。

 溜め息がまた出てきた。

「受けるしかない状況なんだよなぁ」

「同衾の件に負い目を感じているのですか? 確かに不貞行為ではありますけど、わたしは心が広いので今回は大目に見ますよ?」

「ちげぇだろ。それに、何も無かったことくらいお前だって分かってるだろうに」

「どう見ても不自然でしたものね。そもそも、わたしがベッドに潜ったのは、あの女がいきなり服を脱いでアインのベッドに潜り込んだからですし」

 しっかり確認してんじゃねぇか。

 あれよこれよと物事をややこしくしてるのは、実はお前なんじゃないのか、と言いたくはあったけれど、今回ばかりはぐっと飲み込んだ。一部は俺自身の責任でもあるのだから、メルティに当たるのはお門違いだろう。

 腹立つことに変わりはないけどな!

「そもそも、問題はそれだけじゃない。メルティ、あいつの持ってた袋見たか?」

「ええ。たいそう見覚えのあるものでした」

「昨日まで俺が持ってたものだからな」

 あれはもともと俺の……というか俺たちが稼いだ金だ。

 ギルドで受けた依頼の報酬だ。ご丁寧にギルドの調印までされた袋を、こともあろうに「報酬」と題してちらつかせてくるとは大胆な女である。

 等価交換とはよく言ったものだ。どこにも公平なものがない。

「奪い返すこともできたのではないですか?」

「それも考えた。けど、俺の中での一番の疑問は、そこまでして第三層に向かう理由だ」

 安い色仕掛けで俺を用心棒として雇ってまで、第三層を目指す理由はなんだ。正直、そちらの方が興味があった。

「すごいお宝があるとか……」

「そんな情報があったらもっと派手に出回るだろ」

「つまりアインはその疑問の正体を掴みたいがために、奥手な草食系童貞男子を演じてみせたと」

「後半余計だ」

 実際、酒のせいで記憶がなかったのもあるけど、それは黙っておくことにした。どうせ言わなくても、こいつは分かってるだろう。つーか、分かってて棘を刺すような物言いをしてくるのだからマジで質が悪い。

 まぁ、とにかく話に乗るのが手っ取り早い。あの金もそう簡単に使うことはないだろう。あれは向こうとこちらを繋ぐ細い線だ。もちろん俺が断れば金は返ってこないだろうが、返答するまでは安全であることに違いはない。

「なんにせよ、明日まで猶予はある。少し探るか……って、なんだその顔」

 メルティが目を丸くして、しかも口を呆けたように開けてこちらを見てきたので、怪訝に思って訪ねる。

「アインも頭を使うんですね」

「ほんと俺を馬鹿にしてるだろ、お前」

「冗談ですよ。分かりました、行きましょう」

 話もまとまったことで、俺は棍を片手に重たくなっていた腰を持ち上げた。少し固まった関節を伸ばしてほぐす。小気味のいい音がして、身体も少し軽くなった。

 そして一歩を踏み出す前に、ふと気付く。

「お前、嘘って分かってて俺に魔術向けたな」

「星術です」

「どっちでもいいわ。答えろ」

「もちろん、わざとらしいしなを作る女に、でれでれと鼻を伸ばすアインに腹が立ったので」

「伸ばしてねぇだろ」

「あの女の胸の大きさは?」

「Eカップ」

 目の前で雷光が炸裂した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ