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ピシャーチャは俺の姿を捉えるや否や、一気に襲いかかってきた。躊躇いも戸惑いもない。端から殺すという目的が伺える。ありがたいことだ。その方がやりやすい。
特に異形相手なら、こちらも遠慮が要らない。
「行くぜ!」
体勢を低く、足を地面に深く根付く大樹のように強く踏ん張る。それでいて軽やかに、風にそよぐ枝葉のようなしなやかで構える。
ピシャーチャの一体が猛然と迫る中、俺の心は高揚していた。
この異形は、俺をどこまで高みへと導いてくれるだろうか。
ピシャーチャが腕を振り回した。あれに関節らしい関節がないことは、先の戦闘で理解している。あの鞭のようにしなる腕は、戦闘の訓練を受けていない人間が生身で受ければ、容易く骨が砕けるほどの威力だ。肉体を武器にする。異形であろうとなかろうと、その一点においては好感が持てる。
しかし、その膂力がいかほどであっても、俺にとっては頬を撫でる薫風に等しい。俺もまた、己の身を武器とするのだから。
棍を立てて、ピシャーチャの腕を受け止める。この程度、軽いものだ。言っとくが、師匠のデコピンの方がもっと強いぞ。マジで骨が砕けたことあるからな!
受けた力の反動を利用して身体を回転させながら、ピシャーチャの脇へと滑り込むと、そのまま流れるように突きを放った。棍が肉に突き刺さる。こいつらは骨格も人と違って簡単な構造で、軟体動物に近い。そもそも、人間であれば普通に突くだけで骨が砕ける。その一撃だけで人間相手ならば無力化できるのだが、ピシャーチャ相手ではそうはいかない。
故に、拗じる。
一瞬の突きの中で、あらゆる方向に捻じりを加え、抉るように捩じり、そして執拗に拗じる。棍を辿るは丹田に蓄えられた根。それが純粋な破壊の力へと変換された時。
ピシャーチャは爆ぜるのだ。
「一体目ェ!」
奴らに恐れという感情はない。仲間意識があるのかも怪しい。しかし狩りのためなら奴らは連携する。二体同時に来た。それが本能なのか、理性から来るものか定かではないが。
面白い。
そうでなくては楽しめない!
こちらから躍り出る。ピシャーチャにも若干の個体差はある。さっきのより少し大きく、腕が長い。鞭打たれたら痛そうだ。
つっても、当たらなければ意味はない!
棍の端を持ち、横に薙ぐ。大きめのピシャーチャが吹き飛んだ。歯が何本か折れたみたいだが、まだ絶命には至っていない。しかし軽い身体だ。ちゃんと飯食ってんのか。あ、俺を食おうとしてんのか。腹が減ってちゃ戦えないってのに。準備が足らねぇな!
すぐさま反対側のもう一体に蹴りを入れる。ぐにっとした変な感触だ。まぁ、気になるほどでもない。うちの故郷にも、たまにとんでもねぇ化け物が現れることがあった。それに比べればなんてことはない。
目前の四体目に直進し、鋭い突きを急所に打ち込む。打ち込まれたピシャーチャは上半身からねじ切れ明後日の方向に飛んでいく。そのまま肉片となって四散していった。
「まだまだァ!」
四体来た。いや、さっき吹き飛ばした奴らも来た。いい根性だ。そういうのは認めてやる。好ましい。六体か。いいね、滾るね。全身全霊で相手しようじゃないか!
上空に飛び上がる。さながら猛禽のごとく。
師匠から死ぬほど……というか死にそうになりながら叩き込まれた棍術の構え、忠志八相が第三位。
天鷹の構え。
重力による落下が始まるや否や、すぐさま一直線に降下し、地面を穿つ。根は森羅万象に根付く。根とはすなわち生命の奔流であるがゆえに。そしてそれは本来流れ、滞りなく澄み渡る。しかし一点に溜まれば、根は風船のように膨張し、そして爆発する。天であれば嵐となり、大地であれば地震として顕現する。森羅万象の源そのものである根を操るということは、その本流を、その爆発を自身の手で操るということだ。
「烈壊……ッ」
大地が隆起する。それは地神の怒りを顕現する。
そして怒りは咆哮とともに、形を得る。
「隆穿!!」
地面から槍状となった岩が、周囲のピシャーチャを一斉に貫く。心の臓を穿たれて、六体のピシャーチャが悲痛な叫びを伴いそのまま絶命した。
立ち上がり、棍で地面を再度一突きすると、岩槍は崩れ落ちた。大きな風穴を開けたピシャーチャが土に埋もれる。
うん、上々だ。
「アイン、三体増えました。あと八体です」
「もっと来いよ!」
「いえ、早く終わらせてください。お腹空きました」
することがないせいか、メルティは飽きてきたらしい。あくび混じりな、そっけない応えが返ってきた。つーか、お前は怪我人を守るって仕事あるんだけど。
しかしそんなことはお構いなく、メルティは袋に手を伸ばし、中から林檎を取り出した。袋から一緒に入れていた果物ナイフを取り出して、器用に剥き始める。待てこら、お前、それ食べる気満々じゃねぇか。さっき缶詰を五個に減らした意味がない。
俺が一体仕留める頃には皮を剥き終え、しゃくしゃくと齧りながら俺の戦いを観戦していた。足まで伸ばしてくつろぎの空間を演出してやがる。とにかく腹立たしい。
苛立ち紛れにもう一体を粉微塵にする。
「あと六体ですよ」
「食っちまったもんは仕方ないとしても……お前それ、俺の分も残しとけよ!」
ピシャーチャの背面から背負い投げで空中に放り出し、棍で叩きつけた。べちゃっと粉砕され、肉塊へと変貌するが、俺はそれに目もくれず、二つ目の林檎を向き始めるメルティを睨んでいた。
「それはアイン次第ですね。ほらほら、あと五体です」
「くっそ腹立つわぁ……!」
忠志八相が第六位、金剛の構え。
そこから棍棒のように荒々しく振り回し、地面に叩きつける。衝撃で砂塵が宙に舞う。それを巻き込みながら、ピシャーチャに棍を叩きつけていく。
「灰燼旋舞だコノヤロォ!」
硬化した砂塵に蜂の巣のようにされながら、棍に引き潰されているピシャーチャだが、この時点での俺の怒りの矛先は林檎に手をつけているメルティなので、ピシャーチャが蜂の巣になろうがミンチになろうが、もはや知ったことではなかった。
最後の一体を破壊し尽くした頃には、メルティは三つ目の林檎を食していた。おいこら馬鹿女、林檎は三つしかないんだが。
「お疲れ様でした」
メルティはしゃくしゃくと林檎を齧りながら俺を労った。袋にもたれかかってだらけきったその様は、労う人間の態度ではないだろう。舐めてるよね。
「ついでにお前も粉砕したい」
「そんなに林檎が欲しかったんですか? 残りでよければ、これ差し上げますけれど」
「芯しか残ってねぇだろうが!」
差し出された林檎は綺麗に棒状へと変身していた。
「そんなに怒鳴らなくても……帰りに買ってあげますから」
「なんで俺が食いしん坊みたいな感じになってんだ。そういう問題じゃねぇんだよ」
林檎を食べたかったとかそういうわけではない。買いためた食料にぽんぽん手をつけることがまず腹立たしいし、食べてしまったのは仕方ないにしても、俺の分が考慮されていないことがさらに怒りに拍車をかけるのだ。
せめて俺の分も残すくらいしとけよ。
大きか溜め息を吐き出す。憤懣はわだかまっていたけれど、押し込めるために地面に一旦腰を下ろす。すると、シアンが目を丸くして俺を見つめていた。
「きみは……一体……」
「ん? 俺はアインだけど」
「いや……そうではなくて……」
何が言いたいのかよく分からないけれど、悠長に聞いている間はなさそうだ。俺はシアンを腕に抱えて、立ち上がった。
「とにかく、まずはここを出よう。メルティ、いいか?」
「D7までは行かないんですね。アインのことだから、このまま進むのかと思ってました」
「お前やっぱ俺を馬鹿だと思ってるだろ」
「そんなことはないですけど」
よいしょ、と小さく掛け声を発しながらメルティは袋を背負う。これの中身大半食料なんだと思うと、なんだかなぁ。こいつに持たせておくのはほんと不安しかない。
「怪我人抱えて戦えねぇだろ」
そう言うと、メルティの目がすぅ、と細くなった。
「へぇ。ずいぶんとその方には優しいんですね。わたしにもそれくらい優しくして欲しいものです」
「いや、俺十分優しいと思うんだけど」
暴食の末に人の財布にまで打撃を与えてきている女と、なんだかんだで一緒に行動してるんだから、俺の心は海より広い。
「とにかく、調査は完了。帰投するぞ」
「そうですね。アインがわたしに対して優しいかどうかの議論は帰ってからにしましょう」
戻っても面倒が待ってることだけは確定してしまった。
◆◆†◆◆
俺たちがリグ・ヴェーダから出た頃には空もだいぶんと赤らんでいた。とはいえ日をまたぐこともなく帰ってくるとは思ってなかったし、まだ動き足りない気もしたが、生存者が早く見つかったのはいいことだろうと、自分に言い聞かせる。
すぐにローディナスの総合医療センターにシアンを運び込むと、職員は慣れた様子で入院の準備を整えてくれた。その後のことは病院側に任せることにして、俺たちはもう一度ギルドへと向かうことにした。
夕方にもなると人も減ったように感じるが、それでもギルドの内部は人間でごった返していた。エントランスで朝とは違う受付の女性に要件を伝えると、同じように三階へ行くようにと促される。
斡旋所もやはり人が多いが、整理券は必要ないらしく、すぐに受付カウンターへと向かうことが出来た。眼鏡をかけた女性が、少し驚いた顔をして俺とメルティを見つめる。
「依頼、終わったんだけど」
「もうですか?」
「あいにくな」
この反応はされてと仕方ない。音信不通だった商隊がそんなあっさり見つかるなら、捜索隊などそもそも必要ないのだ。
でも見つかったんだから仕方ない。とりあえず、ことのあらましを説明していく。一通り俺の話を聞き終えた眼鏡の女性は、頬に手を添えて少し思案する仕草を見せた。
「では、その女性は今医療センターに?」
「ああ。とりあえず入院手続きだけ済ませてある」
「分かりました……色々と不可解な点もありますが、詳しい事情については今後、彼女から聴取していくことにします。今回の報酬については二階の窓口にてお受け取りください。これが証書です」
眼鏡の女性から一枚の紙を受け取る。色々と書いてあるが、真っ先に目に付いたのは報酬の額が記されている部分だった。
いち、じゅう、ひゃく……マジか。すげぇな。まさか、あれで十万以上も手に入るのか。家賃にあてても釣りが来る額だぞ。逆に言えば、それだけ重要な案件だったってことにもなる。
「幾ら貰えたんですか?」
「十二万」
「今夜は焼肉食べれますね」
「泥でも食ってろ」
鬼悪魔人でなしと散々なことをわめき散らすメルティを無視して、俺は二階に向かう。カウンターで受け取った紙を渡すと、代わりに依頼の報酬が差し出される。紙袋を覗くと、十二枚の一万ウレル貨幣が詰まっていた。
細かい端数が気にならなくなるな、これ。いきなり大金が懐に入ってきたものだから、そわそわしてしまう。
ことさらハイエナが傍にいれば余計そうなるのも仕方ない。
「焼肉焼肉焼肉焼肉」
「まだ言うか」
俺だって肉は食いたいが、何よりこいつと行くのが嫌だ。どうなるかが想像できてしまうあたり、美味しく食べられなさそうだし。仮に焼肉食べるなら、こいつがいない時を狙う。
とはいえ腹が減ってきたのも確かで、ちょうど狙ったかのように俺の腹の虫が小さく鳴き声を上げた。
「中央区の広場にでも行こうぜ。屋台くらいあるだろ」
「焼肉でいいですよ」
「木の皮でも焼いてろ」
またわめき出すメルティを放って、俺は歩き出した。