【sequence:005】
注)かなり無理してます
「ハァ……ハァ……くっ……」
痛む腕を押さえて、岩場に崩れるようにもたれかかる。防具をとると、二の腕が赤黒く染まっていた。外套の裾を破って腕に巻き付け、止血を試みる。
何故このような場所にあんなものがいる。あれの目撃はもっと上層だったはずだ。それがこんな下層区域にまで降りてきているなど、誰が思っただろうか。
「ジャン……」
彼を見捨ててしまった。
その罪悪感が刃のようになって胸をじくりと刺さる。腕の痛みよりも、そちらの方が重症だった。
――逃げろ……!
「うくっ……」
逃げてよかったのか。わたしも残って戦うべきだったんじゃないのか。彼はもう走れない。あの場所が死地になったとしても、わたしも最期まで彼とともに戦うべきだったんじゃないのか。
後悔だけが苛む。
わたしは、結局彼に背負われるばかりだ。
ああ、ジャン。ごめんなさい。謝ったって、許されることは無いけれど、それでも、ごめんなさい。
逃げ出してしまったわたしを、どうか許してください。
わたしは。
【sequence:005】
リグ・ヴェーダの内部は広い。噂では、このローディナスよりも広いとさえ言われている。それはつまり、塔の内部が異界化しているということに他ならず、調査が難航している一因にもなっている。
「まぁ、塔の中に太陽があるくらいだもんなぁ」
空を見上げると、血のように赤い空と、闇色の太陽が浮かんでいる。黒い太陽から光が出るというのも妙な気分にさせられる。
本当にこの世ならざる場所なんだと痛感させられる光景に、少しばかり圧倒されながらも、俺とメルティはリグ・ヴェーダの第一層を歩いていた。
この階層はすでに大規模な探査も行われているらしく、地図も細かく描かれているので、迷うことは無い。
「暇だ……」
「ですねぇ」
すでに依頼である行方不明になった商隊の調査を初めて二時間弱が経過している。俺的にはもっとうじゃうじゃと敵が湧いてきて血沸き肉踊るような戦闘が楽しめると思っていたんだけど……全ッ然敵が出てこねぇ。ピシャーチャすら出てこない。
そもそもピシャーチャは、それこそうじゃうじゃ湧いて出てくるって話を聞いていたのに、これでは単なるピクニックである。
「だあぁ! こんなクソ暇とは思わなかった!」
「そうですか? わたしは楽しいですよ」
「楽しいか、これ」
「楽しいです。アインとデートしてるって感じで」
「頭おかしいんじゃねぇのっでぇ!」
手を噛まれた。ここへ来ての新技を披露されてしまった。
慌てて振り払い、歯型のついた手を見つめる。良かった、ちゃんと肉はついてる。骨も無事のようだ。つーか何すんだよこいつは。
「アインの手は美味しそうですよね」
「おめーが言うと洒落にならねぇんだよ……」
「わたし、さすがにカニバリズムの持ち主ではないので、そこは安心してください」
「財布を火の車にしてしまう女に安心はできない」
「いちいち細かいと、女性に嫌われますよ?」
「そりゃおめーの胃袋に比べたらたいていのことは細かいわな」
「あんまり褒めないでください」
「褒めてねぇんだよ」
くだらない応酬に疲れを感じ始め、俺はメルティとの会話を打ち切って小さな鞄からファイルを取り出した。ギルドで渡された、依頼の内容についての詳細が書かれたファイルだ。
周りに敵影も認められないので、今のうちにファイルに目を通しておくことにする。
サヴァンニ商隊は、このD2から伸びる道を通ってD7を経由するルートを通る予定だったらしい。護衛には五人、シーバスという名のパーティーが付いていた。本来ならば、三日前には第二層のナルバ駐屯地に到着するはずだったのだが、連絡が取れないということらしい。
第一層はD0からD16までの区画に分類されており、D7は比較的安全圏として確立されていた。シーバスもギルドでは信頼のおけるパーティーらしく、略奪の可能性も低いらしい。つまり敵の襲撃を受けたのではないか、というのが現在のギルドの見解だという。
捜索隊の編成がギルドでも行われているそうだが、いかんせんシーバスが全滅するとなると、それ以上の面子を集める必要があり、その分時間がかかっているそうだ。つーか、結構強いんだな、そのシーバスっていうパーティーは。
まぁ、要は俺たちがすることは、全滅したであろう商隊の位置の特定や、危険分子の調査と排除というところか。仮に生存者がいれば助けるべきなんだろうが、いかんせん二人だと一人運び出すのが関の山だし、ギルドもそれくらいは承知しているからこそ、今回の依頼も請け負うことが出来たと言える。
「死人の確認ってのは後味悪いけど、しゃあねぇか。メルティ、一応お前も読んどけば。メンバーの名前とか載ってるし」
「そのへんはアインに一任しますが」
こいつ、働かない気か。舐めとんのか。
「そういうのは出発前に読むものではないのですか?」
「早く来たかったし」
「遠足に浮かれる子どもみたいです」
「結局、本当に遠足になってるんだけどな……っと、停止」
右手を出して、メルティの行く手を遮る。前方に人影が見えた。メルティも気付いているようで、同じように俺が止める必要もなく立ち止まっていた。
人影は、ゆらりゆらりと、陽炎のように揺れている。ピシャーチャかと、すぐに身構えたが、どうやら違うようだ。
「人、のようですね」
「ああ」
「行きましょう。たぶん怪我をしています」
「俺が行く。メルティは周囲の警戒」
「分かりました」
俺が先導し、ゆっくりと人影との距離を詰めていく。はっきりと見える距離まで近付くと、相手が女性であることが分かった。
女性は俺と目が合うと、ふっと糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちかけた。慌てて飛び寄って、その身体を抱きとめる。
「お、おい。大丈夫か?」
「こ、こ……は……」
「第一層、D2の北西部だ。怪我してるな……もう喋るな。メルティ、とりあえず手当て出来る場所はないか?」
「この先を行けばどうやら池の近くに出るようです」
「そこまで行こう。引き続き周囲の警戒と先導を頼む」
「はい。ではついてきてください」
俺は女性を抱き上げると、メルティの後を追った。
◆◆†◆◆
道の外れにある池の辺で、俺たちは女性を寝かせた。
憔悴しているが、見たところ怪我はそれほど酷いというわけではない。腕と腹部に傷はあるが、止血のあともあり、失血死の心配は今のところなさそうだ。
「結界を張っておきました。ピシャーチャに人払いが効くかは分かりませんが」
「十分だ。メルティ、袋から救急セット取ってくれ」
「はい。どうぞ」
「サンキュ」
メルティから救急セットを受け取ると、ゆっくりと女性の服の裾を上げる。「なんか助平ですね」「やかましいわ」メルティの茶々を一蹴して、ガーゼで血を拭き取る。切り傷だが、内蔵までは到達してないようだ。消毒と縫合をさっと済ませる。
「アイン、思ったよりも手馴れてますね」
「昔、よく怪我したからな。自然に覚えたんだ」
故郷で師匠から棍術を学んでいる最初の頃なんかは、よくボコボコにされて全身傷だらけになっていた。手当してくれる人もいたけれど、男心としてはあまり傷だらけの姿を見られたくなかったのもあり、隠れて自分で手当することもままあった。師匠からは、というかみんなにはバレバレだったんだろうが。
しかし無駄な経験というわけでもないあたり、師匠はこういう時のことまで考えていたのだろうか。だとすれば、未だに手のひらで転がされてるってことだ。そればかりはあまりいい気がしない。
「とりあえず、これでいいだろ」
腕の傷も縫合し、新しい包帯を巻いた。とにかく無理に動かしたりしなければ、すぐに治るだろう。
「お疲れ様です」
メルティが紅茶を煎れてくれていたようで、カップを受け取る。意外にそういう気配りは出来るらしい。まぁ、大して合わせたこともないのに、哨戒の役目を果たせるあたり、いろいろと心得は掴んでいる。
「たまには働きますよ、わたしも」
「嫌味かよ」
「そういうわけじゃないですよ」
忍笑を堪えるように口許に手を当てているメルティを横目に、小さく吐息を漏らす。周囲は落ち着いている。このタイミングで敵に来られるとさすがに困るのだが、今のところは大丈夫か。
「腹ごしらえでもしますか?」
「お前が食べたいだけだろうが……まぁ、軽く貰うわ」
「では缶詰でも」
そう言って、袋から取り出した缶詰を俺に渡す。いや待て、なんで俺は一個でお前は十個なんだ。数がどう考えてもおかしいだろ。
「二個にしろ」
「そんなちょっとじゃすぐにお腹空くじゃないですか。こんないたいけな少女に、アインは餓死しろと言うんですか?」
「二個で餓死するなら俺はとっくに骨だろ」
「胃袋の出来が違うんですよ。出来が」
「むしろ欠陥だろ、その胃袋は……」
「もう……仕方ないですね。五個に我慢してあげます」
我慢しても俺の五倍ですか。お前の胃袋やっぱ異界に繋がってんじゃねえの。
げんなりしつつも、半ば五個ならいいかなんていう思考ももたげてきて、いろいろと麻痺している気もするが、これ以上口論するのも億劫になってきたので、諦めることにした。
缶詰を開けて、中身を口に放り込む。
固形のシリアルのようなものだった。購入先の店員いわく、腹持ちはいいらしいが、そこまで美味しいとも思えない。気付けばメルティは三つ目を平らげていた。……早くね。
瞬く間に五つ目を平らげ、メルティはげふーと噫気を吐き出した。いろいろと残念な女である。
「あんまり美味しくないですね」
「なら食うんじゃねぇよ!」
なんなんだこいつは。
「あんまり叫ぶと怪我人に響きますよ」
ああ言えばこう言う……腹立たしい。が、実際こんな場所で叫ぶものでもないので、俺はそれ以上はぐっと堪えた。つーかなんで俺が悪いみたいになってるんだ。おかしくないか。
釈然としないものを感じつつ、悶々としていると、俺の袖口をメルティがちょいちょいと引っ張った。
「ところでアイン。彼女の襟元にあるエンブレムなんですが」
「ん? あー……既製品のものじゃないな」
女性の襟に付けられた、エンブレムにそっと触れる。
「手作り、か。どこかで見たような……ああ」
鳩の羽……いや天使の羽か。そして月と短剣。見覚えがあるというか、すぐにピンと来た。鞄から依頼のファイルを取り出し、ページをめくる。
シーバスのメンバーの名簿一覧。その右端に、女性の胸元のエンブレムと同じマークが記されていた。羽と月と短剣だ。
「この女、シーバスのメンバーか」
「生き残り、ということでしょうか」
「さあ……起きてから聞かないと、分からねぇな」
「それもそうですね……あら」
「う……ん……」
女性のまぶたが少し動いた。小さな、嗚咽のような声も漏れてきたあたり、どうやら目を覚ましかけているようだ。
「アインがいやらしい手つきで触るから起きたみたいです」
「人聞き悪いこと言うんじゃねぇよ。寝てる、しかも手負いの女に下衆な真似はしねぇよ」
「起きてたらするんですか?」
「まぁ、お前よりは胸あるしなィっでぇ!」
目の前でスパークが弾けた。見事に後ろ向きで転がった。いてぇっつーか、別に事実を言っただけじゃねぇか。何を逆ギレしてんだこの女は。とんでもねぇわ。
ちかちかと眩む目を擦りながら、女性の元に近付く。これ目、大丈夫かな。失明とかしてないよな。
少し心配したが、大丈夫そうだ。少しずつ視界が戻ってきた。
「……ジャン! あぐっ」
「あがっ!?」
戻ってきた矢先、不幸というかなんというか女性をのぞき込んだ拍子に、顔面に強烈な頭突きを受けてしまった。また見事に後ろ向きで転がる。今度はすぐには起き上がれず、顔面を抑えてのたうち回った。いてぇ。超いてぇ。
鼻の奥に鋭痛が広がる。鼻血出てるんじゃないだろうか。
「女性に失礼なことを言った罰ですね」
「こん……クソアマ……」
全ての元凶に対して呪いの言葉を吐きつつも、とりあえず、なんとか起き上がる。手で確かめたけど、鼻血は出てないみたいだ。ちょっと安心した。
結構こっちはこっちでダメージがあったのか、呻きながら額を抑える女性に再びそっと近付く。
「わりぃ、大丈夫か?」
「ここ……は……」
「D2とD4の境らへんだ。あんたはシーバスの人間だな?」
「シーバス……そうだ、ジャン! っつ……」
興奮して飛び起きようとした女性が、痛みにうずくまる。俺は慌ててすぐに身体を支えて、ゆっくりと横に寝かせた。
「落ち着け。傷を縫ったばかりだ。動くとまた開く」
「ジャン……ジャンを助けないと……ジャンは、どこに……わたしも、最期まで……」
「そのジャンってのは……これか」
手元の名簿を見る。一番上にジャン・マークエバンという名前が記載されている。彼女の言うジャンとは、たぶんこの男のことなんだろう。
「シーバスのリーダーか。残念だけど、ここにはいない。俺たちが見たのはよろよろのアンタだけだ」
「ジャンは、わたしを逃がすために……」
「逃がす……か。あんた、名前は?」
「シアン、よ……」
名簿の真ん中あたりにあった名前だ。やはりシーバスのメンバーで間違いないらしい。
「何があったか教えてくれるか?」
シアンなる女性から情報を聞き出そうとしたところで、メルティが俺の袖をまた細かく引っ張ってきた。
「アイン。その時間はなさそうです。敵が来ました」
「ち……数は分かるか?」
「反応は十……三に増えました。もう少し増えそうです。おそらくピシャーチャですね、これは。どうします?」
「逃げ切るのは難しそうだし、俺がやる。お前は女を頼む」
俺は棍を手に取り、空を鳴らす。メルティは「では頑張ってください」と微笑み、荷物をまとめ始めた。なんというか、俺もそうだけど、所作の一つひとつにいちいち緊張感がないよな。いや、荷物の整理はありがたいんだけど。
敵が来るまでに準備運動でもと、軽く肩をほぐしていると、そばで横たわっていたシアンが、俺の足の裾を握って小さく引っ張ってきたので、視線を落とす。
「わ、わたしを置いて逃げろ……一人で、など……」
「何言ってんだ、女置いて逃げたなんて師匠にバレたらどのみち殺されるっつーの。心配すんな」
「しかし……」
「まぁ、ゆっくり見物してろよ」
まだ心許ないのか、シアンは不安そうな顔をしていた。そんなに弱そうに見えるのかと、こちらとしても少し不満を覚える。
まぁ、何はともあれようやく戦えるのだ。
思ってたよりも遅かったが、結果オーライだ。怪我人もいる状況で、それこそメルティがいるとはいえ、思いっきり伸び伸びと戦えるとまではいかないだろうが、肩慣らしにはちょうどいいだろう。
丹田に力を蓄える。
俺はここに強くなるために来たんだ。
だから、簡単にはやられてくれるなよ?