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【sequence:003】

【sequence:003】


 この街の朝は忙しない。村にいた頃とは別物だ。

 日課である朝の鍛錬を終えた俺は部屋の窓の外を眺めながら、ほうと溜め息を漏らした。

 本当ならシャワーで汗を流したいところなのだが、風呂が使えない事にはどうしようもない。初夏とはいえ、冷水を頭からかぶる気にはなれない。

「ふあ……おはようございます、アイン」

 眠り姫が背後で目覚めたらしく、俺の背中に向けて声をかけてきた。振り向くと、薄着のメルティが猫のように伸びをしていた。

 枯れてるとは言わないけれど、年頃の男と同室の挙句その格好はいかがなものだろうか。俺じゃないもっと特殊な性癖の持ち主がここにいたら、襲われてるかもしれないところだ。まぁ、この女を襲ったところで反撃されるのがオチか。

「おはよう」

「早起きですね。もっと遅いイメージがありました」

「朝に鍛錬するのが日課なんだよ」

 だいたい日の出と共に目覚めるので、それから外で運動をしている。幼い頃からの習慣なので、今更変えることも出来ない。サボったりしているのが師匠にバレたりしたら、暴力という名の折檻が待っている。

 もうこの地に師匠はいない。分かっていても辞められないあたり、骨身にまで染み付いているな。恐ろしいまでの強制力だ。

「もう朝食は済ませました?」

「いや、まだ。お前を待ってた」

 俺の言葉の一体何に驚いたのか分からないけれど、メルティは目を丸くして俺を見つめた。そしてすぐに笑みに変わる。寝起きとは思えない、元気な表情筋だね。

「そういうことが素で言えるアインは素敵です。思わずときめいてしまいました」

「あっそう」

 何言ってんのこいつ。

「先、降りとくぞ」

「照れてるんですか?」

「なんでそうなる」

「一緒に行きましょう」

「お前はすぐ俺の気遣いを無にする」

「アインはわたしの身体を見て興奮するんですか?」

「残念なが……」

 俺が言い切るよりも早く、目の前で雷光が弾け、驚いた俺はそのまま床に尻餅をついた。

「何しやがる」

「お仕置きです」

 静電気程度のものとはいえ、眼前で魔術……じゃなくて星術だったか、なんにせよ人に向けるのはいささか感心しない。

 メルティは一応口元は微笑を浮かべて言うけれど、目は笑っていない。じゃあ何か。興奮すりゃいいのか、と問いたくなるが、それはさすがに俺とて恥ずかしい。辞めておいた。

「たく……お前がいいなら待つけどさぁ」

「けど、なんです?」

「いや、何でもない」

 既にショーツ一枚というあられもない姿になっていたメルティを見て、何を言っても無駄だと判断した。本来であれば見ないように努めるべきなのだろうが、ここで視線を逸らすのも、後でまた茶化されるような気がしてならない。視線の行方が定まらずにいると、メルティは小ぶりな胸を微かに震わせて、ふんぞり返った。

「ナイスボディでしょう?」

「ナイチチボディの間違いだろ」

 目の間で雷光が弾けた。

 さっきより強い。死ぬかと思った。

「アインにはデリカシーがありません」

「男の前で平気で半裸になる女に言われたくねぇ」

「ちゃんとアインにしか見せてませんよ」

「あっそう」

 メルティの流し目をひらりとかわして、俺はメルティの脱ぎ散らかした寝間着を拾って畳んだ。少しは恥じらいを身に付けて欲しいものだ。

「もしかしてホモですか?」

「唐突になんだ。喧嘩売ってんのか」

「だってわたしの裸に興味を示さないなんて、普通ならありえません。そんなの不能かホモです」

「鏡見てからもの言えよ。故郷でガキの世話してたから、お前の身体を見たところで何も感じない」

 もともと、戦災から逃れた者たちが築き上げた村で、そのせいか親のない子供が大勢いた。俺は少しばかり事情が違うものの、同じように孤児たちと暮らしていたので、年長者というのもあって世話はもっぱら俺に任されていた。

「わたしの身体がお子様とでも言うんですか」

「そう言ってるじゃん」

 雷光が弾けた。実に本日三度目である。そろそろキレてもいい頃合ではなかろうか。

「もういいです。アインなんて知りません」

「ふてくされる前に服着ろ」

「着せてください。世話は得意なんでしょう?」

 そっぽ向きながら、訳の分からないことを言ってきやがった。もういい加減小腹も空いたし、言い争う時間が無駄だと判断し、俺は大人しくメルティに服を着せた。

 華奢な身体に、シンプルながら素材のいい黒いドレスのような服は、この女がそこそこお嬢様であることを伺わせる。背中のファスナーを上げて「出来たぞ」と軽く背中を叩くと、メルティはこちらを向き、満面の笑顔になった。

「ありがとうございます」

 俺はといえば、さぁ、朝食に行きましょう、と鼻歌交じりの上機嫌さで部屋を飛び出していく後ろ姿を呆然と見つめるしかなかった。なんなんだ、あいつ。

 釈然としないせいか、後頭部あたりがむずむずしたので、俺はポリポリと掻きながらメルティの後を追った。

 この宿はどうやら一階が食堂になっていて、別料金のため部屋を借りている人以外でも利用できるようになっているとのこと。が、どうやら他の客はいないようだ。居るのは厨房で朝食を準備をしてくれている大家と、食欲の権化であるメルティのみ。メルティはといえば、既にカウンター席で楽しげに料理が運ばれてくるのを待っていた。そして俺の姿を確認するなり「遅いですよ」と、文句を垂れるが、ならその迅速さを普段から発揮してもらいところだ。

「あーはいはいサーセン」

「よろしい」

 あ、いいんだ。こんな適当な謝罪に寛容なのは、おそらく食事のことに気を取られてるからからだろう。

 とはいえ食堂に広がる匂いが鼻腔をくすぐると、俺の腹の虫も鳴き声をあげていた。メルティの気持ちも今は分からなくはない。

 目の前の大家は玄人の包丁さばきを思わせる、軽快なリズムで野菜を刻んでいたが、俺がメルティの隣に腰掛けるのを見ると、その手をいったん止めて、お絞りを俺に渡してくれた。

「いらっしゃい。旦那さんは何食べる?」

「サンドウィッチで……つーか旦那じゃねぇ」

 世界がひっくり返ってもこいつとは結婚しないだろうなと。理由を問われれば食費がかさむの一言に尽きる。将来、夫婦となる男に哀れみすら感じる。

「失礼なことを言われた気がします」

 メルティは魔術士特有の直感力なのか、やたらと勘がいいので、浮気とかした暁には死よりも恐ろしいことが待っていると予想される。こえぇな。

 そう思うと、まだ見ぬメルティの旦那に対して敬礼ぜざる得ない。そんな相手がいるかどうか、甚だ疑問であるけども。

「アイン」

「はい、サンドウィッチ」

 ジトっとした目でこちらを睨みつけるメルティと、大家の声が重なった。偶然ではあるが、助かった。皿に盛られたサンドウィッチを受け取って、メルティの追求の視線から逃れるように食べ始めた。

 ほんのりとしたバターの風味に舌鼓を打ちつつ、今日の予定について考えることにする。

 リグ・ヴェーダに再突入してもいいけど、上の階層に向かうのなら長期滞在となる。なら準備はそれなりに行っておいた方がいい。気持ち的にはすぐにでも登りたいのだが。昨日は手応えがなかった。聞くところによるとピシャーチャは塔内部でも一番数が多く、物量で来られると危険だが、単体としてはさほど強くはないらしい。まるでゴキブリのようだ。

 上の階層へ向かえば、もっと危険な異形が巣食っているのだろうし、どうせ戦うならそっちの方がいい。

「メルティ」

「つーん」

 変な擬音を出しながら、そっぽ向かれてしまった。どうやら根に持っているらしい……つーか女ってなんでこんなめんどくせぇんだろうな。村にいた時もワガママばっかのやつばっかりだったし。いや、やめとこう。呪いでも降ってきそうだ。

「何すねてんだよ。ほら、頼んでた飯が出てきたぞ。パスタとスープと、オムライス……サラダ……魚の塩焼きっててめぇどんなけ食うんだ」

 朝食に食べる量じゃない。つーか昼でも夜でもこの量はねぇよ。おいおいマジかよ、ピザとビビンバまで頼んでやがるぜ。ちょっと? 昨日あんまり金ないって言わなかったっけ?

「大家さん聞いてください。うちの旦那はすぐわたしの嫌なことを言うんです。酷くないですか?」

「オメーの食欲の方がひでぇよ」

「ほらまた」

 いや、純然な事実ですから。

 大家は律儀に少し考える仕草をして、何か閃いたのか人差し指を立てて言った。

「きっと照れてるのよ」

「ねぇよ」

 マジで、それはない。

「なるほど。さすが大家さん、納得です」

「聞けや。納得すんな」

 俺の言葉などなしのつぶての如く弾かれた。さっきから発言を無視されている。そういうの良くないと思います。俺の言葉にも耳を傾けて下さい。だいたい、この女の何に照れるっていうんだ。ねぇよ。

「じゃあ、アインが夜這いをしてこないのは恥ずかしがってるからなんでしょうか」

「最近の若い男の子は甲斐性がないのよねぇ。これからは女がリードしていかないと」

「当人を前に好き放題言うんじゃねぇよ」

 つーか大家コラてめぇ、なんて恐ろしいことをそそのかしてんだ。これでメルティが俺のベッドに潜り込んできてみろ。そうなったら……特に何も感じねぇな。猫がもそもそ潜り込んでくるのと変わんねぇわ。

「今夜試してみます」

「試さなくていい。お前、今日は行かないつもりか?」

「どこへです? 役所?」

「なんでだよ。塔に決まってんだろ」

「そうでした。アインはどうお考えですか?」

「上層目指すなら長期になるだろ。手ぶらはいくらなんでもまずい気がしなくもない」

「つまり少し準備してから臨みたい、と?」

「そゆこと」

 俺が頷くと、メルティは鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしていた。前から思うけど、いちいち俺の言動に驚きすぎなんだよね。普段どう思われているか問いただしたい次第である。

「アインのことだからてっきり『用意? そんなもん身体一つで十分だぜっ!』とか言うと思っていました」

「お前、俺のこと馬鹿だと思ってるだろ」

 問いただす必要も無いくらい明解に。

「馬鹿とは思ってませんよ。アホの子かなくらいです」

「おう、表出ろてめぇ」

 こいつにアホの子呼ばわりされたくない。

「野外プレイはちょっと……大胆ですね、アインは」

 はいはいこいつやっぱりアホだわ。女でここまでぶっ飛ばしたくなる奴も珍しい。村の女衆だって、もう少し弁えてたぞ。どうなってんの、こいつの脳内。

 とはいえ、もう完全にメルティのペースだ。このままだと身がもたないというか、塔に挑む前に疲れ果ててしまう。

「とりあえず、街で買い出しして、それから登頂するぞ」

「待ってください」

 急にメルティが神妙な物言いをしたので、俺も反射的に居住まいを正して傾聴する。

「なんだよ」

「とりあえず、もう一品頼んでいいですか?」

 もう、どうでもいいや。


◆◆†◆◆


 困ったことに、金が尽きた。

 大家から買い出しするに安くて品質のいい店をいくつか紹介してもらったまではいいが、二件目にして金が無くなってしまった。誇張などではなく、マジで無い。

「どうすんの」

「どうしましょうね」

 元凶の女はのほほんとしてらっしゃる。相棒解消も検討せざる得ない。つーかありえない。

「言ったよな? 考えて使えって」

「考えました」

「ほう。考えた結果のこれか」

 俺が視線を向ける先にはこんもりと食料の詰まった袋の数々。この女、大半を食料に注ぎ込んだ。まぁ、でもこれは俺の計画ミスでもある。一件目に食料の買い出しに向かったのが悪かった。二件目の店はテントなどのサバイバル用品なのだが、やはりこの手の類は大家の紹介してくれた安価な店といえども値が貼る。

 というか、虎の子予算に置いていおいたはずの所持金が消えてるんだよね。まさかとは思うけど、今メルティが加えてるイカ焼きに消えてないよね。つーかそれ何人分だ。どう見ても二十人分はあるぞ。

 眩暈がした。

「縁を切りたい」

「こんな乾いたコンクリートジャングルにいたいけな少女一人置いていくつもりですか?」

「お前なら一人でやってけるよ」

 誰がいたいけな少女だ。蛮族だろ。

 しかし思えば、むしろ今までどうやって生きてきたのか。メルティの過去を知らない以上、なんとも言えないけれども、少なくとも今までもなんとかなってるようだし、一人でも問題なく生きていけるような気がする。

「これでもか弱いんですよ?」

「だったらもっと金持ってる男に助けてもらえよ」

「アインはわたしが嫌いなのですか?」

「嫌い以前の問題だ」

 その懐を大いに圧迫し、粉砕すらしてくるその暴飲暴食をなんとかしてくれれば、いくらでも見方を変えてやる。

「食欲はヒトの正しい欲求だと思いますが」

「程度があるだろ」

「個人差もありますよ」

「限度があるだろ」

「すぐそういう事を言う」

「いや言うだろ」

 不貞腐れて明後日の方向を向くメルティだが、不貞腐れたいのはこっちだし、都合が悪いから視線を逸らしているようにしか見えん。己は喧嘩を売っとんのか。

「まーとりあえず、先立つものがない以上、稼がねぇとな……」

「苦労しますね」

「誰のせいだと思ってんの?」

 反省の態度がないのにも、そろそろ慣れてきてしまったあたり、メルティの術中にはまっている気がしてならない。嫌な慣れだなぁ。

 先を思いやるごとに肩を落としそうになるけれど、なったもんはしょうがないと割り切ることにした。俺の性格上、そういう切り替えは早い。ずるずると悩む方が心身に悪いし。

 なんにせよ、本格的な登頂はもう少し先のことになりそうだ。

 俺は、メルティの買った食料の詰まった袋を背負い直した。

「ギルドに寄ってくか」

「そうですね」

 メルティの手からイカ焼きは無くなっていた。

 俺の分とかマジで無かったらしい。

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