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7 別離

 

 第一神殿(ラファトフェ)の真っ白な廊下を、第二神殿(トフェ)との境界の扉に向かって進む。

 祭礼の間で大司祭から祝福を贈られ、出立前の激励を受けたところだ。

 一の姫の嫁ぎ先(金づる先)は、カイスベクファに決まりました。

 そして今日は先方との顔合わせのために、国境へ向けて神殿を後にする日。


 朝の空気を吸い込み、先程まで感じていた緊張をこっそり吐き出した。

 ついでに首と肩を回して、ポキポキと音を鳴らしたいところだけど、女官や先導の司祭の前でそれは出来ないから我慢する。



「アキラちゃん待って!」

 鈴を転がすような可愛らしい声に引き留められて振り向く。

 振り向く時にはもちろん笑顔を張り付けて、一の姫の出来上り。


「まあ女神様、ご機嫌麗しゅう」

 彼女が一線引いたような堅苦しい挨拶が苦手だと知っていて、わざと膝を折り最上の礼をとる。


「そんなに畏まらないで。女神としてじゃなく、妹として見送りにきたんだから」

 そう言って幼い子にするように、目の前に少し屈んで顔を近づけてきた女神を、伏し目がちに見た。


「ありがとうございます」

 妹……ね。

 否定も肯定もせず微笑むに留める。

 さんっざん笑顔で躱し続けたので名前の件は諦めてくれたらしいけれど、それでも姉妹として交流を深めようとする姿はいじましい。

 そう、真実など何も知らない彼女は私に好意的だ。


 ――だから直に対面するとちょっとだけ、心の奥がちくちくする。


「国境付近まで行くんだってね。気をつけてね」


 女神の言葉に、ちらりと彼女の横に佇むフレドリックを見る。

 今は授業中のはずよね。しかも行き先ばらしたの?


 わざと私の外出を知らせて、女神をだしに使うなんて。

 軽く叱ってやりたいとこだけど、生前の私より年上になってしまったフレドリックは手ごわい。笑顔でごり押ししてくる。

 間に合うタイミングをしっかり見計らって、私の話を女神に持ち出したのでしょうね。


「勿体ないお言葉、ありがとうございます」

「アキラちゃんは、神殿を出るのは初めて?」

「ええ。神殿の外に出るのは初めてです」

 こっそり抜け出して、勝手に王都探索していたのはノーカウントでお願いします。

「やっぱり! 神殿のみんなって、過保護だもんね」

「……そうですね」


 共通点を見つけて嬉しかったのか、喜色を浮かべる女神に遠い目をしたくなる。

 それで終わり? 貴女は神殿の外どころか、第一神殿からさえ出して貰えない状況なの分かってる?


「向こうの王子様が嫌な人だったら、断っていいんだからね」


 いきなり落とされた言葉に、冷水を浴びせられた気がした。

 私が婚約のためにここを出立することを、彼女は知っていた。

 誰が教えたのよ? まさかフレドリック……のわけないか。漸くカイスベクファに決まるっていう大事な時に、女神様の憐れみに巻き込まれたんじゃ堪らないわ。

 表情に出さないように、脳内で思考をフル回転させつつ口を開いた。


「そんなわけには参りません」


 女神をまっすぐ見つめて告げる。彼女としっかり正面から目を合わせるのは初めてかもしれない。


 ――この婚約を、邪魔なんてさせないんだから。


 新たに顕現した女神は、根は良い子なのだ。

 形だけの姉である私を思わず甘やかしてしまおうとするくらいの、良い子。

 けれど自分の置かれている状況の悪意を理解していない。

 隣で微笑んでいる男に、上手く利用されていることにだって気づきもしないんだもの。


 中途半端で的外れな憐れみなんて、毒にも薬にもならない。

 女神の優しさは、ほんの少し私の心に残った家族を想う気持ちを刺激し、ちりちりと炙ってくるからやっかいだ。

 彼女は強敵ではないはずなのに、本気で応戦したくなる。


「女神様は民に知識を授けて下さる尊いお方ですけれど、何も持たない私にはこうして婚姻で国に益を呼び込むことしか出来ません。せめて一の姫と呼ばれるだけの責務を果たしませんと」


 スカートの裾をつまんで首を傾げる。計算された一の姫の所作。

 私だって仮面の被り方なら知っているのよ。


「でもまだ、十四歳なのに……」


 独り言のような女神の呟きを耳が拾った。

 彼女の瞳は傷ついたように揺れているけれど、だいたいどこの王族だって今の私くらいの年齢には婚約しているし、成人の十八歳と共に結婚するのもよく聞く話だ。

 生前の主ラザー様だって成人後すぐに妃を娶り、私が亡くなる時には第一子がいらっしゃった。今回顔合わせの口実に使われるのは、その後に生まれた第二子の王子殿下。


 噛んで含んで説明する。


「生まれた時から私は保護を受け、富を享受しております。それを女神様と国にお返しいたしませんと」


 ミレルは末期に近づいている。

 カイスベクファにいた時から囁かれてはいた。世界の技術は日々進歩し、女神の知識も打ち止め。それはそうでしょう。どこの世界から召喚しているのか知らないけれど、彼女達は普通の女性。何代にもわたって繰り返せば、目新しい技術も見つからなくなる。

 だから神殿は、焦るように短い期間で次の女神を顕現させる。回数を重ねるうちに失敗も起こるし、ズレも起きる。悪循環。

 近年の女神のすげ替え期間はだいたい十年以内。

 それに比べると、母は随分長く生きられた方だった。


「うん……ごめんね。余計なこと言っちゃって」

「いいえ。お見送り感謝いたします。ですがイソラ司祭と護衛の騎士をお連れとはいえ、第二神殿との境界までお越しになる(いとま)がございましたら、ご公務に励まれてはいかがでしょう?」


 本来なら祭礼の間で祝福を授けるのは女神の公務。

 彼女はその祭礼作法をこなせるはずがないと、はなから何の話も告げられてはいないのだ。


 この軟禁状態の箱庭に疑問を抱いて欲しい。

 流されてさっさと命を刈り取られてなんか欲しくはない。

 綺麗なもので溢れる完璧な世界に、綻びがあることに気付いてよ。


 そんな気持ちで少しだけの真実と願望を混ぜる。

 女神は授業中に抜け出してきたから、側にいるのはフレドリックと護衛の騎士くらいのもの。絶好の機会だ。


 女神に対しては哀れという感情と、何も知らない姿に苛立つ想い、母の最期の記憶が相まって、心は複雑なマーブル模様を描いてしまう。

 大人になりきれない心情にいつだって後悔するのに、今日はついに厭味混じりの忠言を口にしてしまった。前世でも小言が煩いって言われてたのに。

 やっぱり言いすぎたかな。減らず口って死んでも治らないのね。


「それでは失礼いたします。これ以上女神様のお時間を奪うわけにはまいりませんもの」


 一方的に会話を打ち切り、礼を取った。

 ショックを受けた顔の女神をそのままに、ドレスの裾を捌き踵を返す。

 決して女神が出してはもらえない、第一神殿と第二神殿の境界に、女神を置き去りにして歩き去った。




「随分と大胆な言動でしたね。今まではあのようなこと、決しておっしゃらなかったのに」

 少しして追いついてきたフレドリックが、すぐ隣を歩きながら密やかに笑う。

 門前まで私を見送るつもりらしい。


「大司祭からのお叱りなら、帰ってから聞くわ。最近の女神様はちょっと甘え過ぎ。苦言を呈するどころか、周りがそう仕向けてるんだからしょうがないのは分かってるの。でもね、それにしたってもうちょっと振る舞いようがあるじゃない」


 フレドリックに向かって小声で愚痴をこぼす。

 周りの者は気を使って、私達の声が聞こえない距離を置いて付き従っている。


 フレドリックは以前の私なんて足元にも及ばないくらい有能だ。周りの人員を本人達にそう気付かれず意のままに動かすし、笑みを絶やさず考えを読ませない。

 今だって私に付いていた女官と供の者は、勝手にイソラ・ヘンネベリ司祭の意を汲んで、結構な距離を開けて待機だ。

 お蔭でこんな物騒な内緒話が出来ちゃうんだけどさ。


 前々から思っていたけれど、フレドリックの影響力がすごすぎる。

 その地位まで登りつめるために彼が払った年数と代償を想像して、眩暈がした。


「――おせっかいが過ぎたと思う?」

「いいえ、助かります。私ではあそこまで露骨な話題は出せませんし、あまり親身になると勘違いされますから。……あと何年かは彼女に女神を務めてもらわなければ困ります」


 フレドリックは最後の言葉を囁くように、殆ど唇を動かさずに口にした。

 私は頷くだけに留める。

 この取りつく島もない冷淡っぷり。報われない恋情を抱く女神に対して、同情心が湧かないでもないけれどね。

 代替わりが起これば、私の婚約も吹き飛ぶかもしれない。段取りは安定している間に進めたいのだ。


 それに、この国の僅かな富の為に犠牲になる女神なんて、もういらないから。


「それにしても心配性ね。見送りに来る必要なんてないって言ったのに」


 婚約の顔合わせを口実にラザー様と会って、数日で戻ってくるだけの簡単なお仕事です。

 大司祭に案を通し、カイスベクファに話を繋げたフレドリック本人が一番理解している。だから、当日の見送りはいらないって断ったのに。


 本当は見送りに来てくれて嬉しいのに、弱いところを見せたくなくて虚勢を張る。

 フレドリックの前では、彼の知っている女官長ライラでありたいのだ。

 メッキはもう剥がれかけだけどね。


「申し訳ありません。どうしても聞いておかなければならないことがありまして」

「なあに? あまり時間はないみたいなんだけど」

 出発予定時刻はもうすぐのはず。


「日記の隠し場所を教えて頂けませんか? 数日お留守になる間、掃除の者が見つけてしまうやもしれません。私がお預かりします」


 内緒話をするように屈んで寄せられたフレドリックの横顔。耳元で吹き込まれた問題発言に、ギョッとして顔を向ける。歩みだって止まってしまった。

 向けられた微笑みが胡散臭いんですけど。


「ちゃんと隠してあるから大丈夫」

「念のためです。準備はし過ぎなほど周到に、と私に仕込んだのは何処のどなたでしたっけ」

「口が達者になって可愛くないわ」

 昔はあんなに素直で可愛かったのに。

「お褒めにあずかり光栄です」


 褒 め て な い。

 首を少しだけ傾げているのもきっと作戦だろう。周りの女官達から、熱い溜め息が聞こえた気がする。実際は離れているから視線が刺さる程度ですが。自分の武器を最大限に利用する、計算されつくした仕草は整っていて美しい。けど中身を知っているだけに、子憎たらしい。


 フレドリックとの笑顔の攻防は一分ほど続いた。

 出発時間のずれ込みに周りが慌てはじめた空気を感じ取って、かつての女官長時代の胃痛が舞い戻ってきた。時間の遅れを取り戻すのって一苦労よね……。

 周りの苦労を分かった上で時間を引き延ばすフレドリック、つくづく大物だわ。

 私は自らの心と胃の平穏を取った。またの名を根負けと言う。


「絶対に読まないって誓える?」

「ええ。いくらでも誓いますとも」

 じとっと睨むも、フレドリックは手強い微笑みのまま。

 さっぱり信頼感が持てない。美麗なのに好感度ゼロの笑顔ってどうなの。


「いいわ。右側の書棚の上から二番目に隠し棚を作ってあるの。但し、その下の棚から中蓋を手前に持ち上げないと開かない」

「なるほど、そういう仕掛けでしたか。どうりであそこだけ厚みが違うはずですね」

「…………」


 不穏な呟きは聞かなかったことにする。時には耳を閉じるのも健やかに生きていく秘訣です。私の人生はさっぱり健やかじゃないけどね。

 日記が見つかって困るのは事実だから。


「本当は片時も離れず、ご一緒出来れば良かったのですが」


 とほほと落ち込んでいた顔を上げると、フレドリックと目が合った。

 唐突に理解する。

 これはフレドリックの滅多に見せない本音だ。


 こんな風に引きとめて茶化して、なかなか言い出せなかった本音。


 その瞳は複雑な色で揺れている。思わず手を伸ばしそうになったけれど、ギュッとこぶしを作って誤魔化した。

 フレドリックは終始微笑んでいるのに、どうして彼の心が悲しんで別れを惜しんでいるように感じてしまうんだろう。

 嫌がられているのだから触れないと決めた。

 それなのに、泣いている弟や妹を慰めるように抱きしめてしまいたくなる。


 彼はもう十六歳の部下などではないし、私は女官長などではないのに。


「わかってる。大司祭の養子っていうのも、随分不便なものよね」

 口から出てきたのは、ありきたりな答え。

 フレドリックは王都をおいそれとは離れられない。もともと養子なんて国外に出られない地位になっちゃった上に、今は女神の教育係だもの。

 カイスベクファとの接触は国境付近の予定だから論外。


「大丈夫、任せて。すぐに戻って来るから」


 ことさら明るく自信のある声を出す。

 味方のいない中に一人きりなんて、心細いはずだもの。私が十年以上そうだったように。

 だから、すぐに戻ってくるわ。


「――お待ちしています」


 フレドリックは穏やかに微笑んでくれた。

 私も笑って頷き返した。



 彼がどんな気持ちで決断をして、微笑んでいたかなんて、これっぽっちも気づきもせずに。



 馬車に揺られて、ぼんやりとする。

 カーテンの隙間から景色を眺めようとしたら、女官にぴっちりと閉められてしまった。

 馬車の中はやることも無くて、薄暗くかなり揺れる。舌を噛みそうでおしゃべりする気にもならない。

 王都を離れるにつれて、ガタガタとした揺れが酷くなった。一応神殿の用意した最上級の馬車のはずなのになぁ。

 田舎道の窪みの出来た街道も堪えるけれど、小都市の張り替えを怠ったらしい石畳が特に酷い。地方の整備へ金を回す余力が、随分前から無いのかもしれない。

 主要街道の整備を怠ると流通が滞る。王都は豊かに見えても、弊害は既に出ているのだろう。

 それじゃあ確かに外貨はいくらでも欲しいはずよね。


 こうやって、意識をカイスベクファとの顔合わせに向けようとするのに、どうしても思考はさっきのフレドリックに戻ってしまう。

 終始笑顔の仮面を外さなかったフレドリック。


 頭の中で鈍く警報が鳴っている。

 これはきっと見逃しちゃいけないサイン。


「早く戻らなきゃ」


 待ち望んでいたはずのラザー様との再会なのに、私の口からはそんな言葉が漏れた。



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