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6 婚約

 


 麗らかな午後。手元の書物から顔を上げる。

 窓から眺めた中庭は、相変わらず光に満ち美しく整えられていた。


 第二神殿(トフェ)の二階にある、一の姫アキラの執務室。

 ここからは中庭が良く見える。

 私が執務室を与えられたのはつい最近。女神が孵化して、私のこれからの活用方法を神殿が決定したから。

 女神の控えであることに変わりは無いけれど、有効活用のために私を他国に嫁がせることが決まった。そもそも女神の娘の前例が少ないので、神殿内でも持て余し気味だったし、使い道が見つかって今頃安堵してるのかもね。


 ずっとミレルの外交は芳しくなく、国は確実に先細っている。

 だから女神の娘という箔だけは立派な一の姫を、有力国の権力者と婚約させて、外貨と国交の回復を狙うらしい。実際に嫁ぐのは成人後でも、婚約そのものが旨味を伴う契約になる。

 そのため、執務室を与えて具体的な外交と国益について叩きこむ必要性が出てきた、というのが経緯です。それまでは意図的に神殿から外の情報を遮断されていたから、前世の記憶がなければ随分難儀しただろうな。

 でもね、これって女官時代の本職みたいなものよ? しかも隣には、有能すぎる元部下フレドリック。嫁ぐ先との外交を担う為の予行演習のような執務なんて、はっきり言って片手間だ。

 ちなみに、本日分の執務は開始十分で終わらせた。

 私達はこうして作り出した自由時間を、情報のすり合わせや、今まで手に出来なかった外の資料に没頭したりと、活用している。


 今も手元の書物を読み終えたところなんだけれど……。



「自分の立ち位置のまずさ、絶対わかってないわよね」


 中庭で男達に囲まれ楽しそうに振る舞う女神を見つけて、本音と溜息が零れた。


「どうしました」

 向かいで書き物をしていたフレドリックが、顔を上げる。


「もちろん女神様よ」

「ああ」

 得心したように頷き、彼も窓の外に目を向けた。


「彼女は孵化してまだ一年だわ。それなのに、あからさまに男達を側に近づかせるなんて」

 母の側にも、用意された男達があてがわれていたけれど、顕著になったのは私が大きくなってからだ。それまで彼女は公務で忙しくしていた。

 言い方は悪いけれど、知識の享受よりも苗床とすることを優先しようとしているみたい。


「女神の魂の姿は若すぎるのですよ。知識を授ける『公務』は荷が勝ちすぎていると、神殿は考えているのでしょう」


 大人だと思われていた女神は、まだたったの十八歳でした。


 女神はそれまで魂として重ねた年格好で顕現する。蕾の中で数年かけて、自らの魂に馴染んでいる姿を形成するらしい。彼女は大人の女性としてのフェロモンというか魅力には事欠かないせいで、実年齢よりずっと落ち着いた年齢だと思われていた。

 実際は全く違ったけど。


「確かに母と比べると、圧倒的に若いわよね」

「資料で確認できる限り最年少でした。……あの器も召喚の術式も、ズレが生まれているのでしょう」


 形あるものはなんだって壊れる。


「私の魂を間違えて引っ張ってきちゃうくらいだものね」

「それは」

 悲痛な顔をしたフレドリックに、慌てて手を振る。

「客観的な呟きだってば。そんな顔しないで」


 どうにもフレドリックは、私の死の瞬間に立ち会いながら救えなかったことを後悔してるらしい。彼にとっては不可抗力だったのにな。

 言ったところで納得してくれないから、この問題はいつも宙ぶらりんで棚上げになる。


「せっかく成功した女神様なのに、利用価値がないから早々にやり直しってこと?」

 陰鬱な空気を入れ替えるように、話を元に戻した。


「そのようですね。貴族などから、選りすぐって若者を配置しておりますから。もっとも、本来は彼女だって公務と授業が大半です。なにせ基本的なミレル語の書き取りが出来るようになったばかりですし。――今は祭礼作法の時間のはずです。おおかた取り巻き達に唆されてしまったのでしょう」

 フレドリックは目を細めて中庭を見つめている。一見すると微笑んでいるようにも見えるけれど、目が全く笑っていない。これはかなりイラついている。


 大司祭の言葉通り、フレドリックは私を懐柔した(という事になってる)実績を買われて、女神の教育係に抜擢された。この様子だと気苦労が多そう。


「まさか『イソラ先生』の授業もサボったりするの?」

 二人の授業風景に興味が湧いてきて、開いたままだった本を閉じる。

 ライラと知られていなかった当時の私なら、確実に宿題割増しされる案件だ。恐ろしい。

 もちろん女神に課題増量とかしないだろうけれど、もし平然とサボっていたなら、ある意味女神を尊敬してしまう。


「いいえ、それは。ただ、集中が長続きなさらない方みたいで。気が付くと教本ではなくこちらをぼんやり見ていたりしますから、扱いに困ります」

 ついにこめかみを押さえはじめた。

 そっちかぁ。

 それはフレドリックだからとは思ったけれど、藪蛇になりそうだから口を噤んでおく。


「ついこの間の茶会じゃミヤビ様なんて名前呼びに変わっていたから、てっきり上手くやってると思っていたのに。苦戦してるみたいね」


 基本、第一神殿から出られない女神と顔を合わせる機会なんて私には無いんだけど、女神との茶会だけは別だ。以前大司祭自身も言外に匂わせていたとおり、程良く女神の願いを叶え、機嫌を取る作戦の一環です。

 神殿側の采配によって完璧に管理された女神との茶会は、とっても堅苦しい。しかも総数は片手で足りちゃうほど少ない。

 大司祭は本音では、私達を交流なんてさせたくないんでしょうね。


 そんな私とフレドリックが招待された、初めての茶会でのことを思い出す。


 女神はフレドリックと私のカップに茶を注ぐことを思い付いてしまったらしく、頬を赤く染めながら自ら茶器など触ろうとした。

 青くなるどころか白くなる周りの女官たち。無理に遮っても不興を買う可能性があるし、火傷なんてされたら左遷は確実だ。

 そこへフレドリックが「女神様のお手を煩わせるわけには参りません」と言って女神に指一本触れさせずに完璧に整え、極上の茶を淹れ菓子も取り分ける。

 あれは相当な見ものだった!


 私? もちろん大人しくにこやかに微笑んで、一指たりとも動かしませんでしたとも。

 だって一の姫が教わってもいないのに、慣れた所作で茶を入れちゃいかんでしょ。フレドリックは何をやってもそつなく熟す人物だと浸透しているのか、そこを不審がる人はいないのよね。心底羨ましい。一の姫稼業は、けっこう窮屈だ。


 女神もご満悦で、女官たちも首が飛ばなくて一安心して初回のお茶会は終了した。


 そしてなんとつい最近開かれた茶会では、フレドリックが女神を自然な感じで『ミヤビ様』呼びしてたのよね。三人で顔を合わせるなんてこの時くらいだから、(ああ、フレドリック順調に女神様を手懐けて頑張ってるのね。過労死しないかしら)って、若干遠い目で見守ってたんだけどなぁ。変な顔しないように、頬の裏を噛んで一の姫スマイルを保っていたのは内緒。


「アキラ様と同じが良い、とお願いされたら、しがない教育係は名前で呼ばない訳にはいかないでしょう」

 フレドリックは溜息交じりだ。

「は? 私と同じってなにが?」

「姉妹なのに片方がアキラ様で、もう片方が女神様では、仲間外れの気分になるそうです。姉妹は仲良くするもの、だそうですよ」

 どれだけ姉妹推しなの女神様。いやまあ、フレドリックに名前を呼んでもらいたいだけなんだろうけど。


「アキラって呼ぶのは、大司祭に私の洗脳が万全なのをアピールしてるだけなのにね」

「アキラ様だって名前で呼んで欲しいと、強請られていたではありませんか」

 フレドリックが目を細めて、分かりきった答えを聞いてくる。


「呼ぶわけないじゃない。大司祭が許可しないわ。それに、ミヤビは母の名前だもの」

 私にとってそれは未だに先代女神――母の名だ。


「代々同じ名を冠する本当の理由を知ったら、彼女だって呼んで欲しいなんて言わなくなるでしょうに」

「同じ名前なのはあまりに数が多いから、なんて本人に言えるわけないものね。……こんなに多いとは知らなかったわ」


 ちょうど手元に置いていた本の表紙をなぞりながら、片手で頬杖をつく。

 さっきまで読んでいたのは、フレドリックに書庫から持ち出してもらった、歴代女神の概要書のようなもの。制限範囲は中程度。それなりの地位の司祭なら、だれでも閲覧できる程度だ。

 女神の概要書には、二十人以上の女神が登場する。たったの百五十年で二十人。多すぎる。それを外部に悟られないため、同じ名を付け王名簿や正式書類の記載を調整する。


 国民は、短い期間で入れ替わる女神を受け入れている。

 彼女達は神であり、人ではないから。

 無意識下で同じ命として受け止めてはいないのだろう。


「載っているのは概要だけですけれどね。女神の知識は重複することも多いようで、それらを素早く判別するために纏められたのでしょう。彼女達が擁していた知識の神髄は、別に保管されているようです」

「そこには辿り着けない?」

「無理をすればあるいは。しかしまだその時期ではありません」

「何よりも段取りをつけるのが先だものね」


 フレドリックに頷いて、同意を示す。

 私達が今一番にやらなければならないこと。

 それは、神殿の決定を誘導し、一の姫アキラの嫁ぎ先をカイスベクファに決定すること。

 国交断絶中のカイスベクファと、表でも通じる正式なパイプを作ること。


「このまま進めば、カイスベクファの第二王子殿下との婚約で決まりでしょう。……繋ぎは付けましたから、あちらからも色よい返事が届くはずです」


「やっとお会いできるのね」

 カイスベクファの第二王子殿下は、私のかつての主であるラザー様の第二子。

 カイスベクファの王として即位した、ラザー様。

 王族との婚約となれば、懐かしい彼に直接会う口実には十分だ。十三年ぶりの元主(もとあるじ)は、どんな姿をしているのだろう。

 瞳を閉じるとラザー様との日々が思い出される。無茶ぶりばっかりの、部下泣かせな人だったなぁ。あ、ちょっと泣けてきた。胃痛持ちになったの、あの方と出会ってからだったわ。


「懐かしいですね。皆息災でしょうか」

 フレドリックの言葉にぱちりと目を開けた。

 そうよ、彼だってカイスベクファの人々から離れて十年以上が経っている。


 こんな国へ命の危険を冒して配置するような捨て駒じゃない。他国に素性を隠して潜り込むなんて、行方知れずにされても抗議できないもの。寧ろそういう場合は切り捨てられてしまう。

 本当はカイスベクファのラザー様の側で、末永く働くべきなのに。

 有能な彼がミレルに追いやられていることが違和感でしかない。

 常々気になっていたのだ。


「すぐ本国へ返り咲けるように話してくるから――」

「けっこうです。かつての貴女でしたら、やりかけの仕事を途中で投げ出しますか? 私は絶対に御免です」


 こんなとこから早く帰りたいはず。そう思っていたのに本人に断られた。しかも脊髄反射のように早い。張り付いた笑顔が迫力を増してる。

 そして何より、ぎらぎらと意思を灯した瞳が印象的だった。


「絶対にそんなことしないわね。地を這ってでも、途中でなんて降りたくない」


 かつての自分に、鞭打たれた様な気がした。

 負けず嫌いと、確固たる矜持。

 それが正道だなんてもちろん思っちゃいない。

 時には折れることもあるし、引くこともある。

 けれど譲れない部分では絶対に引かなかった。


 フレドリックにとって、ミレルの件は絶対に譲れない部分なんだって理解した。




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