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5 触れない距離

 

「一の姫様、女神様と対面されていかがでしたかな」

「とても光栄でしたわ」

 大司祭の労いの言葉に、もう慣れたつくりものの笑顔で答える。


 大司祭との月に一度の顔合わせ。

 懐柔成功となってからも続くこの儀式も、何度目になるだろう。


「そうですか、それは良かった。女神様も大層お喜びでした。これからも度々訪ねて欲しいとおっしゃっておりましたよ」

「まあ。嬉しい!」

 両手を胸の前で合わせて、年相応の娘らしく喜ぶ。


「女神様と一の姫様のお手を煩わせるわけには参りませんから、お誘いはこちらで繋ぎを致しましょう」

 つまり、勝手に会いに行くな。でも程よく女神の機嫌を取れ、と。

「もちろん大司祭様にお任せします」

 小首を傾げて大司祭を見つめる。

 最近、洗脳演技に興が乗って楽しくなってきた。

 ひとりぼっちで唯々諾々と流されてる訳じゃないっていう、精神的な拠り所があるからかな。小さな抵抗をちまちま続けていた時より、気が楽。


 大司祭は素直になった(ように見える)私の反応に満足したらしく、いつもなら教えてくれないことまで教えてくれた。


「そうそう、女神様はイソラを気に入ってくださったようです。教育係は彼に任せることになるでしょう。一の姫様には新しい教育係が付けられることになります」

 そう言えば女神はフレドリックの方をちらちら見てたものね。普通の司祭なら大抜擢なんだろうけれど。カイスベクファの間諜なのに重用され過ぎて、不憫。

 いや、情報を得るには願ったり叶ったり? うーん、どうだろう。


「イソラ先生は優秀な方ですもの。(わたくし)、生徒として誇りに思います」

 司祭イソラに傾倒している設定ですから。ここは喜んでおくべきよね。


 反応をつぶさに観察する大司祭の視線を受け止める。

 一つ一つの選択肢が綱渡り。

 自分のための綱渡りより、人のための綱渡りの方が感覚が冴えるのは何故なのかな。


「安心してください。一の姫様がお呼びになれば、いつでも参じるようにと取り計らっておきますよ」

 大司祭が得心顔で頷く。

 私の選択は及第点のようで良かった。

 けれど、全て理解しているというような大司祭の表情に、目を細めたくはなる。この男の中で、十三歳の一の姫と二十代後半の司祭イソラの関係性はどうなっているんだか。あくまで師弟愛による傾倒の体を装っているんだけれど、もっと邪推されていそう。


 頻繁に胃が痛くなりすぎて、健康が心配になってきた今日この頃です。




「……様。……ラ様」

「ん……」


 誰かに呼ばれた気がして瞼を薄く開けると、滲んだ視界に映るのは、薄暗い寝室の天蓋だった。

 ぼんやりした頭で、今の状態を思い出そうとする。


 そうだった、いつものように大司祭と顔合わせをしたのよ。

 眠り薬と忘却の祝詞のダブルコンボを乗り切って、寝たふりのまま大司祭の手配で寝室まで運ばれ、そのまま寝入ってしまったのだ。


「私が誰だか、分かりますか?」

 声の聴こえる方へと顔を向けると、灯りも点けずにフレドリックが寝台の横に跪いていた。

 司祭服のままの彼は正装の姿も相まって、いつもより硬い表情にみえる。


 最近、顔合わせで眠らされている私を運び出すのは、フレドリックの役目だった。移動中に薬を吐き出させてくれて、いつも助かってます。今日は迎えが彼ではなかったから、自室で一人になれるまで時間がかかり、少しだけ薬を飲み込んでしまったのだ。

 そのせいなのか、前世の二日酔いの時みたいに、思考がまだ霞がかっている。


『安心してください。一の姫様がお呼びになれば、いつでも参じるようにと取り計らっておきますよ』という、先刻のやり取りのあと、さっそく大司祭がフレドリックを遣わしたのだろう。

 律義なんだか邪推に溢れているんだか、大司祭の素早い対応に呆れながらも、ちょっと笑えてくる。


「なあに、イソラ先生」

 だから茶化して、二人の時にはしない先生呼びをしてしまった。


「……上手くやるとおっしゃっていたのに」

 途端、呟いたフレドリックの顔から表情が抜け落ちる。

 表面上は無表情。けれど、かなりの衝撃を与えてしまったらしい。

 そんな反応を望んでいた訳じゃないのに。


 そこで寝ぼけていた頭がばっちりと覚醒して、忘却の祝詞が効いていると勘違いされていることに気付いた。

 ――ライラの前世を忘れ、ただの一の姫になってしまったと。


「ちがう、ちがう。ちゃんと覚えているから。それにほら、表で名前を口にしないって、決めたばっかりでしょう?」


 ライラとフレドリックとして再会した時以来、取り決めたことがある。

 互いのカイスベクファでの名前は口にしない。心の中で幾ら呼ぼうが、口にするのは「アキラ」と「イソラ」。二人きりの時だって気を抜くと、大事な場面でどんなうっかりがあるか分かったものじゃないもの。

 この場面では、からかってしまったことに対する言い訳でしかないけれど。ばれるかな……ばれるよね。


「本当に忘れていませんか?」

「もちろんよ!」

 疑心を抱くフレドリックに対して、自信満々に答える。


「では、今日の大司祭の忘却の祝詞は?」

「相変わらずよ。お母様の死の瞬間を忘れること」

 大司祭が忘却の祝詞を唱える理由は、三年間ずっとこれ。

 眠らずに聞き過ごしているから、余計にその記憶を忘れられない。皮肉よね。


「私の好物は?」

「リプルのタルトよね」

 私とお揃いだもの、ちゃんと覚えてる。

 生前、手製のタルトをあげると、目を大きく開いて喜んでくれたっけ。今ではフレドリックがこっそり街で買ってきてくれる。……意地悪せずにちゃんと分けてくれます。


「新しい日記の隠し場所は?」

「それは右の……て、言うわけないでしょう」

「おや、残念です」

 軽口をたたくフレドリックは、ようやく安堵してくれたらしい。


「タイミングが紛らわしすぎます。私がお迎えに上がれなかった時に限ってなんて」

「それは――ごめんなさい」

 さっきのは、確かに私が悪かった。

 私の中では大司祭の会話と繋がっていたけれど、フレドリックにとっては関係ないもの。


「薬は飲まずに乗り切ったんだけど、部屋に運ばれたら安心して、少しだけ飲み込んじゃったのよ」

 言い訳がましく言葉を繋ぐ。

「ですから、飲まずに留めておくなんて方法は反対しましたでしょう」

「いやだって、薬を受け止めるための腸袋飲み込んでおく方が難しいから」

 ここは二人で意見が分かれるところ。

 月に一度の対面で、私が大司祭から薬を盛られていると知ったフレドリックが提案してきた方法。腸袋とは、腸詰に使われる動物の薄い腸の片側を結んで袋状にしたもの。

 薄い膜とはいえ、腸袋を飲み込むなんて絶対に嫌だ。あと反射で吐く。


「慣れれば何とかなります」

「真顔で言わないで。うえ~ってなるんだってば」

 経験談だから性質が悪い。フレドリックはいつもこの方法で怪しげな薬を回避しているらしい。どんな危険地帯なの、ミレルの司祭職。


 反論しながら、えいやと勢いをつけて起き上がる。

 ぐらんと一瞬揺れた気持ち悪さを我慢して、目を強く瞑ってから開く。

 支えようと伸ばしてくれたらしいフレドリックの手が、視界の端の中空で止まっていた。


 これまでもこういう事があった。

 咄嗟に出した手を、引込められる。

 私が何気なく取った手は、やんわりと外される。

 嫌がられているなら、外に見せる演技以外では止めておこうと、早々に彼に触れないことを決めた。

 けれど、生前の部下だった時のフレドリックは接触を嫌がる子でもなかったのになと、ほんの少しだけ淋しくなる。


 密かに傷ついているんだけどな。でも、触れないようにしているフレドリックも傷ついた顔をするから、どうしていいのかわからない。

 経年という溝を上手く飛び越える勇気が持てなくて、口には出来ない。


「粘膜からも吸収されないように気を付けて頂きたいのです」

「眠り薬自体に毒性は無いって前に言ってなかった? あれは忘却の祝詞を効果的に染み込ませるための調合なのでしょう?」

 眠り薬も、忘却の祝詞も、本来は女神専用。

 百五十年の間に、彼女達を縛るために特化した術式。

 そこから派生して、拷問や自白に応用されてきたのは、想像に難くないけれどね。


「それでも薬剤は取り込まないことが一番です。まさかこの国に、カイスベクファのような薬事法があるなんて、思っていらっしゃいませんよね」

「ないの!? 臨床試験とか、どうなっているのよ」

「一応はありますけれど、お察しください。全てにおいて足踏みばかりなんですよ、この国は」

 はあっ、と吐き出されたフレドリックの溜息が深い。

「……気を付けます」

「ご理解頂けて安心しました」

 笑顔のフレドリックに、思わずぶるりと震える。目がちっとも笑ってない。

 だから最初から気を付けろと言っているでしょう? と、言われているような気がする。

 いっそのこと言葉で罵って欲しい。でも絶対丁寧な対応を崩してくれないのよね。


 頼もしくなったものの、扱いづらくもなったフレドリックに、最近の私は壁を感じながらも頼りきりだ。



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