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3 再会

 


「痛っ……。ああもう、またやっちゃった」

 街から神殿内に戻る途中、第二神殿の壁と生垣の隙間をすり抜けようとして、生垣の棘に手を引っ掛けてしまった。手の甲についた、子猫の爪あとのような小さな傷から、じわりと血が滲む。一瞬顔を顰めて、足早にその場を後にした。


 何代か前の女神が「綺麗」だと言ったから、この生垣は神殿のあちこちに植わっている。

 春には白く小ぶりな花を沢山つけ、秋には真っ赤な実をたわわに付ける。葉は一年中青々と茂りどんどんと伸びる。近づきもせずに遠目に見るだけなら、確かに綺麗かもしれない。

 けれど、茎にはびっしりと棘が生える。

 小ぶりな実は、小さすぎて食用にはならない。旨味もほとんどなく、冬になっても小鳥たちに啄ばまれず残るほど。棘があるので剪定は手間がかかるし、生命力が強く周りの養分を吸い取って、他の植物を枯らせてしまう。根ごと引き抜かない限り、切っても切っても伸びてくる。

 カイスベクファでは、園芸の邪魔者扱いされていた植物。王城の庭師がそれはもう、目の敵にしてた。

 それが女神の一言で、神殿にこんなに蔓延るなんてね。


 一事が万事こんな具合。

 誰も自らの利権以外で、女神に進言なんてしない。

 女神だって何でも一言で叶う異常さに、疑問なんて抱かない。

 その代わりに課せられる犠牲の重さに、最後まで気付けない。

 まるで今のこの国と女神を表しているようで、滑稽な姿。



 二年ほどが経ち、神殿を抜け出すのにも慣れた。


 第二神殿に移って、良かったことの一つだ。

 情報統制は厳しいけれど、明らかに監視は手抜きになった。

 拝借した下働きの制服を着込み、顔を隠す頭巾帽を頭から被れば、『下働きその一』の出来あがり。裏方の勤務体系ならすぐに把握しましたよ。ほら、前世で交番表とか組んでいたし。まだ大人とは言えない身長なので、目につくのは不味いかと思ったけれど、神殿には神官や女官見習いで同年代も数多く奉公に出されていた。それこそ、私よりも幼い身で一日中食材の皮むきや、洗濯をしている。

 この時点で嫌な予感はしたけれど、首都の街を見て確信した。


 ミレルの経済状況はかなり悪い。


 第一神殿と第二神殿では、温度調節も光源も、前世の侯爵邸で見かけた技術を使用し、水道設備も整っている。何不自由ない暮らしが送れる。

 けれど知識の最先端である筈のミレル国民は、時代遅れとされるような暮らしを送っていた。

 それもこれも街の噂では、カイスベクファが突然石炭や鉄鉱石の輸出を取りやめ、国交を断絶したせいだという。市井をうろついても、入って来る情報が断片的すぎて、真実が見えてこない。確かにラザー様はミレルから距離を置く政策を取るつもりだったけれど、断絶なんて極端すぎる。

 何か一つ分かり易い敵を作って、そこがどうにかなれば事態が好転する。そう国民までが本気で思いはじめたら、ミレルは本当の末期だ。



 自室に戻り開けておいた窓から身体を滑り込ませ、ホッと息を吐いた。

 頭巾帽を取って、少し汗をかき顔に張り付いた髪を耳にかける。


「着替え~、着っ替え~っと」

 無事に戻ってきた安堵感と達成感から、変な節をつけて歌いつつ、衣装部屋の扉へ向かう。

 急いで着替えなきゃ。こういう時カイスベクファと違って、部屋着のようにゆったりとした作りのミレルの衣服は便利だと思う。全体的に裾が長いのは慣れるまで大変だったけれど、ひとりで着付けられるのは良い。


「お手伝いいたしましょうか?」


 突然の声に、情けなくも大げさなくらい肩が跳ねてしまった。

 ぎぎぎと、油を注していない機械人形のようにぎこちない動きで振り向く。声が掛かったのは、通り過ぎた棚の角。


「イソラ」

「ごきげんよう、一の姫様」

 生前の記憶よりも低く感じる、丁寧で流暢なミレル標準語。

 けれど確かにフレドリックの声。


「女官を呼びますから、けっこうよ。即刻出ていきなさい」

 せいいっぱいの冷たい声を出す。

 生前なら恐怖なんて感じなかった筈なのに、今は語尾が震えてしまう。

 どうしてここにフレドリックが居るの。今日は大司祭の付き添いで外出のはず。だから授業も休みで、これ幸いと女官に休みを出し、街に下りたのに。


 今までは、抜け出すことを見て見ぬふりしてくれていたのに。


「呼んでも誰も参りません。今日は側仕えの女官もいない。貴女が休みを与えたでしょう?それにほら、鍵だってここにあります」

 外からの光が強く、影になっているフレドリックの表情までは見えない。手元の鍵らしきものが、きらりと光を反射しただけだ。


「……大司祭に、邪魔な私をいい加減どうにかしろとでも言われたのかしら?」

 あくまで強気に微笑んでみせる。一の姫として。


 この二年、私は教師を替えて欲しいとは口にしなかった。かと言って、神殿の意向に従うわけでもなく、扱いづらい娘だったことだろう。

 彼にライラだと気づいて欲しかったし、出来れば説明をしたかった。けれど情けないことに、フレドリックが真実味方だと信じられるには至っていない。

 表情を読ませず、微笑みながらも冷徹な彼がどちら側なのか、判断が付かなかった。


 今の私に、部下を絶対に信頼していた女官長ライラの時の自信はない。

 信じていたはずのフレドリックの瞳を、真っ直ぐ見ることも出来ない弱虫だ。


 実のところ生前の彼との付き合いは、ほんの一年程だった。私と同じ平民出身で、故郷の田舎に家族はもう居ない。彼自身の情報なんて、そのくらいしか知らなかった。

 それでも、人事から回ってきた新人の中で、彼を即座に側近の末席に加えた。

 手を引いて導けば、すぐに助走を付けて追い抜いて、駆け昇って行くと、あの頃の私は信じて疑わなかったから。


 なのに、今ではミレルのイソラ・ヘンネベリとしての姿の方が見慣れている。



 巨大な作り付けの棚の影から、フレドリックが近づいてくる。

 一歩ずつ、光の中へ踏み出して来るというのに、黒い影の浸食を受けるように感じる。その手がこちらへと伸びてきた。身長差で、近づくと表情がよく見えない。


 その顔を仰ぎ見ようとした瞬間――。



「どうして打ち明けてくれなかったんですかライラ様あぁぁ」


 泣きながら目の前でくずおれた。

 なにこれ。怖い。

 思わず一歩引こうとしたら、ちゃっかりスカートの裾を掴んでる!


 ……あれ? 私の名前。


 現在フレドリックは目の前で正座をする様にうずくまり嗚咽を漏らしている。

 呑気なくらい軽やかに外を飛び回る、鳥達の声が平和だわ。


「ええと、背中さすってあげようか?」

「けっこうですから、ちょっと……時間をください……」

「あ、はい」

 はい以外に何か言えるだろうか、いやない。


 フレドリックは、やはりカイスベクファからの間諜だった。

 私がライラだって知る前の、雑な扱い加減には思う所もあるけれど、何はともあれ味方が増えた。広い心で水に流しましょう。私だって、思いっきり疑っていたし。

 但し、リプルの焼き菓子の件は別だがな。食べ物の恨みは次元が違う。


 気を取り直して、私とフレドリックは寝室で対面している。


「ええと、フレドリック」

「何でしょう、ライラ様」

「何故に寝室ですか」

「一番音が漏れませんから」

 泣いてすっかり憑き物の落ちたようなフレドリックの声は、掠れながらも晴れやかだ。


「叫んでも誰もこないんじゃなかったの」

 自分で言ってたよね?


「誰も来ませんが、観察はされています。私が首尾よく一の姫を懐柔できるかどうか」

「は…………え?」


 わざわざ子飼いの司祭を教師役にするなんて、もちろん大司祭には思惑があったのだ。

 忘却の祝詞は掛け続けているものの、変わらず扱いづらい一の姫()を、手懐けようとした。

 任されて困ったのはフレドリックだ。

 ミレルに間諜として潜入している身とはいえ、十歳の少女を手懐けて意のままに操るなんて、外道な真似には関わりたくない。しかし断れば仕事に支障が出るし、自分以外の司祭が付けばそちらが一の姫を洗脳するだけ。苦渋の選択で、一の姫にある程度の自由と意志を身に付ける機会を与えながら、嫌われて適当な時期に交代させられるように行動した。懐くでもなく、嫌がるでもなく、予想外に交代を言いださず粘る私に、計画は狂ってしまったけれど。

 なんてこと。お互い相手の出方を窺ってたなんて! しかも三年もっ!


「女神の孵化が近づいて、業を煮やした大司祭は強硬手段を指示してきた――と」

 こそこそと、二人寝台の上で膝を突き合わせて話している。なんだろう、このシュールな絵は。


「端的に言うと夜這いですね。昼ですが」

「私はまだ十二歳よ?」

 もうすぐ十三歳だけど。

 生前のいやーな記憶を思い出す。城内に部屋を持つ、好色な伯爵がある夜忍び込もうとしたのは、滞在していた子爵未亡人ではなく、彼女が連れていた娘の寝室。娘は確か今の私と同じ歳だった。母親がこの事を黙認していたから、更に事態がややこしくて、収めるのは大変だった。中間管理職はつらい。

 ちなみに被虐趣味の変態爺とは別人です。危険地帯な職場だったわー。


「ね、外道でしょう」

 授業の間、いつも二人っきりにされる謎が解けた。

 さすがは下衆どもの思考回路。それで恋心を抱かせて絡め取るって寸法か。

 ――フレドリック、見目いいから。

 顔を顰める私に、いつもの調子を取り戻したらしいフレドリックが、目を細めて笑う。

 私に対する態度は払拭されて、すっかり元部下のフレドリックだけれど、張り付いたような笑い方は既に彼にとっての標準仕様らしい。わざと嫌われようとして、と本人は言っているけれど、今まで漂っていたどこか諦めた様な態度は確実に本人の抱えたものだ。

 十年の別離の間に何があったのよ。

 青年に成長したフレドリックを、少しだけ心配な気分で眺める。


「大司祭からそんなこと指示されて、どうするつもりだったのよ」

 話の先を促すと、フレドリックは嬉しそうに懐から何かを取り出してきた。


「女官たちに休みを与えて抜け出しているのは分かっていましたから。適当に小言を言って帰るつもりでしたよ。けれどその前に、これは絶好の機会だからと確かめさせて頂きました」

「絶好の機会?」

「はい。私も結構悩みました。いる筈のない貴女の面影を、縁もゆかりもない少女に感じて。否定しようとしても、貴女はだんだん私の知ってるライラ様に近づいていく」

「……うん」

 無意識に自分の頬に触れる。

 気付いていたけれど、受け入れる心構えが出来ていなかった。


 私の容姿は、生前のライラ・オールソンそのままだ。

 身体が第二次性徴を迎えつつあり、より顕著になってきた。鏡を見ればそこに居るのは、髪と目の色が黒くなっただけの、慣れ親しんだ私の顔。

 本当に、母の娘と呼べる生き物なのだろうか。


「筆跡も、文体が可愛らしいのも一緒で。思わず一人で泣きそうになりました。やっぱりライラ様なんだって。ああでも、隠し方が同じなのはどうかと思います。勿論、女官達にはそうそう見つけられないでしょうけれど。以前の隠し場所を知っていた私には、一発でしたよ」


 ……………。

 人が真剣な雰囲気出してるところへ、嬉しそうにとんでもないもの晒してきやがった。

 目の前には二冊の冊子。

 一冊は神殿の外へ出歩くようになって、こっそりつけ出した備忘録。

 もう一冊は。


「これ、私の生前の日記よね。処分するようにって、念のため用意してた遺言書に書いてあったでしょ? 完全に燃やして抹消って、厳命してあったわよね」


 当時絶対見つからないようにと、鍵を掛けた引き出しの中に、更に隠し棚を自作して仕舞った若干ポエミーな日記。子供の頃から手紙が詩的すぎるとからかわれ続け、王城に上がる頃には、仕事以外の手紙は一切書かなくなった私。それでも習慣の日記つけは止められなかった。

 本音全開で絵と花が所々に散りばめられた、私的極秘文書が何故か目の前に。

 あれ? おかしいな。

 有能で指示を的確に把握する子だったフレドリックが、どうして懐から大事そうに出してきたのかな。


 手に取ってビリビリに粉砕してやろうと思ったら、危機を察知したフレドリックがさっと懐に仕舞ってしまった。


「駄目ですよ。唯一勝ち取った形見分けなんですから、これは私の所有物です」

「……顔じゃあばれるから、身体に一発入れとくわね!」


 渾身の右ストレートを、笑顔と共に鳩尾にお見舞いしておいた。日記現存の件に関しては、あとでじっくり詰問しよう。

 フレドリックの瞳の翳りは、全て消えた訳じゃない。

 ミレルとカイスベクファの間では、きっと大変なことが起こっているのだろう。

 大司祭の意図も気になる。

 問題は山積だ。



 その日の晩、目を閉じても私はなかなか寝付けなかった。

 広い寝台の上でぽつんと仰向けになりながら、考えるのは私自身のこと。


 フレドリックを通じて、カイスベクファと接触が出来る。それって、万々歳よね。

『ミレルを許さない』絵空事のような想いが現実味を帯びてきて、この日くらいは喜びで彩られてもいいはずなのに、心は何故か浮上してきてはくれない。


 ――だって、今の自分の弱さに気づいてしまったから。


 前世では王城に上ってからずっと、全力で走り続けた。身体は軽く、長年染み付いた勘で本能のように勝手に動く。伸るか反るかの賭けのような決断だって、瞬間的に下してきた。

 それらは全部、経験と歳を重ねて強い人間になれたからなのだと、勘違いしていた。


 でもそんなの、全然違った。

 最終的に責任を全部引き受けてくれる誰かがいたからこそ、振る舞えたってだけ。

 ただ私は、主の為になるよう動けば良かった。

 絶対的な庇護のもとでしか、力をふるっていなかった。


 アキラになって思い知った。

 自分ひとりで考えて行動しなければいけないのって、なんて恐ろしいの。


 私はちゃんと出来る最善を選んできた?

 いいえ、とても全力だったなんて言えない。

 母の悲劇を目にして復讐を誓ったものの、行動を起こしたとはとても言えない。


 フレドリックについても、私から何かを踏み出せたわけじゃない。

 逆に女官長時代の判断が間違っていたんじゃないかと、自信を喪失しかけていたくらいだ。

 情けないことに、フレドリックの告白で真っ先に感じたのは安堵だった。

 当時の自分の判断は間違ってなかったっていう、自己弁護の気持ち。


 醜くて、こんなに弱い人間だなんて、知らなかった。

 あのまま生涯を閉じていれば、知ることなんて無かったのに。


 強くありたい。

 けれど、寄る辺が無ければ強くなれない人間だと自覚して、苦しくて仕方ない。




 せめてフレドリックの前では、彼の知ってるライラでいられますように。




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