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2 司祭 イソラ・ヘンネベリ

 


 第二神殿(トフェ)の大司祭の執務室。

 私は大司祭エーランド・ヘンネベリと、月に一度は顔を合わせなければならない。

 女神の生前は、女に生まれながら次代の女神ではなかった異端性を探られ。

 女神の死後は、地下神殿でその死を目撃したのではと疑われて。



「一の姫様、第二神殿には慣れましたか?」

 老年に差し掛かった大司祭は、白くなった髪と穏やかな声で温和な印象を作ることに成功している。けれどその静かすぎる目は無機物のように感情に乏しく、根源的な恐怖を抱かせる。こちらの行動の綻びを常に探されている気になる。


「ええ。気遣いをありがとうございます」

 いつものように小首をかしげて微笑んで見せる。

 生前、面の皮の厚さを身に付けておいて心底よかったと思う瞬間だ。


「まだ祭礼の間へ拝殿する決心は付きませんかな」

「まあ。女神様(おかあさま)の許可なく祭礼の間に入るなんて、いけないことですもの」


 母が神の世界へ帰ったという事実を、受け入れられない子供のふりをして。

 にっこりと笑んで、出された茶に口を付ける。

 毎回気持ち悪いと思いながら口に含む。広がる茶の風味自体は悪くはないのだけれど。

 大司祭は私が茶を飲んだか確認するため喉元辺りを凝視するので、分かり易いようにやや大げさに嚥下のふりをする。

 その後、静かに目を閉じくずおれるように横になる。


 はい、ここまでがお決まりの流れです。


 耳障りな忘却の祝詞を子守唄代わりに、ぼんやりとこれまでのことを考えた。


 神殿内はずっと浮かれた雰囲気に包まれている。


 神殿深部から這うようにして戻った私に、大司祭が恭しく告げたのは次代の女神の顕現(けんげん)と、先代女神――母が神の世界へ帰ったという言葉だった。

「おめでとうございます」なんて、あの深部から戻った口で言えるのだから、この国の病み具合も相当だ。

 母は別の知識をミレルの人々に授けるため、代わりの女神を使わせ天の世界へ帰還したことになっている。殺して入れ替えるこの仕組みを、皆が知ってて実行していた訳じゃないとわかって少しだけ安堵した。

 あの儀式を知るのは、国の中でも限られた連中だけのようだ。


 女神が顕現したといっても、彼女は蕾のままずっと眠っている。

 今は第一神殿(ラファトフェ)の地下ではなく、行事などで女神との謁見が行われる、祭礼の間に堂々と安置されている。孵化にはだいたい二年から三年。

 国民は新しい女神が顕現した事なんて知らず、現在女神が不在であることすら知らない。


 春の雪解けの頃、第一神殿から第二神殿(トフェ)に住まいを移された。

 第二神殿は、女神の住まう第一神殿を囲むように建てられている。第一神殿を物理的に守る外壁の意味もあるのだろう。

 大司祭や高位司祭達の執務室も存在する。

 神殿とは呼ばれるものの、国の中枢を担う王城と同じ役割を負っている。女神が降り立ってから、ミレルの王城の方は閉じられているから。

 国の実質の中枢はこちらだ。


 名も、アキラではなく一の姫と呼ばれている。

 名義的には蕾の女神が二の姫、妹になる。生まれた順番だからそこはしょうがない。

 女神が降り立つまでミレルは王制をとっていたから、その名残だ。

 女神が降り立った当時、王は女神に玉座を譲り、自ら公爵へと降りたらしい。すっごく嘘くさい。とは言っても、どこの国の歴史も勝者に都合よく書き換えられるものだものね。

 とにかく書類と名義上は女神が女王で、その子が後を継ぐ世襲制になっている。

 女神だって、書類で地位を確保しなければならないのだから、おかしなものよね。

 もちろん誰も次代の女神を二の姫なんて呼びはしないし、女神を女王なんて呼ばない。全部ただの名義上です。


 そして私は、第一神殿には許可を取らなければ立ち入りさえ許されない身になりました。

 あそこは新しい女神様のものだから、先代の娘は要らないそうです。まだ女神が孵化したわけじゃないので、あからさまに切り捨てはしないけれど、貴族たちも距離を置き始めているのが分かる。

 これ知ってるわー。第二王子よりも王太子であるラザー様の方が圧倒的優勢が見えてきた時の、貴族や臣下達の動きに似てる。長いものに巻かれるのも時世に流されるのも、人の世はどこも一緒よね。

 つまり私は利用価値がガタ落ちした、沈みかけ物件ってこと。

 気付けば波乱万丈の人生を突き進んでます。


 新しい女神の現出を告げられた時、私は大司祭に言祝ぎも述べず、祭壇に安置された蕾に祈りを捧げにもいかなかった。一年経った今でも、一度も祭礼の間には足を運んでいない。

 不信感を抱かれるのはわかっていたけれど、最大限の抵抗だから止める気はない。十一歳の私に出来ることはそう多くはないから。


 お蔭で、月に一度の謁見の度に大司祭に睡眠薬入りの茶を盛られて、忘却の祝詞をかけられる――なあんて、困った状況に陥っちゃったけどね!


 あの地下神殿で去り際を見られた可能性は高い。すぐにでも私の始末を付けたかったのかもしれないけれど、女神が顕現していない内に始末する危険は犯せなかったのでしょうね。だって私は女神の苗床の控えだから。

 この忘却の祝詞が母に掛けられていたのは間違いない。

 私に効かないのは、そもそも眠らせられてないからかなってアタリを付けてる。睡眠薬入りの茶は、いつも飲むふりだけ。自室に運ばれてから、毎回エレッと吐き出しています。

 長いこと口内に入れておくのは難儀だけれど、死活問題なので必死です。

 前世の中間管理職な時に、嫌いな飲み物とか職務中なのに酒を勧められて、苦肉の策で編み出した技術が役に立つとは。人生ってほんと、わからないわ。


 本音は、祭礼の間であの蕾を目にしながら、一の姫としての体面と礼儀を保てる自信が無かった。

 別に血とか平気だと思っていたのに、当時のことを考えると耳鳴りがしてきて、意識が遠くなる。

 理性では次代の女神に罪はないと分かっている。祭礼の間はあの地下祭壇みたいに血濡れのはずはない。

 けれど、蕾の姿で血の海に光り輝いて存在するさまは、そうそう記憶から消せそうにない。


 この国の恐ろしさの象徴に思えてならなかった。



 ・・・・・・・・・・



 第二神殿に移され暫くして、側仕えの女官や教師役の司祭が一新されることになった。

 なにそれ、孤立無援じゃないの。

 彼らと交流が密だったとは言わない。けれどそれなりに気心は知れていた。

 それを一気に取り上げるって、私が本当の子供だったら泣いてるわ。

 えげつない。


 新しい教師役の司祭は、つい最近大司祭が養子に迎えた青年。

 司祭たちは結婚を許されてはいないから、こうやって見込みのある人物に自らの権力を継がせる。大司祭のエーランド・ヘンネベリくらいの権力者になると、養子も一人じゃないけどね。

 大司祭が子飼いの司祭を送り込んできたのは、やっぱり監視が一番の目的なのかしらね。



「おや? 筆が進んでおりませんね。まだ幼い(・・)姫様には難解すぎましたか、申し訳ありません」

 教師役の司祭の声に、焦って顔を上げる。中座していた男が戻って来ていたことに気付かなかった。足音消して帰ってこないでよ!

 素知らぬふりで教本の下に書物を隠す。


「すぐに解きます。あなたがそうやって急かすから、考えがまとまらないの」

 つんと澄まして答えると、男の口角が上がった。


「これは失礼しました。歴史の本を読みながら数式を解けるとは、さすがは一の姫様」

 あげ足を取る男の笑顔がとっても輝いてる。


「…………」

 そりゃまあ、気付かれるわよね。

 いつもはもうちょっと長く席を外してくれるのに、あてが外れちゃった。


 座学は私の自室で行われる。

 新しい教師役の司祭は、身分ばかりは立派な小娘の監視なんてやってられないらしく、自分の読書用に書物を持ち込んだり、よく中座したりする。女官も席を外すから、気兼ねなくサボれるって事なんだろう。


 はっきり言ってこの司祭、言葉使いは丁寧だけどやりたい放題だ。


 私も大人しく自習する性質ではないので、中座した彼の書物をこれ幸いと拝借して、外の知識を仕入れている。

 自習中に出される問題は、前世の知識から言ってもだいたいは即答できる問題だし。……だいたいなのは、私の頭が平均値だからです。そこは突っ込まないでください。


 第二神殿に移っても相変わらず情報統制は厳しく、特に国外関係の書物は閲覧を禁止されている。普通の司祭や女官ならば貸し出されるような軽い書物もご法度。

 だから情報を仕入れる唯一の機会は、彼の書物を盗み見ること。

 大司祭の私への警戒心と、私の監視を任されたはずの司祭の無関心っぷりの温度差が激しいけれど、こっちはとても助かっている。

 そういう意味では感謝もしているんだけれど、本人に見つかったら咎められるに決まっている。今日は宿題二倍かな、宿題になると引っ掛け問題多くて嫌なのよね……なんて溜息を吐きそうになりながら筆を取ると、真上から声が降ってきた。


「もっと上手くやりませんと」

 ぼそりと呟かれた声は常より低くて、聞き間違いかと思った。

「……え?」

 不穏な助言に顔を見上げる。


「さて、休憩はもう十分ですね」

「ええっ!?」

 あの、私は休憩してないんですけど。

 外で休憩してきたの、貴方だけですよね? ――なんて勿論言えるわけもなく。


 会話は終わりだと、司祭の笑顔が物語っている。

 笑みを作った瞳の奥が、ばたんと扉のように閉ざされたのを感じた。

 当然歴史の本は回収されました。ええ、宿題は二倍でしたとも。



 イソラ・ヘンネベリ。

 新しい教師役の司祭を紹介された時、あまりに見つめすぎて、彼の顔に穴でも開けてしまうくらいに凝視してしまった。

 青みがかった黒髪に群青色の瞳。白い肌と高い鼻梁。

 何処かで会ったことがある気がするものの、合致する記憶が見つからない。声も何処かで聞いたことがあるような、知らないような。

 見目は悪くない。十人居たら十人が振り返るような整った顔立ちだ。

 けれど第一印象は、喉に引っかかった小骨のように気持ちが悪い、だった。


 気持ちの悪さの原因には気が付いている。

 イソラ・ヘンネベリは、生前の部下フレドリックを連想させる。

 けれど、何もかもが違っていた。

 私が覚えているのは十六歳の部下フレドリック。

 何の変哲もない茶色い髪と目。少年と青年の狭間のような危うげでありながら輝く瞳を持った、向上心と若さに溢れる眩しい子だった。

 瞳の色や髪の色は、稀有だけれど(まじな)いで変える術がある。体格だって手間と時間があればどうとでもできる。当時フレドリックはまだ成長期だったし、大人になれば身長も伸びる。表情だって仕草だって変わるだろう。

 気になる差異はそこじゃないのよ。


 纏う空気の寒々しさと、微笑む瞳の底の見えない暗さが、まわりに透明な壁を作っている。それと、どこか諦めた様な態度。

 面影を重ねようとしても、その温度の違いになかなか上手くいかなかった。




「リ、リプルですって」

 明らかに今、私は挙動不審です。


「はい。市井の菓子ですが、気に入って頂ければと」

 イソラ・ヘンネベリが物での懐柔作戦に出た。

 一年経った頃だろうか。一定の距離を保ち仲良くならないように、それでいてまるで程よく放任してくれているような態度だった男が、物でこちらを釣るような動きをしてきた。

 しかも用意する物が、ことごとく私の趣味に合致してるから性質が悪い。

 これって、試されてるの?


「けっこうです。リプルなんて、庶民の食べ物ではありませんか。私が口にするものは毒見が必要なの。そんなもの、口に出来るわけないでしょう」

 なけなしの威厳っぽいものをかき集めて突っぱねる。

 カイスベクファ時代の城に居た、被虐趣味の変態貴族ならば泣いて喜びそうな冷たい眼差しをし、顎を上げて見下した。実際には身長差で見上げているけれど。


 顔で怒って、心で泣いている。

 リプルの焼き菓子なんて、それ私の好物じゃないですか。

 十年以上食べてないんだけど。

 リプルは秋の終わりに熟す、真っ赤で艶々の果実。酸っぱくて野趣に溢れた味がする。リプルのタルトとか絶品だったけれど、酸味が毒との見分けも難しく、上流階級の人間はまず口にしない。


「おや、残念です。これも駄目ですか」

 そう言って、司祭はさして残念そうでもなく、あっさりとリプルの焼き菓子を懐に仕舞ってしまった。

 そこは! 

 自分が毒見をして、半分をこちらに割って寄越すとかがお約束の展開じゃないの?

 少しは優しいとか、こちらを気にしてくれてるとか思ったのは全部撤回しよう。

 この男は、笑顔の悪魔である。


 一年も共に過ごせば認めないわけにはいかない。

 彼はフレドリックだ。


 添削で書かれる数字の癖。あれは、カイスベクファで私が一度直した書き方だ。残念ながら、元に戻っている。

 座る時浅く腰掛けるのに、一番楽な位置と姿勢。あれは当時私が助言をした通りのまま。

 何故か、どうしようもなくやるせない気分になり、そしてやっと受け入れた。


 イソラ・ヘンネベリとフレドリックは同一人物だ。

 けれど、彼が味方かどうかはわからない。


 ラザー様からの指令を受けてこの場にいると信じたい。

 でも、それなら養子などという立場になれるものかしら? 養子になってヘンネベリの苗字を名乗るなんて、確実に未来の大司祭候補の一人だ。


 大司祭の仲間にでもなってしまったんじゃないの? 十年の歳月はあっという間のようで長い。彼の身に何があったっておかしくはないでしょう。

 そんなとんでもない発想に至って、打ち消せないでいた。


 あからさまに物で釣るのは、私がライラだって何かの仕草で気付いたとか。いやいや、彼がいつも少し乱雑に扱う書物の端をきっちり揃えたい衝動に、私はいつも打ち勝っているのよ。気付かれてなどいないはず。……でも、誘惑に負けてリプルの焼き菓子に齧りついた途端、捕まったりして。

 打ち明けたら最後、あの神殿の地下深部で尋問されるのではないだろうか。

 カイスベクファ王太子(当時)の女官長なんて、情報を引き出す格好の餌食に決まってる。

 残念ながら、拷問に耐える自信は持ち合わせていません。無理です。


 自分の元部下をぜんっぜん信頼できないなんて、私はなんて卑劣漢になっちゃったのかしら。

 いやでも、命あっての物種だからね。


 こんなことをぐるぐると考えすぎて、十代で既に胃痛持ちになりそうです。



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