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番外編 客人とタルト

 エピローグ後の番外編となります。

 時系列はナツ様の「ミヤビ編」のエピローグの後になります。




 


 フレドリックは約束通り、ミヤビ宛ての手紙を彼女に届けてくれた。

 喜んで受け取ってもらえたとフレドリックは教えてくれたものの、私の心は落ち着かない。

 会いたいだなんて、踏み込んで書きすぎたかもしれない。喜んでくれていても、やはりどこかの部分で彼女を傷付けてしまったのでは。そもそも便箋二十枚超えは量が多すぎた気がする。

 そんな風に考えて、ぐるぐると煮詰まっていた。



 晴れた日の午後。

 ちょうど急ぎの書類を纏め終ったところで、カナン王宮へ出掛けていたフレドリックが戻った。急いで階下に向かうと、フレドリックは何だか微妙な雰囲気を纏いつつ、客人を伴っていた。


「ご機嫌よう、ハルベント夫人」

 銀髪にアイスブルーの瞳の美丈夫が、優雅に会釈をする。

 客人は元護衛騎士のエーリク・ランツ。ミヤビの伴侶だった。


 女神の護衛騎士であった彼を、じっくりと正面から眺めるのはこれが初めてだったりする。そもそも神殿ではミヤビとの接触が制限されていたから、必然彼とも会話をするような機会はなかった。他の四人の従者達とはその後のミレルで交流もあったのだけど。

 目の前の男性だけは違う。

 改革の力添えになったランツ家の人間でありながら、最後までミヤビを守り続けた人。

 最もミヤビに近く、そして私が最も知らない人物。


 貴族としてそなえた優雅な仕草と、騎士として身に付けた隙のない所作。近寄りがたいと感じてもいいはずなのに、身を固めたお蔭か、記憶の中よりずっと落ち着いた雰囲気がそれを和らげている。

 お茶を出していた若いメイドのアンが、思わずといった感じで熱い溜息を吐くのもしょうがない。本人にその気はなくても、ミヤビはいつもやきもきさせられているのかも。

 名残惜しそうなアンを苦笑いで退室させ、応接室は三人だけになった。

 背筋を伸ばして対峙する。


「お話しするのは初めてですね、ランツさん」

「ええ。貴女とは会釈程度しかやり取りをしていませんでしたから。フレドリックは当時ミヤと二人きりになることも多かったのに」

 そう言って、ランツさんがちらりと私の横のフレドリックを見る。


「不可抗力ですよ?」とフレドリック。

「私の方から接触を図ろうとした時は見事に妨害したし、ミヤの努力をさっぱり伝えなかっただろう」

「当時はしがない司祭でしたから。不可抗力です」

 笑顔のフレドリックは頑なだし、ランツさんの表情も硬い。

 ……ええと、二人の会話が不穏でならないのだけれど。


「全部潰して囲ってたくせによく言う」と、ランツさんは閉じた歯の隙間から呪詛のような声を出した。聴こえてる、聴こえてるよ。何だろう、思ったよりも仲が悪いのかしら。


 けれど一度息を吐いたあと、打って変わって真剣な表情でこちらに視線を固定する。


「――私は手紙ひとつで信頼する程貴女を知りません。ですからミヤと会わせるのは、自らの目で見極めてからと決めました。貴女からの手紙を握り締めて、そのまま駆け出しそうな妻を説得するのは難儀でしたよ」


 ああ、やっぱり。

 そりゃそうよね、神殿にいた頃会話なんてした事なくて、しかもどう考えても女神の敵だった私に、手紙くらいで大切な人をいきなり会わせられないわよね。

 だから彼は自分の目で見て見極めようと決めたのだ。

 女神だったミヤビを本当に守るなら、強いだけじゃ足りない。

 彼が一人でここにやって来たのはミヤビのため。

 見た目の派手さとは正反対の、その慎重さに安堵する。

 正面から物事に当たってゆくその姿勢に、ミヤビと彼、二人の共鳴を感じて眩しくなる。


 そして思いがけず伝えられたミヤビの様子に、心が歓喜でいっぱいになる。

 彼女は私に会おうとしてくれた。嬉しくて堪らない。

 だからもう、ミヤビが書いてくれた返事の手紙を差し出された時には、半分泣きそうになっていた。



【親愛なる私の姉さんへ】


 そんな書き出しで始まる文章に、彼女が本当に受け入れてくれたのだと実感して震える。


 いままでの彼女に起こったできごと。

 私の手紙を受けて、どう感じたか。

 アキラが死んだと知った時の気持ち。

 率直な筆致で書かれた文章に、目の前の人物のことも忘れて没頭した。


 これからはミヤと呼んで欲しいと締め括られた手紙に、涙が零れた。


 最近は涙腺が弱くていけない。泣き止もうと努力しているのに、隣でフレドリックが頭を撫でてくるのもいけない。お蔭で涙どころか鼻水まで止まらなかった。





「どうして私達は厨房に居るのでしょうか、ハルベント夫人」

「ライラでかまいません。ランツさん」

「それでは私のこともエーリクとお呼びください……て、そうじゃなくてですね!」


 唾が飛びそうなので、手元のボウルをさっと避けた。

 代わりに、エーリクさんの目の前にバチと生地を置く。

 私たちは今、厨房で菓子作りに勤しんでいる。正確には私が彼を強引に引っ張ってきたんだけれど。


「はい、生地を型二つ分均一に伸ばしてくださいね。それが終わったらアーモンドクリームを……」

「いや、だから」


 困惑しているらしい。形の良い眉が情けなく下がっている。


「私はミヤのことを貴方とお話ししたい。それにお菓子も作りたい。作りながらお話しするって、一石二鳥でいいと思いません?」

「いや、普通に客間でいいじゃないですか。菓子は私が帰ってから勝手に作ってください」

 まったくの正論である。


「実はですね、ミヤの手紙にあった質問に答えたくて。ちょっとだけお付き合い願いたいのです」

「質問ってあの難解なポエ――失礼、比喩表現の数々のことですか。これがまさか……赤い雫の宝石箱?」

「そう、これなんです」


 両手で顔を覆ってしまいたい気持ちをぐっと耐える。今はまずい、粉だらけだ。


 私はミヤビへの手紙に、いつか会いたいと綴った。

 そして、【赤い雫の宝石箱】を二人で囲みたいと書いた。

 筆が乗りに乗って感情のままに綴ったら、そんなことになりました。

 今回のミヤビからの手紙に、赤い雫の宝石箱って何のことですか? と質問が添えられていて、我に返りました。

 忘れちゃいかん、自分の若干ポエミーな文体。

 書いてる時は最高の言い回しだと思ったのよね……。


「ミヤに固有の言い回しかと質問されたんですが、この文言だけ解読できなくて。で、結局赤い雫の宝石箱の正体は何なのです」

 お願いだから連呼しないで欲しい。さすがに徐々に居た堪れなくなってきた。


「リプルのタルトです」

「ああーリプル。…………赤いですもんね」

 エーリクさん、棒読み。妙な同情心から温情をかけられた。


「わかってるの、自覚してるのよ痛々しいのは。お願いですエーリクさん、そんな憐れむような目で見ないでください。あとフレドはうっとりした顔しないで。それよりいつの間に執務室抜け出してきたのよっ」

 一気にまくしたてて、戸口からこちらを覗くフレドリックに八つ当たりする。


「ライラ、可愛い。やっぱり貴女の愛すべき文章を愛でるのは、俺の特権のままでいいんじゃないでしょうか」

「待って。その流れだとフレドもやっぱり私の文章、変だと思っているってことにならない!?」

 何だか気付いちゃいけない事のような気がするのですが。


「あーっと、やっぱり帰ってもいいですか」

 呆れた感じのエーリクさんの声に、フレドリックと私が同時に返す。


「どうぞお帰り下さい」

「そんなの駄目です。お願いだからミヤにリプルのタルトを届けてっ」

 いい笑顔のフレドリックと、必死の形相の私。


「くっははははっ」

 ついにエーリクさんに大笑いされてしまった。

 まあ、リプルのタルトを作ろうとした時点で、自分で場をぶち壊す準備をしていたとも言えるけれど。


 何度も執務室からこちらを覗きに来ていたフレドリックは、とうとう書記官に悲壮な顔で説得されて戻って行きました。

 私が仕上げた急ぎの書類の確認と押印もあるし、カナンの王宮から戻った後の処理がまだ残っているのだ。

 きっと仕事が終わるころには、ちょうどタルトも焼けるはず。


「また面倒な男に惚れられましたね」

 フレドリックが姿を消したあと、エーリクさんに苦笑いをされた。

 礼儀正しい態度は崩れ無いものの、ほんの少し本音の混じった笑い声だった。


「そんなことありません。私が彼に夢中だって周りに知れ渡っているのに、まだフレドは不安なんです。――すっごく可愛いでしょう?」

「あの男を可愛いと表現しますか……」

 心なしか遠い目をされる。

 フレドリックって、とっても可愛いと思うんだけどな。


「それに本音を言うと、夫が茶化してくれて助かってます。どうしても緊張してしまいますから。だって貴方は妹の大切な旦那様ですもの」

 妹の大切な旦那様ってところで、明らかに彼の顔が緩んだ。ああ、ミヤビは愛されてるんだなあって思って、私の顔も緩む。


「しかもエーリクさんはランツ家の方ですし」

「ランツ家」


 無表情で繰り返された。アーモンドを刻んでいた手が止まってる。

 彼はその家名で括られるのは好きではないらしい。


「それはもう、三年間大変だったんです。特に貴方達を追い出す形になったものだから、ご長男の嫌がらせ……じゃなくて、忠言が的確で容赦なくてそれはもう」


 彼の実家のランツ家には、ミレル立て直しに大いに貢献してもらった。けれど神殿を壊すという部分では一致していたものの、私が女王を名乗りしかもカイスベクファに国を委ねる判断は、あまり賛同いただけなかった。確かに正式な王家の血筋はランツ家だしね。いちいち突っかかって来てそれはもう、大変だったわ。

 でもあれ、絶対次男のエーリクさんを引き離してしまったせいのような気がする。カイスベクファが把握している彼の潜伏先を、どれだけ取引材料として聞き出そうとされたか。勿論洩らさなかったけど。

 あのランツ家長男の熱の無い暗い瞳を思い出し、若干気分が悪くなる。

 三年間の女王時代、胃痛はやっぱり私のお友達でした。


「くそ兄貴め……」

「そこは残念ながら否定できないですね」

 エーリクさんの低く小さな呟きは、淑女としては聞き流すべきだったかもしれない。

 けれど、思わず同意して頷いてしまった。

 そこでようやく、二人で顔を合わせて心から笑い合った。


「さあ、今度は実の種取りをしなきゃっ」

「まだ続くんですか」

「続きますとも!」


 厨房で作業をしながら、色々な話をした。

 ミヤビの好きな食べ物。彼女の好む書物。怒らせた彼女がどんなに魅力的で愛らしいか。

 そうして、どんなに頑張り屋でまっすぐか。

 エーリクさんの語るミヤビの話は初めて聞くことばかりで、嬉しく、そして心の奥が痺れるように苦しい。私は彼女のそんな姿を知る機会を、自ら潰し続けてきたから。


 フレドリックが執務から戻ったのは、ちょうどタルトが焼きあがった頃だった。


「ライラ! エーリクに変なことを吹き込まれませんでしたか? 信じたりしないでくださいね」

 フレドリックは戻るなり私をぎゅうぎゅうと抱きしめてきた。

 教え子だったミヤビだけじゃなく、エーリクさんともやり取りする機会のあったフレドリックは、彼を結構気に入っている。非常に分かり辛いけど。

 なるほど、それなのに二人にさせたくなかった理由はこれね。どうやら私に知られたくないことを、エーリクさんが告げ口するとでも思っていたらしい。


「何のことかしら? エーリクさんの知ってる司祭イソラについての昔話は聞かせてもらったけど。ああでも、とっても興味深くてその話ばかり聞くものだから、エーリクさんには退屈だったかもしれないわ」

「そんなことありませんよ。貴女の昔話に登場する、別人みたいなフレドリックの話もとっても(・・・・)興味深かったです」

 フレドリックを少しからかってみたくてそんな風に口にすると、すかさずエーリクさんも乗って来た。そのくらいの会話が出来る程には、打ち解けられた。


 本当は、ミヤビの話をしてもらうお礼に、私はフレドリックとの話をしただけ。

 エーリクさんがフレドリックに向けてにやりと笑ったところを見ると、彼も夫をからかいたかったらしい。思わず私が噴き出すと、フレドリックの腕の締め付けが強まった。いやいや、からかってるだけだってわかってるでしょ。


「長い間拘束してごめんなさい。これ、お二人で食べてね」


 ずっしりと重いバスケットをエーリクさんに渡す。

 二つ焼いた内のひとつを丸々包んである。

 タルトはまだ冷めていなくて、バスケットを通じてほのかに温かさを伝えてくる。周囲にはバターと果実の甘い香りが漂う。


「リプルのタルト、俺の分もあります?」

「もちろん」

 くん、とフレドリックが香りを吸い込む。

 このタルトはフレドリックと私の好物。

 けれどそのまま人の髪の匂いまで嗅ぎ始めたので居た堪れない。館の人々は慣れていても、客人の前でこれはいけない。ドン引きされること請け合い。もう既に十分露呈はしてるけれども!


 見兼ねたのか呆れたのか(絶対後者の気がする)、エーリクさんが暇を告げる。


「フレド、とりあえずいったん離れましょう」

「嫌です」

 ちゃんと客人に挨拶したいだけなのに、珍しく今日はきっぱりと拒絶された。

 腰に回った手が剥がれない! ひとしきり押し問答をするものの、フレドリックはさっぱり動じない。

 やっぱり爆笑されてしまった。これで二度目。終わった……。


「大丈夫。実は私も、妻の元へ帰りたくて仕方がないんです。早く赤い雫の宝石をミヤに届けたいから」

 笑いの発作をおさめたエーリクさんが、タルトを持ちあげてみせる。

 ごめんなさい、もうその呼び名許してもらえませんか。


「ミヤにお手紙とっても嬉しかったです、返事はじっくりもう一度読み返してから書きたいので待っていてもらえますかって、伝えてください」

 諦めて、くっついた夫をそのままに別れの挨拶を告げる。

 今度の手紙には最善の注意を払ってみせるわ、うん。


「手紙の返事を書くより早く、また会うことになると思いますけどね」


 けれど、最後にエーリクさんはそう言って笑ってくれた。

 どうやら私は彼の偵察に合格点を貰えたらしい。



 客人が帰った後、リプルのタルトをフレドリックに切り分ける。


「ねえライラ。どうしてリプルのタルトを彼女と囲みたかったんですか。わざわざエーリクに持って帰ってもらおうとしたんです。一緒に作って混ぜ物がないと分かって、安心して食べて欲しくて彼に手伝わせたのでしょう?」


 全てお見通しの夫に、私は結局かなわない。


「このタルトのレシピは前世の家の秘伝なの。祖母から母に、母は自分の娘達にって受け継がれてきたレシピで、私にとっては家族の象徴のような味。前世のことはもちろん区切りをつけてる。だから上手く言えないけれど――姉妹ならこのタルトを囲まなきゃって思ったの」


 そして出来ればミヤビにもレシピを伝えたい。

 おこがましくて口には出せなかったけれど。




 私達姉妹が二人でリプルのタルトを囲むのは、そう遠くはない先の話。



 お付き合い頂き、ありがとうございました。

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