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14 舞台を降りたら

 

「これ以上神聖なるミレルを貴様の勝手にはさせん! 女神と神殿の元に、再びの栄光をっ」


 高らかに謳いあげる元司祭の言葉を聞きながら、幕引きの舞台からそっと降りる。

 空を舞うように軽やかに、いっそ微笑みすら浮かべて。

 私は、舞台の上から後ろ向きに落ちた。

 視界いっぱいに広がる抜けるような青空を見て、晴れて良かったなぁなんて場違いなことを考えながら。



 一の姫アキラが女王となり、ミレル神聖国の国家正常化と民主化を宣言してから三年。

 カイスベクファとの条約締結の記念式典は、突然の元司祭達による凶行で混乱の内に中止された。

 女王アキラはこの凶行による転落事故により呆気なく死亡する。

 強硬な手段や強引に国を簒奪した手法に眉を顰めていた一部の神殿回帰派も、夭折した故人を表立っては非難できなくなった。

 十名に満たない反乱の元司祭達はその場で斬り捨てられ、あるいは拘束された。華々しい式典で起こった凶行に、国民感情は神殿の完全解体に傾く。

 女王に代わり統治を行うカイスベクファからの特別総督の就任も、このまま行けばさしたる抵抗も無く受け入れられるだろう。

 ――――全ては予定通り。




「っん……ふぁ。…フレド、もう着いちゃう」

 執拗に口内を侵すフレドリックの舌と唇に翻弄されながらも、胸に手をつき息も絶え絶えで抗議する。

 車は速度を緩め、ゴツゴツとした石畳の振動をわずかに伝えてくる。カイスベクファ王城スロープに施された、伝統の石畳の感触だ。これ以上は本当にまずい。


「はあ……残念です。続きは一体いつになるのでしょうね」

 名残惜しそうにちゅっと音を残して、唇が離れた。顔を離し焦点の合った群青色の瞳を仰げば、霧の中のようにけぶっている。きっと私の瞳も同じようなもの。



 私は転落したふりをして、ミレルの表舞台から文字通り退場した。

 身に余る女王などという立場を演じ終わり、ほっと息を吐いたのもつかの間。待ち構えたフレドリックにジオマジョルカ(魔法電気)製自動車へと押し込められて、気が付いたら国境を越えてしまっていた。これでミレルも見納めと、感傷的になる暇すらない早業でしたよ。

 良いことなのか悪いことなのかは、判断が難しい。

 とりあえず、運転手とはまともに目を合わせる自信がない。運転席との間に仕切り板があるとはいえ、色々と際どかった……色々とね。


「もう。どうして離してもらえないのが、私のせいになるのよ」

 未練がましく腕を回して離さないフレドリックの手を抓る。けれど、膝の上からは降ろしてくれない。さっぱり聞く耳を持たない恋人は、抓られたのに上機嫌だ。

 道中は常にくっつかれていた。今みたいに膝に乗せられたり、横から抱えるように腕を回されたり。触っていないと何か良からぬ呪文でも発動するというのか。


 この状況を、フレドリックは私のせいだと言う。なんでだ。


 最初は、ようやく二人揃ってカイスベクファに帰ることが出来るのだから、喜びもひとしおなのだろうと特に咎めもしなかった。くっついてくる温もりには、ミレルのアキラ時代に慣らされてしまっていたしね。……それに、三年間紳士的な態度を守ってきた恋人の欲を映した瞳にぞくぞくとして、女としての心も舞い上がってしまったから。

 四六時中一緒に居られるのが嬉しくて、ケリをつけるまで待っていてくれた心遣いが嬉しかった。


 けれど、ぽやぽやとした乙女思考もそう長くは続かなかった。

 ミレル国内はまだ解るわよ。でも国境を越えちゃったらそろそろ落ち着いてもいいんじゃないかしら。

 そう訴えたのに、王城前までフレドリックはべったべったと初志貫徹してみせた。

 お蔭で随分息継ぎが上手くなったし、声を耐えるのも上手くなった。

 ……恥ずかしくて死ぬことってあるなら、私は既に危険域だと思う。


「だって、手紙がないのですよ。ライラ様自身を愛でるしかないではありませんか」

「私は手紙の代わりなの」


 フレドリック、貴方がたまに分からない……。

 フレドリックは告白した次の日に渡した、私の手紙にいたく感動してくれていたらしい。そういえば、日記に対する執着もちょっと普通じゃなかったものね。


 会えなかった分も、この三年ずっと二人で頻繁に手紙のやり取りを続けてきた。

 ラザー様の計らいで使者の一人として何度かミレルに訪ねてきた時にも、カイスベクファまでの帰路で読む手紙を強請られたくらいだし。顔を合わせているのに強請るのよね、毎回。

 若い頃笑われてばかりだった私の手紙を嫌がらずに、満面の笑みで受け入れてくれるフレドリック。私もついつい調子に乗って、分厚い手紙を書き続けた。だいたい執務後の夜にしたためていたので、読み返すのも恐ろしいような、甘すぎて脳内お花畑みたいな内容だったはず。

 まあ実際は私が地を出して手紙を書くと、昼間でもそうなるんだけどね。ラザー様は詩的と表現してくださったけれど、自分でも分かってる。どうしてか個人的な文章を書くと、若干ポエミーになるのだ。

 まさかその手紙のせいで、こんな窮地に陥るとは思わないわよね?


「もちろん違います、一番はライラ様です。ですが、帰路はいつも俺だけに向けられた赤裸々な心を愛でながら、別離を耐えるのが常だったのです。これはもう反射なんです。帰路の車に乗ると、ライラ様の手紙で興奮してしまうのです」


 最後の台詞がいらない。


「……引いてもいい?」

「引いてもかまいませんが、逃げられませんよ」

 絞めつけが強まった。

 もう諦めよう、私の恋人は変人です。


「手紙があったから、恋人になった貴女が浮気をする強迫観念や、ちょっとした気の迷いで第二王子殿下と婚姻しようなどと思い立たないか、不安になる気持ちを耐えられたのですよ。ですから何とかこの日まで耐え忍びました」

「そんな話、噂の欠片だって無かったじゃない」


 疑われて、私の声に少しの険が混ざる。フレドリックが不安にならないように、色恋の噂なんて煙すら発生する前に水をかけて消し回った。というか、水撒きし過ぎて最後は亡くなったイソラに操を捧げる処女女王などという変な渾名まで付いたくらいで。

 なのにフレドリックは、耐えた自分を褒めて欲しいというような美しい笑みのままだ。

 根負けして溜息とともに、自動車の扉が開く寸前フレドリックの頬に軽い口づけを落とす。


 反省する気ゼロの笑顔に絆され受け入れてしまうなんて、私もそうとう参っているらしい。



 ミレルの正常化と、アキラ()から特別総督への挿げ替えは、当初五ヶ年計画だった。

 けれど、立案した本人(フレドリック)が待ち切れずに三年に短縮した。その結果こちらの法案整理と下準備は大わらわになった。結局「早くライラ様を連れ帰りたい」という一言で、私も頑張ってしまったのだけれど。


 本当に、有能すぎる働き者の恋人は時に扱いに困る。



 ・・・・・・・・・・



 カイスベクファ王城内、国王ラザー様の私室。


 フレドリックと並び、ラザー様に礼を取る。

 私室での謁見は、護衛頭のクラウを加えてもたったの四人で秘密裏に行われた。


「おかえり、私の可愛いライラ」

 笑うと目尻の小皺が目立つようになったラザー様は、今ではすっかり髭が似合う。


「ただいま戻りました、我が君」

 私だってもう二十一歳。生前の女官長に抜擢された歳に近づいてきた。


「「……ふふっ」」

「ぶっ…くく……」


 お決まりの懐かしい挨拶を終えると、私達三人はフレドリックを見て一斉に噴き出した。

 フレドリックは隣で不機嫌そうな雰囲気を隠していない。やり取りは儀式だって教えたのに、それでも面白くはないみたい。


 ――その姿が嬉しい。

 おかしいかな?

 だって私以外の人間にも不機嫌であることを隠していない姿は、彼の心の澱がゆっくりと溶けた結果のように思えるから。


「フレド。何度も言ったように私達は同志だよ。君の邪推するような関係じゃない」

 あからさまなフレドリックの態度に、ラザー様は楽しそう。


「存じておりますともラザー様。そうでなければ、お二人の目に触れない所に隠しております」

「おいこらフレド。いい加減にしろ」

 呆れ気味のクラウも、気安い。


 私がカイスベクファに帰れない間に、彼等は良好な関係を築けたらしい。

 クラウはもうフレドリックをチビッ子とは呼ばないし、ラザー様まで愛称で呼んでいる。


「さてライラ。帰って早々申し訳ないのだけれど――カナン国は知っているね」

「西の海洋国家ですね」

 ここから海を隔てた西大陸との中継地点にあり、小さな島々により構成されている。西大陸発祥の創世の女神信仰と、カイスベクファとミレルがある東大陸の近代化、両方の影響を受けた多国籍国家。黒髪黒目の割合が多い西大陸の民族と、色素の薄い東大陸の民族が混在する地域。


「この三年、君の妹が姿を隠していた地だよ」

「存じております」

 ラザー様の言葉に頷く。


 ミレルを脱出したミヤビと彼女の護衛騎士エーリクは、そこで家庭を築いた。

 ラザー様が知っているのは、もちろん見逃がしたから。カイスベクファがどこまで手を貸したのか、ミヤビ達がその事実をどこまで把握しているのかは分からないけれど。港の利用に目を瞑るのも、立派な助力だもの。

 女神の行方は、常にカイスベクファに監視されている。それは仕方のないこと。


「そのカナンから、最新技術の導入でうちを頼りたいと申し出があったんだ。ミレルの改革が認められたらしいね。だから、君とフレドリックの二人に任せたい」

 ラザー様の言葉に胸が熱くなる。

 ミレルは歪んだ女神信仰から、近代化を取り入れつつ本来の創世の女神信仰へ立ち帰ることを目指している。西大陸と東大陸の影響を受けるカナン国は、似た問題も孕んでいるのかもしれない。

 私達は壊すことを目指したけれど、少しは繋げることも出来たのだろうか。


「民間同士の技術供与も、国同士の交渉も、別の実務窓口は既に立ててあります。けれど、旗振りと上手く人手を回す人材が必要だそうで」

 フレドリックがラザー様の言葉の後を引き継ぐ。


「お前らの黒髪と黒目も、あの国じゃそう珍しくも無いからな」

 クラウがにやりと笑った。

 ここ東大陸で黒髪黒目はどうしても目立ってしまう。

 ミレルと近すぎるカイスベクファでは、二人とも髪色を変えないと生活が難しい。

 だからこその大使抜擢なのだろう。


「またライラを側に置くことが叶わないのは、残念なのだけどね」

 ラザー様の言葉に、首を振り微笑む。

 誰もがわかっていたことだもの。いくら髪の色を変えても、中枢では女王アキラとして顔が知れてしまっているから。


 それに今の私の心の中心を占めているのは――――。





 王城に用意された客室が夕焼けに染まっている。

 あの後ラザー様は私だけを私室に残して、フレドリックとクラウに退室を命じた。

 フレドリックは本当に、ほんっとうに不本意な顔をしながらクラウに押されて退室していった。


 客室にそっと戻った私は、気配を消して、バルコニーに佇む愛しい人の背中に後ろから頬を寄せる。


「フレド」

「っ! ライラ様お帰りなさい」


 少し焦ったように振り向こうとするフレドリックの身体をそのまま抱きしめ、腕を回す。

 物思いに耽っていたフレドの後ろを取れるなんて、ちょっと嬉しい。けれど、そうさせてしまったのは自分だと思うと胸が痛む。

 そんな二つの気持ちを抱えながら、口を開く。


「ただいま」

「あの、ラザー様との会話の内容を聞いても?」

「あら、それは秘密だから駄目ね」


 主従のけじめをつけてきただけだ。

 私はライラ・オールソンの時のような命を捧げる仕え方はもう出来ない。

 ラザー様はそれで構わないとおっしゃってくださった。

 それだけ。


「機密だからではなく、秘密だから駄目ですか……」

 フレドリックの声が低くなる。

 きっとどうやって私の秘密を聞き出そうか、どこから攻めるのが有効なのかと、頭の中は忙しく回転しているのだろう。


 でも私にも思うところがあるのよ。不満に思っている件がね。


「実は大使を拝命する話、ラザー様には返事を待って頂くことにしたの」

 私はラザー様への即答を避けた。


 明らかにフレドリックの身体の筋肉が緊張したのを感じる。

 フレドリックは早業でこちらに振り向くと、逃がさないというように私の両手を絡め取り、自らの額に持って行く。夕日の逆光を浴びるフレドリックの瞳は、美しくもぎらぎらと輝いて見えた。


「何故です? ラザー様の命令はライラ様にとって絶対でしょう」

 自分で言葉にしながら、どうして声音に傷付いた色が混ざるのかしら。

 たまに彼は自虐の気があるのかと思ってしまう。


「今まではね。でも、昔みたいに私の心を占拠しているのは主への忠誠心だけではなくなってしまったから」

 忠誠心を失ったわけじゃない。けれど、今の中心は違うもの。


「それって――」


 手を額に付けるのは、フレドリックがたまに見せる、なかなか抜けない困ったミレルの癖。

 その度に咎めるように手を引き寄せて、近づいた顔に口づけを落とす。司祭の仕草なんて、ミレルの仕草なんて、すぐに洗い出さないと拙いでしょうに。

 ……もしかして、キスで止めるから止めてくれないのかとも思うけど、私もこの儀式が楽しいのだから始末に悪い。

 そういえば、二人きりの時しかやらないな。ああうん、やっぱり確信犯ね。


 軽い口づけから、そのまま主導権を取って口づけを深めようとするフレドリックを、根性で止める。


「フレドと一緒に行ってもいいけれど、私はまだ肝心なことを聞かせてもらってない気がするの」

 首を傾げて見せると、目を細めたフレドリックが口を開く。


「夫婦として赴任することになります。嫌だといっても既に登録を済ませて……」

「そうじゃないでしょ、フレド」


 フレドリックは論理武装で弱みを隠す。合理主義を植え付けたのは、確かに最初は私だったけどさ。

 あれだけ手紙を書いたのよ。本当の私が、柄じゃないけど夢見がちだって知ってるでしょ。


 諦めないって決めたなら、貴方の心で落としてみせて。


 フレドリックが片膝をつく。


「ライラ様、愛しています。ずっと貴女だけが欲しかった。――俺の妻になってくださいますか」

 私の左手の薬指に唇を落とし、口づけながら挑むような上目づかいで見つめてくる。

 瞳は星空を映した夜空のように輝き、口元に湛えた微笑みは壮絶に色っぽい。けれど、表情には拭えない不安が見え隠れする。そんな姿が愛おしい。

 こんな特別なフレドリック、知っているのはきっと私だけ。


「喜んで。愛しているわフレドリック。ずっと待っていてくれてありがとう。これからの人生もぜんぶ私に頂戴ね。私の人生も、ぜんぶ貴方だけのものだから」

 彼の青春と青年期の時間、その殆どをミレルと私が奪ってしまった。

 それでも、そんな私をずっと待っていてくれてありがとう。


 笑ってくれると思ったのに群青色が滲んで零れるから、その頭にそっと腕を回して抱きしめた。




 出立の朝は快晴。

 別れの朝のしんみりなんて、相変わらずのやり取りで吹き飛んでしまった。


「ライラ、嫌になったらいつでも私のところに帰っておいで。フレドの事なんて思い出せないほど溺れさせてあげるから」

 溺れさせて~あたりが見事な艶のある低音だ。ラザー様は確信犯的な人たらしなのよね。流石は大国の国王陛下。今はその実力を部下をからかう為に如何なく発揮してくださってる。


「あ、はい。仕事に溺れさせてくださるんですねー」

 私がかるーく受け流す横で、「浮気は絶対に許しませんからね」と私にだけ呟くフレドリックが可哀想なので止めてください。

 ああ、この胃痛久しぶり。


「フレドと別れたら、俺の長男の嫁にしてやっても良いぞ」

 クラウが舅なんて私が嫌なんですけど。


「そっちこそ、奥さんに家出する時はうちへどうぞって伝えといて」

 クラウの奥さんとはすっかり仲良くなれたから、是非とも本当に来て欲しい。もちろん遊びにって意味よ。

「若造相手では満足できなくなるように、もっと頑張りますね」と、これまたフレドリックが耳元でキラキラした笑顔と共に物騒な発言をするので、ホントもうからかうのやめてくれないかな。


 フレドリックは私の肩に置いていた手を腰に回して、ぎゅっと自分の方に引き寄せる。

 腰に回った左手に、宥めるように手を重ねたらすかさず薬指の指輪をなぞられた。これ以上ないってくらい密着しているのに、まだまだ安心できないらしい。


「全部性質(たち)の悪い冗談なんだからね?」

「わかっています。でも俺は王族でもありませんし若くもありませんから、貴女を繋ぎとめる努力は惜しみませんよ――ライラ」


 私を様付けしなくなったフレドリックの、笑顔と低い独り言じみた言葉に不安しかない……。

 カイスベクファ滞在中、二人のからかいの言葉にいちいち過剰に反応するフレドリックは、出発の朝まで玩具にされ続けた。

 その度に毎夜こちらが酷いことになるので、私の返しの突っ込みはいまいちキレが足りない。こんなことではいかん。でも疲れた。ぐったりよ。





 快晴の朝、私ライラ・ハルベントは夫のフレドリック・ハルベントと共に、カイスベクファを発った。




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