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13 告白

 


 優しく髪を撫でられる感触で、ゆっくりと意識が浮上する。


 母に頭を撫でられるのなんて、いつぶりだろう。

 くすぐったくて何処か恥ずかしくて、暫く寝たふりをしていたら、頬の輪郭をなぞられ始める。その指先の動きに体温が上がって、はたと自分が寝ぼけている事に気付く。


 母はもういない。


 思い出した。

 私は夜の看病を女官から無理やり取り上げて、寝台の横に椅子を引っ張って陣取り、彼に付き添っていたはず。そのまま寝台に伏せるように寝付いてしまったのだと悟り、慌てて目を開ける。


 視界を占領するのは、眩しい朝日と、すぐ横に群青色の瞳。


「フレドリック?」

「はい」

 常より更にかすれた声。でも、しっかりと返事が返ってきた。

 自然と涙が溢れてくる。

 頬に触れたままのフレドリックの手を取って、子供のように大泣きしてしまった。




「俺が治癒魔術を学んでいなかったら、お前は死んでたんだぞ」

 見舞いに来たはずなのに、自分で持ってきた茶菓子を詰め込むクラウは不機嫌顔。わっしわっしと高級菓子を咀嚼して、茶で流し込んでいる。


 ここは使われなくなって久しかった、ミレル王城の部屋の一つ。現在私の執務兼生活の場となっている部屋の寝室だ。

 神殿で刺された後、応急処置を施したフレドリックを意識の無いままここに移した。

 急ごしらえながら、神殿から執務の場所として移動したこの私の部屋が、今のミレルじゃ最も警備が厳重なんだもの。

 ミレルが神聖国を宣言しはじめてからずっと、閉めきられていた場所。ここが新たなミレルの政治の中心になる。新たなってのはおかしいかな。中心に戻るっていう方が正しいかも。もともと王政だったミレルの中心は、数百年ずっとこの王城だったのだから。神殿が中心に移ったのなんて、たかだか百五十年。


「さすがはラザー様の護衛頭でいらっしゃる。全て筋肉なのかと思っていました」

 目を覚ましてから二日が経ち、フレドリックの口もすっかり本調子みたい。


「は? 何が! 何が全部筋肉なんだよ。ちょっと表でろや、チビッ子」

 事後処理に追われて、へばっていたクラウも本調子。二人とも二十年近くぶりの再会だっていうのに仲がいい。ちょっと妬けてしまう。


「そりゃクラウの脳ミソがでしょ。本当に意外よね。あなたが治癒魔術を習得していたなんて。昔は違ったじゃない。剣一本でラザー様をお守りするんだーって言い切って」

 少なくともライラとして同僚だった時は、魔術なんて使えなかった。どちらかというと術師の類を敬遠していたくらいで。


「もちろんラザー様のことは剣で守ってみせるさ。傷なんか負わせねえ。でも、護衛対象以外が傷負うことだってあるだろ。ほら、部下とかがさ」

 がしがしと頭を掻きながら、何故かバツが悪そうにしてる。昔は魔法全般に偏見を持っていたからでしょうね。

 確かにそんなクラウのお蔭で、フレドリックは助かった。


「奥様が治癒術の方なのですよね。教わりたいと直談判して、そこから落とされたとか。それはもう有能な方で、出産と子育てで引退されて、軍属治療師の方々は随分大打撃だったと」

「そうなの? ちょっとー、奥さんとの馴れ初め話、なんで私には教えてくれないのよ」

 治療の時にカイスベクファ軍医の方に伺いました、と付け足すフレドリックの声を受けて、勢いよくクラウの方に振り向き半目で文句を言う。


「教えたらお前はラザー様の御前で俺の恥ずかしい話とかぺらっぺら話すつもりだろ。もう同じ失敗はしねえよ。五年前の時もライラがミレルに戻ったあと、昔語りをしろとラザー様にずっとチクチク言われて大変だったんだぞ。てかチビッ子お前もお前だ。その状況なくせに、どうして俺に喧嘩売りまくるんだ」

 クラウがこちらを指さしてきた。人を指さしちゃいけないって、教わらなかったのかしら。


「病み上がりですので、ライラ様に支えて頂いているだけですが」

「支えてあげているだけよ」


 寝台の背もたれ部分に枕やクッションを置いて、フレドリックは私に凭れるようにして上半身を起こしている。その身体を隣で私が支えているだけですが、何か?


「背もたれあるならいらんだろ」

 というクラウの独り言じみた声は、無視を決め込む。

 そんなの自明だ。

 一度失いかけたショックで、フレドリックに触れていないと私が落ち着かないのよ。

 優しい元部下は、そんな我儘に文句も言わず付き合ってくれている。


「言っておくが、お前が手を出さなくても、そいつは俺の護衛範囲だったんだからな」

 フレドリックが私を庇って傷を負ったことが、クラウは面白くないらしい。

 訪問してからずっと不機嫌顔なのは、これが原因なのかも。

 あの時の私はクラウの護衛対象で、彼は他者が手を出さずとも、私を守れる位置に居たと自負している。


「それでも私が守りたかったのです。……二度とあんな思いは御免ですから。クラウ様が治癒魔術を習得されたことと、同じです」

 二人の間で、私の知らない視線と無言の会話が交わされる。

 なぜか口を挟んではいけない気がして、睨むように視線を逸らさないクラウと、凪いだ笑みでそれを受け止めるフレドリックを交互に見た。


 私だってあんな寿命が縮みそうな思い、二度と御免ですからね。


 フレドリックの手から力が失われてゆく姿がぶり返す。ぶるりと身震いをして、生きていることを確認するように縋りつく。温かい身体は傷のため少し熱を持っている。気だるそうな手が、それでもそっと背中に回される。

 良かった、生きてる。


「ああもう、わかった。じゃあそのまま聞け」

 クラウは溜息と共に、ラザー様の勅命を口にした。



『ミレルの司祭イソラ・ヘンネベリは、先日の負傷で亡くなった。フレドリック・ハルベントは傷が塞がり次第、護衛頭と共にカイスベクファへ帰還するように』


 確かに落としどころはこれしかない。

 私はこれからミレルの立て直しを、女王として行わなければならない。

 ミレルは未だに書類の上では王政をとり、一の姫である私は正統な王女の立場になっている。国の引継ぎの手続き上は、何ら問題なく進めることが出来る。

 その横に、大司祭の養子であったイソラ・ヘンネベリがいる訳にはいかない。

 たとえ彼の活躍無くして、ミレルが神殿と大司祭から解放されることがなかったとしても。



 ・・・・・・・・・・



「ライラ様」

 突然かけられた声に、慌てて振り向く。フレドリックが部屋の中央に佇んでいる。

 だから、足音は消さなくていいってば。


「ごめんなさい、ペンの音煩かったわよね。もう書き終わったから」

 明日の明け方には発ってしまうフレドリック宛の手紙。本人にばれないようにと、少し焦り気味に隠す。

 ラザー様とクラウ宛はすでに書きあげてある。


 目を覚ました途端、傷が塞がるまで別室で世話になると固辞しようとしたフレドリックを、無理やり私の寝室に引き留め続けた。

 そのままずるずると滞在日程を延ばさせて、二週間。

 引き延ばすのももう限界だと、お怒りのクラウに唸るように告げられたのが今朝のこと。


 つらつらと書き連ねた手紙は、相当な分厚さになってしまった。思いの丈を文章に込めていたら、ついね。封筒に封が出来るかしら。入れたら封筒が立ちそう。それより重くてどん引かれそう。

 もういいから詰めてしまおうと、封筒を手に取ったところで、後ろから思い切り抱きつかれる。


 え? ちょっとまって、痛い。

 絞めてるっ。めっちゃ腕食い込んでる!


「フレドリック痛いんだけど! その前に貴方の傷が開く。流石にクラウがキレて、開腹状態で簀巻き連行されちゃうわよ!?」

 降参の合図に、前に回された腕を叩くのに、一向に離してはくれない。それどころか、さらに絞め付けが強くなる。え、背骨でも折ろうとしてるの。


「会えるのは今晩が最後なんですよ。それなのに、俺のことはミレルの件が終わった途端お払い箱で、愛しいラザー様にはそんなに厚い手紙をしたためて」

 ん? もしかして、ラザー様へ報告書を仕上げてから眠るって言ったから、勘違いしてるの。


「いや、これは貴方あてだから」


「俺あて?」

 内臓を押し出そうと画策してるんじゃないかって絞め付けが弱まった。

 ほっと一息ついて、続ける。


「そもそも愛しいラザー様って、何のこと?」

 そりゃあの人は敬愛する主だけれど、顔を思い出すと胃痛がしてくるくらいには、無茶ぶりな上司なんですけれど。


「いつも、朝の執務室で言っていたじゃないですか。ラザー様が『私の可愛いライラ』って。そうするとライラ様は嬉しそうに、我が君って応じて。お二人は……当時は身分違いの恋をされていたのでしょう?」

 苦しそうに告げるフレドリック。私は――


「はあああああ!?」

 顎が外れるほど口を開けて、大声を上げてしまう。


 驚いた扉の外の護衛が駆けつけてしまうくらいの大声だった。椅子に腰掛けた後ろから、フレドリックに跪いて縋られる(実際は少し前まで内臓圧迫で絞められてただけ)という姿を目撃されて、無表情で何でもないと告げるのは、とってもとっても胆力が要った。表情は取り繕ったものの、羞恥で染まった顔の色は隠せなかったはず。明日どんな噂が王城を駆け巡るのか、怖い。


 人をぎゅうぎゅうと後ろから掴んだままのフレドリックを引きずって、寝室に移動する。

 音漏れ防止はやっぱり寝室ですよね! 

 毎回寝室の活用方法として、絶対に間違ってるわこれ。


 引っ付いて離れないフレドリックを剥がすのを諦め、両腕に囲われたまま向き直る。

 向き直る時だけ自然と力を緩めるとか、ちょっと二人して手馴れ過ぎている。

 数年かけてこの近さに慣れ過ぎて、違和感を感じないなんて末期症状も良いところ。

 だってもう、誰かが監視してる訳じゃないのに、この距離が当たり前になってる。


「それでいくとラザー様はあのクラウとも、道ならぬ恋を同時進行で繰り広げていたことになるけど、よろしいか」

 無表情で告げると、フレドリックが絶望したような顔をする。

「やっぱり三角関係だったのですね!」

「そんなわけあるかっ」

 何がやっぱりだ。

 思わず病み上がりの人間の頭に、スパンと平手を入れてしまった。


「ラザー様のあれは、決まり文句のようなものなのよ。古くから傍に居るものはみんな知っている、内輪の儀式のような掛け合いだったの。私やクラウ以外にも、今はラザー様の懐刀と呼ばれる、軍の参謀だってそうよ」

 叩いてしまった頭を撫でてやると、フレドリックから緊張が取れていく。


「そんな事誰も……。貴族達はその件を当てこすってきたりもしましたし」

「当時はそれも目的だったから。貴方だってもうちょっと長く居れば、自然と気付いたのにね」

 くすくすと笑いながら撫で続けていると、気が抜けたのかこちらに寄りかかってきた。もごもごと肩口で何か言ってる。くすぐったい。


「俺はもう子供じゃありません」

「うん」

 知ってる。若く見えるけど三十代よね。


「なのにずっと子供扱いで」

「ごめんね」

 だってそうやって元上司としての体裁を保ってないと、期待をしてしまいそうになるから。


「もう会えなくなるのに」

「そうだね」

 貴方が会いたくないなら、会う必要のない立場になる。


「気付いてますか? 大司祭はもういない。俺達は設定に沿った演技をする必要なんてない。なのに、ライラ様は相変わらず俺の接触を許してる」

 だってそれは、まるで想い合っているようで、幸せな空想に浸れる時間だったから。


「フレドリックこそ。もうこんな風に付き合ってくれなくて良いのに。貴方は昔から良い子すぎるから」

 そう言った途端、視界が反転した。

 視界に入った薄暗い天蓋のレースに、細かな水晶で星座が縫い付けられている。初めて気が付いた。急ごしらえなのに、私の好みを理解して選んでくれた女官達に感謝が湧いてくる。寝台の天蓋すら、満足に見る余裕を持てていなかったのね、なんて軽く反省しながら。彼女達には明日お礼を言おう。


「またそうやって無防備にぼんやりして。誰が良い子ですって? 貴方に触れられるのをこれ幸いと、浅ましい俺が何を考えていたかなんて、知らないくせに」

 私を組み伏せるようにしたフレドリックは、泣きそうな顔をしている。

 ぼんやりしたのがいけなかったのか。

 それとも。


「ごめんね、泣かないで。貴方の涙には弱いのよ」

 そう言って両頬に手を添えたら、胸の上に顔が落ちてきた。

 重い。

 人間の頭部は、意外に重量感がある。

 よしよしと、そのまま頭を撫でてると、くぐもった笑い声が聞こえてきた。


「ああもう。どうしたら貴女の心を射止められるんでしょうね。こんなに愛を告げても、何一つ届かない」

 何処か自棄になったような言葉に、頭を撫でる手が止まってしまった。

 それどころか、ガチリと身体の動き全てを止めてしまう。


 え? なに、愛ってなに。


「ライラ様?」

 変化に気付いたのか、フレドリックが顔を上げてこちらを見る。

 私はさぞや赤い顔をしていたことだろう。


「もしかして両想いなの?」


 私の言葉に今度はフレドリックが固まった。


「うわああああ! ごめんなさい、違うわよね。いい歳して自惚れもいいところよね、ごめんね忘れてええええ」

 恥ずかしくなって両手で顔を覆う。頬が熱い、穴があったら入りたい。


「…………は?」

 これまでで、一番ドスの利いた低いフレドリックの声を聞いてしまった。


「ごめんなさい、すみません、許してください」

「許しませんよ、何言ってるんですか。両想いってどういうことですか」


 がばっと顔を覆った両手が取り払われる。

 すぐに視線が合って、そこでようやく理解した。

 フレドリックの顔は、リプルの実みたいに耳まで真っ赤に染まっている。


 彼も一緒だったんだ。


 私は肝心な自分の心を伝えていなかった。

 さっきまで手紙にしたためていたから、自己完結して。あの分厚い手紙は、全部フレドリックへの想いだ。群青色の瞳に戸惑いが浮かぶのを恐れて、手紙に逃げた。


 ちゃんと目を見て伝えなきゃ。

 人はいつ道を絶たれるか分からない。

 過去の私のように。フレドリックが道を失いかけたように。


「好きよ。最初はたった二人の共犯者ってだけで、独占できたような気になって密やかに満たされてた。でもいつの頃からか、触れられるのが嬉しいのに、演技だと思うと苦しかったの」


 私の言葉の後、息を止めていたらしいフレドリックが吐き出した息とともに、幸せそうな笑顔を見せたから、告白して良かったと思った。


「愛しています。見習いの時は無自覚でしたけれど、再会してようやく気付くことが出来ました。どうして貴女を失ったのがこんなに辛かったのか。姉でもなく母でもなく、惹かれて恋焦がれていたのだと自覚して、もっと、年下の利点を生かして攻めておけば良かったと過去を後悔しました。再会して貴女だなんて気づかなかった時、もっと優しくしておけば良かったと臍を噛みました。俺は後悔ばっかりの浅ましい男です。だから大司祭と対峙した瞬間、貴女を救えて間に合ったと満足したと同時に、手に入れられなかったことを後悔したんです。……幻滅しましたか?」

「そんな訳ないでしょう! むしろ置いて逝ったら一生恨み続けたわよ」

 思わずフレドリックの両手を握り、首を激しく振る。


「俺だってそうですよ。貴女を失った時の苦しみなんて、もう二度と御免です。駄目ですね、ちゃんと二人で生きていないと。俺はもう、諦めないって決めたんです。貴女も、生きることも、幸せになることも諦めない」

「うん」

「ライラ様にも、あんな真似はもうして欲しくありません」

 両手を握り返されて、熱っぽく見つめられて、頷く。

「はい」


『あんな真似』は、ラザー様を庇ったこと。

 あの時の私は身軽だったから出来た。今は、私を失ったら身も世も無くなってしまうような存在を知ってる。きっと、もうラザー様に対して同じことは出来ない。

 相手がフレドリックなら、躊躇いなく一歩を踏み出してしまうけれど。


「ありがとうございます。では、早急にミレルなんて政情不安国家から身を引けるように計画を立てますね。任せてください、案なら練ってあります。ここ二週間、どれだけ迅速に貴女をここから引き下ろすかばかり考えてましたから」

 急に職務じみたフレドリックが、いい笑顔を向けてきた。

 さっきまでの蕩ける笑みとは違う。どう大司祭を追い込んでやろうかと練っていた時の、有能だけど敵に回しちゃいけない感じの方のフレドリックだ。ゴゴゴゴゴと、後ろで見えない炎が燃えている。


「フ、フレドリックさん?」


「なんでしょうか、急に敬称付けるなんて。俺に想われるのは気持ち悪いって思いましたか。でももう遅いですよ、ライラ様の気持ちは俺の耳に入ってしまいましたから。両想いですからね。言質は押さえてますので、取り消しはききません」

 輝くような笑顔と、言葉の内容が合っていませんが。



 その後小一時間正座で、ミレルをいかに早く引き払うかの計画を詰められました。



 ええと、私この人と両想いになった……のよね。



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