第3話〜全てはアップルパイの為に
僕が目当ての人物を見つけるのにそう時間はかかりませんでした。狐の尾のような後ろ髪を揺らめかせ、その手には小さなビニール袋が振り子のように前後していました。先程パン屋で見た後ろ姿、そしてパソコンで見た移動方向からして、彼に違いないと僕は確信を持ちました。僕は彼に駆け寄ると、迷う事なくその肩をポンと叩きました。
「ねぇ君! 待ってくれないか?」
彼はくるりと振り向くと僕の顔をしげしげと見つめ、そして眉をひそめたようでした。当然でしょう。僕が彼の買ったアップルパイを追ってきた事など微塵も気づいてはいなかった筈ですから。
「……何か?」
怪訝そうな彼の顔に、僕は自分の行動が些か軽率だったと反省しました。然しアップルパイを目の前に今更引き下がる訳には……。
「ん?」
僕は思わず声をあげていました。何故って? 彼の口元が汚れていたんですよ。そう、何層にも重なったあのバターの香り溢れる生地をぱくついた時につく、平たい独特の形の粉で。
「……だから、何か?」
彼の苛立ち混じりの声に僕は我に返りました。然し僕には出せる言葉がありませんでした。もしや、もう事は済んでしまったのでは……? その絶望感は言葉にならなかったのです。
真っ青な顔で呆然と立ち尽くす僕の顔を見て、彼は首を傾げるとそのまま立ち去ろうとしました。それで僕ははっとしました。まだ僕は為すべき事をしていない‼︎
「き、君は今パイを食べたんじゃないかい⁉︎」
気がついたら僕は、人々が行き交う道のど真ん中で、上ずった大声を上げていました。
目の前の彼だけでなく、周囲の人々まで僕をちらりと見ました。これは流石に恥ずかしかった。けれど僕はアップルパイの為に頑張ったのです‼︎
「どうですか⁉︎」
詰め寄る僕に目を瞠り、少したじろぎながら彼は頷きました。それが僕の心を打ち砕いたのは言うまでもないでしょう。僕はそのまま膝から崩折れ、地に手をつきました。
「お、おい! 何なんだよ⁉︎」
声だけで彼が完全に当惑している事は分かりました。目の前で見知らぬ少年が何故か顔を青くして土下座するとか、普通体験する事ではないですからね。僕にはその状況をきちんと説明する義務があったのです。
「……アップルパイが、食べたかったんです……」
僕は首を上げ、震える声で言いました。おそらくその時自分の眼には涙が溜まっていたでしょう。それをドン引き顔で見つめながら、彼は持っていた袋をくるりと回して言いました。
「アップルパイなら、ここにあるけど……」
聞き間違いかと思いました。信じられないと思いながらも、紅潮する顔を僕は彼へ向けました。
「へ? 君は今パイを食べたんじゃ……?」
「さっき食べたのはレモンパイだ。アップルパイはこの袋の中にある」
「下さい‼︎」
僕は全力の土下座をしました。例え熱に焼かれた鉄板が下にあっても、僕はやってのけたでしょう。僕のパイへの愛は並々ならぬものなのです。
けれども。
「嫌」
ばっと見上げた時の彼は、意地悪そうな目つきと不敵な笑みを浮かべていました。
裏ペクトラ劇場
ミーチャ:一月忘れられた僕のスピンオフ……
ウィル:夏のせいだよ。あと本編が割と大事なとこだからな。
ミーチャ:泣きます……
ウィル:それよりこれ、次回で食えるんかね⁇
ミーチャ:食べますよ‼︎ 絶対‼︎