序章
“この世に生を受けたこと”
それこそが自分の罪なのだと母は言った。
白い息を短く吐き出しながら少年は考える。
では一体自分に与えられた罰とは何なのだろうか。
実の母親に刺客を送られるほど憎まれること?
凍える夜に雪を踏み分けながら追っ手から逃げること?
少年は思いつく限りのことを浮かべてみたけれど、どうにもしっくりと来ない。
母上に愛して貰えないのは辛くて悲しかった。
雪の夜を駆けるのは寒くて心細かった。
疎みや蔑みの視線や言葉は冷たくて痛かった。
けれど、ただそれだけだった。
幼いころはそれに絶望したり、苦しんだりもしたけれど、今はもう何も感じない。
いつしかそれが少年の中で当たり前のことになっていたからだ。
なによりも少年は見つけてしまった。
この手をしっかりと握りしめる大きなこの手があれば他はどうでもいい。
そう思ってしまう存在を。
“母”よりもよほど大きな存在を見つけてしまったのだ。
剣を振るう者特有のごつごつした、けれど父のそれより小さい温かい掌。
自分より何歩も先を歩く青年が自分のために歩調を緩め、時折気遣う様に少年を振り返ればそれだけで少年は満足だった。
彼がいるから少年はどんなに暗くて寒い夜でも力の限り走れるし、息が切れて、苦しくても繋がれた手を離さないでいられる。
どんな状況であっても諦めずに前を剥いていられる。
自分の手をひく青年こそが少年の世界であり全てだった。
はらり、
純白の花が少年の頬を撫でた。
ピリッとした痛みと共に純白が水滴に変わる。
「また降ってきてしまいましたね。」
絶望的な状況の中、少年の手をしっかりと握って青年は困ったように笑った。
気がつけばそこはいつか青年に連れてきてもらった二人だけの秘密の場所だった。
父が治めるこの国が一望できる丘の上。
少年はハッとした様に青年を見上げる。
青年はいつものように柔らかく微笑んでいた。
まるで自分たちを追ってきている存在など最初からなかったかのように。
ただいつものように穏やかな笑みを浮かべているのだ。
「しばらく此処でじっとしていてくださいね。」
ふわりと今まで青年が着ていた羽織りが少年を包み込む。
まるで青年に抱きしめられているようで酷く落ち着いた。
合点が言ったようにギュッと羽織を握りながら少年は頷く。
青年はそれに笑みを零し安心させるように頭を撫でると木の陰から躍り出た。
紅色に染められた真白を見て少年は思った。
あぁ、これが自分に与えられた罰なのだと。
自分の元に戻って来た優しい手はあの時自分の頬を撫でた六花より冷たかった。
まるで女性のような艶やかな黒髪は乱れて、雪に溶けた肌は地面と同じ紅に染まっていた。
この世に生を受けたことが罪だと言うのなら、その罰は大切な者を奪った世界を享受し生きていくことなのだろう。
少年は忘れない。
世界から彩りを奪った真白を。
最愛を隠した緋色の六花を。
嘲笑うように輝く蒼月の夜を。