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翌日、俺は普通の生徒より一時間ほど早く学校に着くため、早めに家を出て、学校へ向かっていた。花が散り、葉に変わりつつある桜は周辺の道路を桜色に染めている。風も昨日と比べるといくらか温かくなった気がする。それでも俺の気分はリラックスしていなかった。
なんでも図書委員は毎朝のホームルーム前に図書館を開放しているらしく、そのときにカウンターで店番ならぬ図書館番をする役目があるという。とは言っても現在の図書委員は俺を含めても灯さんと藍さんで三人だ。今は先輩二人で一日ごとに当番の
交代をするんだとか。
「こんないい日なのに、俺は早起きして学校に行ってるのか」
そして灯さんの当番は今日で、俺にいろいろと委員の仕事を説明する必要があるとかなんとか言って明日(つまり今日)の朝に登校するように、と指示した。
「疲れる仕事がなければいいが……」
言ってからの大あくび、家を出た時間は五時三十分、その一時間には起きていたのだ。睡眠不足というのには十分だろう。自転車登校も楽ではない。
「朝から眠そうにしてるわね、昼ごろには永眠してるんじゃない?」
後方より言語型核爆弾
「うおっ」
この当人からさわやかに流れ出る毒、俺はまだこのようにコミュニケーションをとる人間は一人、心当たりがある。とりあえず自転車だから後ろから近づいてくるのはわかったものの、まさか灯さんだとはね。
「何で自転車なんですか」
昨日歩いて駅に向かってただろ。しかもここが田舎だとか何とか言って
「だって私あんたと同じ中学校の卒業生だもん、自転車でも行けるわよ」
委員長、大胆カミングアウト。
「それ、本当ですか?先輩がいたのなんて知りませんでしたよ。ていうかそれならどうして昨日は歩いて帰ってたんですか?」
俺の推測が正しければだが、この人は昨日駅まで歩いて行き電車で帰ったはずだ。
「ああ、あれね、親がこの辺で働いてるから帰りは時々一緒に乗って帰るのよ。あと先輩じゃなくて、灯さん」
やはりはずれるか、まあそれもそうだ。俺は見ていたわけではない。
「ねえ、遼」
そういえばこれが家族以外で呼ばれた初めての呼び捨てだ。他意はないが、喜びと変にぎこちない感じがして本当に呼ばれているのが自分なのか、複雑だ。しかしまあ、朝と言うのは眠いものだ。
「…なんですか」
「校門、通り過ぎてるわよ、グズ」
「ああ」
気付いて振り向くと五十メートルほど後ろに錆びた鉄の柵が半分開いた門があった。乗ったままUターンしてもよかったのだが、眠すぎてそこまでしっかり運転はできない、仕方ないが自転車は降りて押した。
図書館に入ると、坂本藍(以下坂本)さんがカウンター席に座って本を読んでいた。俺が引き戸を開くと人が入ってきたことに気付いたらしい。俺は眠気と今にも出そうなあくびをかみ殺してギリギリ母音にならない程度の声で挨拶をした。
「おはようございます」
「あ、おはよう・・・・・・」
「早いですね」
「他にやること無いから・・・・・・」
話が続かない。坂本はこの会話の間読んでいる本から視点を移そうとしていないし、俺は俺で話題を提供しようとか場を盛り上げようとかいうような類の意思は全く無い。
要するに、会話はこれで終わったってことだ。
「ちょっと遼、話なんかしてないでこっち来なさいよ。私が何のためにあんた呼んだと思ってんのよ」
「あ、そうでした」
何だったかな?
「ほら早く、返却された本を書架に戻すからついてきて」
そう言って俺に本を渡す。腕を伸ばして手に引っ掛けるようにして持つと、一番上にあったヘミングウェイ『老人と海』がみぞおちに触る。これが結構な重さだった。
「推理系はここ、頭の数字が3のやつ、いわゆる三類書架ってやつね」
そう言って俺の腕につんである本から一冊抜き取り、作者の頭文字で五十音順に並んだ本たちの間に差し込んだ。ちなみにその本はコナン・ドイルが書いたもので、コのちょうど真ん中あたりに戻された。
「わかったかしら?番号は窓側からその反対側に向かって増えていくから、番号と文字あわせて入れていってね」
そう言って一番上のヘミングウェイを取ってカウンターへ向かっていった。借りるつもりなのだろうか?
「ま、ゆっくりやるか」
五分ほどたっただろうか、大体が物語だから番号にさほどズレは無かったものの、普通の文学小説ばかりでなくライトノベルなんかもいくつかあって文庫本とハードカバーの棚を3回ほど往復したところで片付いた。
「腰がちょっと痛いな」
眠気は運動したから吹き飛んだものの、朝からかなり疲れてしまった。今日は入学式の次の日だから授業らしい授業は無いだろうが、教師が自己紹介などをするそれはそれで大事な日だった。
「りょ~う」
変に間延びした感じに呼ばれる。
「次、これ戻して~」
床に敷かれた新聞紙の上にうずたかく積み上げられた本があり、灯さんはその向こう側にいるようだった。
「マジかよ・・・、灯さん、あと五分ちょっとで授業始まっちゃいますよ」
「それに関しては大丈夫、私がこのあと一年の学年担任に話してくるから。いい?放課後までに終わらせておきなさいよ。あと、そいつら昨日配達されたばっかりのやつだから。読めなくしたら保険金で払ってもらうからね」
それだけ言うと灯さんと坂本藍は積まれた本の置くから姿を現し、出て行った。
二人が出て行ったあと、俺は自分より背の高いそれを見上げた。ほとんどが文庫本だが、これだけあると壮観だった。
「まあいい、暇つぶしにはちょうどよさそうだ」
俺は今日の授業はどうなるのか気になりながらも、氷山ならぬ本山の一角を切り崩し始めた。
さて、そうしてとりあえず朝から昼まで延々と本を持っては書架に入れるという作業を続けてきたわけだが、これはかなりの重労働だ。一回に本を二十冊近く抱きかかえながら書架に入れていき、持っている本がなくなるとまた書籍の山に帰っていく。
そんなことを続けていた結果、腰と指がスムーズに動かなくなってきた。
「休憩ついでに飯でも食うか」
カウンターの、他よりちょっとクッションが柔らかい椅子に座り、かばんから弁当を出す。
いま、俺以外の生徒は全員四限の授業中だ。
「なんか、新鮮だな」
そうひとりごちって、弁当のふたを開けた。げ、ご飯がかたよってる。自転車のかごに入れたとき横になってたか。
弁当を食べた後は、朝からの眠気に勝てず寝てしまった。だがそれは仕方の無いことだ。寝た時間は十二時以降で起きた時間は四時半だ。むしろよくここまで起きていられたと褒めてやりたいところだね。そこで俺は人目もなかったし、そのままカウンターのテーブルに突っ伏して寝てしまった。
「んごっ」
自分の声だと気付いたのは数秒たってからだった。
「アホ!やることすっぽかして昼休みの終わりまで寝る奴がいるか!」
灯さんに怒鳴られたようだ。隣に坂本藍、手には朝に持っていったヘミングウェイをつかんでいる。縦にやられたのか、なるほど頭が響くように痛い。
「放課後までじゃないですか」
「半分しか終わってないじゃない、どうするの?」
「う~ん」
見ると巨大な本のかたまりは俺の胸あたりまで身長を縮めている。
「多分終わりますよ」
半分寝ぼけているせいか、舌がうまく回らない。
「絶対終わらせなさいよ、放課後は図書館閉めて三人で食べに行くから」
「は?」
頭を叩かれバシン、と音がする。
「言葉遣いに気をつけなさい。そう、だって私達まだ本来の活動してないもの」
「本来の活動?」
授業開始三分前のチャイムが鳴る。
「それは後で話すから、今はもう少し近い話があるから、そっち優先できいて」
坂本がなにやら視線を泳がし始める。
「藍ちゃんこれから放課後まであなたと一緒に書架整理のほう手伝うから、よろしくね。それじゃ」
「あ・・・」
灯さんは急ぎ足で図書館を出て行った。俺と坂本が残される。
「それじゃ僕は本を戻すので、藍さんはカウンターに僕が一回に持っていく本を積んでおいてくれますか?」
この本を並べるという作業はかなり体力を使う仕事で、到底女子に任せられると思えたものではない。その点俺は要領はわかってきたし、結構作業のほうはそれなりにできるようになってきた。
それなら流れ作業のように分担したほうが早い、と思ったのだ。
「いえ、私もやります」
意外だった。この女子は自分の意見が言える奴だった。物静かだからてっきりあまり自己主張の得意でない人なのだと思っていた。
「僕一人で大丈夫ですよ」
「でも私書架整理できるし、それに遼くんかなり疲れていそうだから」
俺は少し考えて
「やるんですか?」
坂本藍は小さくうなずいた。
さて、それで書架整理の作業に移ったわけだが、最初の三十分で残りの本はくるぶし程の高さにまで片付いてしまった。俺は午前中と同じくへーこらやっていたのだが、坂本藍という女子が加わったことによって整理のスピードは加速度的に速くなった。
そんな坂本と先ほど目が合った。彼女は頬を上気させてこんなことを言った。
「もうどれがどこに入るか覚えてるんだ」
なるほど、さすが図書委員だった。俺もそうなんだが、やはりやっている年数が違う。
片付けが終わり、放課後までの時間は1時間ほど残っている。俺は図書館の中をうろついている。本当は本が痛むからいけないのだが、そこはたかが高校図書館でどうこう言えた話ではないし、そんなことよりその窓から日が差し込んでいて暖かい。
「今日、あったかいね」
坂本藍が、図書館のどこかから話しかけてきた。
「そうですね」
なんとなくそう答え、流れる沈黙。俺は別に苦にならないからこのままでもいいと思ったのだが、向こうはそうは思えなかったようだ。
「遼くんってさ、結構言ってることとやってることが違うよね」
「え?」
俺は全く意味がわからない、
「それって、一体どういう意味ですか」
「あ、ごめん。今の言い方だとちょっと言葉の取り違いがあるよね。自己紹介のとき遼くんはもう頑張らないことを決意したような感じだったのに普通に頑張って本の整理してるなあ、と思って」
そういった意味で言っていたのか、俺は一体どこの俺の発言がそう言われるようになってしまったのか少し不安だったが、なんだそういうことか。なら簡単に説明できる。
「ああ、あれは自分からの行動は面倒だって意味で、人から何かしろと言われるのはなんとも思わないんですよ。言われた後はロボットみたいにして動くだけ、みたいな感じで」
うまいこと説明ができた。とこのときは思った。
「そう、なんだ」
「それにしても今日はしゃべりますね」
「うん、それでね、一つ遼くんに話しておきたいことがあるんだ」
「唐突ですね」
「うん、灯ちゃんは話さなくてもいいって言ったんだけど、やっぱり悪いな、と思ったから」
何だろうか、当然俺と話しているときに出す内容だ。俺と関連していることなのだろう。
「遼くんが来てからね、かなり詳しく遼くんの周りのことを調べさせてもらったの。遼くんの行ってた小学校と中学校に二人で取材に行って、これまでに何が遼くんの周りに起きたか事細かに調べたの」
なんとまあ、中学のみならず小学校まで行くとはね。それにしてもちょっと坂本、少々シリアスな感じになってきてるな。
「そしたらね、調べていくうちに私とちょっと似た境遇にあったんだなあ、と思えてきたんだ。それで私変な仲間意識を遼くんに持ってきちゃって」
なるほど、だからここまで饒舌になっているのか、俺としては別に誰が仲間意識なんぞ持とうが関係はないが、境遇が似ていると言うのはいまひとついただけない。俺と似た境遇なんて俺の近くにあるはずが無い。あって欲しくもない。
「僕と似てるって、一体何を根拠にしてそんなことを言ってるんですか?」
少々怒り口調になってしまった。それから少し間をおいて
「私ね、ここの高校に入学して一年は遼くんみたいな感じだったの。よーし、何にでもがんばって、全部成功するぞー、ってさ。でも現実はそうも甘くないんだよね、周りの人たちは頑張ってる人をさげすんだり、あわれんだりする。そして頑張ってる人は、」
そこで黙ってしまったが、おそらく続きの言葉はこうだ。
「頑張ってる人は独りになる」
そこからまた坂本は言葉をつむぎ始める。
「そう、そして独りになったら最後、集団に入るのも難しいし成功することも困難になる。まさに袋小路に立たされちゃうってわけ」
そして、天敵である『集団』は自分達の環境が変わるまで唯一の通り道であるもと来た道をふさいで待ちかまえている。
「でもね、そんな袋小路を突き破って引っ張り出してくれた人がいるんだ」
まさかとは思ったが、それ以外に思い当たるふしは無い。おそらくこの珍妙な委員会に俺を引き込んだ人物。
「灯さんですか」
長く話す流れになりそうだったから先に言ってしまったが、はてさてどんな顔をされただろうか、館内にいるのはわかっても、どこにいるかまではわからない。
十数秒たっただろうか
「そこまでわかってるなら十分だね、悪いけど私はこれから読書に没頭することにしたから何の質問にも答えないよ、放課後まであと三十分、静かにしててね」
静かな声で返ってくる。俺は「わかりました」と一言いって、灯さんが来るまで延々と図書館の中を歩き回っているほかになかった。
授業終了のチャイムが鳴り、廊下を歩く音が増える。どこからかパタンという本を閉じる音、次いで図書館のドアを開ける音。灯さんだ。
「よし、ちゃんと片付いてるわね、それじゃさっさと会議室に移動するわよ」
言いながら外へ出て行こうとする灯さんと続いて坂本。
ん、まてよ?会議室?たしか食べに行くという話ではなかったか?
「遼くん、私達はこれからファミレスに行くんだよ」
なるほど、そこで食べながらゆっくり週末どこ行こうか?みたいな事でも話し合うのだろう。
「早く来なさい、鍵閉めるわよ」
こうして俺たちは本日の図書館業務を終了、駐輪場に向かいながら考える。
「ファミレスか・・・・・・」
思えば家族以外で外食なんていうのが久しぶりだ。
外へ出るともう日は沈み、薄暗くなりつつある。ファミレスへ向かう途中、ふと気付いた。
「そういえば、一体何を話し合うんですか?」
灯さんは一瞬怪訝な表情を見せたが、
「ああ、考えてみればあんたに教えるの忘れてたわ、まあ内容としては、そうね、今週末みんなで何かして遊ぼうってとこよ」
なるほど、新メンバーの俺が入って話も思うように進みそうに無い、さからついでに晩飯も食べちまえってことか。
「灯さんって結構合理的な人なんですね」
「何それ?私はただ食事をしながらのほうが会話がスムーズに運ぶからそうしてるの。それに私一人暮らしだからせめて食事くらいは複数人で食べたいってだけ」
なんと一人暮らしなのか、高校生にもいくらか一人暮らしという方法で暮らしている人間がいるのか。口が悪すぎて家を追い出されたんじゃあるまいな。
「ほら、言ってる間についたわよ、春とは言ってもまだ寒いし、中なら暖房きいてそう」
言いながら小走りで店へと入る灯さんは、どことなく何かを隠していそうな感じがした。
実際はそうじゃなかった、隠し事なんて何も無かった。だがしかし、この変な感覚は後々別の形で襲いかかってくる。このあと、とんでもないトラブルが俺たち、特に俺以外のメンバーに降りかかることになる。