【連載版始めました!】「お姉様ばかりずるい」が口癖な欲しがりの妹に浮気性の婚約者、終わってる領地、代々続く借金も全部譲ってあげることにした
「お姉様ばかりずるい!」
グランブル伯爵家の応接間に、甲高い声が響き渡る。
その声の主は、綺麗なブロンドをくるくると内巻きにカールさせた少女、グランブル伯爵家の次女であるリリアーナ・フォン・グランブルだった。
彼女の向かい側に座っている姉のエレノア・フォン・グランブルは妹の言葉にわずかに眉を顰めながらも、困ったように曖昧な笑みを浮かべる。
またいつものあれが始まったかと思うが、口には出さない。
「今度はどうしたの、リリア」
「どうしたの、じゃないわ! そうやっていっつもすまし顔でお姉様ばかりがいい思いをして……私はいっつも我慢してばっかりじゃない!」
「そんなことないわ、あなたはなんだって欲しいものを……」
「うるさいうるさい! ねぇ、お姉様はいろいろなものをたくさん持ってるんだもの、アルフレッド様くらいくれたっていいわよね?」
リリアーナはそう言うと、隣にいる男の胸へとしなだれかかった。
アルフレッド・フォン・ローレリア。
毛織物を有名としたローレリア伯爵家の嫡男であり、エレノアの婚約者でもある男だ。
整った顔立ちに陽光をたっぷりと浴びた麦の穂を思わせるきらきらとした金の髪を持つ彼は、社交界ではいろいろな意味で注目を博している男だった。
彼は巷で貴婦人達にため息を吐かせるような憂い顔を浮かべながら、眉を下げて頭を下げる。
「すまないエレノア。私はリリアのことを愛してしまったんだ」
「……」
彼が部屋に入るなりリリアーナの隣に座った瞬間、なんとなく想像はついていた。
実際に言葉にされればもっと衝撃を受けるかと思っていたのだが、案外なんともない。
「愛のない結婚をしても、お互い不幸になるだけだろう? 故に君との婚約を破棄し、私とリリアの関係を認めて欲しい」
「ええ、構いませんよ」
「もちろん、君の気持ちは十分理解して……え?」
「ですから、構いませんと言いました」
アルフレッドは目を白黒とさせていた。
エレノアが縋ってくるものだとばかり考え、アテが外れたのだろう。
婚約者としての二人の関係は、決して悪いものではなかった。
だがそれはあくまでもエレノアがそう見せていただけ。
彼女は内心では、アルフレッドへの愛情をほとほと尽かしていたのだ。
何せアルフレッドの浮気は……これで十一回目になるのだから。
一度目はただの友達だという幼なじみの女の子だった。
二度目は社交界で知り合ったという美人な子爵令嬢で、三度目は同じ伯爵家の妻だった。
そして女関係で後始末をしてきたのも、エレノアの仕事だった。
相手の家への謝罪や、場合によっては慰謝料の支払いなどの工面も行ったし、更には彼が女と遊ぶための遊興費すらもエレノアが捻出していたのだ。
婚約者として、もう十分に役目は果たしただろう。
愛のない結婚は互いに不幸になるだけ……なるほどたしかに、アルフレッドの言う通りだ。
「……お姉様、本当にいいの?」
「もちろんよ、アルフレッド様とどうぞお幸せにね」
「後から返してっていっても、もう遅いからね!」
「ええ、返品不可でお願いするわ」
「返品……?」
リリアーナが首を傾げていると、ガタンと部屋の奥の扉が開く。
見ればそこには父であるグランブル伯爵の姿があった。
どうやら彼女は既に、父の方も抱き込んでいるらしい。
「話は上手くまとまったようだな。良く出来た姉は妹の幸せを第一に考えるものだ」
父は長女であるエレノアには厳しく、年が離れた妹であるリリアーナには非常に甘い男だった。
お前はしっかりしているのだからと、昔からエレノアはいろいろなものを押しつけられてきたのだ。
昔のことを思い返していると、エレノアは妹がまたこちらを見て物欲しそうな顔をしていることに気付いた。
「でもやっぱり、お姉様はずるいわ」
「まだ何かあるの?」
「だってお姉様は、グランブル伯爵家の当主になるんでしょ」
「……それが何が?」
「グランブル伯爵家の広い領地も、そこから上がる税収も、このお屋敷も、全部お姉様のものになるんでしょ?」
「伯爵になるんだから、当然のことでしょう?」
「それがずるいって言ってるの!」
「……」
ひょっとして……とエレノアは密かに自分の指を折る。
彼女が譲りたいと思っていたのは、何も浮気性の婚約者ばかりではない。
「あなた、伯爵になりたいの?」
「もちろんよ! アルフレッド様と結婚して、その子供にはグランブルとローレリア二つの大貴族の領地を持たせてあげるの!」
妹の言葉にエレノアは天を仰いだ。
妹は昔から、自分の物をなんでも欲しがる子だった。
甘いお菓子や綺麗な宝石、お姉ちゃんなんだからの一言で全てを妹に譲ってくる人生だった。
そのせいで我慢ばかり強いられてきた。
けれど彼女は妹がズルいと言ったことは一度もない。
「お父様、リリアに家督を継がせてあげるのはいかがでしょうか?」
「リリアを伯爵にか……」
考えている素振りを見せてはいるものの、前のめりになっているのはすぐにわかった。
グランブル伯爵家には嫡男がいない。
そのためエレノアが嫡子となりできた長男に家督を継がせる予定だったのだが……ゼスト王国において長子継続は絶対ではない。
「リリアが望むのなら、いいだろう」
「お父様!」
リリアーナの嬉しそうな言葉に破顔する父を見て、エレノアはこみ上げてくる笑みを必死になってかみ殺した。
「エレノア、家督をリリアに譲れ」
「承知致しました」
エレノアは深々と頭を下げる。
誰にも見られぬよう直角に俯かせた顔には……してやったりという笑みが浮かんでいた。
そんなに欲しいのなら……譲ってあげようではないか。
彼女が欲しがっている、全てを。
「お父様、今後お家騒動に巻き込まれるのは御免ですので、私はグランブル家から独立し、今後一切関わりを持たぬ旨の公証を作成してもよろしいでしょうか?」
「わかった。王都から公証人を呼んで正式な契約書を巻こう……これで満足か?」
「はい、ありがとうございます」
「……ふん、相変わらずかわいげのないやつだ。少しはリリアを見習えばいいものを」
そう言うと父は、嬉しそうにはしゃいでいるリリアーナとアルフレッドのことを見つめる。
リリアーナは自分が伯爵になれると大喜びで、父はそれを見て目を細めている。
この場に、自分の居場所は既にない。
エレノアはそのまま頭を下げてその場を辞することにした。
「半年……といったところかしらね」
誰に聞かせるでもなくそう呟いたエレノアは、長年背負ってきたものを全て妹に譲ることにした。
浮気性の婚約者、破綻寸前の領地、そして……三世代に渡り積み重なり、莫大な額となった借金を。
♢♢♢
グランブル伯爵家は、以前は王国でも有数の大貴族であった。
寒冷ながらも広大な農地と、豊かな鉱山。
特に金が出る鉱脈がいくつもあり、王都の社交界でも相当にブイブイ言わせていた時期があったという。
だがそれも、今から五十年以上昔の話。
減った採掘量をなんとかするために二代前の当主はより多くの金を採掘するため無茶な拡張計画を推し進め、結果として大規模な崩落事故を起こしてしまった。
瓦礫を取り除き人員を再配置するまでには時間がかかり、結局莫大な予算をかけても採掘量は復活しなかった。
先代の当主はなんとか鉱山業以外の柱を作ろうと酒造業に挑戦したが、それも失敗。
以前のようなペースで浪費を続けていたせいであっという間に財政は火の車になっており、現在の当主であるう父は借金の返済で首が回らなくなり、結果として更に借金をすることで工面をするという完全な自転車操業を行っていた。
現在グランブル伯爵家が抱える負債は金貨にして十万枚を超える。
既に利息が膨んでおり、それだけで税収の大部分が消えてしまうような状態だった。
それでもなんとか今日まで伯爵家が存続できていたのは、エレノアが必死になって領地経営を進めてきたからだ。
エレノアには日本で暮らしてきた前世の記憶があった。
故に彼女は前世知識を使い、なんとかして領地を立て直すべく頑張ってきたのだ。
堆肥を使った農地の改良。
大量の債権を持つ商会との折衝や借金の減額交渉。
無駄な支出の削減には特に力を入れており、エレノアは自分のために何かを買ったことなど、一度もなかった。
中でも彼女が特に力を入れていたのは、蒸留酒造りであった。
先代伯爵が失敗に終わらせた酒造業に着目し、それを発展する形でここを新たな酒の聖地へと変えるつもりだったのだ。
グランブル伯爵家は冷涼な気候で大麦の発育が可能であり、また山々から湧き出る清涼な湧き水にも恵まれている。
ここでなら、ウイスキーを作ることができるだろうとエレノアは確信していたのだ。
蒸留器の作成には既に成功している。
エレノアが所有する倉庫には、試験的に作られた蒸留酒の樽がいくつも眠っていた。
ちなみにこれは全て、彼女のポケットマネーから出している。
父には正式に事業計画を立案したが一蹴され、そのために取っておいた予算を使い込まれてしまったからだ。
「貴族は『貴族の酒』を飲む物だ。『庶民の酒』を飲むくらいなら、絵画の一つでも買った方が有意義というものだ」
そう言って彼はその予算を使って何がいいかもわからない抽象画を一枚買ってきた。
エレノアが何度説得しても、彼の考えは変わらなかった。
この国の貴族は麦からできるビールを『庶民の酒』、葡萄からできるワインを『貴族の酒』と呼んでいる。
蒸留という工程を挟むとはいえ麦を使って造るウイスキーのことを、父は頑なに認めようとしなかったのだ。
故にエレノアは自己資金で小さな蒸留所を作り、蒸留酒造りを進めた。
親交のあった職人達から作ってもらった蒸留器と、倉庫の中にあるウイスキーの樽。
これこそが、今のエレノアの持つ資産の全てであった。
これは伯爵家としての事業ではなく、エレノアが私費を投じて作り上げたものだ。
良さを理解しようともせずに全てを否定した伯爵家に、これを残してやる義理はない。
エレノアは蒸留酒事業だけは、手に残しておくつもりだった。
「お姉様、もう荷造りは終わった?」
荷造りがほとんど終わり使用人との別れを惜しんでいると、リリアの甲高い声が響いた。
「もう終わるわ」
「そう……この部屋は私の衣装部屋として使うけど、問題はないわよね?」
「わかったわ」
「それから、宝石や美術品も全部置いていってよね! あれは伯爵家のお金で買ったものなんだから」
「もちろんよ」
後の伯爵家当主として威厳を損なわぬために買っていた宝石も、彼女からすれば欲しがる対象であったらしい。
今後は着飾る必要もないし、宝石達も埃を被っているよりは使われた方が幸せだろう。
「お姉様、そのばっちいのは何?」
「ああ、これは先代様が残してたお酒造りに関する資料と……私がつけてた捕捉ね」
エレノアが机の上に乗せていた一冊の資料を見て、リリアが顔を顰める。
そこには使い込まれ色の変わった羊皮紙と、新たにエレノアが書き付けたメモが束になって並んでいる。
ウイスキーを作るに当たっての試行錯誤……成功も失敗も含めたこの四年間の記録が全て詰まった、エレノアにとっての宝物だ。
「そういえばなんか前に言ってたわね……『庶民の酒』を造るだなんて考えられないわ。あんな安酒、悪酔いしてすぐに気持ちが悪くなるもの。やっぱり私達貴族は『貴族の酒』を飲まないと!」
リリアとその点に関して言い争うつもりはなかった。
貴族がお酒を造るというのはあまり褒められたものではないという認識くらいは、エレノアにだってある。
まあそれも、貴族ではなくなった今となっては関係のないことだ。
既にやってきた公証人の面前で正式な契約書を結んだので、これからは好きなように過ごさせてもらうつもりである。
「リリアは、私が造るお酒の事業も欲しいと思う?」
「いらないわよ、そんなもの!」
こればっかりは誰にも譲るつもりはない。
リリアーナに聞いたのは、こう言われるとわかっていたからだ。
こんなことを聞こうとするなんて……私、性格が悪いのかしら。
そんな風に考えながら、エレノアは怒るリリアーナのことを見つめていた。
「私達貴族はお酒を造ってもらう側なの! ただの平民になったお姉様とは違ってね!」
そう言って鼻高々な様子で胸を張る未来の伯爵様に、エレノアは曖昧な笑みを浮かべる。 何もかもを与えられてきたリリアーナと、何も与えられず自分でつかみ取るしかなかったエレノア。
その違いが様々な結果として表れるのは、きっとそう遠い日の話ではないだろう。
引っ越しの手続きが終了し、公証人が王家に記録を提出したことで手続きは全て終わり、エレノアは家名を捨ててグランブル伯爵家を後にすることになった。
見送りにはグランブル伯爵とリリア、そしてアルフレッドが並んでいる。
「お前は強いのだから、自分の力で生きていけ。何があっても伯爵家を頼ったりはするなよ」
「かしこまりました」
視線を横にズラせばリリアはアルフレッドにベタベタとくっつき、アルフレッドはその腰に手を回して好色さを隠しきれずに笑っている。
どうやら自分が手続きに追われている間にいろいろとお楽しみだったようで、二人の関係はこの一週間足らずの間で大分進展していたようだった。
「これからは私が伯爵よ。私が上で、お姉様は下なんだから」
「そうね、頑張ってちょうだい」
「何よその上から目線! お姉様のそういうところ、昔から大っ嫌いだったわ!」
前世の記憶があり合計すると人よりも長い生を生きているせいで、どうも達観した見方になってしまっているだけなのだが……どうやらそんなところも、妹からすると気に入らなかったらしい。
「エレノア、私はリリアと一緒に幸せになるよ。君は本当に……未練はないのか?」
「ありません」
即答され、アルフレッドは面食らった様子で喉を鳴らした。
社交界で数多の浮き名を流してきた彼は、今までにこんな扱いを受けることはなかったのだろう。
そのままその場に立ち尽くすアルフレッドを放置して、エレノアは馬車へと乗り込んだ。
向かう先はゼスト王国の王都であるゼスティア。
彼女はそこで一人の商人に会うつもりであった。
馬車の中でエレノアは自身が持ってきた紙束を改めて読み返す。
その最後のページには、クラウス・ヴァルトシュタインの名が記されている。
彼ならきっと……自分が作ったものの価値に気付いてくれるに違いない。
「気に入ったわ、このドレスもちょうだい!」
エレノアが去っていった後、リリアーナは伯爵家の屋敷に仕立屋を呼びつけて新たなドレスを買っていた。
新たな伯爵家嫡子のお披露目会ということでドレスを必要としているという話だったが……果たしてそのために何着ものドレスを買う必要があるのだろうか。
「全部でいくらになるかしら?」
「そうですね、およそ金貨五十枚程度かと……」
『バルガス服飾店』の店員の一言に、執事であるセバスは目の色を変えた。
彼は叱られることを承知の上でリリアへと忠言をする。
「リリアーナ様、わざわざ新しいドレスを買わずともいくつも未使用の物があったはずです。今回のご購入は見送った方が……」
「うるさいわね、セバス! ただの執事が次期伯爵である私に楯突くんじゃないわよ!」
だがリリアーナはそのアドバイスに聞く耳を持たなかった。
セバスは頭を下げながら、机の上に並べられた書類に目を向ける。
その中には、今月中に支払わなければならない借金の返済期限が記されている。
その額……金貨一万枚。
今の伯爵家ではどう転んでも捻出することができない額だ。
エレノアは将来的な農作物の収量の増加や押し進めている事業の収益計画などの具体的な数字を見せることによって商人達を納得させていたが、彼女がいなくなりそれら全ての計画は白紙に戻ってしまっている。
こんな状況では、商人達も支払いを待ってはくれないだろう。
支払いを済ませてほくほくな様子のリリアーナを見ながら、セバスは誰にも聞こえぬようぽつりと呟いた。
「エレノア様、このグランブル領は半年も保たぬかもしれません……」
♢♢♢
エレノアは王都にあるヴァルトシュタイン商会へとやってきていた。
以前も一度来たことがあるが、やはり中に入るとその異様に圧倒されてしまう。
大貴族家にも負けぬほどの三階建ての豪邸は、このヴァルトシュタイン商会が持つ富の大きさを示している。
商会に入れば異国情緒溢れる毛織物が並び、自国では作れぬ果実酒や香辛料による複雑な香りが立ちこめている。
国を股にかけてあらゆるものを商うヴァルトシュタイン商会は、王国の国王であっても顔色を窺う必要があるほどの大商会であった。
「エレノア様、よくぞお越し下さいました!」
そう言ってエレノアを出迎えてくれたのは、彼女よりも一回りほど大きな銀髪を左右に撫でつけた偉丈夫だった。
理知的な青の瞳を持つ彼はクラウス・ヴァルトシュタイン。
ヴァルトシュタイン商会の若き商会長である男に、エレノアは少し恥ずかしそうな顔をして告げる。
「よしてください、自分は既に家を出たただの平民ですので。それで、実は以前お話ししていた第三のお酒の試作品ができましたので、ぜひご賞味いただければと思いまして……」
「おお、本当ですか! 計画を聞いてから長いこと心待ちにしていたのですよ、いやぁ楽しみだなぁ」
エレノアは伯爵家で用意できない資金を調達するため、自身の蒸留酒に関するアイデアをいくつかの商会に売り込もうとしたことがあった。
その時に唯一興味を持ってくれたのが、当時まだ若頭であったクラウスだったのだ。
エレノアが持ってきていた鞄から、一本のボトルを取り出す。
そして用意されたグラスへボトルを傾ければ、トクトクと粘性のある琥珀色の液体が器を満たしていった。
「これが私が造っている蒸留酒……それを三年ほど熟成させたものです」
「三年物ですか、ワインなどでは珍しくはないですが、はてさて……」
くんくんと香りを嗅ぎ、クラウスは目を見開いた。
ツンとするアルコールの刺激は、ワインやビールなどでは得られない強烈なものだ。
そのままグラスを傾け、蒸留酒を口の中で転がす。
「……蜂蜜のように甘いですね。ですがそれだけではない。樽由来と思しき苦みと青い果実を思わせるフルーティーさ……ベリー系のフレーバーが多いワインとはまたことなる趣です。これが本当に、大麦から造られているのですか?」
「はい。大麦を発酵させ、それを蒸留してから熟成を行って造ったお酒で、ウイスキーといいます」
「ウイスキー、ですか……」
クラウスがそのまま蒸留酒を飲む様子を、エレノアは固唾を飲んで見守っていた。
押しも押されぬ大商店であるヴァルトシュタイン商会の俊英に認めてもらうことができれば、蒸留酒は間違いなくきちんと売れるだろう。
彼の言葉は、今後のエレノアの進退を大きく左右することになる。
「間違いなく売れます……いや素晴らしいですよ、エレノア様!」
「……本当、ですか?」
「ええ、このクラウスが保証します! もし王国民の舌が肥えておらずに売れ残ったのなら、隣の帝国か海を渡ったジェボアに売りに行けば確実に捌けます。この高い度数とまろやかな口当たり。このお酒は……この世界の酒文化を変えるかもしれません」
「そ、それほどですか……」
ぜひとも商会でこのウイスキーを扱わせて欲しい。
そう言って頭を下げるクラウスを見て、今までの苦労が報われたような気分になった。
エレノアとしても自信はあったので一安心だが、今後のことを考えれば正直な状況を話しておく必要があるだろう。
「すみません、実はこのウイスキーはまだ生産量が少なく……それに商品をしっかりと生産ラインに乗せるまでには、初期投資がかなりかかってしまうのです」
「それなら私が出しますとも。これほどのお酒が投資が足りないからなどというくだらない理由で埋もれてしまうのは、世界の損失だ」
クラウスはパチリと、エレノアにウィンクをしながら続けた。
「以前は果たせなかった約束を、会頭となった今こそ果たさせて下さい。エレノア様、二人でこの世界にウイスキーを広めていきましょう」
「クラウス様……ありがとう、ございます」
エレノアはぺこりと直角に頭を下げる。
こんな風に認められるのは、今世では初めてのことだった。
目を赤くするエレノアを見て笑うクラウスは、優しい顔をしながらこくりと頷いた。
「これからはぜひ、自身の夢のために働いてください。あなたはあまりにも自己犠牲が過ぎる」
こうしてエレノアはヴァルトシュタイン商会からの出資により、本格的なウイスキー製造へ舵を取ることになる。
伯爵領でどれだけ頑張っても認めてもらえなかった彼女のお酒造りは、この世界でも五指に入るほどの大商人であるクラウスから評価を受けることができたのだ――。
一方その頃、伯爵家は混乱のただ中にあった。
浪費を繰り返していたリリアーナの前に、返済期日が過ぎた借金を取り立てるためにやってきた商人達がやってきていたからだ。
リリアーナは怒気をはらんだ声で、叫び声を上げた。
「金貨一万枚なんて……そんなの払えるわけないじゃない!」
商人達は顔色を青くしながらも、毅然とリリアーナへと向き合っていた。
「そう言われましても……借金を踏み倒されるということでしょうか?」
「そんなこと言ってないじゃない! どういうことよ、セバス!」
「ですから再三申し上げた通り、借金の返済期日が過ぎているのです」
リリアーナはセバスの言うことを何一つ聞かず、結果として借金は膨れ上げるばかりであった。
そしてエレノアがいなくなったことで事業計画が破綻してしまったことを知った商人達は、このままでは本当に借金を踏み倒されるのではと考え、急ぎリリアーナの下へとやってきたのだ。
「リリアーナ様、家財道具や美術品など換金できるものはいくらでもございます。ひとまずはそれらを売ってお金に換えて……」
「嫌よ、なんで私のものを売らなくちゃいけないの! お姉様がやっていた時はそんなこと一度もなかったじゃない!」
「それはエレノア様が破綻することがないよう、正確に計算をなさってくれていたからです。あのお方が日夜帳簿に目を通していたことを、私は知っております」
「何よ、一日中書類とにらめっことしていた根暗のお姉様の肩を持つってこと!?」
「その帳簿とのにらめっこのおかげで、エレノア様は伯爵家をなんとか成り立たせてくれていたのですよ」
「ぐぅ……」
珍しく忠言をしてきたセバスにぶすっとするリリアーナ。
商人達は不興を買うのを恐れながらも彼女の前へと立った。
「我々としても、借金を踏み倒される方となるとこれ以上の取引はできません」
「だから、そんなことしないって言ってるじゃない!」
「でしたら借金返済のための具体的な計画か、担保をいただければと思います」
リリアーナは嫌がったが、相手も商売でやっている。
結果として屋敷にある美術品の類いが借金の担保として使われることになってしまった。
「もう、なんでこんなことになるのよ!」
商人達が帰った応接間で、リリアーナは一人顔を俯かせる。
せっかく伯爵になれるというのに、なぜこう全てが上手くいかないのか。
こんな風になったのは誰のせいか……決まっている。
全て姉のエレノアのせいだ。
「そうだわ……お姉様を呼び戻しましょう。そうして今まで通りに仕事をやってもらえば、全部元通りになるはずよ。私が伯爵で、お姉様がその配下として働けば全部丸く収まるはずよ」
「リリアーナ様、それは……」
「よし、そうと決まったら出発するわ!」
セバスの言葉を聞かず、リリアーナは王都へと向かっていった。
♢♢♢
ヴァルトシュタイン商会からの出資が正式に決まり、エレノアは蒸留所建設のための段取りを行うことになっていった。
蒸留酒の製造に適した場所の選定に関しては、既にグランブル領内でのノウハウがある。
おかげで数日もしないうちに蒸留所建設の候補地を選定することができ、現在はウイスキー製造のための準備を急ピッチで進めている最中だった。
倉庫建設のための資材の搬入や蒸留器を造るための銅職人の勧誘など、やらなければいけないことは多い。
「エレノア様、少々働き過ぎなのでは……」
「いえ、これでも正直伯爵領に居た頃と比べればずいぶんと楽ですから」
大量の業務を並行して行っている様子にクラウスは心配しているが、睡眠を削って掠れた瞳で帳簿を見つめる必要がないというだけで、エレノアからすれば天国であった。
「それもこれも蒸留酒事業成功のためですからね」
「ふふっ、そのバイタリティは僕も見習わなければ」
二人で笑みを交わす。
エレノアとクラウスは共に事業を行う共同経営者であり、以前と比べるとずいぶんと仲を深めることができたように思える。
「それでは面接も終わりましたし、今日はこの辺りで……」
クラウスの言葉を遮るように、遠くから声が聞こえてくる。
その声を聞いたエレノアは、まさかと思い勢いよく後ろを振り返った。
ドアを開けてこちらにやってきたのは……妹のリリアーナだった。
「お姉様、やっと見つけたわ!」
「リリアーナ……急にどうしたの?」
「大変なのよ、実は伯爵領に借金があって……」
「ええ、知ってるわ」
「それでお姉様に……え?」
「あなたに嫡子の立場を引き継ぐ時に、何度も説明したでしょう」
エレノアは彼女にきちんと伯爵家の借金や現状についての説明もしている。
もっとも、リリアーナはこれから入ってくることになる税収や今あるお金にしか気が向いていなかったため、ほとんど聞いていなかった様子だが。
「今月末までに一万枚の金貨を払わなくちゃいけないの!」
「そうでしょうね」
「なんでそんなに無関心なのよ!」
「だって私、もうグランブルの人間じゃないもの」
家督は譲り、公証人の前で家名と相続権の放棄も行っている。
エレノアはもはやグランブル伯爵家とはなんの関係もない一般人でしかない。
彼女の言葉を聞いたリリアーナが、顔を真っ赤にしながら地団駄を踏んだ。
「借金なんて欲しくなかったわ! 私はただ伯爵になって贅沢な暮らしがしたかっただけなのに!」
「説明はしたし、契約書にサインをしたのもあなたじゃない」
「ぐっ……ずるい! お姉様だけ全てを捨てて自由になるなんてずるい!」
……エレノアは言葉が出なかった。
昔から欲しいものは全部自分のものにならないと気が済まない子だった。
親に甘やかされて育った彼女のことを羨ましいと思うこともあったが、こうして見ていると厳しく育てられて良かったなとしみじみと思う。
「だって、欲しいものは全部あげたでしょう? 譲り受けたんだから、義務と責任も一緒に引き受けなくっちゃ。伯爵になるというのはそういうことよ、リリア」
「うっ……お姉様、なんでそんなにひどいことばかり言うのよ……」
「エレノア様は至極当然のことを言っているだけだと思いますが……」
リリアーナの視線が、エレノアの隣にいるクラウスに移る。
クラウスは十人が十人振り返るほどの美男子だ。
彼を見たリリアーナの目がキラリと光る。
「あの、あなたは……」
「私はクラウス・ヴァルトシュタインと申します」
「ヴァルトシュタインって……ヴァルトシュタイン商会の!? どうしてそんなお方がお姉様と……」
屈指の大商会であるヴァルトシュタイン商会のことは、当然リリアーナも知っている。
そんな人物が既に家を捨てたエレノアと一緒にいるのか、まったく理解できていないという顔だ。
「クラウス様に出資をしてもらって、一緒に蒸留酒事業を立ち上げている最中なの」
「蒸留酒って……あの安酒の!?」
「安酒……ですか?」
「ああいや、違くて!」
その目を見たことがないほどに鋭く細めたクラウスの言葉に、リリアーナはたじろいだ。
彼女はエレノアが造ろうとしているお酒になど、まったく興味を持ったことはなかった。
今までまったくの無関心だったそれが、あのヴァルトシュタイン商会が興味を持つほどの代物だったと知ると、途端に欲しくなってくる。
「お姉様、その蒸留酒事業……私にちょうだい!」
姉は妹に欲しいものを渡して当然。
かわいい私はそれをもらえて当たり前。
そんな態度が透けて見えるリリアーナを見て、エレノアは薄く笑った。
やっぱりこうなったか……と。
「リリア、私は以前あなたに聞いたことがあるわよね?」
「何を……あっ」
彼女の頭の中に、まだエレノアが家に出る前のやりとりがよぎった。
『リリアは、私が造るお酒の事業も欲しいと思う?』
『いらないわよ、そんなもの!』
自分はたしかに以前、蒸留酒事業をそんなものと一蹴してしまっていた。
リリアーナはわなわなと身体を震わせる。
たしかにあの時はそう言った。
だがまさか、ヴァルトシュタイン商会が出資をするほどに将来性があるものだとは気付いていなかったからだ。
他の商会が返済を待ってくれていたのも、ひょっとしてこの『庶民の酒』が理由なのだろうか。
だとしたら私は、なんてことを……。
そんな風に顔を青ざめさせるリリアーナを見ながら、エレノアは口を引き結び、続けた。
「リリア、私はあなたが欲しいと言ったものを全てあげたわ。婚約者も、家督も、領地だって……だからこれ以上、私のものを欲しがろうとしないでちょうだい」
「――っ!!」
リリアは青ざめていた顔を真っ赤にさせながら、唇を噛みしめる。
彼女はエレノアを睨み、その隣にいるクラウスを見つめ……そしてふんっと鼻から息を吐き出しながら帰っていく。
「お姉様なんて……もう知らない!」
こうしてリリアーナは何も得ることができぬまま、伯爵領へと戻っていくのであった。
♢♢♢
月末を迎え、伯爵家に来客がやってきた。
顔を真っ青にしたリリアーナにできるのは、荷運び人が入ってくるのを見つめることだけだ。
「よし、それでは事前に言っていた運び出せ。まずはこっちの割れやすい壺から……」
借金を返すことができなかった伯爵邸から、担保に入れていた財産がどんどんと運び込まれていく。
名陶から絵画、そして宝石に至るまで……リリアーナが欲しいと思っていたものが、どんどんと家の中から運び出されていく。
「待ちなさい! これは私のものよ!」
リリアーナが特にお気に入りだった、伯爵家伝来の真珠のネックレス。
運び人の手を止めようとしたリリアーナだったが、商人の目は冷たかった。
「これも担保に入っておりますので」
リリアーナは何もすることができず、その場にずるずると倒れ込む。
あっという間に梱包は終わり、商人達が去っていく。
伯爵家の中はずいぶんと殺風景になってしまった。
何もなくなった屋敷の中を見渡す。
自分が嫡子になることを喜んでいた父は既に塞ぎ込み、部屋から出なくなってしまっていた。
あれほど仲睦まじかったはずのアルフレッドはここ最近は屋敷にも来ず、ふらふらと出歩いてばかりいた。
欲しいものを全て求めたその結果が、このがらんどうの伯爵邸だった。
「お姉様……」
リリアーナは姉のことを呼んだ。
けれど当然ながら、それに答える声はない。
広い広い屋敷の中に、リリアーナの呟きだけが、むなしく響き渡るのであった……。
♢♢♢
一方王都では、エレノアは宝飾店へとやってきていた。
彼女の指先には、サファイアの指輪が嵌められている。
これまで、爪の垢に光を点すような節制生活を続けてきたエレノアは、自分のためにお金を使ったことは一度もなかった。
けれど、もうそんな生活を続ける必要はないのだ。
大貴族に卸されることになったウイスキーの売却益。
そのお金を使い彼女は、生まれて初めて自分のために何かを買うことにしたのだ。
「大変お似合いですよ、エレノア様」
くるりと後ろを振り返れば、そこにはクラウスの姿がある。
にこりと笑ってくれる彼に、エレノアは笑みを返す。
無論、全てが順風満帆にとはいかないだろう。
やらなければいけないことも多いし、事業を軌道に乗せるまでには時間もかかるはずだ。
けれどエレノアに不安はなかった。
自分が造る蒸留酒を、王国一のお酒にしてみせる。
そんな未来を見つめる彼女の瞳は、キラキラと輝いている。
「エレノア様、もしよければ一緒にお食事でもいかがですか?」
「食事、ですか?」
「ええ、私達の未来の成功を祈って」
「……ふふ、それでしたら、ぜひご一緒させていただきます」
クラウスにエスコートされながら、彼女はゆっくりと馬車へと乗り込む。
エレノアはずっと走り続けてきた。
婚約者の浮気に耐え、質素倹約な生活を続けながら休む間もなく家のために働き続けてきたのだ。
けれど彼女はもう、これ以上何かを奪われることはない。
そしてここから手に入れたものは全て、他の誰でもない、自分のものになるのだ。
指先でキラリと光るサファイアは、彼女にとって自由の象徴だった。
これからは、自分の好きなように生きていく。
エレノアの新しい人生は、ここから始まるのだ――。
好評につき、連載版をはじめました!
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