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プロローグ 帰還

≪ 登場人物 ≫

◇エイジ・ミツギ 16歳 男性

OMC軌道保安軍、CAYAMBE防衛部隊所属


◇ユイン・ユノス  18歳 男性

OMC軌道保安軍、CAYAMBE防衛部隊所属


◇ブラントリー・フォクスター 25歳 男性

OMC軌道保安軍、CAYAMBE防衛部隊所属

エイジとユインの部隊長

 砂塵を巻き上げ荒野を征く赤い機影。


 地表高度、二十メートル未満。

 それは飛行というより、地面すれすれを強引に滑走する弾丸だった。乾いた大地の亀裂を越え、風化した岩柱の群れを掠め、赤い機体は一直線に東へ向かっていた。背部スラスターの噴射炎は左右で不揃いに揺れ、片側の姿勢制御ノズルは断続的に白煙を吐いている。


 HF ― Humanoid Fighter。

 全高六メートル級の多目的攻撃無力化機動兵器。その有人仕様機は、本来なら地形追随飛行においても獲物を捉えた猛禽のような滑らかさを見せる。


 だが今、その軌道に美しさは微塵もない。


 右肩部装甲は半ば剥離し、腕部外装には焼灼痕が走っている。左脚の膝関節フレームは歪み、機体が地表を蹴るたびに、赤い装甲の隙間から青白い火花が散った。推進器の出力は不安定。機体背面に残った冷却フィンは、熱疲労で黒ずみ、風圧を受けるたび薄い金属音を鳴らしていた。


 それでも機影の軌道は止まらない。

 砂塵が、機体の後方に一本の長い尾を引いた。

 まるで荒野そのものに、赤い爪で傷を刻みつけているようだった。


 Cell(セル)と呼ばれる操縦席内部では、警告音が鳴り止まなかった。

『――バイタルレート、危険域。神経負荷、規定値超過。呼吸同期、異常』

 機体制御AIの合成音声が、淡々と異常を告げている。

 パイロットのエイジ・ミツギは、操縦殻の中央で前を見据えていた。


 Cell ― 慣性・圧力隔離式操縦殻。

 有人HFにのみ搭載される、対G・対衝撃・対気圧変動用の特殊操縦空間である。どれほど機体が跳ねようと、どれほど外装が焼けようと、本来ならパイロットの身体はリビングでくつろいでいるような安定が保たれる。


 だが今、エイジにとってのCellは安全な空間ではなかった。


 赤い警告灯が、内壁を血管のように明滅している。全天周モニターの端にはノイズが走り、機体損傷図の右半身が黄色と赤で塗り潰されていた。操縦支援ウィンドウは何度も再起動を繰り返し、AEMC――環境適応機動制御の補正値が、異常な速度で書き換わっていく。


 エイジの呼吸は荒い。

 喉が焼けている。

 胸が痛い。

 心臓が、肋骨の内側から外へ飛び出そうとしている。


 それでも、彼の両手は操縦桿から離れなかった。指先は汗で濡れ、薄いグローブ越しから震えが伝わってくる。それでも握力だけは異様に強い。恐怖で縮み上がった身体を、意志だけで無理やり機械に縫い止めている。


「……まだ、イケる」

 振り絞った声は掠れていた。


 自分に言ったのか、機体に言ったのか、エイジにも分からなかった。


「……戻るんだ」

 機体が右へ流れた。


 エイジは即座に左脚部の姿勢補正を切り、背部スラスターの片肺出力を三パーセント絞る。通常ならAIに任せる微細制御だった。だが自動補正は損傷データの過負荷で鈍っている。半秒でも遅れれば、機体は荒野に肩から突き刺さる。


 赤い機体が大地を掠めた。

 左脚の爪先が岩盤を削り、火花と砂礫が後方へ弾ける。機体がわずかに傾く。エイジは歯を食いしばり、操縦桿を押し込んだ。


 恐怖が喉まで上がってくる。

 それを、飲み込む。

 震えが腕に伝わる。

 それを、握り潰す。


 今は考えるな。

 “あの場所”で見たものを思い出すな。

 帰れ。

 基地へ。


 生きて。

 還れ。


『……トリウス……応答……』

 ノイズ混じりの無線が、Cell内に割り込んだ。

 エイジの目が、わずかに動いた。

『こちら……前線管制……アルトリウス、聞こえ……か』

「聞こえてる……!」

 叫ぶように返した。

「聞こえてる! だから、切るな……、切るな!」

『……誘導……開始する。進路……27……修正。高度……維持……』


 通信は途切れ途切れだった。先程までの戦域で発生した電磁擾乱と、機体側センサーの損傷が重なっている。音声は水中から聞こえるように歪み、ところどころが砂嵐に削られていた。


 だが、それでも声が聞こえている。

 人間の声が。


 エイジは、その声に意識を縫い止めた。

 警告灯を見るな。

 損傷図を見るな。

 呼吸の異常値を見るな。

 声を聞け。

 数字を追え。

 進路を合わせろ。


『アルトリウス……現在位置確認。帰投ルート、グリーンⅡへ移行……』

「グリーンⅡ……了解」

 唇が勝手に動いた。

 訓練で叩き込まれた応答だった。意味を考えるより早く、身体が軍用の言葉を吐き出す。その機械的な反射だけが、エイジを現実に繋ぎ止めていた。

 だが、現実の自分は酷く不安定だった。

 モニターの赤い警告灯の向こうに、別の赤が滲んだ。


 ========================

        見つめる瞳。

        閉じるハッチ。

        立ち昇る炎。

 ========================


 エイジは奥歯を噛み鳴らした。

「違う……今じゃない」


 右手が一瞬、操縦桿から浮きかける。

 すぐに左手で押さえ込んだ。

「今じゃない……!」

『エイジ少尉? バイタルが跳ねている。応答しろ』

「問題ない!」

 嘘だった。

 問題しかなかった。

 それでも、そう言わなければならなかった。


 なぜなら、今この赤い機体を基地まで運べるのは、エイジ自身しかいなかったからだ。

 エイジの駆る専用HF、ペットネーム《アルトリウス》は、荒野の低空をさらに加速した。

 遠く、地平線の先に黒い稜線が見え始める。

 機影が突き進む先はそびえ立つ絶壁だった。


「アルトリウス……これより、帰還する……」

 夕闇の中に立つ黒い城壁へ向けて。


 風に削られた垂直の岩肌が、地平線を断ち切っている。高さは三百メートルを超える。自然地形に見せかけてはいるが、その輪郭にはわずかな人工性があった。あまりにも滑らかすぎる影。等間隔で走る熱拡散痕。岩肌の内部に埋め込まれた、観測用の微細センサー群。


 OSF(Orbital Security Force)西方方面即応基地。

 OMC(大洋自由経済圏)が建造した軌道エレベーター ”GEV02-CAYAMBE”を防衛するための地図には存在しない、軌道保安軍の秘匿HF運用拠点。


 エイジは絶壁を見上げた。

 首を動かしたわけではない。全天周モニターに投影された外部映像が、機体の接近と共に巨大な壁となって視界を埋め尽くしていく。だが、Cell内部にいるはずのエイジには、それがまるで自分自身へ迫ってくる断崖のように感じられた。


 彼は強く息を吸った。

「……必ず…帰るんだ」

 手首に力を込める。


 絶壁の手前で、アルトリウスは機首を上げた。

 腰部の姿勢制御ベーンが展開し、損傷した左脚を庇うように機体重心が後方へ移る。背部スラスターが低く唸り、赤い機体は荒野の地表を蹴った。


 砂塵の尾が、真下へ置き去りにされる。

 機体は絶壁に沿って急上昇した。

 岩肌が、視界の左右を流れていく。垂直上昇というには荒い。安定した登坂飛行ではない。推進器の出力は片肺で、左膝フレームは着地時の荷重に耐えられる保証がなかった。AEMCは警告を吐き続け、推奨進入角を何度も修正する。


『機体姿勢、許容限界に接近。上昇角、過大』

「分かってる……!」

 エイジは喉の奥で叫んだ。

 絶壁との距離、七メートル。

 近すぎる。


 だが離れれば誘導ロックを失う。秘匿基地の入口は、外部からの視認もレーダー照合も不可能な光学迷彩と電磁偽装の層に隠されている。決められた進入ベクトルと認証信号が一致しなければ、岩壁はただの岩壁としてそこにあり続ける。

 そのまま衝突すれば、アルトリウスは岩肌に潰れた昆虫のように貼りつく。


『アルトリウス、進入コース確認』

 基地からの誘導音声が、ノイズを挟みながらも強くなった。

『垂直進入軌道、受信。識別コード、照合中』

 エイジの視界右端に、識別プロトコルの進行バーが走った。


 機体ID。

 パイロット認証。

 緊急帰投フラグ。

 Cellバイタルリンク。

 損傷照合。

 全てが高速で照会される。


 表示に集中しろ。

 誘導の声を聞け。

 手を離すな。


 アルトリウスは、岩肌すれすれを駆け上がる。指先の震えが操縦桿へ伝わるたび、機体の膝がわずかに揺れた。エイジは自分の震えを、スラスター補正で殺した。恐怖を、機体制御の数値へ押し込んだ。


 赤い機体の肩が岩肌を掠めた。

 火花が散る。


『接触警告。左肩部外装、追加損傷』

「分かってるって言ってるだろ!」

 自分で抑えられないほど声が上ずった。


 エイジは唇を噛んだ。血の味がした。Cell内部に衝撃はない。機動によるGも、気圧も、熱も、本来なら隔離されている。それなのに、舌の上の鉄臭さだけが妙に生々しかった。


 生きている証拠のようで。

 まだ狂いきっていない証拠のようで。

 その味に、彼はしがみついた。


『入口開放シーケンスに移行』

 基地無線が告げた。

『アルトリウス、速度を維持。進入方位、そのまま』

 全天周モニター中央に、白い数字が浮かび上がった。

 10。

 カウントダウン。

 その数字だけが、世界で唯一正しいものに見えた。

『9』

 エイジは呼吸を止めた。

『8』

 岩肌が迫る。

『7』

 右腕部の損傷警告が再点灯する。

『6』

 砂塵はもう見えない。視界は岩と警告灯と数字だけになった。

『5』


 ========================

          見つめる瞳。

          閉じるハッチ。

          立ち昇る炎。

 ========================


「違う……!」

『4』

 今考えるのは、それじゃない。


『3』

 カウントに集中しろ。

『2』

 戻れ。

『1』

 戻るんだ、エイジ。


『ゼロ。入口、開放』


 岩肌が、剥がれた。


 それは扉が開くというより、世界の表面に貼られていた偽装膜が一瞬で蒸発する光景だった。灰色の絶壁が細かな光の粒へ分解され、その奥に黒い開口部が出現する。縦長の格納トンネル。滑走路灯が二列、暗闇の奥へ走っている。誘導ビーコンが緑に変わり、進入許可を示す矢印がモニター中央で点滅した。


 エイジは操縦桿を押し込んだ。

 開口部へ滑り込むアルトリウス。


 だが、もう機体は限界だった。


 入口を通過した瞬間、左脚の膝関節が悲鳴を上げた。機体制御AIが脚部支持を断念し、緊急擱座モードへ強制移行する。背部スラスターが逆噴射を開始。腰部ベーンが制動角へ倒れ、腕部を滑走姿勢に固定する。


『緊急着床。脚部保持不能』

「まだだぁ――ッ!」


 衝突だった。

 機体の左膝が滑走路を削り、白い火花が爆ぜた。右脚が遅れて接地し、全身が大きく傾く。機体は両腕を前へ突き出すようにして姿勢を保とうとしたが、右腕部の損傷がそれを許さなかった。


 肩から崩れる。

 装甲が滑走路に擦れる。

 金属が、長く悲鳴を上げた。


 緊急制動ワイヤーが射出され、アルトリウスの腰部フックへ噛みつく。固定アームが左右から伸び、赤い機体の胸部と肩部を押さえ込んだ。消火フォームが床面から噴き上がり、焼けた装甲を白く覆っていく。


 それでも機体は数十メートル滑った。

 滑走路灯が、赤い装甲の下で次々と砕ける。

 基地クルーの警告灯が一斉に回転した。


『全整備員、退避! 擱座機進入!』

『制動アーム二番、出力上げろ!』

『止めろ、止めろ、止めろ!』


 最後に、アルトリウスは膝を折った巨人のように前のめりになり、滑走路の中央で停止した。


 Cell内部が、静かになった。


 いや、静かになったように感じただけだった。

 警告音はまだ鳴っている。

 バイタルアラームも消えていない。

 機体制御AIの無機質な報告も続いている。


 けれどエイジの耳には、自分の呼吸だけが聞こえていた。

 荒い。

 浅い。

 壊れたポンプのように不規則な呼吸。

 目の前のモニターには、着床完了の表示が出ている。


 ”帰還”

 その二文字が、緑色に灯っていた。


 エイジはそれを見た。

 見ているはずだった。

 だが、その奥にまだ、炎が揺れていた。

 外部カメラの一部が、まだ生きていた。


 ノイズ混じりの映像の中で、滑走路の警告灯が赤く回転している。消火フォームの白い霧が、擱座した機体の胸部装甲を包み込んでいた。装甲表面の熱で蒸気が立ち上り、その姿はまるで戦場から運び込まれた巨獣の死骸のように、滑走路の中央で動きを止めている。


 その周囲へ、人影が走ってきた。

 整備クルー。

 メディカルスタッフ。

 誘導班。


 装甲防火服を着た作業員たちが、緊急車両から飛び降り、擱座した機体の周囲へ散開する。肩部へ昇る者、脚部の火花を確認する者、Cellブロックの外部診断パネルへ取りつく者。声が飛び交う。


『胸部Cell、外装温度高止まり!』

『冷却剤、追加噴霧! 右肩の焼損部に近づくな!』

『パイロット応答なし。生体リンクは?』

『心拍異常。呼吸数、危険域。意識混濁の可能性あり!』


 その声は、Cellの中にも届いていた。

 けれど、エイジには遠かった。

 分厚い水の底から響いてくる音のようだった。誰かが何かを叫んでいる。自分を呼んでいる。命令している。心配している。だが、その意味が一つの形にならない。


 Cell内の赤い警告灯が、まだ明滅している。


 赤。

 赤。

 赤。


 警告灯なのか、炎なのか、もう分からなかった。


 エイジは操縦桿を握ったまま、前を見ていた。帰還表示は消えていない。緑色の文字が、網膜に焼きつくように浮かんでいる。


 帰還。

 帰った。

 戻ってきた。

 戻ってきたはずだ。


 なのに、心のどこかが、まだ”あの場所”に置き去りになっていた。


『外部開放プロトコルへ移行!』

 外で誰かが叫んだ。


『パイロット、手動開放に反応なし! 強制ハッチオープン、承認を!』

『承認! Cell圧を落とせ、補助ロック解除!』


 Cellの内壁が低く唸った。

 圧力隔離が段階的に解除される。通常なら、パイロットに負担をかけないようゆっくり行われる処理だった。だが今は緊急開放だ。空調音が乱れ、内圧変化の警告が表示される。胸部ハッチのロックピンが、ひとつずつ外れていく金属音がした。

 その音に、エイジの肩が跳ねた。


 バン、と。

 何かが閉じた音を、彼は思い出した。


 違う。

 これは開く音だ。

 違う。

 ここは基地だ。

 違う。

 ハッチが。

 また。

「……開けるな」

 声が漏れた。

 自分の声とは思えなかった。乾き切って、喉の奥に貼りついた紙片のような声だった。


「開けるな……」

 ロック解除音が続く。


 エイジの呼吸がさらに乱れた。


 ========================

          見つめる瞳。

         突き飛ばした手。

          閉じるハッチ。

          立ち昇る炎。

 ========================


「開けるな……閉まる……また……」


『ハッチ開放、三秒前! 全員、退避姿勢!』

 Cellの警告灯が黄色に変わった。

『三、二、一――強制開放!』

 胸部ハッチが外側から抉じ開けられた。


 厚い装甲板が油圧アームに押し上げられ、白い消火フォームと冷却蒸気がCell内へ流れ込む。外気が入った瞬間、エイジの頬に冷たい空気が触れた。濃縮酸素と消火剤の匂い。焼けた金属の匂い。基地の匂い。

 そこへ、複数の手が伸びてきた。


「パイロット確認!」

「意識あり! 瞳孔反応、鈍い!」

「操縦桿から手を離せ! 少尉、手を!」

 エイジの指は、操縦桿に固着したように動かなかった。


 クルーが指を一本ずつ外そうとする。グローブの上からでも分かるほど、彼の握力は異常だった。恐怖と興奮で硬直した筋肉が、操縦桿を最後の命綱のように掴んでいる。

「少尉、もう着いてます! ここは基地です!」

「聞こえますか、エイジ少尉!」

 基地。

 そう言われても、エイジの心はまだ戻れなかった。


 ========================

          燃えている。

        いや、燃えていた。

       燃えたのはもう終わった。

    終わったはずなのに、まだ燃えている。

 ========================


 クルーの一人が、エイジの右手を操縦桿から引き剥がした。

 続けて左手。

 途端に、エイジの身体から力が抜けた。


「支えろ!」

「担架、前へ!」

 エイジはCellから抱え出された。

 装甲防火服の腕に支えられ、赤いHFの胸部から外へ出る。眩しい照明が目を刺した。滑走路の天井灯。非常灯。警告灯。回転灯。すべての光が刃物のように細かく割れて見えた。


 赤い機体の外へ出ても、エイジの耳にはバイタルアラームが鳴り続けていた。

 実際にはもう、Cellの内側に置き去りにされた音だった。

 それでも鳴っていた。


 胸の内側で。

 脳の奥で。


 警告。

 警告。

 警告。


 彼は担架に乗せられた。

 背中が硬い面に触れる。頭部固定具が当てられる。誰かが首筋にセンサーを貼る。誰かが手首を掴み、脈を取る。誰かが鎮静剤の準備を命じる。


「外傷は?」

「目立った裂傷なし。Cell保護は生きてた」

「神経負荷が高すぎる。交感神経が振り切れてるぞ」

「急性ストレス反応か?」

「分からん。戦闘後興奮にしては数値が異常だ」

 言葉が飛び交う。


 エイジは、天井を見ていた。

 いや、天井ではない。

 もっと遠く。

 もっと別の場所。

 その一点を、見つめていた。

「どけ!」

 低く、荒い声がした。

 人混みを分けながらフォックス ― ブラントリー・フォクスターが駆け寄る。


 荒々しい足音と共に、フォックスは担架の横へ入り込んできた。普段ならどんな場面でも軽口の一つを投げてくる男が、その時だけは笑っていなかった。乱れた金髪の下で、目だけが鋭く細められている。


「俺の部下だ。通せ」


 クルーが一瞬ためらい、道を空ける。


 フォックスは担架の上のエイジを見下ろした。

 最初、何か言おうとしたのだろう。

 いつものように。

 派手にやったな、とか。

 初陣で機体を壊すとは高くつくぞ、とか。

 生きて帰ったなら上出来だ、とか。

 だが、その言葉は出なかった。


 エイジの顔を見た瞬間、フォックスの表情が変わった。

「……エイジ」

 そこへ、もう一人が駆け込んできた。


 ユイン・ユノス。


 息を切らしている。普段の静かな立ち姿からは想像できないほど、肩が上下していた。彼もまた戦場から戻ったばかりだったはずだ。装備の一部に煤がつき、頬には乾いた血のような汚れがある。

 それでも、ユインはエイジのそばに膝をついた。


「エイジ」

 声は低く、柔らかかった。

「俺だ。ユインだ。聞こえるか」

 エイジの瞳が、わずかに動いた。

 それは反応と呼ぶにはあまりに小さかった。だがユインは見逃さなかった。


「そうだ。こっちだ」

 ユインは担架の横に手を置き、エイジの視界に入る位置へ顔を寄せる。


「息をしろ。今は基地だ。もう戻ってきてる」

 戻ってきてる。

 その言葉だけが、少し遅れてエイジの中に届いた。


 ========================

         戻ってきている。

          でも、何が。

            誰が。

 ========================


「エイジ」

 今度はフォックスが口を開いた。

 声は抑えられていたが、奥に焦りが混じっている。

「何があった」


 ユインがわずかに眉を寄せる。

「隊長、無理です」

「分かってる」

 フォックスは短く返した。


 それでも、目はエイジから離さない。

「だが聞かなきゃならねえ。戦場で何が起きた。エイジは見たはずだ」


 フォックスは担架の縁を掴んだ。

「エイジ。答えられるか」


 ユインはフォックスを止めなかった。

 彼もまた知る必要があった。エイジがただ戦闘に怯えているのではないことは、目を見れば分かる。これは被弾の恐怖ではない。死にかけた兵士の顔でもない。


 もっと別のものを見た顔だった。

 理解できないものを。

 救えなかったものを。

 エイジの唇が、かすかに動いた。

 声は出なかった。


 フォックスがさらに近づく。

「ゆっくりでいい。何があった」

 エイジは一点を見つめ続けた。


 滑走路の天井灯でもない。フォックスでもない。ユインでもない。

 彼の視線は、そこにないものへ固定されていた。


 ========================

          閉じるハッチ。

           立ち昇る炎。

           熔ける装甲。


        ...そして…...見つめる瞳。

 ========================


「……女の子が」


 ユインの呼吸が止まった。

 フォックスの指が、担架の縁に食い込む。

 エイジは続けた。


「いたんだ……」


 声は震えていた。


 だが、彼の目は震えていなかった。

 壊れたように、ただ一点を見ていた。


「でも……どうして……」


 ユインが何かを言った。

 フォックスも何かを言った。


 周囲のクルーも、メディカルスタッフも、管制士官も、誰もが声を発していた。

 だが、エイジにはもう、それらが言葉として届かなかった。

 彼の周囲で、声だけが幾重にも反響する。


 ユインの声。

 フォックスの声。

 知らない誰かの声。

 警告音。

 基地のアラーム。


 そして、存在しない炎の音。


 エイジは担架の上で、ただ一点を見つめ続けていた。

 まるでそこにまだ、誰かがいるかのように。

≪ 用語 ≫

■OMC/大洋自由経済圏

自由な移動・投資・契約・技術開発を重視。表向きは開かれた社会だが、実際には信用スコアや資本力で人生の選択肢が決まる冷たさを持つ。

エイジやユインが生きる経済圏。

相対する経済圏はCMS/大陸調整経済圏


■軌道エレベーター

赤道上の高地・巨大基礎構造を利用して建造された。

月で採掘された鉱物の衛星軌道上から地上までの運搬を担う。

世界最大のインフラ建造物。

OMCの軌道エレベーターはエクアドル・カヤンベ山周辺の赤道直下高地にある”GEV02-CAYAMBE”


■OSF(Orbital Security Force)

軌道保安軍。

軍隊、宇宙保安庁、民間軍事企業、インフラ防衛機構が融合した準軍事組織。

エイジ、ユイン、フォックスはOMC軌道保安軍、CAYAMBE防衛部隊所属。


≪ あとがき ≫

はじめまして。

小説を書くのは初めてですが、物語のプロットは最後まで仕上がっているので、あとはコツコツと書いていきます。

80年代の元気と勇気を与えてくれるカッコいいSFロボット作品に憧れていますので、そんなお話にできれば良いなと。


どうぞよろしくお願いします。

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