第24章 ナイトの散歩
商人ギルドの鑑定室で、アキラはいつも通り鑑定をしていた。
ここ最近は鑑定の依頼も安定し、ギルド内の業務フローも改善されたことで、仕事は以前よりずっとスムーズに回っている。
――順調すぎるほどに。
「アキラ」
低く、しかしよく通る声が響いた。
顔を上げると、ギルド長のグラハムが扉の前に立っていた。
いつもの穏やかな表情だが、その目にはどこか含みがある。
「少し、時間はいいかね」
「はい。今は特に急ぎの案件はありません」
そう答えると、グラハムは満足そうに頷いた。
「ならば丁度いい。――長期休暇を与えよう」
「……は?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「長期、休暇?」
「そうだ。最低でも一月。場合によっては二月だな」
アキラは、完全に固まった。
「い、いえ……私は今、特に疲労も溜まっていませんし、鑑定依頼も――」
「だからだ」
グラハムは、きっぱりと言った。
「君は働きすぎだ。それに……」
一瞬、視線がアキラの足元へ落ちる。
そこには、白くふさふさした毛並みのナイトが、
行儀よく座っていた。
尾が、微妙に左右へ揺れている。
「従魔を持つ者が、仕事場に籠りきりというのは、感心せん、そろそろ散歩せんとな」
「……ナイトですか?」
その名を聞いた瞬間。
ばさっ!
ナイトの背中の羽が大きく広がり、
次の瞬間には立ち上がっていた。
「クゥン!」
期待に満ちた声。
目はきらきらと輝き、尾は高速で振られている。
(……あれ、なんで分かるんだ)
「ほら見たまえ」
グラハムは苦笑する。
「ナイトはもう我慢の限界だ」
「いえ、でも……散歩なら街中でも」
「散歩、か」
グラハムは、そこで意味深に笑った。
「アキラ。君は、従魔の“散歩”というものを、少々誤解している」
「……と言いますと?」
「従魔の散歩とはな」
そこで一拍、間を置いて。
「ダンジョンへ行くことだ」
「…………は?」
完全に思考が停止した。
「ダ、ダンジョンって……あの、冒険者が命を懸けて潜る?」
「そのダンジョンだ」
グラハムは、さも当然のように頷いた。
「特に天犬ともなると。街を歩くだけでは、完全に運動不足だろう」
「いや、でも……私は戦闘スキル、持ってませんよ?」
「問題ない」
即答だった。
「ナイトがいる」
グラハムは、ナイトを見下ろす。
「彼の強さ以下の魔法・物理攻撃は、主人である君に一切届かん」
「……理屈では分かりますけど」
アキラは、頭を抱えたくなった。
「それに、私は鑑定士で……」
「だからだ」
再び、グラハムは言った。
「ダンジョンには、鑑定士が必要だ。特に君のような鑑定士はな」
机に、古い地図が広げられる。
「街の近郊に、二十階層のダンジョンがある」
「……本当に、“散歩”ですね」
「そうだ」
グラハムは、にやりと笑った。
「ただし、君にとっては“初冒険”になるが」
ナイトが、嬉しそうに一声鳴いた。
「ワン!」
完全に行く気だ。
「……分かりました」
アキラは、観念して息を吐いた。
「休暇、ありがたく頂きます」
その瞬間。
ナイトは跳ねるように立ち上がり、
アキラの周りをぐるぐると回り始めた。
羽をばさばさと揺らし、
尻尾は止まる気配がない。
「ちょ、ちょっと……ナイト、落ち着け」
「クゥゥン!」
まったく落ち着いていない。
グラハムは、その様子を満足そうに眺めながら言った。
「マジックバックを借りるのを忘れないようにな」
「分かりました」
マジックバックとは、中身が異空間に収納され、
見た目よりずっと沢山の物が入るバックの事だ。
冒険者が魔物を倒した時、その魔物を持って帰るのに、普通の鞄では入らない。
なので、もっと沢山の物が入れられるマジックバックが必須という訳だ。
「では、良い休暇を」
その言葉の裏に、
“戻ってきたら、さらに忙しくなるぞ”
という意味が含まれているのを、アキラは感じ取っていた。
(……これは休暇じゃないな)
だが。
ナイトの楽しそうな姿を見ていると、
不思議と悪い気はしなかった。
「散歩、か」
アキラは、ナイトの頭をそっと撫でる。
「……まあ、付き合ってやるよ」
その言葉に、ナイトは満面の笑み――
いや、犬なので笑ってはいないはずだが、
どう見ても“最高に嬉しそうな顔”をしていた。
こうして。
鑑定士アキラの、散歩という名の冒険が幕を開ける。




