第16章 旅立ちと失恋
商業ギルドの朝は、いつもと変わらない日常に戻っていた。
アキラは、その日も淡々と仕事をこなしていた。
お昼の休憩時、食堂で買った食事を食べる、
健康を考え、肉が中心だが、きっちり野菜もあってバランスがいい。
アキラは特に何もない時は、朝・昼・晩、
全ての食事を食堂で済ます事も多かった。
今日も沢山の人が食堂で料理を頼み、
がやがやと騒がしい音が聞こえる。
――リーナは、もう回復しただろうか。
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
意識していないつもりでも、心のどこかで気にかけている自分に、
アキラは小さく息を吐いた。
「……アキラさん」
控えめな、けれど確かな声。
顔を上げると、そこにはミーナが立っていた。
以前よりも少し痩せたように見えるが、表情は明るい。
何より、その瞳にあった切迫した影が消えていた。
「妹は……?」
問いかけるより先に、ミーナは深く頭を下げた。
「リーナ、元気になりました。完全に……もう、薬も必要ありません」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に溜まっていたものが、すっとほどけるのを感じた。
アキラは無意識に拳を握り、そして力を抜く。
「そうか。それは、よかった」
それ以上、気の利いた言葉は出てこなかった。
それでも、ミーナは満足そうに微笑んだ。
「本当に……ありがとうございました。アキラさんがいなければ、私たちは……」
「礼はいい。結果が出たなら、それで十分だ」
淡々と答えたつもりだったが、ミーナは一瞬、言葉を失ったように視線を落とした。
少しの沈黙のあと、意を決したように顔を上げる。
「今日は、それだけじゃなくて……ご報告があります」
嫌な予感がしたわけではない。
ただ、これが一つの区切りになるのだと、アキラは直感的に理解していた。
「私、ギルドを辞めます」
やはり、という思いと、ほんのわずかな寂しさが同時に湧き上がる。
「リーナと一緒に冒険者に戻ります。
あの子も元々冒険者なので、また力を合わせてやっていきます」
ミーナの声は、迷いがなかった。
守るべきものを守り切った者の、静かな強さがそこにあった。
「そうか。……二人なら、やっていけるだろう」
「はい。アキラさんのおかげで、スタートラインに立てました」
ミーナは、まっすぐにアキラを見つめてくる。
その視線に、かつて向けられていた計算や焦りはない。
、素直な感謝と、わずかな名残があった。
――好きになった。
それは事実だ。
柄の悪い冒険者に立ち向かい、弱き者を守る姿。
その姿に惹かれた自分を、否定するつもりはない。
だが同時に、忘れられないこともある。
自分を騙そうとしたこと。
逃げるつもりだったこと。
信頼を利用しようとしたこと。
事情があった。追い詰められていた。
それでも、一度生まれた溝は、簡単には埋まらない。
ミーナが俺をどう思っていたかは分からない、
しかし、もう確認する必要のない事だ。
数日後、ギルドの前で簡素な見送りが行われた。
大げさな式などない。ただ、顔見知りの職員が、二人の門出を祝うだけだ。
リーナは、以前よりもずっと血色が良く、元気そうに立っていた。
「アキラさん! 私、強くなります! 絶対に!」
「ああ。無理はするなよ」
「はい!」
無邪気な笑顔に、自然と頬が緩む。
ミーナは最後に、アキラの前に立ち、深く一礼した。
「生きる道をくれて、ありがとうございました」
「君たちが選んだ道だ。胸を張れ」
荷物を背負い、二人は街の門へ向かって歩き出す。
振り返ることなく、けれど確かな足取りで。
アキラは、その背中が見えなくなるまで立ち尽くしていた。
――失恋、か。
そう言葉にすると、少しだけ苦笑が漏れる。
だが、不思議と後悔はなかった。
守るべきものを守り、別れるべきものと別れただけだ。
「さて……仕事に戻るか」
ギルドの扉を開けると、いつもの日常が待っている。
アキラはその中へ戻りながら、心の中で静かに願った。
どうか、ミーナとリーナの旅路が、穏やかでありますように。
それが、今の自分にできる、唯一の想いの形だった。




