Episode.13
その誘いは、思いがけないほど自然だった。
「ねえ、アキラさん、今日、仕事の後……少し、うちに来ない?」
一瞬、言葉を失った。
「う、うち……?」
自分の声が、わずかに裏返ったのが分かる。
ミーナはそれを見て、くすっと笑った。
「そんな顔しないで。ちゃんとした理由があるの」
その笑顔に、胸の鼓動が早くなるのを抑えられなかった。
昼食の時に、会う事があったら、気軽に話をする仲だ、
しかし、まだ付き合っている訳でもなく、
俺が一方的に好意を寄せているだけだと思っていた。
――意識している。
それを、否定しようもなかった。
ミーナの家は、ギルドから少し離れた静かな通りにあった。
決して広くはないが、よく手入れされている。
「どうぞ。狭いけど……」
「いや、落ち着く家だ」
実際は心臓がばくばく言って、まったく落ち着いていなかったが、
少なくともそれを表に出すほどは子供ではない。
靴を脱ぎ、部屋に入った瞬間、
ほのかに薬草の匂いが鼻をくすぐった。
「……薬草?」
アキラがそう言うと、ミーナの表情が、わずかに曇る。
「気づくよね。敏腕鑑定士だもん」
彼女は湯を沸かしながら、ぽつりと話し始めた。
「私、元冒険者だったって話したよね」
「ああ」
「剣の腕には自信があった」
ミーナは、カップを二つ並べる。
「でも……辞めたの」
理由を、アキラはまだ聞いていなかった。
「妹がいるの。リーナって言うんだけど……」
その名前を口にした瞬間、
ミーナの声が、ほんの少し震えた。
「生まれつきじゃない。ある依頼で、ひどい傷を受けて……
しかも呪いまであって……」
アキラの背筋が、すっと伸びる。
「ポーションで命はつないでる。でも、それは“延命”でしかないって」
ミーナは、唇を噛みしめる。
「完治するには……エリクサーが必要だって言われたの」
アキラは息を呑んだ。
エリクサー。
どんな重病も治す、伝説級の回復薬。
しかし、価格は確か1000万リラ、
平民ではなかなか用意するのは難しい金額だ。
「……だから、冒険者を辞めたのか?」
ミーナは、ゆっくり頷いた。
拳が、ぎゅっと握られる。
「それで、受付の仕事に転職したわ。
安定してるし、妹のそばにいられるから」
部屋に、静寂が落ちる。
アキラは、何と言えばいいのか分からなかった。
同情は、したくない。
安易な励ましも、違う。
前世で、何度も見てきた。
どうにもならない現実に、正論は無力だ。
「……大変だったな」
それだけを、静かに言った。
ミーナは、少し驚いた顔をしてから、微笑んだ。
「ありがとう。
そう言ってもらえるだけで、救われる」
その笑顔が、あまりにも強くて、
同時に、壊れそうだった。
妹のリーナの部屋は、静かすぎるほど静かだった。
薬草の匂い。
規則正しく、しかし弱々しい呼吸音。
ベッドに横たわる少女は、年の割に小さく、
まるで眠っているだけのように見える。
「……これが、妹です」
ミーナの声は、驚くほど落ち着いていた。
アキラは、鑑定士としてではなく、
一人の人間として、その姿を目に焼き付けた。
「エリクサーがあれば……治るんだな?」
「ええ……だから、今日……」
ミーナは、意を決したようにアキラを見た。
「お願い。お金を貸してほしい」
アキラは、何も言わない。
「ギルドの仕事だけじゃ足りないから……
体を売ってでも、稼ぐ。……必ず返す。だから……」
ミーナは、深く頭を下げた。
その姿に、胸が締め付けられる。
だが同時に、アキラの中の“別の自分”が、冷静に警鐘を鳴らしていた。
「それなら」
ミーナが、顔を上げる。
「売春宿で、働く契約書を作って欲しい」
空気が、凍りついた。
「……なに、言って……」
「売春宿で働く契約をしたら、お金を貸すよ」
ミーナの瞳が、大きく揺れる。
アキラは、確信した。
(……図星だ)
彼女は、逃げる気だった。
アキラがエリクサーを買い、そのまま姿を消す――
そういう選択肢を、心のどこかで用意していた。
それでも。
ベッドの上の少女は、確かにそこにいる。
病気は、本物だ。
「……アキラさん」
ミーナの声が、かすれる。
「最低だって、分かってる。でも……他に、方法がなかった」
責める言葉は、簡単だ。
だが、アキラは口を開かなかった。
前世で知っている。
追い詰められた人間は、正しさでは判断できない事もある。
「……少し、考えさせてくれ」
その一言に、ミーナは息を呑んだ。
「今すぐ、答えは出せない」
期待も、拒絶も、与えない。
それが、アキラの選んだ距離だった。
部屋を出るとき、ミーナは何も言わず、ただ立ち尽くしていた。
アキラは、夜の街を歩きながら思う。
(騙された……か?)
違う。
利用されかけた。
だが、完全な嘘でもなかった。
(……だからこそ、厄介だ)
感情だけで動けば、破滅する。
理屈だけで切り捨てれば、後悔が残る。
鑑定士として、元課長として、一人の男として。
アキラは、答えを探し始めていた。
エリクサーを「買う」以外の道を。




