8話『夜の路地で出会った、宝石の獣』
深夜二時。コンビニの裏路地で、私は光る何かを見た。
仕事帰り。終電を逃した。タクシー代を惜しんで、歩いて帰ることにした。
いつもの駅から自宅まで、徒歩四十分。
再開発から取り残されたような、古い商店街の裏路地。近道だから通っているだけで、好きで歩いているわけじゃない。
街灯はまばらで、ネオンもない。昼間なら気にならない場所が、夜になると急に輪郭を失う。
そして今夜は、特にひどかった。
頭痛が止まらない。耳鳴りがする。吐き気すらある。
いつものことだ。
私には、他人には見えない「何か」が見える。子どもの頃からだ。
最初は怖かった。でも、誰にも信じてもらえなかった。だから、見えても無視することを覚えた。
でも、無視するほど、頭痛はひどくなる。
まるで、「見ろ」と強制されているように。
コンビニでエナジードリンクを買い、裏口から出た瞬間、それは起きた。
路地の奥で、何かが光った。
淡い金色。小さく、ふわふわで、犬と猫を足して割ったような――。
私は足を止めた。
段ボールの影から、ころりと何かが転がり出てくる。
丸い体。短い手足。長めの耳。
そして額に埋め込まれた、赤い宝石。
一瞬、現実感がなくなった。
「……は?」
金色の生き物は、こちらを見上げた。くりっとした目。小さな鼻。尻尾が、ゆっくり左右に揺れる。
「クーン」
鳴いた。
可愛い。まず、そう思ってしまった自分を殴りたい。
「……いやいやいや」
現代日本。
夜の路地。
宝石を額に持つ、伝承上の幻獣。
成立しない。
私は後ずさる。すると生き物も、同じ分だけ下がった。
距離が、保たれる。
襲ってこない。威嚇もしない。ただ、こちらをじっと見ている。
「……カーバンクル、だよね」
呟いた瞬間、額の宝石が強く光った。
次の瞬間、頭痛が、消えた。
「……え?」
耳鳴りも、吐き気も、全部消えた。
まるで嘘みたいに、頭がすっきりしている。
カーバンクルは、宝石の光を弱めて、首を傾げた。
「クーン?」
私は、思わずしゃがみこんだ。
「……今、何したの?」
答えの代わりに、カーバンクルは一歩近づいてきた。
怯えていない。むしろ、興味津々といった様子だ。
「クーン」
そう鳴いて、私の手に鼻先を押しつけてきた。
温かい。
確かな重みがある。
これは、幻覚じゃない。
私は、カーバンクルを抱き上げた。
軽い。でも、確かな温もり。
「……あんた、なんなの」
カーバンクルは、答えない。ただ、私の腕の中で丸くなり、満足そうに喉を鳴らす。
宝石が、淡く光る。
その光が、私の視界を少しだけ変えた。
周囲の空気が、見える。
いや、見えるというより、感じる。
路地に染みついた悲しみ。捨てられたものたちの声。忘れられた想い。
いつもなら、これが頭痛の原因だった。
でも今は、違う。
カーバンクルがいるだけで、それらが「ただの情報」として整理される。
痛みがない。
「……すごい」
私は、思わず呟いた。
カーバンクルは、誇らしげに胸を張る。
その時、路地の奥から足音がした。
酔っぱらった若者の笑い声。
缶を蹴る音。
私は反射的に立ち上がり、カーバンクルを抱きしめた。
若者たちは、こちらに気づかず通り過ぎていく。
足音が遠ざかると同時に、胸の鼓動が耳に響いた。
「……大丈夫?」
問いかけると、カーバンクルは小さく鳴いた。
「クーン」
私は、路地を抜けて夜道を歩き始めた。
カーバンクルを抱いたまま。
不思議と、怖くなかった。
いつもなら、この時間帯は「見えるもの」が多すぎて、歩くのも辛い。
でも今は、カーバンクルがいるだけで、すべてが整理されている。
公園のベンチに座った。
カーバンクルは、当然のように私の膝に乗り、撫でると喉を鳴らす。
「……君、どこから来たの?」
答えはない。
でも、カーバンクルの宝石が、ふっと光った。
その光が、記憶を引き出す。
そういえば、昔。
祖母が言っていた。
「あんたには、守り神がつくよ」
子どもの頃、「変なものが見える」と泣いていた私に、祖母はそう言った。
「本当に辛くなったら、守り神が来てくれる」
私は、それを信じていなかった。
でも――。
「……君が、守り神?」
カーバンクルは、「クーン」と鳴いた。
肯定とも否定とも取れない声。
ただ、確かなのは、この子がそばにいるだけで、世界が少しだけ優しくなったこと。
突然、周囲の空気が歪んだ。
私は、息を呑んだ。
公園の向こう側、街灯の下に、何かが立っている。
人の形をしているが、人ではない。
怒りと後悔と恐怖が混ざった、危険な気配。
――これは、まずい。
今まで見てきた「見えるもの」とは、明らかに違う。
これは、本当に危険な存在だ。
私は、立ち上がろうとした。でも、足が動かない。
怪異が、こちらに気づいた。
ゆっくりと、近づいてくる。
初めて、「逃げたい」ではなく「死ぬかもしれない」と思った。
その瞬間カーバンクルが、私の前に飛び出した。
「待って!」
私の声は、届かない。
カーバンクルは、小さな体で怪異の前に立ちはだかる。
額の宝石が、強く輝く。
次の瞬間、空気が割れた。
反射。
怪異の悪意が、すべて跳ね返される。
怪異は、驚いたように後ずさり、そして消えた。
空気が、元に戻る。
私は、カーバンクルを抱き上げた。
小さな体が、震えている。
「……ありがとう」
カーバンクルは、私の腕の中で小さく鳴いた。
「クーン……」
その声は、疲れていた。
でも、満足そうだった。
私は、ようやく理解した。
この子は、「呼び出された」のではない。
"見えすぎる私"を守るために、この世界に流れ着いた存在なのだと。
「……一緒に来る?」
問いかけると、カーバンクルは答えの代わりに、頭を擦りつけてきた。
「クーン」
その声は、確かな肯定だった。
それから、カーバンクルはずっとそばにいる。
見えないものが多すぎる世界で、唯一、触れて温かい存在として。
私は、もう一人じゃない。
頭痛も、耳鳴りも、吐き気も、すべてカーバンクルが整理してくれる。
そして、本当に危険な存在からは、カーバンクルが守ってくれる。
それからの日々は、少しだけ楽になった。
「見えるもの」は相変わらず見える。
でも、深入りしなくなった。
一度、本気で「死にかけた」から。
カーバンクルがいなければ、あの夜、私は本当に死んでいたかもしれない。
ある日、玄関に黄色い人形が座っているのを見た。
カーバンクルは、すぐに「クーン」と鳴いた。
「害はない」という声だった。
私は、カーバンクルを信じた。
それから、電信柱に寄りかかる男を見た。
カーバンクルは、「クーン……」と低く鳴いた。
「悲しい」という声だった。
私は、カーバンクルの気持ちを受け止めた。
そして、会社の廊下でコピーを取る男を見た。
カーバンクルは、「クーン」と優しく鳴いた。
「手伝ってあげて」という声だった。
私は、カーバンクルの願いを叶えた。
カーバンクルは、私の相棒だ。
見えるものを整理してくれる存在。
危険から守ってくれる存在。
そして、何より寂しさを埋めてくれる存在。
私は、もう一人じゃない。
カーバンクルが、そばにいる。
それだけで、世界は少しだけ優しくなる。
夜、ベッドに入ると、カーバンクルが膝に乗ってくる。
「クーン」
「うん、今日もお疲れさま」
私は、その頭を撫でた。
宝石が、やさしく光る。
それは、「こちらこそ」という声に聞こえた。
私は、小さく笑った。
見えないものが多すぎる世界で、私はもう一人じゃない。
カーバンクルが、そばにいる。
それだけで、明日も生きていける。
そう思いながら、私は静かに目を閉じた。
これが、私とカーバンクルの、始まりの日。
私が、「独りで視える人」から「守られる側」になった日。
そして、これからずっと続いていく、日常の始まり。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
このお話は、はっきりした悪役も、大きな事件も出てきません。
いるのは、なぜか同じ場所に居続けてしまった誰かと、それに気づいてしまった主人公だけです。
主人公が選んだのは、解決することよりも、見送ること。
カーバンクルは、その選択を一人で抱え込まないための相棒でした。
この街のどこかにも、もしかしたら“止まったままの時間”があるかもしれません。
そんなときに、ふと思い出してもらえたら嬉しいです。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
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