表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

第7話 傷を癒す優しい光

 

 朝、ヴァルが現れない。


 リーナは封印の森の祭壇で待っていた。四時から待ち始めて、もう六時を過ぎている。昨日、南の封印を修復して呪いの進行は遅くなったはずだ。でも、ヴァル先生は現れない。


 不安が胸を締め付ける。もしかして...


 リーナは祭壇から立ち上がり、森の奥へと足を向けた。昨日、ヴァルが休んでいた洞穴へ向かう。しかし、そこにヴァルの姿はなかった。


「先生...どこに...」


 魔力を広げて感知を試みる。四拍で吸い、二拍保持、四拍で吐く。呼吸を整えて、周囲の魔力を探る。


 微かに、とても微かに、ヴァルの魔力を感じた。弱々しく、今にも消えそうな魔力の痕跡。森のさらに奥、普段は行かない場所から感じる。


 リーナは走った。木の根につまずきながら、枝に服を引っかけながら、必死に走った。


 そして、見つけた。


 古い大木の根元に、ヴァルが倒れていた。


「先生!」


 駆け寄ると、ヴァルの顔は土気色を通り越して、青白くなっていた。呼吸は浅く、不規則。額には冷や汗が浮かび、時々小さく呻き声を上げている。


「先生、しっかりして!」


 リーナはヴァルの身体を起こそうとしたが、反応がない。意識が朦朧としているようだ。高熱で、触れた手が火傷しそうなほど熱い。


 どうすれば...医者を呼ぶ?でも、魔王だと知られたら...それに、普通の医者では呪いは治せない。


「回復魔法...」


 リーナは思い出した。まだ教わっていない。でも、ヴァル先生が以前、少しだけ見せてくれたことがある。エミリアの擦り傷を治した時の、あの優しい光。


「癒しとは、生命力の分配...」


 ヴァルがうわごとのように呟いた。意識はないが、リーナの声に反応しているようだ。


「光は...生命の象徴...」


「優しさが...力になる...」


 断片的な言葉だったが、リーナには理解できた。回復魔法の本質は、自分の生命力を相手に分け与えること。そして、その媒介となるのは優しさの感情。


 リーナは両手をヴァルの胸に当てた。そして、目を閉じて意識を集中させる。


 自分の中にある生命力。それは魔力とは違う、もっと根源的な力。心臓の鼓動、血の流れ、呼吸のリズム。それら全てが生命力の現れ。


 その力を、優しさという感情で包み込む。ヴァル先生への感謝。この人に出会えて変われた喜び。もっと一緒にいたいという願い。全ての思いを込めて、生命力を手のひらに集める。


 すると、手のひらから温かい光が生まれた。


 淡い金色の光が、ヴァルの身体を包み込む。光は優しく脈動し、まるで生きているかのようにヴァルの中へと浸透していく。


「あ...」


 ヴァルの顔色が、少しだけ良くなった。呼吸も、わずかに安定してきている。


 効いている。本当に効いている。


 リーナは回復魔法を続けた。しかし、すぐに問題が起きた。


 自分の体力が、急速に削られていく。


 回復魔法は、文字通り自分の生命力を分け与える術。使えば使うほど、術者の体力が奪われる。リーナの額に汗が浮かび、手足が震え始めた。


 それでも、リーナは止めなかった。


「先生...戻ってきて...」


 何度も回復魔法を使う。光が生まれては消え、また生まれる。その度に、リーナの体力が削られていく。視界がぼやけ始め、意識が遠のきそうになる。


「リーナ!」


 声がした。振り返ると、レオンが立っていた。


「やはりここにいたか」


 レオンは状況を一目で理解した。倒れているヴァル、必死に回復魔法を使うリーナ。そして、リーナ自身が限界に近いことも。


「手伝わせてもらう」


 レオンはリーナの隣に膝をつき、同じようにヴァルに手を当てた。


「お前も回復魔法が...?」


「火を操る者は、熱を知る。熱は生命の証だ」


 レオンの手から、赤みを帯びた光が生まれた。リーナの金色の光とは違うが、確かに回復の力を持っている。


「なぜ...」


「強い者を見ると血が騒ぐ。それが俺の性分だ」


 レオンは照れたように言った。


「それに...お前の師匠なら、悪い奴じゃない」


 二人で回復魔法を使い続けた。金色と赤の光が混ざり合い、オレンジ色の温かい光となってヴァルを包む。


 次第に、ヴァルの状態が改善していった。土気色だった顔に、少しずつ血色が戻ってくる。呼吸も深くなり、規則正しくなっていく。


 夕方、ついにヴァルが目を覚ました。


「リーナ...レオン...」


 ヴァルは驚いた表情で二人を見た。


「なぜ...」


「仲間ですから」


 レオンがあっさりと答えた。その言葉に、ヴァルは言葉を失った。


 仲間。千年生きて、初めて言われた言葉だった。


「迷惑をかけた」


「迷惑なんかじゃありません」


 リーナは涙を流しながら言った。


「先生が倒れていて...どんなに心配したか...」


 その時、新たな声が聞こえた。


「やっと正体を現したね、旧友よ」


 振り返ると、学院長のメルヴィンが立っていた。飄々とした表情だが、その目は真剣だった。


「メルヴィン...」


 ヴァルは目を見開いた。


「まさか、知っていたのか」


「百年前から知っていたよ。君が姿を消した時から、ずっと探していた」


 メルヴィンは近づいてきて、ヴァルの前に座った。


「君は私の師匠だったじゃないか。忘れたのか、ヴァルハート」


「師匠...?」


 リーナとレオンが驚いた。まさか、学院長がヴァルの弟子だったなんて。


「正確には、百二十年前だ。まだ私が若造だった頃、君に魔法を教わった。たった一年だったが、私にとっては宝物のような時間だった」


 メルヴィンは懐かしそうに笑った。


「君は優しい教師だった。厳しくも、温かかった。だから、君が魔王と呼ばれて恐れられているのが、私には理解できなかった」


「それは...」


「知っているよ。君は誰よりも優しい。だから、誰よりも孤独だった」


 メルヴィンの言葉に、ヴァルは俯いた。


「最後まで見届けさせてもらうよ、師よ」


 その言葉に、ヴァルの目から一筋の涙が流れた。千年ぶりの涙だった。


「みんな...どうして...」


「決まってるじゃないか」


 レオンが言った。


「あんたは、リーナを変えた。無能と呼ばれた少女を、ここまで成長させた。それだけで、俺たちがあんたを助ける理由になる」


「そうよ」


 新たな声がした。エミリアも来ていた。


「リーナの大切な人は、私の大切な人でもあるの」


 気がつけば、周りには学院の生徒たちも集まっていた。みんな、リーナの成長を見ていた者たちだ。そして、その師匠であるヴァルに敬意を持っていた。


「魔王だろうと関係ない」


「リーナ先輩を強くしてくれた人だ」


「俺たちも、何か手伝えることがあれば」


 生徒たちの声に、ヴァルは言葉を失った。


 千年間、恐れられ、避けられ、一人で生きてきた。でも、今、こんなにも多くの人が自分を囲んでいる。心配してくれている。


「私は...」


 ヴァルの声が震えた。


「私は、もう一人じゃないのか...」


「当たり前でしょう」


 リーナが優しく言った。


「先生は、もう一人じゃありません。みんながいます」


 ヴァルは顔を覆った。千年分の孤独が、一気に溶けていくようだった。


「ありがとう...みんな...」


 震える声で、ヴァルは礼を言った。生まれて初めて、心からの感謝の言葉だった。


 夜、森の祭壇にみんなが集まっていた。


 ヴァルはまだ本調子ではないが、座っていることはできた。リーナとレオンの回復魔法のおかげで、かなり体力が戻っている。


「残り三日か...」


 レオンが呟いた。そう、もうすぐ午前0時。カウントダウンが進む時間だ。


「でも、呪いの進行は遅くなってる」


 エミリアが前向きに言った。


「きっと、もっと時間があるはず」


「そうだといいが...」


 ヴァルは胸の紋章を見つめた。「4」の数字が、薄く光っている。


 メルヴィンが口を開いた。


「実は、古い文献を調べていてね。興味深いことが分かった」


 みんなの視線が学院長に集まる。


「継承の儀式というものがある」


「継承...?」


「魔王の力を、完全に他者に譲渡する儀式だ。ただし...」


 メルヴィンの表情が曇った。


「譲渡した者は、消滅を免れない。そして、受け継いだ者は、魔王の運命も引き継ぐ」


「それじゃあ...」


 リーナが青ざめた。


「はい。受け継いだ者も、いずれは同じ運命を辿ることになる」


 重い沈黙が流れた。


 でも、リーナは顔を上げた。


「それでも、方法があるなら...」


「リーナ」


 ヴァルが制止した。


「君にそんな運命を背負わせるわけにはいかない」


「でも...」


「いいんだ。私は十分に生きた。そして、最後にこんなに素晴らしい仲間に出会えた。それで十分だ」


 ヴァルは優しく微笑んだ。


「残り三日、全力で君たちを教える。それが、私にできる最後の恩返しだ」


 教会の鐘が鳴り始めた。


 みんなが見守る中、ヴァルの紋章が光り始める。


 鐘が十を打ち切る。紋章の「4」が「3」に落ちた。


 痛みは、昨日よりもさらに軽かった。呪いの進行が確実に遅くなっている。でも、それでも消滅は避けられない。


「あと三日...」


 ヴァルは呟いた。


 でも、その声に絶望はなかった。むしろ、穏やかささえ感じられた。


「三日もあれば、まだまだ教えられる」


 ヴァルは立ち上がった。まだふらつくが、レオンが支えてくれる。


「明日は召喚魔法だ。リーナ、君だけの使い魔を作ろう」


「はい!」


 リーナは元気に答えた。涙の跡が残る顔で、でも笑顔だった。


「レオン、君も一緒に訓練だ」


「ああ、もちろん」


「エミリア、君は資料を集めてくれ。まだ何か方法があるかもしれない」


「分かりました!」


 みんなが動き始めた。諦めない。最後の最後まで、諦めない。


 メルヴィンが近づいてきて、ヴァルの肩に手を置いた。


「師よ、最後まで見届けさせてください」


「メル...ありがとう」


 ヴァルは昔の愛称で呼んだ。百年ぶりの再会だった。


 森の奥では、星が輝いていた。


 リーナは空を見上げた。昨日よりも、星が明るく見える気がした。それは、希望の光のようにも見えた。


「先生、絶対に諦めません」


 リーナは小さく呟いた。


「必ず、方法を見つけます」


 ヴァルはその言葉を聞いて、小さく笑った。この子の前向きさが、自分を支えてくれている。


「ありがとう、リーナ」


「先生...」


「君に出会えて、本当に良かった」


 ヴァルの言葉に、リーナはまた涙が溢れそうになった。でも、今度は悲しい涙じゃない。温かい涙だった。


 みんなで森を出て、王都への道を歩いた。


 ヴァルは仲間に囲まれて歩いている。千年間、一人で歩いてきた道。でも、今は違う。隣に誰かがいる。支えてくれる人がいる。


「これが...仲間というものか」


 ヴァルは心の中で呟いた。


 温かい。とても、温かい。


 学院の門をくぐる時、神殿の使者が待っていた。紫紺の封蝋が押された書状を持っている。


「魔法学院長メルヴィン殿。神殿より、質問状です」


 メルヴィンは書状を受け取った。中を確認すると、顔が険しくなる。


「森の魔力異常について、説明を求めると」


「どうします?」


 レオンが心配そうに聞いた。


「時間稼ぎをする」


 メルヴィンははっきりと言った。


「少なくとも、あと三日は」


 使者は訝しげな顔をしたが、メルヴィンの威厳に押されて引き下がった。


「三日後に、正式な回答をする」


「承知しました」


 使者が去った後、メルヴィンは振り返った。


「さあ、時間がない。訓練を続けよう」


 みんなが頷いた。


 残り三日。


 でも、諦めない。奇跡を信じて、最後まで戦う。


 リーナは決意を新たにした。ヴァル先生を救う方法を、必ず見つける。たとえそれが、どんなに困難でも。


 夜遅く、リーナは一人で図書館にいた。


 古い文献を読み漁っている。継承の儀式について、もっと詳しく知りたかった。


「何か...何か抜け道があるはず...」


 ページをめくる手が震える。疲労と、焦りと、希望が入り混じっている。


 その時、一つの記述が目に留まった。


「継承の儀式において、譲渡者と継承者の魂が共鳴する時...」


 リーナは息を呑んだ。


「新たな可能性が生まれることがある」


 これだ。これが、答えかもしれない。


 リーナは本を抱きしめた。明日、ヴァル先生に話そう。きっと、何か方法があるはず。


 窓の外では、星が静かに輝いていた。


 あと三日。


 時間は少ない。でも、希望はある。


 リーナはそう信じて、本を読み続けた。朝まで、ずっと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ