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第4話 守りたいものを守る盾

 

 王都に響く警鐘が、朝の静寂を破った。

 銅の鐘が激しく打ち鳴らされる音は、緊急事態を告げる合図だった。市民たちが窓から顔を出し、不安そうに空を見上げる。衛兵たちが慌ただしく走り回り、剣を抜いて配置についていく。

「魔獣が市街地に!南門付近に三頭!」

 伝令の声が響き渡る。魔獣の出現。それは王都では珍しい出来事だった。普段は森の奥深くに棲む魔獣が、なぜ人里に現れたのか。

「森の"封"が弱まってるって噂は本当だったのか」

「南側で瘴気が濃くなってるらしいぞ」

 群衆の不安な声が飛び交う中、衛兵隊長が叫んだ。

「市街地第二警戒網展開!避難誘導路A・B開放!市民は速やかに避難を!」


 早朝五時、封印の森の祭壇前。リーナは今日、三時半に起きて四時には森に到着していた。昨日の公開演習での経験が、彼女を突き動かしていた。一人で火と水の練習をしていると、ヴァルが現れた。

 今日のヴァルは、昨日よりもさらに顔色が悪かった。歩く姿も、どこか力がない。それでも、いつものように冷静な表情を保っている。市街地では目立てない、という理由もあって、今日は森での訓練に徹することにしていた。


「早いな」

「はい。自主練習をしていました」


 リーナが作った小さな火球と水球を見て、ヴァルは微かに頷いた。昨日よりも安定している。この子の成長速度は、本当に驚異的だ。


「今日は守る魔法を教える」


 ヴァルは手を前に出した。すると、薄い光の膜が現れた。透明に近い、淡い青色の膜が、ヴァルの前に展開される。


「防御結界。これが基本中の基本だ」


 ヴァルが石を拾い、結界に向かって投げた。石は結界に当たって、あっさりと弾かれる。まるで見えない壁にぶつかったように、石は地面に落ちた。


「攻撃を"最大の防御"と呼ぶのは、守れない者の言い訳だ」


 ヴァルの声には、いつもと違う重みがあった。千年の時を生きて、守れなかったものがいくつもある。その後悔が、言葉に滲んでいた。


「結界の本質は、魔力を壁として展開することだ。だが、ただ魔力を固めればいいというわけではない」


 ヴァルは結界を消し、もう一度作り直した。今度は、結界の構造がよく見えるように、あえて濃い色にする。


「層を作れ。一枚の厚い壁より、薄い層を重ねた方が強い。魔力を編むように、織物を作るイメージだ」


 そして、ヴァルは重要な一言を加えた。


「層は重ねるだけでは脆い。芯を通せ。守る対象を芯にして編め。芯が太ければ、外層は勝手に噛み合う」


 リーナは頷きながら、その言葉を胸に刻む。守る対象を芯にする。それが結界の本質なのか。


「過負荷で色が変わったら危険域だ。脈の乱れ、耳鳴り、指の痺れ。この三徴候が同時に来たら、即座に解除しろ」


 リーナは手を前に出し、魔力を展開しようと試みた。最初は、ただ魔力を前に押し出すだけで、形にならなかった。霧のように拡散してしまう。


「違う。魔力に意志を込めろ。何を守りたいのか、明確にイメージしろ」


 何を守りたいか...リーナは目を閉じて考えた。両親はもういない。でも、エミリアがいる。ヴァル先生がいる。学院の仲間たちがいる。守りたい人はたくさんいる。その思いを魔力に込めて、もう一度展開する。すると、薄い光の膜が現れた。まだ不安定で、すぐに消えてしまったが、確かに結界の形を取った。


「そうだ。大切なのは、守りたいという意志だ。技術は後からついてくる」


 ヴァルは近づいてきて、リーナの手を取った。そして、一緒に結界を展開する。ヴァルの魔力がリーナの魔力を導き、正しい形へと整えていく。


「層を意識しろ。一枚、二枚、三枚...最低でも三層は必要だ」


 リーナは言われた通り、魔力を層状に展開していく。薄い膜を重ねるように、慎重に魔力を制御する。一層目、二層目、三層目...少しずつ、結界が厚みを増していく。


「できた...!」


 リーナの前に、淡い光の結界が展開されていた。まだ薄く、頼りないが、確かに三層構造になっている。


「維持しろ。作るだけでは意味がない。攻撃を受け続けても、維持できなければ」


 結界を維持するのは、作るよりも難しかった。集中力が必要で、少しでも気を抜くと形が崩れる。魔力も徐々に消耗していく。五分も経たないうちに、リーナは額に汗を浮かべていた。


「疲れたか?」

「いえ...まだ...」


 リーナは歯を食いしばって結界を維持した。守る力。それは自分が一番欲しかった力だ。もう二度と、大切な人を失いたくない。その思いが、リーナを支えていた。


 十分後、ついに結界が崩れた。リーナは膝に手をついて、荒い呼吸を整える。全身から汗が噴き出していた。


「十分も維持できれば、初回としては上出来だ」


 ヴァルの言葉に、リーナは顔を上げた。褒められた。厳しいヴァル先生に、褒められた。


「でも、実戦ではもっと大変ですよね」

「そうだ。攻撃を受けながら維持するのは、何倍も難しい。だが...」


 ヴァルは遠くを見つめた。王都の方角から、微かに鐘の音が聞こえてくる。


「実戦は、思ったより早く来るかもしれないな」


 その言葉の意味を、リーナはまだ理解していなかった。


 午後二時、リーナは買い物のために王都の市場を歩いていた。朝の訓練の後、ヴァルは「一人で練習しろ」と言って姿を消した。顔色が悪かったので心配だったが、「市街地では目立てない」という理由もあるようだった。


 市場は普段通りの賑わいを見せていた。朝の警鐘騒ぎも収まり、魔獣は衛兵たちが追い払ったという噂が流れていた。リーナは薬草屋で火傷の薬を買い、パン屋で昼食用のパンを買った。


 その時だった。再び警鐘が鳴り響いた。今度は、朝よりも激しく、切迫した音だった。


「魔獣だ!今度は市場に向かってくる!」


 誰かの叫び声と同時に、人々がパニックになった。悲鳴が上がり、人々が四方八方に逃げ惑う。荷車がひっくり返り、商品が道に散乱する。


 リーナも逃げようとしたが、その時、小さな泣き声が聞こえた。振り返ると、五歳くらいの男の子が、ひっくり返った荷車の下敷きになりかけていた。足が挟まって動けないようだ。


「お母さん...お母さん...」


 男の子は泣きながら、必死に足を引き抜こうとしていた。でも、荷車は重く、子供の力では動かない。


 リーナは迷わず走った。男の子の元へ駆け寄り、荷車を持ち上げようとする。昨日習った身体強化を使い、全力で持ち上げた。荷車が少し浮き、男の子の足が自由になる。


「怪我はない?名前は?」

「レン...レンだよ。うん、大丈夫...でも、お母さんが...」


 レンと名乗った男の子が指差す方向を見ると、巨大な影が建物の向こうから現れた。


 魔獣だった。


 狼型の魔獣で、体高は三メートルはあろうかという巨体だった。黒い毛皮に覆われ、赤い目が獰猛に光っている。牙からは唾液が滴り、低いうなり声を上げていた。リーナとの距離は約十二メートル。背後は石造りの壁で、退路は塞がれている。


 リーナの全身が震えた。恐怖で足がすくむ。逃げたい。今すぐここから逃げ出したい。でも、レンがいる。この子を置いて逃げることはできない。


「レン、こっち!」


 リーナはレンの手を引いて、建物の陰に隠れようとした。しかし、魔獣はすでに二人を見つけていた。赤い目が、真っ直ぐこちらを見ている。そして、ゆっくりと近づいてきた。


 逃げ場はない。後ろは壁、前には魔獣。どうすれば...


 その時、レンの泣き声で我に返った。小さな手が、リーナの服を掴んでいる。震えている。この子は、自分を頼っている。自分が守らなければ、この子は...


「私が...守らなきゃ!」


 リーナはレンを背中に庇い、前に出た。震える手を前に突き出す。朝の訓練を思い出す。守りたいという意志。それが結界の源だ。そして、守る対象を芯にして編む。レンを守る、その一点に意志を集中させる。


 魔力を展開する。一層、二層、三層...薄い光の膜が、リーナとレンの前に現れた。まだ不完全で、穴だらけの結界。でも、ないよりはマシだった。


 魔獣が跳びかかってきた。巨大な爪が、結界に激突する。


 爪が結界を叩く。一層、砕ける。二層、きしむ。三層で踏み止まる。


 衝撃でリーナの全身が震えた。なんとか魔獣の攻撃を防いだが、結界は限界に近い。


「すごい...お姉ちゃん、魔法使い?」


 レンが驚いたように言った。リーナは振り返らずに答える。


「そうよ。だから、大丈夫。お姉ちゃんが守るから」


 強がりだった。結界はもう限界に近い。魔力も急速に消耗している。次の攻撃で、確実に破られる。


 魔獣が再び攻撃の構えを取った。今度は、さっきより大きく跳躍する。全体重を乗せた攻撃が、結界に降り注ぐ。


 結界が砕けた。


 光の破片が散り、リーナは衝撃で後ろに吹き飛ばされた。背中を壁に打ちつけ、激痛が走る。視界がぼやける。


 魔獣がゆっくりと近づいてくる。もう、結界を作る魔力は残っていない。終わりだ...


 でも、レンを見た時、リーナの中で何かが変わった。この子の命は、自分が守る。絶対に守る。たとえ自分が犠牲になっても。


 リーナは震える足で立ち上がった。そして、レンの前に立ちはだかる。もう魔法は使えない。でも、せめて盾になる。この身体で、少しでも時間を稼ぐ。


「逃げて!今のうちに!」


 レンに叫ぶ。でも、レンは動かなかった。恐怖で足がすくんでいるのだ。


 魔獣の爪が振り下ろされる。リーナは目を閉じた。


 その瞬間、リーナの中で何かが爆発した。


 背に押し当てられたレンの小さな掌。守る対象を芯に貫くと、外層が自動で重なった。


 全身から光が溢れ出す。それは意識的なものではなかった。守りたいという思いが、限界を超えて、新たな力を呼び覚ましたのだ。


 新しい結界が展開された。今度は、さっきとは比べ物にならない強度だった。五層、いや、十層以上の結界が、一瞬で展開される。透明だった結界は、今や黄金色に輝いていた。


 魔獣の爪が結界に当たり、火花を散らす。しかし、結界は微動だにしない。それどころか、魔獣の方が弾き飛ばされた。


「これは...」


 リーナ自身も驚いていた。こんな強い結界を作った覚えはない。でも、確かに自分の魔力だ。身体の奥底から、今まで感じたことのない力が湧き上がってくる。


 魔獣は怒り狂って、何度も結界に体当たりしてきた。しかし、結界はびくともしない。それどころか、攻撃を受ける度に、より強固になっていくようだった。


「頑張って、お姉ちゃん!」


 レンの声援が聞こえる。リーナは歯を食いしばって、結界を維持し続けた。額から汗が流れ、手足が震える。魔力が急速に消耗していく。でも、倒れるわけにはいかない。この子を守ると決めたのだから。


 どれくらいの時間が経ったのか。体感では一刻(約三十分)にも感じたが、実際は一分未満だったかもしれない。ついに援軍が到着した。


「王国騎士団だ!第二警戒網に合流しろ!避難導線Aへ市民を誘導!」


 鎧を着た騎士たちが、剣と魔法で魔獣を攻撃する。騎士団長と思われる、立派な髭を蓄えた男性が指揮を取っていた。


「バルガス隊長、左翼から回り込め!魔獣を森へ追い返せ!」


 数の優位と連携攻撃に、魔獣はついに撤退を始めた。森の方へと逃げていく魔獣を、騎士たちが追いかけていく。その逃げ方が妙に素早く、まるで何かに誘導されているようにも見えたが、今は追及している場合ではなかった。


 危機が去って、リーナの結界がゆっくりと消えた。黄金の層が消えると同時に、耳鳴りと指の痺れが遅れて襲う。危険域の徴候だ。そして、糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。


「お姉ちゃん!」


 レンが心配そうにリーナの顔を覗き込む。リーナは微笑んで見せた。


「大丈夫よ...守れたから...」


 そこへ、一人の女性が走ってきた。レンの母親だった。


「レン!無事だったのね!」


 母親はレンを抱きしめ、それからリーナに向き直った。涙を流しながら、深く頭を下げる。


「ありがとうございます。この子を守ってくださって...本当に、本当にありがとうございます」


「いえ...当然のことをしただけです」


 リーナは照れくさそうに答えた。でも、胸の奥には温かいものが広がっていた。守れた。初めて、誰かを守ることができた。


 騎士団長が近づいてきた。階級章から、大隊長であることが分かる。威厳のある男性だった。


「君は立派だった。あの年で、これほどの結界を...」


 騎士団長は感心したように言った。そして、厳しい表情を作る。


「本来なら、民間人の無許可戦闘は処罰の対象だ。市民を危険に晒す可能性があるからな」


 リーナの顔が青ざめたが、騎士団長はすぐに表情を和らげた。


「だが、今回は感謝する。王国騎士団として、君の勇気と行動に敬意を表する。君のような若者がいることを、誇りに思う」


 周りに集まってきた市民たちからも、拍手と感謝の声が上がった。リーナは恥ずかしくて、顔を赤くした。こんなに褒められたことなんて、生まれて初めてだった。


 夕方、封印の森でヴァルが待っていた。リーナが森に着くと、ヴァルは祭壇に腰掛けていた。いつもの無表情だったが、どこか安堵しているように見えた。


「聞いたぞ。魔獣から子供を守ったそうだな」

「先生...聞いていたんですか」

「王都中の噂になっている。『勇敢な少女魔法使い』とな」


 ヴァルは立ち上がり、リーナに近づいた。そして、短く言った。


「よくやった」


 たった三文字。でも、その重みは十分だった。リーナの目から涙が溢れた。ヴァル先生に認められた。それが何より嬉しかった。


「守れました...初めて、誰かを守れました」


 リーナは涙を拭いながら言った。声が震えている。


「でも、最後の結界は...自分でも何が起きたのか分かりません。突然、すごい力が...」


「器は深い。だから制御を先に覚えろ。暴走は守りではない」


 ヴァルは静かに言った。説明は最小限に留め、核心だけを伝える。


「今日、守りたいという強い思いが、その深淵の力を一瞬だけ引き出した。だが、感情任せでは危険だ」


 リーナは驚いて顔を上げた。自分に、そんな力があったなんて。


「基礎をしっかりと身につけることだ。それが本当の強さになる」


 ヴァルは携行庫から何かを取り出した。温かいスープと、焼きたてのパンだった。


「食べろ。魔力を使いすぎた後は、栄養補給が大切だ」


 二人は祭壇の前に座り、一緒に夕食を取った。温かいスープが、疲れた身体に染み渡る。パンも柔らかくて美味しかった。


「先生は、誰を守りたかったんですか?」


 リーナが何気なく聞いた。ヴァルの手が一瞬止まった。


「...守りたかった者は、もういない」


 ヴァルの声には、深い悲しみが滲んでいた。千年の間に、守れなかった者たちの顔が脳裏に浮かぶ。仲間、友人、愛した人...みんな、時の流れの中で消えていった。


「昔の自分を見ているようだ」


 ヴァルは遠い目をして続けた。


「初めて守れた時の、あの感覚...忘れられない。君も今日、それを知った」


 リーナは黙って聞いていた。ヴァル先生にも、そんな過去があったのか。千年という時間の中で、どれだけの別れを経験したのだろう。


「守るって、こんなに温かいんですね」


 リーナが小さく呟いた。


「そうだ。強さとは、大切なものを守る力だ。破壊することは簡単だ。だが、守り続けることは、何倍も難しい」


 ヴァルの言葉が、リーナの心に深く刻まれた。


 食事を終えて、二人は王都への道を歩いていた。今日は小雨が降っていて、道がぬかるんでいた。ヴァルの足取りが、いつもより重い。時々、小さく咳をしている。


「先生、本当に大丈夫ですか?」

「...なんでもない」


 ヴァルはいつもの答えを返したが、その声には力がなかった。実際、今日は特に調子が悪かった。朝から頭痛が酷く、視界も時々ぼやける。呪いの進行が、確実に早まっている。


 王都の門をくぐると、エミリアが待っていた。心配そうな顔をしている。


「リーナ!聞いたわ、魔獣と戦ったって!」


 エミリアは駆け寄ってきて、リーナを抱きしめた。


「無事で良かった...本当に心配したんだから」

「ごめん、エミィ。でも、大丈夫だったから」


 リーナは親友を安心させるように微笑んだ。


「リーナが魔獣を止めたって、街中の噂よ!みんな、英雄だって言ってる」


 エミリアの言葉に、リーナは照れくさそうに俯いた。英雄なんて、大げさだ。ただ、目の前の子供を守りたかっただけなのに。


 ヴァルは少し離れたところから、二人の様子を見ていた。リーナには、良い友人がいる。それが救いだ。自分がいなくなっても、きっとこの子は大丈夫だろう。


「それじゃあ、私はここで」


 ヴァルが立ち去ろうとすると、エミリアが声をかけた。


「あの...あなたが、リーナの先生ですか?」


 ヴァルは振り返らずに答えた。


「ただの、通りすがりだ」


 そして、夜の闇に消えていった。エミリアは不思議そうに首を傾げたが、リーナは何も言わなかった。ヴァル先生のことは、まだ秘密にしておきたかった。


 深夜、封印の森の奥。ヴァルは木にもたれかかって座っていた。全身が熱い。熱があるのだろう。呪いが、身体を蝕んでいる。


「封の綻び...南の瘴気...あの術式の系統か」


 ヴァルは小さく呟いた。魔獣の出現には、何か裏があるような気がした。だが、今はそれを調べる余力もない。


 今日のリーナの活躍を思い出す。あの子は、本当に強くなった。たった四日で、ここまで成長するとは。守りたいという思いが、あれほどの力を引き出すとは。


 やはり、あの子は特別だ。自分の全てを託すに値する。


 教会の鐘が鳴り始めた。もうすぐ午前0時。


 鐘が十を打ち切る。紋章の「7」が「6」に落ちた。


 同時に、激しい痛みが走った。胸を締め付けられるような痛み。呼吸が苦しい。ヴァルは地面に倒れ込み、必死に息をした。


「あと...六日...」


 このペースだと、もって四日かもしれない。でも、まだ教えることは山ほどある。感知魔法、幻影魔法、回復魔法...そして、最後には固有魔法も。


「間に合うか...」


 ヴァルは夜空を見上げた。星が見えない。雲に覆われている。まるで、自分の未来のように、何も見えない。


 でも、一つだけ確かなことがある。リーナは、必ず強くなる。自分を超える、最強の魔法使いになる。それだけは、確信していた。


「守りは張れる。次は"察知"だ。守るには、来る前に知る」


 ヴァルは自分に言い聞かせるように呟いた。明日は感知魔法を教える。敵を事前に察知し、危険を回避する術。それもまた、守るために必要な力だ。


「リーナ...君になら、全てを託せる」


 ヴァルは目を閉じた。明日のために、体力を温存しなければ。あと少し、あと少しだけ、持ちこたえなければ。


 一方、学院の寮では、リーナがベッドに横たわっていた。今日一日の出来事を思い返している。


 魔獣と対峙した時の恐怖。でも、それ以上に強かった、守りたいという思い。そして、守れた時の喜び。レンの笑顔、母親の涙、騎士団長の言葉。全てが、胸を温かくする。


「私、変われたのかな...」


 小さく呟く。まだ自信はない。でも、確実に昨日までとは違う自分がいる。魔法が使える。誰かを守れる。それだけで、世界が違って見える。


 ヴァル先生のおかげだ。あの人に出会えなかったら、今も「無能」のまま、諦めていただろう。


 でも、先生の様子が心配だ。日に日に顔色が悪くなっている。今日も、歩くのが辛そうだった。何か、重い病気なのだろうか。


「先生...」


 窓の外を見ると、小雨が降り続いている。足音のない夜風が、どこかざわついていた。まるで、何か良くないことが起きる前触れのように。


 明日は晴れるだろうか。そして、ヴァル先生は元気だろうか。


 リーナは目を閉じた。明日も早起きして、森へ行こう。そして、もっと強くなろう。守る力を、もっと確実なものにしよう。


 いつか、ヴァル先生も守れるくらい、強くなりたい。その思いを胸に、リーナは眠りについた。


 雨音が、優しく窓を叩いていた。

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