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Outer Gods Online-多元侵話生存録-  作者: 無我
第一章 VRMMORPG
8/23

第7話 日常

綾城透真の朝は、いつも静かで機械的に始まる。


フルダイブ装置“Nox Terminal”の電源ランプが微かに点滅する部屋で、彼はベッドから身を起こす。


時計は午前6時15分。窓の外では、東京の街がまだ薄暗い朝靄に包まれている。カーテンを開けると、ビルの隙間から差し込む朝日が、ワンルームのシンプルな内装を淡く照らす。


(昨夜の墓所での戦闘……まだ骨の軋む感覚が残っている気がする)


透真は首を軽く振って、ゲームの余韻を振り払う。フルダイブVRMMORPG『Outer Gods Online』の没入感は異常だ。

肉体を持たないアバター“TŌRMA”として過ごした数時間が、まるで現実の記憶のように脳に刻まれている。だが、今は現実だ。木曜日の朝、いつも通りのルーティンが待っている。


彼はベッドを整え、キッチンへ向かう。冷蔵庫からプロテインシェイクとバナナを取り出し、朝食を準備する。手際よくシェイカーを振る音が、静かな部屋に響く。スマートグラスを装着し、ニュースフィードを流しながら朝食を摂る。画面には、国内外の経済動向や先端技術のトピックが並ぶ。


《ニュース速報:世界初のフルダイブVRMMORPG『Outer Gods Online』、同時接続1000万人突破。開発元の匿名集団への注目が高まる》


(またか……このゲーム、話題が尽きないな)


透真はプロテインを飲み干し、ニュースの詳細に目を通す。掲示板の書き込みが引用されており、プレイヤーたちの熱狂ぶりが伝わってくる。

だが、彼の関心は別の部分にある。記事の末尾に、開発元の匿名性と、ゲームの異常な軽量データ容量――1.38MB――についての憶測が書かれていた。


(あの容量で、あの没入感。技術的にはあり得ない。背後に何かがある)


情報戦略室の主任としての思考が、ゲームの裏側を解析しようとする。だが、時間がない。透真はバナナの皮をゴミ箱に捨て、洗面所へ向かう。顔を洗い、歯を磨き、鏡に映る自分の顔を一瞥する。29歳、孤児として育ち、感情を押し殺してきた男の顔。どこか疲れた目が、彼自身の“意味”を問うかのように見つめ返す。


(……考えるのは後だ)


スーツに着替え、ネクタイを締める。スマートグラスの通知が、電車の時刻を告げる。透真はカバンを手に、マンションのドアを閉める。電子ロックの軽い音が、朝の静寂に響く。


【朝、中央線快速】


電車はいつものように混雑している。透真はつり革を握り、スマートグラスでメールをチェックする。情報戦略室からのタスク確認、クライアントからの問い合わせ、そして後輩の川越からの軽いチャット。『Outer Gods Online』の話題が、社内でも広がっているらしい。


《川越:綾城さん、昨夜ログインしました? 俺、街スタートでやっと交易イベントクリアしたんですよ! 星降る夜、楽しみっすね!》


透真は小さく笑い、短く返信する。


《綾城:ログインした。ダンジョンスタートだ。イベントは確かに気になるな》


送信後、ふと視線を上げる。車内の広告モニターに、『Outer Gods Online』のプロモーション映像が流れている。星々が瞬く宇宙を背景に、異形のアバターや神秘的なNPCが映し出される。キャッチコピーは、“貴方の正気と意味を試すエンターテイメント”。乗客の中には、スマートフォンで掲示板をチェックしているらしい若者もいる。


(これが静かなブーム?だが、この熱はどこまで広がる?)


電車が新宿駅に滑り込む。透真は人波に紛れ、改札を抜ける。オフィスまでは徒歩10分。朝の空気はまだ涼しく、アスファルトの匂いが鼻をつく。


【午前、会社内 ― 情報戦略室】


オフィスに到着すると、情報戦略室はすでに静かな活気に満ちている。モニターの光がデスクを照らし、キーボードの音がリズミカルに響く。透真は自分の席に着き、モニターを起動。今日のタスクは、先端技術動向のレポート作成と、クライアントとのミーティング準備だ。


「おはよう、綾城さん。昨日、遅くまでプレイしてたでしょ? 目がちょっと赤いっすよ」


後輩の川越が、コーヒー片手に笑いながら声をかけてくる。透真は軽く目を細め、曖昧な笑みを返す。


「まあな。ダンジョンは手応えがあってな。街スタートはどうだ?」


「街は平和っすよ! 昨日、NPCの酒場で『星降る夜』の噂聞いてきた。なんか、イベントで上位存在が絡むらしいっすね。綾城さん、ダンジョンだとそういうのバンバン出てくるんじゃないですか?」


「出てくるな。白仮面の少女って知ってるか?」


川越の目が一瞬大きくなる。


「マジっすか!? 掲示板で噂になってる、あのNPC!? 契約の話持ちかけてくるヤツですよね? どうしたんです?」


「契約は断った。リスクが高すぎる」


「さすが綾城さん、冷静っすね……俺ならビビって受けちゃいそう」


川越の軽い調子に、透真は小さく笑う。だが、内心では白仮面の少女の言葉がリフレインする。「夜はまだ終わらぬ、墓所の新生児」。あの声は、ゲームの枠を超えて彼の意識に響いている。


「川越、掲示板で変な書き込みを見たら教えてくれ。『何か』が混じってるらしいからな」


「了解っす! あの『何か』、マジで不気味ですよね。時折スレッドに出没する文字化けレス、見たときゾッとしましたよ」


会話はそこで終わり、透真はレポート作成に取り掛かる。だが、モニターの片隅に開いた掲示板のタブが、ふと目に入る。スレッドの最新書き込みには、「星降る夜」の予告イベントに関する情報が溢れている。プレイヤーたちの興奮が、画面越しに伝わってくる。


(このゲーム、どこまで現実を侵食する気だ?いや馬鹿なことを考えすぎか)


ゲームに✉️めり込み過ぎだと自嘲する。


【昼、オフィス外の休憩スペース】


昼休み、透真は弁当を手に休憩スペースへ向かう。社が経営するカフェテリアは賑やかで、同僚たちが雑談に花を咲かせている。透真は隅の席に座り、弁当を開く。コンビニのサラダとサンドイッチ。シンプルで効率的な食事だ。


ふと、隣の席から聞き覚えのある声がする。

「綾城さん、珍しいですね。いつもデスクで食べてるのに」


振り返ると、朝霧華澄が笑顔で立っている。彼女は透真の近所に住む18歳の大学生で、以前、電車で痴漢から助けたことがきっかけで顔見知りになった。

大学も会社の隣というご近所だ。

華澄は時折、余った手作り弁当を差し入れてくれる。今日も、手提げ袋からタッパーを取り出し、透真の前に置く。


「昨日、ちょっと作りすぎちゃって。綾城さん、食べてくださいね」


「いつも悪いな。ありがとう」


透真は軽く頭を下げ、タッパーを開ける。中には彩り鮮やかなおかずが詰まっている。華澄の料理は、見た目も味も丁寧だ。彼女は向かいの席に座り、自分の弁当を広げる。


「綾城さん、最近忙しそうですね。なんか、目がキラキラしてるけど……新しい趣味でも始めたんですか?」


華澄の観察力に、透真は一瞬たじろぐ。彼女は無意識に、人の変化を鋭く捉える癖がある。


「趣味というか……ゲームを始めた。『Outer Gods Online』って知ってるか?」


華澄の目がぱっと輝く。


「知ってます! 私もやってるんです! 街スタートで、KASUMINって名前で。綾城さんは?」


(まさか、華澄もプレイヤーだったとは)


透真は一瞬驚くが、すぐに冷静さを取り戻す。


「俺はTŌRMA。ダンジョンスタートだ」


「えー! ダンジョン!? めっちゃハードモードじゃないですか! 私、寺社エリアでまったりエピソードやってるだけなのに……綾城さん、どんなアバターなんですか?」


「全身骸骨だ。異形系で、デメリット5つ」


華澄が目を丸くし、思わず笑い出す。


「骸骨!? 凄くカッコいい! でも、デメリット5つって、大変そう……。私、デメリット1つでビビってるのに。綾城さん、ほんとすごいですね」


「いや、ただの選択だ。ゲームだしな」


透真は淡々と答えるが、華澄の笑顔に、どこか心が軽くなる。彼女の純粋な反応は、ゲーム内の重い選択や墓地の冷たい空気とは対照的だ。


「『星降る夜』、楽しみですよね。私、寺社エリアで『星の祈り』ってエピソードやったんです。なんか、すごいことが起こりそうな予感! 綾城さんも、イベント参加しますよね?」


「ああ、予定だ。墓所でも、何か動きがありそうだからな」


「じゃあ、イベントで会えたらいいですね! TŌRMAさん、骸骨でも絶対カッコいいはず!」


華澄の無邪気な言葉に、透真は小さく笑う。昼休みの残り時間、二人はゲームの話題で盛り上がる。華澄の話すエピソードは、街スタートらしい穏やかなものばかり。寺社の灯籠流しや、NPCとの心温まる会話。TŌRMAの墓所での戦闘とは、まるで別世界だ。


(このゲーム、プレイヤーによってこんなに違う体験になるのか)


【夕方、退社】


夕方6時、透真はオフィスを後にする。空はオレンジ色に染まり、新宿のビル群が夕陽を反射している。電車に揺られながら、スマートグラスで掲示板をチェックする。スレッドはさらに書き込みが増え、「星降る夜」への期待感が増している。だが、透真の関心は、別の書き込みに引き寄せられる。


《30:名無し冒険者 (??) 星は落ちる。準備はできているか? 夜が来る。夜が来る。夜が来る。》


(まただ……この『何か』、何なんだ?)


透真の指が、書き込みをスクロールする。プレイヤーたちの間では、この不気味なレスが「ゲームの管理者」か「上位存在の干渉(笑)」かと話題になっている。だが、確たる証拠はない。透真の直感は、もっと深い何かを示唆していた。


(やはりこのゲームは、何かの不自然さを感じさせる。それが魅力といえばそれまでかも知れないが)


【夜、自宅マンション】


帰宅後、透真はシャワーを浴び、軽い夕食を済ませる。冷蔵庫には、華澄の弁当の残りが丁寧にラップされている。食器を洗い、ソファに座る。スマートグラスで、掲示板の最新情報を確認。


(今夜もログインするか)


透真は“Nox Terminal”に手を伸ばす。ヘッドギアを装着し、生体認証の音が響く。意識がゲーム世界へと沈む直前、白仮面の少女の声が、奇妙に重なる。


「夜はまだ終わらぬ、墓所の新生児……」


《ログイン認証完了。ユーザー:綾城透真》


墓地の霧が、再びTŌRMAを迎える。星降る夜まで、あと2日。

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