第5話 降臨する影
TŌRMAの骨の指が、微かに震える。
白仮面の少女の提案する“契約”は、確かに魅力的だ。
墓所の記憶と直結するスキル《墓碑の共鳴》は、このダンジョンでの生存率を大きく上げ、さらなる上位存在との接触を約束する。
だが、代償として《呪詛:存在浸蝕》の強化は、彼の“意味”を求める旅をさらに危ういものにするだろう。少女の仮面の奥から放たれる波動は、好奇と冷淡さが混ざり合い、まるで彼の決断を試すかのようだ。
(このゲームは、俺の選択をどこまで読み込んでいる?)
透真の理性が、システムの設計思想を解析しようとする。情報戦略室の主任としての思考が、ゲーム内の選択にも影響を与える。彼は一瞬、少女の仮面を見つめ直し、骨の顎を動かして言葉を紡ぐ。
「契約は……まだ受けられない。俺は自分の“意味”を、他人に預けるつもりはない」
TŌRMAの声は、洞窟の反響のような低く乾いた響きで墓地に広がる。少女の仮面がわずかに傾き、まるで笑ったか、あるいは失望したかのような微妙な動きを見せる。
《知覚共有》を通じて、彼女の感情――いや、感情というより“意図”の断片が流れ込む。それは、かすかな苛立ちと、奇妙な満足感の混在だった。
「ほう……拒むか、墓所の新生児。汝の選択は、確かに“汝”らしい」
少女の声は、風が墓碑を撫でるようなかすれた音色で響く。彼女の周囲に漂う光の粒子が一瞬強く輝き、墓地の霧がさらに濃くなる。空気が重く、冷たく、TŮRMAの骨の奥で《終焉同調》が不穏な反応を示す。
《システム通知:白仮面の少女の契約を拒否しました。エピソード『降臨する影』の進行が変化します。》
《警告:新たな脅威が接近中。エリアの敵対度が上昇しました。》
瞬間、墓地の地面が震え、遠くの墓碑が崩れる音が響く。霧の奥から、複数の気配が急速に近づいてくる。《霊的吸引》のデメリットが、まるで磁石のように敵性存在を引き寄せている。TŌRMAの視界の端で、UIパネルが新たな情報を表示する。
《敵性存在検知:怨霊群/推定脅威度:C+》
《敵性存在検知:墓守の残影/推定脅威度:B》
(一気に二種類か……契約を拒んだ影響か、それともこのダンジョン自体の難易度か)
TŌRMAは骨の手を握り、戦闘準備に入る。右腕の骨を再び《骨律操作》で変形させ、槍状の武器を生成。だが、先ほどの戦闘で熟練値がわずかに上がったとはいえ、安定性は依然として低い。
《骨律操作:武器生成(熟練値+0.15%)/安定性:62%》
霧の中から、怨霊群がまず現れる。半透明な影が群れをなし、まるで黒い煙のようにうねりながらTŌRMAに迫る。
その背後には、より実体を持った存在――墓守の残影が、巨大な鎌を持った骸骨のような姿でゆっくりと歩み寄ってくる。鎌の刃先は、墓地の霧を切り裂くように不気味に輝く。
(怨霊群は数が多いが単体は弱い。墓守の残影が本命だな)
TŌRMAは冷静に戦況を分析し、骨の足を踏み出して墓碑の間に身を隠す。怨霊群の動きは速いが、単調だ。
《知覚共有》を通じて、彼らの恐怖や憎悪が断片的に流れ込むが、《制限:情動抑制》がそれを抑え、冷静な判断を維持させる。
(まず、数を減らす。《名無き祭壇》を再展開するか?)
だが、UIパネルを確認すると、《名無き祭壇》の再使用にはクールタイムが設定されている。初戦での使用からまだ時間が経っていないため、発動は不可能だ。
(仕方ない。まずは《骨律操作》で対処する)
TŌRMAは左手の骨を解体し、肋骨の一部を使って鎖を生成。怨霊群の一体に投げつけ、動きを封じる。鎖が怨霊の半透明な体に絡まると、黒い霧が漏れ出し、動きが鈍る。
《骨律操作:拘束具生成(熟練値+0.2%)/安定性:60%》
だが、その隙に墓守の残影が鎌を振り上げる。刃が空気を切り裂く音と共に、TŌRMAの骨の肩を掠める。物理的なダメージはないが、《知覚共有》を通じて、墓守の残影が抱く“死への執着”が流れ込み、一瞬、意識が揺らぐ。
《警告:知覚共有により、敵の感情情報が流入。精神負荷が発生しています。制限:情動抑制により行動不能は回避されました。》
(このデメリット、厄介すぎる……だが、情報は武器だ)
TŌRMAは墓守の残影の“記憶”を読み取る。断片的な映像――かつてこの墓地を守っていた戦士が、裏切られ、死に縛られた怨念。鎌の攻撃パターンが、単純な斬撃ではなく、特定のタイミングで広範囲攻撃に移行することがわかる。
(広範囲攻撃を避ければ、隙ができる)
TŌRMAは骨の足を踏み出し、墓碑の間を縫うように移動。怨霊群の追跡を振り切りつつ、墓守の残影の攻撃タイミングを見極める。鎌が地面を薙ぎ払う瞬間、TŌRMAは跳躍し、骨の槍を墓守の胸部に突き刺す。
《終焉同調:墓守の残影の断片情報取得。熟練値+0.4%》
墓守の残影が咆哮を上げ、鎌を振り回すが、TŌRMAは冷静に距離を取る。怨霊群が再び迫るが、鎖で一体を拘束したことで数が減り、対処しやすくなっている。
(このままなら、なんとか凌げる……!)
だが、その瞬間、墓地の空気が再び一変する。霧が渦を巻き、地面から新たな光が漏れ出す。TŌRMAの骨の奥で《終焉同調》が強く反応し、UIパネルが緊急通知を表示。
《警告:上位存在の干渉を検知。エピソード『降臨する影』が変質します。》
《新たな存在確認:不明(仮称:黒曜の使者)/推定脅威度:A》
霧の奥から、巨大な影が現れる。それは、まるで星々の光を飲み込んだような黒い輪郭を持つ人型――いや、人型とは言い難い何かだった。
身長は3メートルを超え、腕の代わりに無数の触手が蠢き、頭部には目も口もない。ただ、中心に輝く黒い光が、TŌRMAの存在を“見つめている”感覚を与える。
(これは……白仮面の少女の契約を拒んだ結果か?)
TŌRMAの理性が、状況を分析する。黒曜の使者は、少女とは異なる圧倒的な威圧感を放っている。《知覚共有》を通じて、その存在の“意図”が流れ込む――それは、純粋な破壊でも敵意でもない。まるで、TŌRMAの“選択”を試すための試練そのものだ。
「汝が拒んだ契約の代償だ、墓所の新生児」
白仮面の少女の声が、どこからか響く。彼女は姿を現さず、霧の奥で観察しているようだ。
「この使者は、汝の“意味”を測る者。生き延びるか、飲み込まれるか。さあ、選べ」
《システム通知:黒曜の使者との戦闘を開始します。》
《判定:ダイスロール(D20)/成功値:16以上》
TŌRMAは骨の手を握り、UIパネルのダイスアイコンに意識を集中させる。黒曜の使者の触手がゆっくりと動き始め、墓地の空気がさらに重くなる。怨霊群と墓守の残影が、使者の出現に怯えたように後退する。
(ここで失敗すれば、ゲームオーバーもあり得る……だが、逃げる選択肢はない)
TŌRMAはダイスを振る。仮想のダイスが回転し、結果が表示される。
《ダイスロール結果:19(成功)》
瞬間、TŌRMAの骨の全身が震え、まるで“骨の記憶”が共鳴するように光を放つ。《骨律操作》が自動的に発動し、肋骨が一斉に変形。無数の骨の刃が放射状に広がり、黒曜の使者の触手を迎え撃つ。
《骨律操作:広域攻撃生成(熟練値+0.5%)/安定性:55%》
骨の刃が触手を切り裂くが、使者の体は一瞬で再生。だが、TŌRMAは動じない。《終焉同調》を通じて、使者の“記憶”の断片が流れ込む。それは、星々の間を漂う存在の断片――このゲーム世界そのものを生み出した“何か”の片鱗だった。
(この存在は、ゲームの設計者と繋がっている……?)
TŌRMAは一瞬、思考を巡らせるが、すぐに戦闘に集中。使者の触手が再び迫るが、彼は骨の鎖を生成し、触手を絡め取る。鎖は不安定だが、使者の動きを一時的に封じる。
《骨律操作:拘束具生成(熟練値+0.3%)/安定性:58%》
(時間稼ぎはできた。だが、このままではジリ貧だ)
TŌRMAは視界の端で、墓地の中心に浮かぶ“名無き祭壇”の残滓を見つける。クールタイムはまだ解除されていないが、祭壇の光が微かに脈打っている。《終焉同調》が反応し、新たな可能性を示唆する。
(祭壇を再利用できるかもしれない……リスクは高いが、やるしかない)
TŌRMAは骨の手を祭壇に向け、意識を集中。《名無き祭壇》の再展開を試みる。UIパネルが警告を発する。
《警告:クールタイム未解除。強制発動はアバターに負荷を与えます。続行しますか? YES/NO》
TŌRMAは迷わず「YES」を選択。瞬間、彼の骨の全身が軋み、まるで崩れ落ちるような痛みが意識を襲う。《呪詛:存在浸蝕》が発動し、UIパネルに新たな通知が表示される。
《警告:存在浸蝕により、自己の存在情報が一部喪失。熟練値-0.1%》
だが、祭壇が再び光を放ち、墓地の空気が歪む。黒曜の使者の動きが一瞬止まり、霧が渦を巻く。祭壇の中心に、新たな“異界空間”が形成され始める。
《名無き祭壇:強制展開開始。異界空間生成中……》
異界空間の影響で、黒曜の使者の触手が不安定に揺らぎ、怨霊群が霧に溶けるように消滅。墓守の残影も、祭壇の光に怯えたように後退する。TŌRMAは骨の槍を握り直し、使者に向かって突進する。
(今だ!)
骨の槍が使者の中心――黒い光の核を貫く。使者が咆哮を上げ、触手が一斉に暴れ出すが、異界空間の影響でその動きは鈍い。TŌRMAはさらに骨の刃を生成し、連続で攻撃を叩き込む。
《骨律操作:連続攻撃生成(熟練値+0.6%)/安定性:50%》
使者の体が崩れ始め、黒い光が霧に溶ける。だが、その直前、使者の“声”がTŌRMAの意識に直接響く。
「汝の選択は……確かに興味深い。だが、夜はまだ終わらぬ」
《戦闘終了:勝利》
• 敵性存在:怨霊群/墓守の残影/黒曜の使者
• 脅威度:C+/B/A
• 戦闘時間:7分18秒
• ダメージを受けた:軽度(HP-5%)
• 熟練値上昇:
• 《骨律操作》:+1.05%(武器生成+0.15%、拘束具生成+0.3%、連続攻撃生成+0.6%)
• 《終焉同調》:+0.7%
• 《名無き祭壇》:+0.4%(強制発動ボーナス)
• ドロップアイテム:
• 怨霊の残滓(素材):クラフトや儀式に使用可能。
• 墓守の鎌片(素材):特定のイベントで使用可能。
• 黒曜の欠片(レア素材):上位存在に関連するイベントのトリガーアイテム。
• システム通知:
• 《霊的吸引の影響により、戦闘中に敵性存在の接近頻度が上昇しました》
• 《知覚共有により、敵の感情情報が流入。精神負荷が発生しましたが、制限:情動抑制により行動不能は回避されました》
• 《呪詛:存在浸蝕により、熟練値の一部が喪失しました》
TŌRMAは骨の手を緩め、墓地の静寂に身を委ねる。戦闘の余韻が、骨の奥で微かに響く。黒曜の使者の“声”が、頭から離れない。
(夜はまだ終わらない、か……)
白仮面の少女は姿を現さない。だが、彼女の気配はまだ墓地のどこかに残っている。《終焉同調》が、微かにその存在を捉える。少女は敵でも味方でもない――ただ、TŌRMAの選択を見守る“観察者”だ。
《エピソード『降臨する影』:クリア》
《報酬:黒曜の欠片(レア素材)/墓所の記憶の断片》
《追加報酬:エピソードクリアにより、特殊スキル《墓碑の共鳴》の断片を獲得。特定の条件でスキル習得が可能になります。》
TŌRMAはUIパネルを確認し、骨の手で“黒曜の欠片”を握る。冷たく、まるで星の光を閉じ込めたような感触――いや、感触はない。《五感欠損》のデメリットが、こんな瞬間にも彼を現実から切り離す。
(この欠片……「星降る夜」と関係があるのか?)
墓地の霧が薄れ、遠くの空に星々が瞬き始める。公式イベント「星降る夜」まで、あと3日。TŌRMAの意識は、すでに次の選択へと向かっていた。