第28話:星堕ちる空の下、気焔は万丈す
テルミナ・ヴェスタの巨大な城門が、まるで罪人を追放するかのように無慈悲な音を立てて閉ざされた。
俺――TŌRMAの傍らでは、星の蠍の頭上にちょこんと座るSariraが、同じく静かに街の城壁を見上げている。
(理不尽、か。だが、これもまた一つの結果だ)
内心で自嘲する。衛兵たちが見せたあからさまな敵意と侮蔑。
それは、この骸骨のアバターに向けられたものであり、俺が背負ったデメリット――特に『汚染:霊的吸引』が放つ不吉なオーラに対する、NPCとしての正規の反応なのだろう。
街という秩序の空間において、死を振りまくモンスターは正しく異物でしかない。
論理的には理解できる。だが、感情の澱のようなものが、存在しないはずの胸の内に渦巻くのを感じた。アクセスを拒絶されたことへの不快感か、それとも、この世界でもまた「異物」として扱われることへの諦念か。
《情動抑制》のスキルが、その揺らぎを即座に平坦化していく。思考がクリアになる。感傷に浸っている暇はない。目的は情報収集。街に入れないのであれば、別の手段を講じるまでだ。
「Sarira」
俺が呼びかけると、彼女はエメラルド色の瞳をゆっくりとこちらに向けた。その瞳には、現実の物理法則を超えた、どこか遠い星々の光が宿っているように見える。
「街に入れぬ以上、ここで待っていても意味はない。まずは、この街を目指す他のプレイヤーから情報を集める。特に、俺たちとは異なる“始まり”を選んだ者たちからだ」
「……はい、TŌRMAさん。彼等から有益な情報が得られると良いですね。星の囁きも街より周囲に注意を向けろと言っています」
彼女の言葉は常に示唆に富む。星の囁き。俺には聞こえないその声が、彼女に何を見せているのか。俺のスキル《終焉同調》が死者の記憶に接続するように、彼女の聞こえている世界は興味を惹かれる。
俺たちは、テルミナ・ヴェスタへと続く街道筋を見下ろせる、少し小高い丘へと移動した。
ここならば、街へ向かうプレイヤーたちの様子を窺うことができる。陽光が降り注ぐ草原を、巨大な星の蠍がカサカサと脚を動かして進む。その姿は異様極まりないが、この世界ではありふれた光景の一つに過ぎないのだろう。
しばらく待っていると、予想通り一団のプレイヤーが姿を現した。三人組。革鎧に身を包んだ剣士風の男、軽装で弓を携えたエルフの女、そして杖を持つローブ姿の獣人。その装備や雰囲気から、彼らがデメリットを持たない、あるいは持っていても1〜2つ程度の、いわゆる「街スタート」勢であることは明白だった。
彼らの足取りは軽く、会話には笑い声が混じっている。まるでピクニックにでも向かうかのようだ。俺のこの姿で接触すれば、無用な警戒を招くだけだろう。ここは彼女に任せるのが最善手だ。
「Sarira、頼めるか。彼らから、街の様子と、イベントに関する情報を」
「わかったわ」
Sariraは星の蠍からするりと降り立つと、一人で街道へと歩みを進めていく。金褐色の肌と漆黒の長髪を持つ神秘的な少女が、巨大な蠍を背後に従えて現れたのだ。三人組は当然のように足を止め、警戒の色を浮かべた。
俺は丘の上から、自身のスキル《知覚共有》を使い、彼らの感情の機微を探る。警戒、好奇心、そしてSariraの持つ神秘的な雰囲気へのわずかな畏怖。敵意はまだない。
Sariraは、三人組から少し距離を置いた場所で立ち止まり、丁寧にお辞儀をした。
「こんにちは、旅の方々。わたくしはプレイヤーのSariraと申します。少し、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
彼女の声は、まるで古楽器が奏でる旋律のように静謐に響いた。その声と礼儀正しい態度に、三人組の警戒が少しだけ解けるのが《知覚共有》越しに伝わってくる。リーダー格らしい剣士の男が、一歩前に出て応じた。
「ああ、こんにちは。俺たちはパーティ『ブレイブ・ホライゾン』。見ての通り、あの街に向かっているところだが……何か用かな?」
「ありがとうございます。実はわたくしたち、事情があって街に入ることができず、中の様子がわからずに困っておりました。もしご迷惑でなければ、現在街で起きていること、特に『星降る夜』に関連する出来事について、少しでも教えていただけないでしょうか」
Sariraの交渉は巧みだった。弱者の立場を明確にしながらも、卑屈にならず、凛とした態度を崩さない。それが相手の庇護欲と騎士道精神をくすぐったのだろう。
剣士は仲間たちと顔を見合わせ、頷き合うと、快く口を開いた。
「なるほど、そういうことか。街に入れないってのは、もしかしてデメリット持ちかい? 最近、異形のアバターがたくさん来訪して衛兵がピリピリしてるって話だからな」
「……はい。わたくしたちの“在り方”は、少々、街の秩序とは相容れないようです」
「そうか、そりゃ大変だな。まあ、俺たちでわかることなら話すよ」
彼らの話から得られた情報は、断片的だが価値のあるものだった。
第一に、テルミナ・ヴェスタの街中では、『星の欠片の破片』アイテムを収集するエピソードが大量に発生していること。破片を10個集めるとイベントポイント1となる事。これは街の防衛に協力するという名目で、NPCから依頼されるクエスト形式が主らしい。
第二に、集めた『星の欠片の破片』を特定のNPCにトークンとして納品することで、一定の素材アイテムや消費アイテムに変換される仕組みがあること。街の衛兵や神殿の神官と協力すれば、さらにボーナスポイントが得られるという。
第三に、やはり『呪詛』や『汚染』系のデメリットを持つプレイヤーは、一部のNPCから敵視され、クエストを受けられないばかりか、衛兵に通報されるケースもあるということ。俺たちが追い出されたのは、まさにその典型例だった。
「だから、街にいるプレイヤーのほとんどは、ひたすらNPCのご機嫌を取りながら『星の欠片の破片』集めに奔走してる感じさ。おかげで街は結構な賑わいだよ」と、エルフの弓使いが付け加えた。
彼らの話を聞きながら、俺は一つの確信を深めていた。このゲームの攻略法は、一つではない。彼らが選んだのは、秩序の中で安定したポイントを稼ぐ道。それはそれで正しいのだろう。だが、俺たちのような「異物」には、別の道が用意されていた。今まで戦闘や隠し要素で破片ではなく欠片その物を入手していることからもポイントの入手効率にも差があるようだ。
「貴重な情報をありがとうございます。とても助かりました」
Sariraが再び深く頭を下げると、剣士は「気にするなよ」と手を振った。
「あんたたちみたいなプレイヤーもいるってこと、覚えとくよ。じゃあ、俺たちは行くぜ。イベント、お互い頑張ろう」
三人組が遠ざかっていく。彼らの心には、目の前のイベントに対する楽観的な期待と、ゲームを楽しむ純粋な高揚感があった。その感覚が《知覚共有》を通じて流れ込んでくるが、どこかこちら側と温度差があると感じたのは気のせいだろうか。
Sariraが俺の元へ戻ってくる。
「TŌRMAさん、お聞きになりましたか」
「ああ。街は、街の者たちの戦場だ。俺たちの戦場は、ここにはないみたいだ」
情報収集の第一段階は終了。
次は、俺たちと同じ、あるいはそれ以上に歪んだ“在り方”を選んだ者たちを探す。デメリット3以上。秩序から弾かれた、混沌の住人たち。彼らならば、このイベントの本質について、異なる視点を持っているはずだ。
俺たちは街道を離れ、岩がちで荒涼とした大地へと足を踏み入れた。生命の気配が希薄なこの場所は、俺のアバター『墓所媒体』にとって、むしろ居心地が良い。そして、俺のスキル《終焉同調》が、微かな死の気配を捉えていた。それは、モンスターのものではない。プレイヤーが放つ、意図的に歪められた存在の気配だ。
気配を辿っていくと、巨大な獣の骨が渇いた大地に野晒しにされている、その影に複数の人影があった。四人組。一人は、背中から禍々しい蝙蝠の翼を生やした悪魔のようなアバター。一人は、全身がぬらりとした粘液に覆われた不定形の何か。もう一人は、顔の半分が機械に置換されたサイボーグ。そして最後の一人は、複数の腕を持つ、昆虫じみた外骨格の異形。
デメリット3は確実、中には4つ、あるいは俺と同じ5つの者もいるかもしれない。彼らの周囲には、街のプレイヤーたちが放っていた陽気さとは無縁の、張り詰めた緊張感が漂っている。
今度は俺が前に出る番だ。Sariraを下がらせ、骨鎖剣を鞘に納めたまま、ゆっくりと彼らに近づいていく。全身骸骨のアバターが、音もなく歩み寄る。その異様な光景に、彼らは一斉に武器に手をかけた。
「待て。敵意はない」
俺は骨の顎をかちりと鳴らし、言葉を発した。声帯がないため、声は魔力的な響きを帯びる。
「同じ街から“弾かれた者”として、情報を交換したい」
悪魔アバターの男が、燃えるような瞳で俺を睨めつけた。
「……弾かれた者、ね。面白い言い方をするじゃねえか、骸骨。お前さん、デメリットはいくつだ?」
「五つ」
その言葉に、彼らの間に緊張とは異なるどよめきが走った。デメリット5。それは、このゲームにおいて最も深淵を覗き込んだ者たちの証。正気と狂気を天秤に賭けた紙一重の選択だ。
悪魔アバターの男は、構えていた大剣の切っ先を下げた。
「デメリット5つかよ。序盤からかなりイカれた難易度だって聞いたが……クク、マジかよ。あんた、俺たち以上のイカレ野郎だな。いいぜ、座りな。俺はヴァルガンド。こいつらも、似たような街からのはみ出し者だ」
どうやら、同類としての最低限の信頼は得られたらしい。俺は彼らの焚き火から少し離れた岩に腰を下ろした。Sariraも、静かに星の蠍と共に隣に控える。
彼らとの情報交換は、街スタート勢とのそれとは全く質の異なるものだった。
彼らは街には一切期待しておらず、フィールドに点在する高難易度のダンジョンや、特定の条件下でしか出現しないエピソードを攻略することで、イベントポイントを稼いでいるという。
「街でチマチマ破片を集めるなんて性に合わねえ。デカいの一発、フィールドボスでも狩った方が効率がいい」とヴァルガンドが言う。
「それに、高デメリット者だけがアクセスできる“囁きの祭壇”ってのがあるらしい。そこでは、特殊な儀式エピソードが発生して、成功すればポイントの獲得と特殊な素材が手に入るとか」と、不定形アバターの者が、不明瞭な声で情報を付け加えた。
囁きの祭壇。俺のスキル《名無き祭壇》と同じ特定のイベントやエピソードを呼び寄せる施設かもしれない。
「あんたはどうなんだ、骸骨。デメリット5の見返りは、さぞかしデカいんだろう?」と、多腕の異形が聞いてくる。
俺は簡潔に答えた。
「骨の操作。それと死を扱うスキルだ。詳細は勘弁してくれ」
「……なるほどな。死の使い手か。そりゃまた、尖った能力そうだな」
彼らはそれ以上追及してこなかった。高デメリットプレイヤーの間には、互いの手の内を探りすぎないという不文律があるようだ。PvPが禁止されてないこの世界で誰もが、いつ裏切られてもおかしくないリスクを背負っている。
だからこそ、利害が一致する限りにおいては、協力関係を築くことに躊躇がない。
「イベントポイントを集めるための、高デメリット者向けの拠点や集会所のようなものは存在するのか?」
俺が最も聞きたかったことを尋ねると、ヴァルガンドは少し考える素振りを見せた後、口を開いた。
「確定した情報じゃねえが、噂ならある。ここより北東に向かった『嘆きの盆地』に、ダンジョンスタートの連中が集まってるって話だ。あそこは瘴気が濃くてな。ノーマルなアバターじゃ立ってるだけでHPが削れる領域らしい。俺たちみたいなのには、むしろ好都合な場所だ。世界にはそう言った笑瘴気スポットが幾つもあるらしい」
嘆きの盆地。新たな目的地が見えた。
俺が礼を言って立ち上がろうとした、その時だった。
空が、夜に染まり始めた。
それは、単なる日没ではなかった。世界の彩度が急激に失われ、空が深い、深い藍色へと沈んでいく。そして、地平線の向こうから、満月が昇り始めた。
だが、誰もが息を呑んだのは、その月ではなかった。
月の、隣。
いや、月がまるで豆粒のように見えるほど、遥かに巨大な“何か”が、夜空にその姿を現したのだ。
それは、禍々しく赤黒い光を放つ、巨大な天体。
表面には、まるで苦悶に歪む無数の顔が浮かび上がっているように見える。それは、ただの岩塊ではない。滅びた星の悲鳴と怨嗟が凝縮された、意志ある破壊の化身。
『星骸』
その絶望的なまでの質量と存在感が、ゲーム世界にいる全てのプレイヤーの五感を圧迫する。
直後、全てのプレイヤーの視界に、半透明のウィンドウが強制的にポップアップした。
【公式アナウンス】
世界の脅威『星骸』が観測されました。
これより、イベント『星降る夜』は最終フェーズに移行します。
世界が終焉を迎えるまで、残された時間は――
ウィンドウには、デジタル数字のカウンターが表示される。
【残り時間:04日 23時間 59分 58秒】
そして、その下には、現在のイベントポイントの合計値が示されていた。
【現在合計ポイント:2,342,580 / 10,000,000】
目標値に対して、あまりにも絶望的な数字。
一週間近く、1000万人のプレイヤーが奔走して、まだ目標の二割程度だ。このままでは、世界は確実に滅びる。
ヴァルガンドたちが、息を呑む音が聞こえた。
「……マジかよ。こんなの、どうやって押し返せって言ううんだ……」
「デカすぎる……あれが、俺たちの頭上に落ちてくるのか?」
VRMMOの圧倒的なリアリティが齎らす恐怖。絶望。諦め。
《知覚共有》が、彼らの負の感情をダイレクトに俺へと伝えてくる。全身の骨が、存在しないはずの神経が、その感情に軋みを上げる。
だが、俺の《情動抑制》は、その感情の濁流を堰き止め、思考を加速させた。
(違う。これは絶望じゃない。これは、“試練”だ)
この理不尽なまでの難易度。圧倒的な破壊の象徴。
それは、プレイヤーの心を折るためではない。むしろ、その逆だ。
心を、一つに束ねるための、壮大な舞台装置。
その時、俺のスキル《終焉同調》が、空に浮かぶ『星骸』に激しく共鳴した。
星の“死”の情報が、濁流となって脳内に流れ込んでくる。無数の断末魔。星が砕け散る瞬間の記憶。そして、その中心にある、純粋な“無”への渇望。
――コロセ。ウマレタスベテヲ。ワレラノヨウニ――
幻聴が響く。デメリットが正気度に影響を及ぼすのを感じるが、俺はその声に飲まれなかった。
これは、敵の意志だ。そして、俺たちが打ち破るべき壁だ。
ふと気づくと、ゲーム内のチャットウィンドウや、外部の攻略掲示板へのアクセス通知が、凄まじい勢いで点滅していた。
『おい、見たかよあのでけえの!』
『ポイント全然足りねえじゃん! マジで終わるぞこの世界!』
『ふざけんな! 俺の家が! 俺のギルドホールが壊されるなんて冗談じゃねえ!』
『……だが、面白くなってきたじゃねえか』
『ああ、そうだな。運営からの挑戦状だろ、これ』
『ポイント稼ぐぞ! どんな手を使ってもだ!』
『街の奴ら! 衛兵と協力して結界を張るエピソードが発生したぞ!』
『こちらフィールド組! 嘆きの盆地でも結界生成イベントが出現! 』
絶望は、一瞬で熱狂へと変わっていた。
恐怖は、闘志という名の燃料へと変わっていた。
諦めは、反逆の狼煙へと変わっていた。
誰もが、この世界の終焉を座して待つつもりはなかった!
1000万人を超えるだろうプレイヤーが、それぞれの場所で、それぞれのやり方で、この絶望的な運命に抗おうと鬨の声を上げる。その熱量が、ゲーム世界全体を震わせているかのようだった。
俺は、骨の貌を上げた。
論理的思考が、答えを弾き出す。リミット4日で1000万ポイントは想像より厳しいかもしれない。だが、勝率がゼロではない。
そして、論理とは別の何かが、この胸の内で燃え上がっていた。孤児として育ち、社会というシステムの中で、ただ部品として機能してきた。自分という存在の意味を、ずっと探し続けていた。この世界に、俺がいる意味はあるのか、と。
だが、今は。
この滅びゆく世界を前にして、初めて強く思う。
(生きたい)
この理不尽な空の下で、歪で、それでも確かに“生きている”世界を。
「……TŌRMAさん」
隣で、Sariraが静かに呟いた。彼女は、巨大な星骸を真っ直ぐに見据えている。そのエメラルド色の瞳には、恐怖も絶望もない。ただ、深い慈しみと、そして確固たる決意の色が浮かんでいた。
「星が、泣いています。でも……歌ってもいる。終わりの歌ではなく、始まりの歌を」
始まりの歌。
そうだ。これは終わりじゃない。始まりだ。
俺は、腰に提げた骨鎖剣『エクソシズム・チェイン』の柄を、強く握りしめた。骨と骨が擦れる、硬質な音が響く。
「行くぞ、Sarira」
まず目指すは、嘆きの盆地。
混沌の住人たちが集う場所で、俺は俺の役割を果たす。
この終焉の空の下、俺たちの本当の物語が、今、始まろうとしていた。




