第19話 予兆の違和
場面が変わりラーイラの叔父さんのお話です。
なろうの投稿の練習もありましたが、
ここからが物語の本当のスタートのつもりです。
イスタンブールの喧騒は、ボスポラス海峡の波音とともに、常にハリル・アシュ・ナメルの耳に届いていた。
大学キャンパスの文学部棟、比較神話学講座の研究室は、そんな街の喧騒から少し離れた静かな一角に位置していた。窓からは、金角湾の青い水面が遠くに見え、時折、フェリーの汽笛が低く響く。
ハリルはデスクに肘を突き、眼鏡の奥で鋭い琥珀色の瞳を細めた。手元には、姪のラーイラから届いた短いメールが印刷された紙が置かれていた。
「叔父様、ゲームは無事に起動しました。ここでもゲームの設定ですが星の囁きが聞こえるようです。詳細は後ほど」
マルディンから送られてきたこのメッセージは、表面的には何の変哲もないものだった。だが、ハリルにとっては、古代の碑文を解読するような謎めいたものだった。
Outer Gods Online――世界初のフルダイブVRMMORPG。xAI社が開発したというこのゲームは、発表されてから静かなブームを巻き起こしていた。
静かすぎるブーム、と言った方が正しいかもしれない。
ハリルは椅子を引いて立ち上がり、研究室の棚から一冊の古いノートを取り出した。そこには、最近の調査メモがびっしりと書き込まれていた。
星辰信仰のモチーフ、メソポタミアの神話、そしてエジプトのナイル上流域の遺物。すべてが、このゲームの設定に奇妙に符合する。だが、それ以上に気にかかるのは、技術的な側面だった。
ドアがノックされ、同僚のエミン教授が入ってきた。エミンは歴史学科の専門家で、古代アナトリアの文化を研究する穏やかな男だった。灰色の髭を蓄え、いつも穏やかな笑みを浮かべているが、学問の議論になると目が輝く。
「ハリル、君の顔がまた険しいぞ。何か面白い発見か?」
ハリルはノートをテーブルに置き、コーヒーのポットを指差した。
「座ってくれ、エミン。君の意見を聞きたいんだ。このゲームについてだよ。Outer Gods Online」
エミンは椅子に腰を下ろし、コーヒーを注ぎながら首を傾げた。
「ああ、あのVRゲームか。私の学生たちも何人かプレイしているようだ。多元宇宙の冒険だとか、神話的な要素が入っているらしいな。神話学者として興味深いだろう?」
ハリルは頷きながら、印刷されたメールをエミンに渡した。
「私の姪、ラーイラがプレイを始めた。マルディンからだ。彼女の家は、インフラがまともに整備されていない地域だ。インターネット回線は不安定で、高速ダウンロードなど夢のまた夢だ。それなのに、ゲームを起動できたという。ダウンロードデータ量がわずか3.2GBしかないんだ、エミン。それでフルダイブVRMMORPG? 信じられるか?」
エミンはコーヒーを一口飲み、眉を寄せた。
「3.2GB? それは確かに少ないな。現代のゲームは、グラフィックやAIだけで数十GBは普通だ。フルダイブなら、脳波インターフェースのデータも膨大になるはずだ。xAI社はどうやってそれを圧縮したんだ?」
ハリルはデスクのPCを起動し、ゲームの公式サイトを表示した。シンプルなデザインのページに、ダウンロードリンクが目立つ。
「推測だが、ゲームの大部分がクライアント側で生成されている可能性がある。いや、それ以上だ。利用者の脳をサーバー代わりに使っているんじゃないか? 集団的無意識を活用して、世界を構築する……そんな非現実的なアイデアが浮かぶんだ。」
エミンは笑い声を上げたが、すぐに真剣な表情に戻った。
「集団的無意識? ユングの理論か? 面白い推論だな、ハリル。だが、それなら脳への負荷はどうなる? 未知のリスクがあるはずだ。しかも、同時接続が1000万人規模だというのに、社会的な話題が少ない。ニュースで大々的に取り上げられるべきだろう? 株価も変動しない、規制当局の反応もない。まるで、存在自体がぼやけているようだ」
ハリルは窓辺に寄り、湾の景色を眺めながら続けた。
「まさにそれだ、エミン。異常な点が多すぎる。まず、ダウンロードの少なさ。3.2GBで多次元宇宙の膨大なデータを扱う? 不可能だ。従来の技術ではな。仮にクラウドベースだとしても、サーバー負荷が天文学的になる。だが、xAI社は小さなスタートアップだ。インフラ投資の痕跡がない。それに、マルディンのような辺鄙な場所で起動可能ということは、ネットワーク依存が極端に低いことを示唆する。衛星通信? いや、ラーイラの家にはそんな設備はない。彼女のメッセージでは、『星の囁きが聞こえる』とある。ゲーム内の要素だろうが、まるで現実の星辰信仰を模倣している」
エミンはノートをめくり、ハリルのメモを読み始めた。
「君の専門だな。メソポタミアの星神、アヌンナキやエジプトのヌト女神。外宇宙的なモチーフが絡む。ゲームの設定が古代神話に酷似しているのは偶然か? いや、意図的だ。だが、それ以上に、この静かなブームが気になる。1000万人ものプレイヤーがいるのに、SNSで爆発的に広がらない。メディアが沈黙している。まるで、何かが見えない力で抑え込まれているようだ」
ハリルは頷き、椅子に戻ってコーヒーを飲んだ。
「推論をいくつか立ててみた。一つ目は、ゲームが量子コンピューティングや未知のAIを活用している可能性。だが、それでもデータ量の少なさは説明がつかない。二つ目は、プレイヤーの脳が分散型サーバーとして機能している。集団的無意識がゲーム世界を構築し、ダウンロードは単なるトリガーだ。脳の処理能力を借りることで、サーバーコストをゼロに近づける。だが、これは倫理的に問題だ。脳への影響が未知数だし、プライバシーの侵害も甚だしい」
エミンは目を輝かせた。
「三つ目は?」
「三つ目は、よりSF的なものだ。ゲームが『地球外的な何か』によって作られたものだという仮説。人間の認識を超えた存在が、人間をテストしている。古代の碑文に似たモチーフが散見されるのは、その証左だ。ラーイラの家系は、古き星の民の末裔だ。彼女がゲームに引き寄せられたのは偶然じゃない。彼女の独特な感性、星の囁き……それは、現実の星辰信仰とリンクしているのかもしれない」
エミンは少し身を乗り出した。
「考証はどうだ? 証拠はあるのか?」
ハリルはPCの画面を切り替え、ゲームの攻略掲示板を表示した。
「これを見てくれ。プレイヤーたちの投稿だ。『ダウンロードが異様に速い』『回線が悪いのにスムーズ』という声がちらほらある。だが、大々的な議論にならない。まるで、投稿がフィルタリングされているようだ。しかも、時折『何か』が会話に参加するらしい。治安管理をする存在だ。運営が用意した高精度AIか? それとも……」
二人はしばらく沈黙した。エミンが口を開いた。
「ハリル、君の姪は大丈夫か? マルディンでプレイしているなら、監視が難しいな」
ハリルは深く息を吐いた。
「それが問題だ。ちょっとした好奇心と実験で彼女にVRヘッドギアを渡したが、ラーイラの両親は存命で家族と暮らしている。父は地元の商人、母は教師だ。ゲームのことを軽く見ているようだが、私は違う。このゲームは、単なる娯楽じゃない。実験場の可能性がある。古代神話の再現、多元宇宙の侵食……。研究のため、彼女をイスタンブールに呼び寄せたい。大学近くに住まわせて、直接観察する」
エミンは頷いた。
「移住手続きか。君の叔父として、家族を説得できるだろう。奨学金や研究アシスタントの名目でどうだ? マルディンはインフラが悪い。イスタンブールなら、最新のVR機器も揃えやすい」
ハリルはノートにメモを追加し始めた。
「そうだな。ラーイラは17歳で、言語学に強い興味を持っている。彼女の話では、古い碑文の解読や多言語の神話比較に興味あるという。私の専門である比較神話学とも重なるが、純粋に言語の構造や進化に惹かれているらしい。マルディンの学校では満足できないだろう。そこで、イスタンブール大学の言語関連プログラムを進めるのが自然だ。うちの大学にはトルコ語文学部があり、言語学の要素が強い。言語の歴史や文法、比較言語学を学べる。大学院レベルでは、もっと専門的なコースもあるが、彼女の年齢なら学部入学の準備として」
エミンは興味深げに聞いた。
「イスタンブール大学か。確かに、文学部に言語学寄りのコースが多いな。ボアズィチ大学の言語学科も有名だが、君の大学なら手続きがスムーズだ。ラーイラの家系が星辰信仰に関わるなら、古代言語の解読が鍵になる。メソポタミアの楔形文字やヒエログリフの言語学的研究だ。彼女をアシスタントとして巻き込めば、ゲームの神話モチーフとリンクする」
ハリルはPCで大学のウェブサイトを開き、プログラムの詳細を確認した。
「そうだ。トルコ語文学部の学部は、言語の起源や方言、文学とのつながりを教える。ラーイラの興味にぴったりだ。移住の名目は、『大学進学のための準備留学』とする。マルディンからイスタンブールへの国内移動だから、ビザは不要。両親を説得するのは簡単だ。父は商売人で、教育投資に熱心。母は教師だから、娘の学問的成長を喜ぶはず。住居は大学寮か、近くのアパートを借りる。費用は私の研究費から一部負担できる。奨学金の申請も視野に」
エミンはコーヒーを飲み干し、立ち上がった。
「具体的に動け、ハリル。まず、入学手続きの相談を学部長に。ラーイラの成績が良ければ、推薦状でスムーズに入れる。ゲームの研究と並行して、彼女の言語学の勉強をサポートすれば、違和感がない。君の講座でゲスト講師として古代言語の講義をさせるのもいい」
ハリルは微笑んだが、瞳の奥には不安が宿っていた。
「ありがとう、エミン。ラーイラの言語学への情熱は本物だ。彼女は小さい頃から、星の物語を多言語で読み比べていた。ゲームの『星の囁き』が、言語的な干渉のように感じるのも、そのせいか。移住すれば、直接指導できる。大学のカリキュラムで、言語の構造を学びながら、神話の解読を深めさせる」
エミンが去った後、ハリルは電話を手に取り、姪の両親の番号をダイヤルした。受話器から聞こえる呼び出し音が、まるで遠い星からの信号のように感じられた。
(ラーイラの将来のため、イスタンブール大学の言語学プログラムを提案する。彼女の興味を活かした道だ)と、心の中で呟いた。
電話がつながり、ハリルは穏やかな声で話し始めた。
「兄さん、ラーイラの件だが、大学進学の話があるんだ。イスタンブール大学で言語学を学ばせるのはどうだ? 彼女の興味に合っているし、私が近くで面倒を見られる」
相手の声は驚きを含みながらも、興味を示した。
ハリルは詳細を説明した。大学の学部は、トルコ語の文法、歴史言語学、比較文学をカバー。ラーイラのような古代文学に興味を持つ生徒に最適だ。入学試験の準備として、夏のプレコースも利用可能。移住は9月から、寮の手配も大学側で。
会話はスムーズに進んだ。両親は娘の教育に前向きで、叔父の提案を快諾した。
「マルディンの学校では限界がある。イスタンブールなら、広い世界が見えるはずだ」と、
ハリルは電話を切り、研究室の棚に戻った。
古代の星図碑文の複製を広げ、ゲームの設定と比較した。
ヌト女神の星空の胴体、アヌンナキの外宇宙的起源。意図的と言われればそれまでだがすべてが符合する。
ダウンロードの少なさは、ゲームが『夢』のようなものだからか? 集団的無意識がサーバーなら、プレイヤーは自らの脳で世界を構築している。
負荷は精神的なものだ。レベル制では無く熟練値や正気度の概念がゲーム内にあるのは、その表れか。
もう一つの推論、ゲームが人間の認識できない『何か』によって作られた。
xAI社は表向きの顔で、本質は人智以外の干渉。社会的な話題の少なさは、認識阻害の効果だ。プレイヤー以外には、ぼんやりとしか見えない。1000万人の規模なのに、経済効果が顕在化しないのは、その証拠。
エミンとの会話で浮かんだ考証、インフラの異常。
マルディンのような場所で起動可能なら、ゲームは電磁波やネットワークに依存しない。脳波直接干渉? 量子もつれ? 科学の限界を超える。
移住手続きの詳細をさらに練った。
ラーイラの入学願書をオンラインで準備。
イスタンブール大学の言語学部は、2025年の新入生募集で、言語学の基礎コースを強化している。
比較言語学のゼミでは、メソポタミア語や古代エジプト語を扱う。
ラーイラの家系の知識が活きるはずだ。
住居は大学寮のシングルルームを予約。
家賃は安く、キャンパス内なので安全。交通手段もボスポラス沿いのバスで便利。
ハリルはメールを打ち始めた。「ラーイラ、イスタンブールに来ないか? 叔父の研究を手伝いつつ、大学で言語学を学ぼう。君の興味にピッタリなの言語学プログラムだ。ゲームの体験も共有しよう」
送信ボタンを押す手が、少し震えた。
自分の予感が正しいとするならばこの違和感は予兆でしか無い。私が特別というわけでは無い。ラーイラと言う理想的なプレイサンプルが居たが、世界でもこの異常を異常として捉えている人たちは居るはずだ。
本当に現実を侵食する前に、解明せねばならない。
ラーイラの言語学への道は、私の研究と絡み、未知の謎を解く鍵になるだろう。




