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第9話 推しの元アイドルと名前

「藍土流奈は元々、アイドルなんかじゃなかったのよ。お母さんの要望で、子役だったの。全然、人気なんてなかったけどね」

「うん、知ってる」


 流奈のファンになってから、昔の流奈のことも知りたいと思って調べた。元が子役だという情報は仕入れていたが流奈がどんな役柄を演じていたのか興味があったのだ。

 しかし、どれだけ深く探っても流奈の名前は出てこなかった。


「生まれつき顔だけは良かったから事務所に所属出来たけど、演技の才能なんて全然なくて。テレビに出ることが出来ても大勢いる中の役の名前もなければ、テレビに名前が乗ることもない、そんな役」


 だから、いくら調べても流奈の活躍を知ることが出来なかったらしい。


「まあ、顔がいいって言っても私レベルならそこら中にいるし、演技が上手な子だってたくさんいるから仕方のないことなんだけどね」

「るーなちゃんは世界で一番可愛いよ」

「……話の腰を折らないでくれる? 黙って聞いてなさい」

「はい」


 世界の誰よりも流奈は可愛い。

 トップオブトップに君臨するのが流奈なのだ。

 そこを訂正すれば怒られたので、口を噤む。余計になることは言わないようにしよう。


「無名も無名。今でもどうして私にも話がきたのか不思議だけど、あのドラマのオーディションを受けてみないかって言われたの」


 あのドラマ、というのは流奈がアイドルになることになったドラマのことだろう。


「当時、何にも仕事なんてなかったし、奇跡のように舞い込んだ名前付きの役だから必死になって練習したわ。演技も歌もダンスも。そのおかげで他の子を蹴落として合格することが出来た」


 浮安は心の中で盛大な拍手を送った。

 ドラマの中で流奈の出番は決して多い方ではなかった。あくまでも主演は主人公であるアイドルを演じていた今でも大人気グループアイドルの一人だ。流奈はその子供時代として演じていただけ。

 それでも、数少ない出番でも自分と同じ年齢の子が目を惹く演技をしていたのはそれだけ流奈が努力を重ねたからだろう。


「そこからは、まあ、あなたも知ってることだろうけど」

「アイドルになったんだよね」

「ええ。私の歌う姿を見て、事務所側がそう判断したのよ。私は子役路線で売るんじゃなくて、アイドル路線の方が売れるって言われてね。天性の歌唱力の持ち主だなんてもてはやされもしたわ」


 ドラマが最終回を迎えると番組の最後に「藍土流奈アイドルデビュー決定!」ということが堂々と告知されたのを今でも覚えている。


「実際、世間からの評価もそれなりにあったし、努力が認められたことは嬉しかった。でも、私は別にアイドルになりたかったわけじゃない。むしろ、もう終わりにしたかったのよ」

「終わり……?」

「ええ。お母さんが望むから子役を続けた。でも、もうしんどかったの。周りの子は友達と楽しそうに遊んでるのに私は稽古ばっかりの毎日。そんな日々も売れて自分の力になってる実感があればまた変わってたんでしょうけど、そういうこともない。何のために稽古を続けるのか分からなくなってた」


 誰だって子供の頃は周りの友達と遊びたくなる時期だろう。浮安だって、どうせすぐに転校することになって別れが辛くなるから誰とも仲良くならなかっただけで、本当は放課後に運動場で遊んでいるクラスメイトが羨ましかった。「一緒に遊ぶ?」と誘われた時に「うん」と答えたかった。答えられなかったことを今でもたまに後悔することがある。

 だからこそ、流奈の気持ちが理解出来た。


「それならそうと、もっと血が滲むような努力をしなさいって話なんだけど……そんな気にもなれなかった。別に、私がやりたくて子役をしてた訳でもないからね。で、そんな時に舞い込んできたのがドラマの話」

「終わりにしたかったのにるーなちゃんは役を勝ち取るために必死に練習したの?」

「だって、悔しいじゃない。これまで子役に使った時間は返ってこないのに何も残せないまま終わるのは。だから、最後に悪あがきしたかったのよ。藍土流奈っていう役者がこの世のどこかにいたってことを証明してね」


 得意気に唇を緩める流奈はとても眩しくて可愛らしい。


「……ま、証明しすぎてアイドルすることになっちゃったんだけど」


 しかし、得意気な笑みはすぐに自虐的な笑みに変わり、馬鹿げたように口にした。


「……俺はるーなちゃんがアイドルにならなかった未来なんて想像したくないけど、断ったりはしなかったの?」

「無理だったのよ。事務所も変に期待していたし、何よりもお母さんがようやく私の実力が認められたって喜んでね……もう終わりたいなんて言える雰囲気じゃなかった」

「それで、るーなちゃんはアイドルに」

「ええ。でも、アイドルをすることは子役でいるよりも最悪だったわ。何しろアイドル初心者なんだからレッスンの時間はますます増えて自由な時間は減るし、学校に行けば周りからは距離を置かれるかいつになればテレビで歌うのって私だって知らないことを聞かれるばかり」


 どれだけ流奈が嫌な思いをしていたのかは浮安には想像も出来ない。流奈とは住む世界が違うのだ。理解出来るものもあれば、及ばないものもある。

 ただ、眉を八の字にしながら語る流奈からは本当に嫌な時間を過ごしていたというのが読み取れた。


「あなた、アイドルがテレビに出られる条件って何か分かる?」

「人気?」

「そ。人気がないとテレビなんて出られない」

「でも、るーなちゃんはちゃんと大人気だった」

「そんなことない。ないのよ。最初はドラマのおかげもあって何回か出させてもらった。でも、それだってコネみたいなもので私の実力じゃない」

「そんなことは……るーなちゃんの歌、大好きで今でも毎日聴いてる」

「……そ。でも、そう言ってくれる人がもっと必要だったの。あなただけじゃ足りないのよ。今ってアイドルを含めたアーティストが数え切れないほど存在してるでしょ?」


 頷いて答える。

 男性向け、女性向けアイドルを始め、ご当地アイドル、地下アイドルなど、アイドルっていう種類も様々だ。それに加えて、アイドル以外の歌手も混ざってくればその数を測り切ることは不可能だろう。


「そんな中で、売れるには曲に恵まれないといけない。超有名なアーティストだって、売れる曲と売れない曲があるんだから、私が売れるには全曲世界中でバズらないといけないくらいだったの」

「そんなこと――」

「――今、不可能だって思ったでしょ?」

「っ!」


 言いかけたから慌てて口を閉じたのに、流奈に見抜かれてしまった。最悪だ。何よりも流奈のことを世界で一番のアイドルだと信じているはずなのに無理だと思った挙げ句、それを流奈に見抜かれた。本当に最悪だ。


「いいのよ、その通りだから。責めたりしないわ」

「……ごめん」

「謝る必要もない。本当のことだから。絶対に無理なのよ。今や誰もが音楽を作って世界中に公開出来る中、実力のないアイドルに全曲バズらせる方法なんてないんだし」

「俺は大好きだよ。るーなちゃんの歌、全部」

「……ま、刺さる人が誰もいなかったってことはないみたいだけど」


 チラッとこっちを見てきた流奈にドキッとする。


「それでも、私にはアイドルとしてやっていく才能がなかった。結局、人気があったのはドラマだけで藍土流奈は一時その人気にあやかっただけ。事務所もそう判断したようで、活動の幅は徐々になくなっていったわ」


 認めたくなくて、ずっと目を逸らしていたが本当は気が付いていた。新曲を出す頻度やライブを行う回数が時間が経つに連れてデビュー当時よりも少しずつ減っていたことを。

 それでも、当時は何か大きな動きがあるんだと信じてやまず、大きな発表があるのを楽しみに生きていた。

 それが、引退発表だと思いもせずに。


「それで、今度こそ終わりにしようと思ったのよ。高校生になったら自由に過ごしたくてね。母親には猛反対されたけど、事務所側もお金にならないアイドルを抱えてるほど余裕もなかったからすんなりと承諾してくれた……と、こんなところかしら」


 ふう、と一息つくと流奈は淹れていたコーヒーを口へ含む。


「ね、これで、分かったでしょ? 藍土流奈がたいしたことのない、しょうもないアイドルだって」

「……やっぱり、話を聞いたうえでも俺はそうは思わないよ。るーなちゃんはしょうもないアイドルなんかじゃない。世界で一番素敵なアイドルだよ」


 流奈の話を聞いて、流奈がどういう気持ちでアイドルをしていて、やめたのか知れた。

 きっと、浮安には想像もつかないような思いが流奈にはあったのだろう。


 でも、流奈が自分をどう思っていたって浮安が見ていた流奈というのも確かに存在しているのだ。


「……ほんと、理解力に乏しいわね。いや、感性が人よりもズレてるんじゃないの?」

「何て言われたって俺にとっての最高のアイドルはるーなちゃんなんだ」

「何? もしかして、同情してる?」

「そんなことないよ」

「だったら、もういい加減にしてよ。あなたからるーなちゃんは凄いだのるーなちゃんは最高のアイドルって言われるのが嫌なの。鬱陶しいの。いつまでも、藍土流奈なんて過去のアイドルを推してても楽しくなんてないでしょ。他にもたくさん可愛くて素敵なアイドルがいるんだからそっちに移ってよ」

「嫌だ」

「何て、強情な……」


 流奈にどんな事情があれ、それが、浮安が流奈を推さない理由にはならない。流奈にお願いされたってそれだけは叶えてあげられない。

 嫌な気持ちにさせていたのは悪いとは思う。

 でも、浮安にとってはそれが紛れもない事実なのだ。


「あーあ、あなたがクラスメイトのみんなみたいに私に興味がなかったらよかったのに。そしたら、今日で鬱陶しい絡みもなくなってたはずなのに」

「……それが狙いでカラオケに参加したの?」

「そうよ。みんなの前で歌うのは嫌だけど、あ、藍土流奈ってこんなもんなんだ。ふーん、って感じれば元アイドルがどうだの耳障りな話題も終わるでしょ。それが狙いで参加したの。なのに、あなたに邪魔された」


 ジトーっと恨みがましそうな眼差しで見てくる流奈から視線を逸らす。そんな風に言われては流奈のためを思って取った行動も申し訳なくなってくる。


「……そんなに嫌ならやめてってはっきり言えばみんなも分かってくれるんじゃないかな」

「じゃあ、今すぐ藍土流奈のファンをやめて推し変して」

「それは、無理」

「あなたねえ……私を苛立たせる才能が本当にあるわね」


 そんなつもりは本当にない。

 ただ、どこまでも流奈と上手い具合に絡み合えないだけである。残念なことに。


「そ、そんなつもりはない……けど、今、ここで宣言するよ。何があったって俺はるーなちゃんのファンでいるって」


 せめて、これ以上、流奈を苛立たせることが少しでも減るように伝えておけば流奈が人差し指を向けてくる。


「あっそ……じゃあ、私だって宣言してあげる。絶対に推し変させてやるって。あなたの好きな藍土流奈に幻滅させてあげるよ。覚悟しておきなさい。浮安」

「っ……今、名前で」

「ふふ、嫌でしょ。たいして仲良くもない女子から偉そうに名前で呼び捨てにされるなんて。推し変したくって――ええ……何を泣いてるのよ」

「だって……だって、るーなちゃんに名前を呼んでもらえる日がくるなんて夢にも思わなかったから」


 ずっと、名前を呼ばれずに「あなた」と呼ばれていた。クラスメイトと同じ、クラスで存在感のない浮安のことなど流奈も名前を知らないのだと思っていた。

 しかし、流奈はちゃんと名前を覚えていてくれたらしい。

 それが嬉しくて。何よりも流奈の声で名前を呼ばれたことが幸せ過ぎて思わず目から涙が溢れてしまった。


「ありがとう……ありがとう、るーなちゃん。名前で呼んでくれて」

「……そんなに感謝されるともう名前で呼ぶしかないじゃない。嫌われようとしただけなのに……ほんと、厄介なファンに推されてる元アイドルだわ。藍土流奈も可哀想」


 不服そうに唇を尖らせて流奈が呆れるように言うもどこか言い方は柔らかく感じる。


「それじゃ、もう用も済んだし私は帰るわ」

「じゃあ、俺も」

「別に、一緒に出てもいいけど、離れて歩いてよ。泣いてる男子と一緒に歩きたくないもの」

「勿論だよ。るーなちゃんの近くに相応しくないからね、俺は」


 流奈の隣を歩くには浮安は見劣り過ぎる。ちゃんと自分の振る舞いというのは理解している。

 ただ、店を出るまではどうしても少しは近付いてしまうのでお金だけ支払ってさっさと退店しよう。


 伝票を手にしようとすれば取り上げるように流奈に横取りされた。


「ここは私が出すわ」

「いや、俺が出すよ。この前もコーヒー貰ったし」

「いいわよ。さっきのカラオケ、私の分のお金も出してくれたんでしょ? クラスの子に聞いたわ」


 結局、浮安が歌ってからカラオケは予想以上に盛り上がり、流奈が歌うこともないまま終了した。そのせいで、流奈は一度も歌っていないのにカラオケの代金を払うことになってしまう。

 そうならないためにも先に二人分の金額をクラスの一人に手渡してカラオケを出たというのに流奈に言ってしまったらしい。


「言ったでしょ。自分よりもお金を持ってない人に奢られるのも借りを作るのも嫌だって。じゃ、そういうことだから」


 言い切ると流奈はレジに行って、素早く会計を済ませた。

 そのまま足早に店を出るので距離は保ちつつ、浮安も店を出る。


「ありがとう、るーなちゃん」

「お礼ならいいわ。これは、借りを返しただけ……けど、ま、私も礼は言っておくわ。じゃあね。べ」


 小さな舌を出して流奈は帰ってしまった。

 舌を出したのにはどういう意味があるのだろう、と考えつつそんな姿もめちゃくちゃ可愛くて浮安は去っていく流奈の背中をぼーっと見送った。

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