第8話 推しの元アイドルと疑問
流奈から指定されたファミレスに着いた浮安は入店する前に踏み止まった。
流奈からの呼び出しだから、と迷いなく来たがこのまま会ってもいいものだろうか。最近、流奈の存在を都合の良い言い訳にして流奈と関わり過ぎていないだろうか。
それは、本当にファンとしてのあるべき行動だといえるのだろうか。
真のファンとしてどうあるべきが許される推しとの関わりだといえるのか。今一度考え直すべきかもしれない、と悩んでいればスマホから通知音が鳴った。
その音に我に返る。
流奈から送られてきた「まだなの?」という内容を見て浮安は足を動かした。入店音と共に店員が一人かどうかの確認をしてくる。
少しばかり気恥ずかしい思いをしながら待ち合わせしている、と答えて店の中で流奈を探す。店の中は満員というほどもなく、歩いていると流奈の姿を発見した。
後ろ姿だが流奈のことは今日もずっと見ていた。服装で見間違えるはずがない。
そーっと近付いてから「あの」と声を掛ければ流奈が肩を震わせた。そのままゆっくりと振り返ってくる。目が合った途端、流奈はムッとしたように目を細めた。
「どうしてもっと堂々と声を掛けてこないの。不審者みたいよ」
「ふ、不審者……そんなつもりはなかったんだ。ただ、大きな声でるーなちゃんって呼んだらこの場が騒然として大混乱を招くかもって。なんたって、るーなちゃんは大人気なんだし」
「大人気……はっ。まあ、いいわ。座れば?」
鼻で笑われた後、そう促されたので流奈の正面――は、ご尊顔を直視することになるので、少しだけズレた位置に腰を下ろす。
「何か食べる?」
「いや、俺は大丈夫」
「そう。じゃ、ドリンクバーでいいわね」
駆け足で来たため、喉が渇いている。
一息つくためにも水は飲もうと思っていたが流奈がささっとスマホで注文してしまった。断れる雰囲気でもなく、既に流奈もドリンクバーを注文しているため、仕方なくジュースを淹れに向かう。
お気に入りの白ブドウ味のジュースをコップに注いで戻り、喉に流し込むと気持ちが良くなった。
「随分と美味しそうに飲むけど、喉が渇いてたの?」
「ちょっと走ったから」
「ふーん、そっか……走らせてごめんなさい」
ペコリと綺麗に頭を下げてきた流奈に驚いて、浮安は急いで手を振った。
「俺がるーなちゃんに早く会いたかっただけだからるーなちゃんが謝る必要ないよ」
「帰ってた途中なのに、呼び出したのも申し訳なかったと思ってるわ」
「そんな……俺はるーなちゃんの呼び出しならいつでもどこへだって駆け付けるよ。例え、早朝深夜火の中水の中、いつでもどこへでも。だから、謝らないで」
「そ、分かったわ。ていうか、最初から悪いだなんて思ってないけどね?」
「……え?」
「そもそも、走って来たんならもっと早く来なさいよ。暇すぎて間違い探し終わらせちゃったじゃない」
このファミレスには机に間違い探しが置かれている。大人でもかなり難しい問題は浮安がもっと小さかった頃、何度挑戦しても全ての間違いを見つけることは出来なかった。
今でも途中で諦めてしまう難問を流奈は全て見つけたらしい。また一つ、流奈の凄さを知って感動していると。
「それで、私を待たせておいたんだから何か言うことがあるでしょ?」
「あ、そうだった。遅くなってごめん。運動はどうにも苦手で」
どの科目が一番嫌いですか、という質問があれば迷うことなく体育だと答えられるくらいには運動が苦手だ。
普段からも運動はあまりしない。
そのせいで遅くなり、流奈の貴重な時間を奪ってしまったのなら申し訳なくて仕方がなかった。頭を深々と下げておく。
「……どうして、悪くないのに謝るのよ」
「え?」
「別に。あなたといると本当に調子が狂うってだけ」
肘を付いた手に顎を乗せて、不満そうに流奈がそっぽを向いた。
「ご、ごめん?」
「それで、扉の前で何してたのよ?」
「何って?」
「入ってこようとして止まったでしょ。それから、少しの間、動かなかった」
「み、見てたの!?」
「見えたのよ、ここから」
流奈の目の前には窓ガラスがある。
つまるところ、走っているところや扉の前で流奈と会うのを躊躇っていたところを見られていたらしい。
「ここ最近、るーなちゃんと会い過ぎだからそれはファンとしてどうなのかと思って」
「そんなしょうもないことで立ち止まってたの? 他の人にも迷惑だからやめなさい」
「しょうもないことじゃないんだよ。本来なら、推しに会えるなんて滅多にないことで。それこそ、生きてる間に一回もない人だっているんだし……それを、るーなちゃんを言い訳に俺だけ嬉しい思いばかりするのはファンとしていいものなのかって」
「いいも悪いもクラスメイトなんだから、仕方のないことでしょ。現にここまで来て私と会ってるわけなんだし。どうしても嫌なら転校でもすれば? そしたら、私と会うことはなくなるわよ」
「転校は嫌だ」
学校に友達が何人もいて、毎日が楽しい。
そんなことはないからもしもまた父親が転勤することになり、浮安も転校することになってもこれまで通り、受け入れはする。
けれど、そんなこともないのに自ら転校を望んで流奈から離れたくはない。
「なら、答えは出てるじゃない。結局、ファンとしてって意識してるだけで、本音じゃ私に会いたいだけなんでしょ」
「……うん、そうだね」
「分かったなら次からは余計なことなんて考えるのはやめなさい。だいたい、私はただの藍土流奈。もうアイドルじゃない、あなたのクラスメイトの一人なんだから」
「それは、無理。るーなちゃんと会いたい。でも、ファンとしてそれはどうなんだって葛藤しながら俺は会い続けるんだと思うから」
そもそも、流奈と同じクラスになり、こうして会えていることが奇跡なのだ。当たり前のことだと軽んじて考えるようなことはしない。
一回一回、流奈と会えることがどれだけ幸運なことなのかと感謝を忘れずにい続ける。
「あっそ。本当に厄介だわ」
「それで、るーなちゃんの用事ってのは何かな?」
どうして呼び出されたのか尋ねれば流奈は目付きを鋭くさせた。
「カラオケでのことを聞きたかったのよ。あれは、どういうつもり?」
「あれって?」
「本当は私が歌うはずだったの横取りしたでしょ」
自分がしでかした行動を思い出して、浮安は青ざめた。
「ご、ごめん……るーなちゃんの前でるーなちゃんの歌を冒涜するようなことして」
「はあ?」
「るーなちゃんが歌ったら百点だったはずなのに、俺なんかが歌って汚したから怒ってるんだよね。ごめん」
「ちっがうわよ! どうして、私が歌うのを邪魔したのかって聞いてるの!」
机を叩いた流奈に驚き、またも余計なことを言ってしまったのだと後悔した。
浮安が流奈の歌を邪魔したのはクラスメイトに流奈を盗撮させないためだ。でも、本当のことを伝えて流奈を傷付けたりしないだろうか。全て最初から仕組まれていたと知って、流奈は学校に行くのが嫌になってしまわないだろうか。
「るーなちゃんを罪人にしないためかな。あんな狭い場所でるーなちゃんが歌ったら耳が幸せ過ぎて死人が出ちゃうよ」
「そんなはずないでしょ。ふざけないで。私の歌にそんな力なんてない」
流奈を傷付けないためにも誤魔化してみれば一刀両断される。
「……折角、藍土流奈っていう元アイドルがしょうもない存在なんだって思い知らせるチャンスだったのに」
ぼそっと呟いた流奈に浮安は即座に反応した。
「そんなこと言っちゃだめだ」
「っ……何よ、偉そうに。私の味方でいてくるんじゃないの?」
「偉そうなのはごめん。味方にもなるよ。何があってもね。でも、るーなちゃんであってもるーなちゃんを馬鹿にするのは見過ごせない」
「……うるさい。藍土流奈のこと、私よりも詳しくないくせに」
拗ねたように唇を尖らせた流奈に浮安はずっと気になっていたことを思い切って聞いてみる。
「……どうして、るーなちゃんは自分のことをそんな風に言うの?」
事あるごとに流奈は自分を卑下するような発言をする。
浮安からすれば、流奈は卑下されるような存在ではないのだ。例え、卑下するのが本人であっても。
でも、流奈にも何か思うところがあるから卑下してしまうのだろう。
もし、何か原因があるのなら、そんなことはないよ、と伝えたい。流奈は素晴らしいアイドルなんだと教えたい。
「そうね……教えてあげるわ。藍土流奈っていうアイドルがあなたの思ってるような存在じゃないってことを」
真剣な眼差しを浮かべて流奈が答える。
話し始めようとする流奈に浮安は息を飲んで構えた。