第6話 推しの元アイドルとカラオケ
「ふへへ……本当にるーなちゃんは可愛いなあ……いつまでだって見ていられる……!」
トイレの個室にいるにも関わらず、浮安はスマホを眺めながら無意識の内に呟いた。画面には、少し前に交換した流奈の連絡先――もとい、流奈が設定しているアイコンが表示されている。
猫と戯れて無邪気に笑う流奈を見て、こちらもついつい笑顔が溢れてしまう。恐らく、中学生の時に撮影した写真だろう。猫カフェに行くことにハマっている、と流奈のインタビュー記事で見たことがある。趣味も可愛いなあ、と穏やかな気分になったものだ。
流奈と連絡先を交換してからというもの、頻繁に眺めてしまう。流奈の写真はこれまでにも何枚も見てきた。そのどれもが可愛くて点数を付けるなら軽く百点を超える出来栄えだ。
しかし、今まで見てきたのはあくまでも撮影用としての笑顔でアイコンに設定されているのはプライベートで素の流奈から出たような笑顔に思える。撮影用も十分可愛いが素の笑顔はベクトルが違うというか何というか物凄く可愛らしい。すっかり釘付けにさせられてしまった。
おかげで学校にいても中毒からは抜け出せず、こうしてトイレの個室にこもってニヤニヤしながら眺めてしまっている。流奈と連絡先を交換していると誰にも知られないようにするためだ。
けど、わざわざトイレへと隠れに来たとはいえ、流奈から何かメッセージが届くという訳でもない。自分からは何も送らないし、流奈からも滅多に愚痴を流されることもない。
「いつになったら私が元アイドルだったって話題も尽きるの? いい加減にしてほしいんだけど!」と鬱陶しがっていたのも二日前のことだ。
それに返事をしていないからそれ以降、音沙汰もない。
メッセージの記録を見返しても流奈が一方的に憂さ晴らしをしているだけで、それに返事をしたり、こちらから何か用件を伝えるということは一度もしていない。もし、流奈とやり取りをするようになって流奈の貴重な時間を消費させる訳にはいかないからだ。
――おっと、もうこんな時間か。教室に戻らないと。
スマホの画面に表示されている時間を見て、気付いた。授業に遅刻しないためにも、個室から出ようとしたタイミングでトイレの扉が開く音がする。次に複数の話し声が聞こえてきた。
「いや〜まさか、藍土さんとカラオケに行けることになるとはな〜勇気を出して誘ってみるもんだ。緊張で漏れそうになったけど」
――は?
「ほんとそれな〜次の土曜日が楽しみだよ」
――なんだ、そのふざけた話は。るーなちゃんとカラオケだと?
「やっと、藍土さんの生歌を聴けるんだと思うとワクワクするよな」
「俺、絶対に動画で撮影するんだ〜中学の友達に元アイドルがいるって自慢しても信じてもらえなくてよ〜証拠として見せつけてやる!」
「実際、藍土さんが元アイドルだったって未だに信じらんねーけどな。そんな素振り、これっぽっちも見せないし」
「でも、ネットで検索すれば事実だってのははっきりしてるだろ」
「まあな〜ま、藍土さんの生歌を聴いたらその凄さってのも実感するか」
二人の楽しそうな話し声がトイレという空間に響き渡る。
「結局、何人ぐらいで行くんだっけ?」
「今のところクラスの半分ってとこかな。みんな、藍土さんには内緒で生歌を聴こうと企んでるからくれぐれも気付かれないようにしないとな」
その話を聞いて、浮安は勢いよく個室から飛び出した。力強く個室の扉を開けてしまったために驚かせたようで二人が目を丸くして振り向いてきた。
話から察するに同じクラスの一員だろう。一度も接点がないから見覚えがないが。
と、そんなことはどうでもよく。
「俺も行く」
「……ん、何のこと?」
「るーなちゃんとのカラオケ」
流奈の交流関係に口出しをするような関係でもなければ、権利なんてものもない。流奈の自由だし、流奈を縛るようなことは絶対にあってはならないことだ。
だから、流奈とカラオケというとんでもなく羨ましいイベントも指を咥えて憧れているだけでいるつもりだった。
そもそも、ファンとして推しは尊く、見守るものだと決めているのだ。自分も混ざりたいなんて抱いてはならない。
けども、今回は別だ。
クラスメイトの半分も参加するイベントならクラスの一員として浮安が参加したっていいだろう。そもそも、流奈と深く関わらないようにしても同じクラスであることは決して変わらない事実なのだ。抗えないものというものもある。
それに、流奈が歌っているところを撮影するとか参加する人達みんなが流奈の生歌を聴こうと企んでいるとか、色々と気になることがあり過ぎる。
もし、流奈が嫌な思いをするようなことがあれば今度こそ、どうにか阻止したい。
「俺も参加するから場所と時間、教えて」
「――で、なんであなたまでいる訳?」
待ち合わせ場所として教えられたカラオケ店の前で参加する全員が揃うのを待っているとやって来た流奈に聞かれた。不服そうに形の整った綺麗な眉が寄せられている。
が、浮安にとってそんなことはどうでもいいくらい衝撃的な光景が目の前に広がっていた。
土曜日は学校が休みなため、流奈は私服を着ている。
「るーなちゃん……可愛い」
「は?」
「あ、ごめ」
思わず口をついて出ていた。急いで口を閉じる。
ファッションに疎い浮安は流奈のコーデを上手に表現することが出来ない。ただ、淡い暖色系の上着や白いズボンがめちゃくちゃに似合っている。
「私、そんなこと聞いてないんだけど早く質問に答えてくれる?」
あまり流奈をイライラさせたくないし、早く答えるべきだとは分かっている。
しかし、初めて生で見る私服姿の流奈を前にして時が止まったかのように動けない。
呆然と立ち尽くしているといきなり横から肩を組まれた。トイレで流奈とカラオケに行く、と話していた男子の一人だ。
「こいつさー、今日の話を盗み聞きしてたらしくてどうしても参加したいって頼んできたんだ」
名前もよく知らないのに馴れ馴れしい、と思いつつも代わりに答えてくれたので感謝しておく。
そうなの、とでも言いたいような目で流奈が見てきたのでどうにか首を縦に振った。
「ふーん、そうなんだ」
本当にそうなのか、と疑うようにジロジロと見てくる流奈から視線を逸らす。
「ところでさ、前から思ってたんだけど二人って仲良いよな」
急に何をぶっ込むんだ、と浮安は咳き込んだ。
「えー、そうかなあー」
「そう見えるよー友達なん?」
とぼける流奈にまたも変なことを言う男子を睨んでも流奈と話すことに夢中なようで気付いてもらえない。
「私とこの人は友達じゃないよ。ただの厄介なファンなだけ。藍土流奈っていうアイドルのね」
笑ってはいるけど、どこか冷たさを感じるような流奈に流石に男子も引いた方がいいと気が付いたらしい。
「あ、そうなんだ……なんか、悪いな」
申し訳なさそうに小声で謝られた。
世界で一番可愛い女の子からはっきりと友達じゃない、と言われた浮安を哀れんでいるのだろう。
置かれていた男子の肩をどかして浮安は言った。
「謝る必要なんてない。俺とるーなちゃんが友達じゃないのなんて当たり前。ていうか、俺とるーなちゃんが友達なんていう関係になったらダメなんだ。俺はるーなちゃんのファンなんだから。ファンが推しと友達になりたいだなんて望むのはご法度。死刑だ死刑」
二人の前ではっきりと言い切っておく。正直、流奈に友達だと思われていなくて安心した。流奈と友達になりたくないのかとか、流奈に友達だと思われて嫌なのか、と聞かれたら嫌だと胸を張って言う自信はない。
けれど、やっぱり、流奈のファンとして、推しと友達になるのは違うと思うのだ。オタクは推しと近しい関係性にはならず、一定以上の距離感を保っていないといけないはずなのだ。クラスメイト以上のものを望むのなんて言語道断。
「……ほんとだ、厄介なファンだね」
「でしょ。ほんとに厄介なの」
呆れたように流奈が肩を竦めていた。