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第4話 元アイドルの後悔

 推野浮安に昨日の礼をし終えた帰り道。


「……私ってばほんと馬鹿」


 藍土流奈は後悔していた。

 浮安に苦手だと言っていたコーヒーを押し付け、飲ませて苦そうにしかめている顔を見て爆笑した。

 その全てが本心からした行為じゃない。浮安のしかめていた顔が面白かった、というのは本当だが。


 ――あーあ、絶対に嫌われた。


 本当はあんなことしたくない。

 自分がアイドルという望んでいないものを押し付けられていたため、苦手なものを押し付けられることの嫌さはよく分かっているつもりだ。


 それでも、そうせざるを得なかったのは半分、浮安のせいでもある。


 今もこうして人混みの中を歩いていても誰だって流奈が元アイドルだったということに気付かない。

 一応、そういう視線は敏感に感じ取れる自信がある。

 それでも、今は何も感じない。

 すれ違う人も自分への興味なんて微塵もない。

 誰もが藍土流奈というアイドルがいたことなんて覚えてもいないのだろう。


 だからこそ、芸能界を引退してもずっとファンでいてくれる浮安の存在は嬉しいものだ。

 でも、浮安が抱いている藍土流奈への気持ちが重過ぎた。


 別に、流奈は藍土流奈というアイドルを凄いとは思わない。

 人気も知名度もなかった子役がたまたま出演したドラマをきっかけにアイドルとしてデビューした。

 それだけのこと。

 そういうアイドルのデビューというのは滅多にないのかもしれない。そう考えれば運を掴む凄さ、というのは持ち合わせていたのだろう。

 でも、それだけだ。


 なのに、浮安は流奈のことを神格化し過ぎている。

 自分ではそんなことないと思ってアイドルを辞めた。

 それなのに、そんな域を超えた評価を与えられても嬉しいよりも嫌だという気持ちの方が強いし、嫌だと思っていることを褒められても腹が立つだけ。


 だから、浮安に本当の藍土流奈という人間は神格化して見ているような人間じゃないと思い知らせ、推し変させようと企てた――。


 ――んだから、後悔してるんじゃないわよ。


 浮安のためを思って、わざと酷いことをした。

 昨日のお礼がしたかったのは本当だ。

 アイドルを辞めてから大好きだった歌うことが億劫になった。というか、もうどうでもよくなった。アイドルをしていた頃は頼まれても歌うようなことは控えるようにマネージャーから言われていたが、今はそんな約束も守る意味がない。


 クラスメイトは期待しているようだし、何もかもどうでもいいから歌ってしまおうと思った。

 それを、浮安だけが邪魔して阻止しようとしてくれた。

 嬉しかったしそのせいで浮安に怪我を負わせてしまったことが心苦しくて溜まらなかった。何事もなかったように振る舞っていたけど脳に後遺症が残ったら大変だ。今も心配になる。


 恩人である浮安に対してちゃんとしたお礼もしないまま、挙げ句の果てに、さらに傷付けるような真似をした。

 さっきの呆然としたまま立ちすくんだのを見れば藍土流奈というアイドルの醜い部分にショックを受けていたに違いない。


 浮安のためとはいえ、良心が痛む。

 それでも、これで浮安も夢から覚めて別のアイドルを推し始めるはずだ。アイドルでもない女の子を推したところで何も楽しいことはないのだ。新しい推しを見つけて推し活を楽しんでもらいたい。


 これで良かったんだと言い聞かせ、流奈はコーヒーを口に含んだ。

 得意な苦味がいつもより苦く感じた。



「――は?」


 翌朝、自席に着いた流奈は教科書を机の引き出しにしまおうとして何かが入れられていることに気が付いた。

 くしゃっという音がした物を中から取り出す。

 それは、茶封筒だった。

 誰が入れたのだろうか、と疑問に思いながら表に書かれたるーなちゃんへ、という宛名を見て差出人を理解する。

 浮安だ。どういう目的を持って浮安が入れてきたのかは分からないが相手だけは理解した。クラスでるーなちゃん、とアイドル時代の呼び名で呼ぶのは浮安しかいないからだ。


 試しに、浮安の方をチラッと見る。

 昨日までと何も変わらない、キラキラと目を輝かせながらこっちを見てきていた。

 しかし、見られていると気付いたのか急いで視線を逸らす。


 何がしたいんだ、とため息を漏らしながら茶封筒を開封する。中からは一枚の閉じられた紙が出てきた。開いてみればコーヒーを奢ったことに対する感謝の言葉が綴られていた。


 嫌がらせとして行った。

 なのに、浮安は感謝を告げてきた。意味が分からない。


「あのさ」

「る、るーなちゃん!?」


 イライラした足取りで浮安の元へと向かえば目を丸くして驚かれる。


「これ、何?」


 手紙を見せながら聞く。


「るーなちゃんにコーヒー奢ってもらったしちゃんとお礼を伝えなきゃって」


 嘘偽りのない真っ直ぐな瞳をしたまま答える浮安に流奈は呆れるしかなかった。


「あのさあ、コーヒー苦手なんでしょ?」

「うん……いくら、るーなちゃんからのお礼だって思っても飲み切るのは時間掛かったよ」

「へー飲み切ったんだ……じゃなくて。あなたが嫌そうにしてるのを見て、私は笑ったでしょ?」

「だね……あの時のるーなちゃん、凄く可愛かった」

「……は?」


 思ってもなかったことが返ってきて、拍子抜けしそうになる。


「……いや、ショックだったんじゃないの? 私の醜い部分を見て、嫌いになったんじゃないの?」

「るーなちゃんの醜い部分なんて俺は見てないよ」

「だって、呆然としてたじゃない!」

「あれは、るーなちゃんの笑った顔があんまりにも可愛くてびっくりしてただけ」

「は、はあっ!?」


 つまるところ、浮安はショックなんて受けていなかったらしい。

 何だそれは、と後悔していた時間を流奈は返してほしくなった。

 というか、さっきから可愛い可愛いと言い過ぎじゃないだろうか。容姿が整っている自覚はあるが、こうも冷やかしのない本音で言われ続けると流石に照れ臭くなってくる。


 そんなことも知らずに浮安は大声を出したからかオロオロしながら見てきている。


「あ、あの……また、るーなちゃんを嫌な気持ちにしちゃった?」

「胃がムカムカしてきた」

「ご、ごめん……」


 落ち込んだように浮安が項垂れた。

 そんな姿を見てまた良心が痛んでしまう。本当はそこまで嫌じゃない。

 でも、これも、全て浮安のためだ。

 さっさと藍土流奈への思いを断ち切ってもらうためにとことん嫌な推しになってやる。


 そう決めたがどうやら浮安は並大抵の嫌がらせじゃ推し変することはなさそうだ。

 正直、コーヒーを奢らせたり、買いに行かせたりする作戦で十分だと考えていたから他にいい案が思い付くか不安になる。

 けど、やるしかない。


「覚悟しときなさいよ」

「な、何を……?」


 指を突き付けて口にすれば浮安は不安そうに首を傾げた。

 この顔をいつかは藍土流奈なんて興味のない顔にしてやる。

 流奈はそう決意した。

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