第26話 クラスの美少女が家に来た①
「昨日はサンキューな」
朝一番のこと。
教室に入ってきた好太郎がやって来て口にした。
「どういたしまして」
好太郎が言っていることは昨日、一緒にテスト勉強したことについてだろう。苦手だと言っていた数学について浮安が分かる限りの範囲で解き方を教えた。
それが、どれだけ好太郎の力になっているかは分からないが一人で問題を解けるようにはなった。昨日の時点では、だが。
「テストまであと数日。推野に教えてもらった解き方を忘れないように復習するよ」
「そうしてくれたら教えたかいがあるってもんだよ。ぜひともテストを乗り切ってくれ」
「おうよ」
元気よく答えて好太郎は席に向かっていった。
――さてと。一応、俺も復習しておくかな。
好太郎にああ言った手前、自分が悪い点を取るわけにはいかないだろう。昨日、好太郎に教える際、少し悩んだ問題もあった。テストで躓かないために解き方を確認して慣れておいた方が身のためだ。
「勉強してるの?」
教科書を広げて取り掛かろうとした瞬間のこと。やる気を削ぐタイミングでも狙っていたかのように流奈に声を掛けられた。
着崩すことなく綺麗に着られた制服と同じように綺麗に背中を伸ばした流奈が覗き込むように教科書を見てくる。
「うん、浜崎に教えたところを自分でも確認しておこうと思って」
「へ〜二人で勉強したんだ」
「そうなんだ。昨日、俺の家で」
「……は?」
突然、流奈の目が丸くなり、口が大きく開いた。
また何か変なことでも言ってしまったのかと不安になる。
「えっと……どうかした?」
「……勉強、浮安の家でしたの?」
「う、うん……」
ファミレスやファストフード店、大型ショッピングモールのフードコーナーなど、好太郎は色々と行きたい場所をリクエストしてくれたが断らざるをえなかった。
昨日は母親の陽花里が用事で外出するため干している洗濯物を取り込んでほしいと頼まれたのだ。
だから、好太郎がリクエストした場所は断り、代わりに家に招いたという訳だ。好太郎には「誘ってるのか?」と誘っているのに意味不明なことを言われてしまったが勉強は家ですることになった。
という、ただそれだけの話なのだがそんなに流奈が驚くようなものだろうか。自分ではそうとは思えないのだが。
「何でよ」
「何でよ!?」
「私の方が先に浮安と仲良くなったはずでしょ。それなのに、どうして私は誘わなかったのよ!」
「藍土さんとは最初から勉強する約束すらしてなかったよ!?」
好太郎だけでなく、流奈も一緒に勉強すると最初から話になっていれば流奈だけを仲間外れになんてしたりしない。
けど、今回は流奈は入っていなかった。
入っていないのに「今日、俺の家で勉強するんだけど来る?」と誘う方が変だろう。というか、誘われたとしても気持ちが悪くないだろうか。いや、絶対に気味悪がられるだろう。
「また冷たい態度取る!」
「そんなにかなあっ!?」
いったい、どういうことなのだろうか。
何が流奈に対して冷たい態度になってしまったのだろうか。分からない。分からなすぎて頭が痛くなってきた。
「……藍土さんも一緒に勉強したかったの?」
「そ、そうよ」
「でも、この前、テスト余裕とか言ってなかったっけ?」
「だからって、勉強しない訳じゃないわ。むしろ、勉強してより完璧に仕上げてテストに臨みたいじゃない」
「そ、そういうものなんだ」
「そうよ」
腕を組んで言い切る流奈に浮安は頬をかいた。
さて、どうしたものだろうか。
どうしてか流奈も好太郎も入れて三人で勉強がしたかったらしい。それならそうと勉強の話が出た時に言わなかったのだろう。好太郎もいてなかなか言い出せなかったのだろうか。
流奈を「るーなちゃん」として見ないようにしていても女心というのは難しい。
でも、一緒に勉強したかったというのなら声を掛けたって問題はないだろう。さっきから、何かを待っているように流奈がチラチラ見てきていることもあるし。
「……じゃあ、今日の放課後、一緒に勉強したり、してみる?」
「そ、そうね。せっかくだから、浮安の心配な部分を私が教えてあげるわ」
「あ、ありがとう」
本当に流奈と勉強することになってしまった。
しかも、流奈は唇を僅かに緩ませていてどこか嬉しそうにしている。一人で勉強するよりも誰かと一緒の方が楽しくて捗ることを考えれば分からないでもない。
「じゃあ、浜崎にも声を掛けて」
「い、いいんじゃないかしら。浜崎くんは誘わなくても」
「え、浜崎も入れて三人でやった方がお互いのためになるよ?」
「勉強嫌いな人に毎日勉強させたって逆に効率が悪くなるだけよ。休むのも一つの方法だわ」
「な、なるほど?」
「それに、浮安が勉強したことを浜崎くんには後で教えてあげたらいいだけの話でしょ?」
「それもそうだね」
流奈の話に一理あると思って納得してしまった。
そこで、ふと気付く。
このままだと流奈と二人きりになる。
これまでにも、流奈と二人きりになることは何度もあったがどれも「るーなちゃん」として見ていたからどうにかやり過ごせただけのこと。
これが、流奈となれば「るーなちゃん」の時とはまた違った緊張がとてつもない。
「それで、場所だけど浮安の家でいいわよね?」
「え? いや、それは困るよ」
「何でよ。浜崎くんはよくて私はダメっていうの」
「だって、今日は母さんがいるし」
「二人きりだったらいいって訳? 何を勉強するつもりなのよ」
「何ってテスト勉強だけど」
「だったら、いいじゃない」
どういう訳か流奈は家に来たがっているようだ。
流石に、ここまでアピールされて気付かないことはない。
だとしても、あまり乗り気じゃないことには変わらない。
別に、絶対に流奈を招きたくない訳じゃない。
招けない理由がある訳でもない。ただ、何となく自分の母親を同級生に見られる、というのが少し照れくさいだけだ。
それに加えて、陽花里も流奈が元アイドルだったことを知っている。浮安ほどの熱狂的なファンではないが、普通にファンだ。流奈を見れば騒ぎになって、勉強どころではなくなるだろう。
「……藍土さんが好きなコーヒーを飲めるスタバとかは」
「嫌よ。周りがうるさくて勉強に集中出来ないわ」
「じゃあ、図書室は」
「それも、嫌よ。静か過ぎて逆に集中出来ないわ」
じーっと無言のまま流奈が目で圧を掛けてくる。
こういう時、圧倒的に顔がいいというのは本当にズルい。見つめられて照れないでいられるはずがないのだ。
「……分かった。いいよ。俺の家で」
観念してさっさと諦めた方がいいと判断し浮安は降参した。
「やっ」
「……やっ?」
両手を丸めた状態で流奈が固まってしまった。
それからすぐに何事もなかったように咳払いをして動き始めた。
「……何でもないわよ。やっと招く気になってくれたの遅いわね、って思っただけよ」
正確には招きたくて招く訳ではないがややこしくならないためにもそういうことにしておく。
「じゃ、放課後一緒に帰るから先に帰らないでよ」
「それは、もちろん」
「それじゃあね」
軽く手を振り残して流奈は席に戻っていった。心なしか流奈の足取りが軽やかなように見えたのは浮安の見間違いだろう。
――とりあえず、母さんに連絡入れとかないと。
何も言わずに流奈を家に招いて大変なことにならないために。
――って、気を抜けばやっぱり、るーなちゃんを意識しちゃってる。
そもそも、今の流奈は元アイドルでも何でもない、ただの藍土流奈だ。クラスの。それも、とびっきりの美少女を家に招く、という部分では陽花里に驚かれるはずだが、流奈が元アイドルだからというのは気にしなくていいはずだ。
というか、気にしないことが流奈と「るーなちゃん」を重ねて見ていないということなのに無意識の内に気にしてしまっていた。家に元アイドルを招いたりして大変だと。
――藍土さんとるーなちゃんは違う。彼女は藍土さんなんだ。ちゃんと藍土さんとして接しないと。
自分にそう言い聞かせて浮安は放課後になるのを待った。
「さ、行きましょ。浮安の家に」
放課後、約束していた通りに先には帰らず、浮安は流奈と一緒に学校を出た。
普段は早めに教室を出て行ってさっさと一人で帰っているものだが、今日は違う。こうして流奈と帰るのは初めてではない。というのに新鮮さを感じるのは流奈を「るーなちゃん」として見ないで一緒に帰るのは初めてになるからだろうか。
「浮安の家ってどんなのなの?」
「どんなのか……うん、そう聞かれてもマンションに住んでるからマンションとしか」
高級でもなければ、オンボロでもない。一家三人で暮らしていくのに何不自由なく暮らせていけるようなマンションとしか言いようがない。
「特に面白いことはなくてごめんね」
「家に面白さなんて求めてないわよ」
流奈が気に入るような返答が出来た訳でもないというのにさっきから流奈はずっと上機嫌だ。笑顔が続いている。百点満点の笑顔が。
美少女が笑っているというのはそれだけで目を惹く材料になるようですれ違う人達が流奈を見ていることが分かる。
流奈が元アイドルだと知っているのかは知らないがやはり可愛いということは共通認識でいいようだ。
「どうしたのよ、ジロジロ見て」
知らず知らずの内に視線が釘付けになっていたことに気付かれた。流奈が「るーなちゃん」であろうとなかろうとこうして近くにいると目で追ってしまうらしい。
ただ、彼女はもう「るーなちゃん」ではない。今の流奈に可愛いから見てた、なんて言えば気味悪がられるだろう。誤魔化しておく。
「ううん、今日はいい天気だと思って」
誤魔化すついでに好太郎が言っていたことが本当かどうか試してみる。ちなみに、今日の天気は快晴だ。徐々に暖かくなってきたし、中間テストが終われば衣替えの時期に入るらしい。
「そうね。今日は絶好の洗濯日和だわ」
まさかの乗ってきてくれた。
しかも、流奈は主婦みたいなことを口にして。
「ただ、これ以上、日差しが強くなると肌が焼けそうで心配になるのよね」
「藍土さん白いもんね」
「浮安もでしょ」
「引きこもりだから」
本当に天気の話で話が弾むとは思ってもいなかった。
そんなことを話しながら電車に乗って最寄り駅で降りる。途中、流奈が手土産を買おうとしたが流奈が家に来ると連絡した陽花里がケーキを用意しておくと言っていたので断った。
そんなこんなでマンションに到着。
これから、本当に家に流奈が入るのだと思うと浮安は一段と緊張が増した。