第25話 自分との戦い
流奈は納得出来ないでいた。
何に対してかといえば、浮安が流奈のことを名字で呼んでくることに対してだ。
少し前のこと、浮安に対してつい感情的になってしまった。
ちゃんと藍土流奈としての自分を見てもらえれば浮安がもう「るーなちゃん」のために無茶をしないようになるかもしれないと考えてのことだ。
どこまで浮安に気持ちが届いたのかは浮安じゃないから分からない。それでも、藍土流奈と「るーなちゃん」を区別して見ると言ってくれた浮安は信じていいと思っている……にしてもだ。
いきなり、名字で呼ばれるとは思ってもいなかった。
浮安と何を話したらいいか分からず数日間、何も話せないでいたところにぶっ込まれたことで最初は驚いてしまった。
別に、流奈として見てほしいとは思っているが呼び方を変えてほしかった訳じゃない。いや、呼び方なんてどうでもいいのだが。だが、これまで、名前で呼ばれていたのに名字で呼ばれると何故か不安になってしまう人間の心理みたいなものが働いてしまう。
本当は浮安は藍土流奈としてではなく「るーなちゃん」として接してほしいのではないだろうか。それなのに、藍土流奈として見てほしいと言ったから嫌がらせでもしてきているんじゃないかと最初は思った。
でも、相手はあの浮安だ。
不器用で嘘をつくのが下手な浮安だ。
陰湿な嫌がらせなんて出来っこないし、仮にしていたとしてもすぐに見抜けるだろうという謎の自信がある。
だから、名字で呼んでいるのはきっと「るーなちゃん」を重ねないようにするためだ。
ちゃんと流奈の話を聞いて変わろうとしてくれている証拠だろう。
それでも、納得出来ないものは出来ない。
別に、呼び方なんてどうでもいいのだが。最初は名前で呼んでいたのだからそこは変えないでいてほしかった。いや、本当に呼び方なんてどうでもいいと思っているのだが。流奈は浮安のことを名前で呼んでいるのだから、浮安にもそうしていてほしかった、という気持ちがないこともない。
――ああ、もう。もやもやするわね!
あの浮安がちゃんと流奈として見ようとしてくれている。
それだけでいい終わりだというのに流奈の頭の中は変なことで埋め尽くされてばかりだ。いつから、呼ばれ方一つをこんなにも気にするようになったのだろう。
そもそも、だ。
あれからというもの、浮安からの愛想が感じられない。愛想、といえばまるで浮安と付き合っていたように聞こえてしまうがそういう恋人のようなものではなく、何といえばいいのだろうか……ペット。そう、ペットが飼い主に懐いているような愛想が一番近いだろう。
口を開けば「るーなちゃん」「るーなちゃん」と言い、何かする度にも「るーなちゃん」「るーなちゃん」と浮安からは好きな気持ちが溢れていた。
それなのに、最近の浮安はそれが一切ない。
流奈に「るーなちゃん」を重ねていないのだから当然といえば当然なのに、なぜだか楽しくない。見られてる感覚がなくなって過ごしやすくなったはずなのに面白くない。普通に話してるだけなのにどこか物足りない。不思議な話だ。
どうしてそう感じるのかは自分でも分からない。何だかんだと言いながら、以前のような浮安とのやり取りが幸せであれがあったから満ち足りていたのかもしれない。
それは、今の流奈には自分のことなのに解決する方法がなくて正解を導き出せないことだ。
ただ一つ。今の流奈でも分かる自覚していることがある。
何となく、腹が立って悔しいということだ。
そうなる原因は一つだけ。
浮安が流奈よりも「るーなちゃん」を優先しているからだ。「るーなちゃん」を重ねていた頃よりも愛想が悪くなったのはそういうことだろう。
結局、浮安が好きなのは「るーなちゃん」で流奈本人ではなかった。
流奈は浮安と違って「るーなちゃん」が嫌いだ。それなのに、浮安からすれば流奈よりも「るーなちゃん」の方が好きなのだ。
自分が嫌いな相手に負けるというのは腹が立つし悔しくもなってしまうもの。
――決めた。今度は私が浮安の好きな相手になってやる。
いつまでも過去の自分である「るーなちゃん」に負けたままではいられない。流奈はもう、アイドルだった頃の自分とは縁を切って藍土流奈としての人生を歩んでいるのだ。過去の自分に足を引きずられる訳にはいかない。
――って、これじゃあ、私が浮安を好きみたいじゃない! そんなこと、ないんだから!
これは、あくまでも自分同士の戦い。
藍土流奈として「るーなちゃん」には負けていられないのだ。
決して浮安のことが好きだとかそういうのじゃない。いつまでも「るーなちゃん」のことが好きで流奈に対しては素っ気ない浮安が可愛げがなくて悪いのがいけないのだ。
流奈のことも「るーなちゃん」と同じくらいに接してくれたらこんなことを考えたりもしなかった。やっぱり、原因は浮安にある。そういうことにしておこう。




