第24話 小さな変化
流奈のことを「るーなちゃん」ではなく、アイドルだったことを関係なく藍土流奈という一人の女の子として見ることに決めてから早数日が経った。
いきなり、これまで「るーなちゃん」として見ていた流奈のことを違う目で見るのは難しく、気を抜けば「るーなちゃん」を重ねてしまいそうになる。
その度に彼女は「るーなちゃん」ではなく、流奈だと自分に言い聞かせて切り替えるように気を付けている。
「はあ〜」
「……大きいため息ついてどうしたの?」
昼休み。
一緒にご飯を食べよう、と誘ってきた好太郎がパンを完食したところで頭を垂れた。
「いや、もうすぐ中間テストじゃん。勉強しないとな〜って」
「ああ、そういえばもうすぐだね」
「推野は勉強どうなんだ?」
「普通かな。めっちゃいいってこともないけど、めっちゃ悪いってこともないよ。苦手な教科もないしね。浜崎は?」
「この体勢から察してくれ」
「頭を抱えてるね。困ってるの?」
「困ってなきゃ憂鬱になんかなんねえよ」
「そうだね」
中学生の頃も浮安は特にテストがあるからと困ることはなかった。別に勉強が好きという訳ではないし得意という訳でもない。それでも、授業をしっかり聞いていればついてはいけた。
それは、高校生になった今もそうだ。
授業中に確認の意味も込めて行われる小テストもそれほど悲惨な結果になっていない。間違えた問題は解き直して理解しているし今度の中間テストも無事に乗り切れるだろうと考えている。
「なんか、いい勉強方知らねえか?」
「残念だけど」
「薄情者め!」
「酷いよ。っていうか、浜崎が何に困ってるか知らないのに答えられるはずないでしょ」
「数学。数学の解き方がマジで分からん。あれは高校生の解く問題じゃねえわ」
「あー……確かに、数学は難しいよね。じゃあ、一緒に勉強でもする……?」
情けない話だが、浮安は緊張で声が震えた。
最近、移動教室に向かう時や体育で着替える時、休み時間など好太郎と一緒になることが増えた。だからって、一緒に勉強まですることを好太郎が望んでいるかは分からない。
もしかしたら、ただの雑談の一つだったかもしれない。だとすれば、出しゃばってしまったと恥ずかしくなる結末だ。
「お、マジ? 助かるわー」
色々と考えていたが全て蛇足だった。
「それで、どこでやる? 図書室? いや、ここはスタバとか行っちゃうか?」
それどころか、好太郎は思っている以上に乗り気のようだ。目をキラキラと輝かせて場所を提案してくる。
そういえば、と好太郎が友達を欲していることを思い出した。好太郎にとって誰かと一緒にテスト勉強は高校生らしい青春のイベントなのだろう。
「楽しみにしてるところに水を差すようでなんだけど……俺、コーヒー類飲めないんだよね」
「マジかよー」
流奈からお礼ということで連れて行かれたことを思い出す。あの時、流奈から渡されたコーヒーは流奈からの贈り物だったから完飲出来たがあれ以降、自分からコーヒーを飲むようなことはしていない。
コーヒーはまだ浮安には早かった。浮安は甘いジュースの方が好きである。
「じゃあ、スタバはなしだな。んー他にはそうだなー。どこがいいかなー」
「勉強するって忘れてないよね?」
「おうよ」
「ほんとかなあ」
そんなことを話していると。
「盛り上がってるけど、何の話ししてるの?」
流奈が話し掛けてきた。
「もうすぐテストだし、推野と一緒に勉強でもするかって話になってて」
「そういえば、そんな時期ね」
「る……藍土さんはテスト大丈夫そう?」
「「……えっ!?」」
何か変な質問をしてしまっただろうか、と声を揃えて驚いた流奈と好太郎に浮安は焦った。
あれから流奈と話すのは初めてだし、自分では気付いていなくても声が裏返っていたりしたのかもしれない。
「えっと……何かおかしなところでもあった?」
頬を掻きながら聞いてみれば流奈は我に返ったように首を横にした。
「いいえ、別に。それで、テストだったわね。そうね。勉強は得意よ。今回のテストも余裕よ」
「凄いね。俺も大丈夫だとは思ってるけど、藍土さんみたいな自信はないや」
「ま、家にいてもすることがないから勉強してるだけよ。浮安には勉強以外にもすることがあるんでしょ。それは、いいことよ」
ゲームをしたり、マンガを読んだり。もちろん、流奈の歌を聴いたり、流奈のインタビュー記事を読み返したりするのも忘れない。
そんなことをしているから家で勉強はほとんどしていない。それが、良いか悪いかは人それぞれだが浮安にとっては充実した時間である。
「俺なんて誰かさんにアイドルを勧められてからは一向に勉強に身が入らねえわ」
「勧めてはないけどね……ていうか、浜崎からアイドルについて教えてほしいって言ってきたよね?」
「覚えてたか。あーあ。アイドルの名前とかならすぐに覚えられるのにどうして勉強だと無理なのかなー」
頭の後ろで手を組んで好太郎は椅子の背もたれに深くもたれる。体重がかかったことにより、椅子の脚の半分が浮きグラグラと傾くが好太郎は上手にバランスをとって揺れている。
「そんなの簡単よ。好きなことには情熱をかけるから物覚えも早いってだけ。勉強は地道に頑張るしかないわ」
「あー耳がいてえ」
「藍土さんの言う通りだよ。頑張るしかないね」
「そういうことよ。じゃ」
手を軽く振って流奈は教室を出て行った。
何をしに来たのか分からなかったがどんなことを話しているのか気になって声を掛けてきたところだろう。
「それで、場所は――」
「それよりもどうしたんだよ!?」
流奈が話に混じってくる前の話題に戻そうとすれば大きな音を立てながら椅子を戻した好太郎が食い気味に顔を近付けてくる。
「な、何が……?」
「何が、じゃねえだろ。藍土だよ、あ・い・ど!」
「藍土さん……?」
流奈がどうしたのだろう、と首を傾げる。
「それだよ、それ!」
「と言われても……どれ?」
「藍土の呼び方だよ。前まではことあるごとにるーなちゃんるーなちゃん呼んでたろ?」
「ああ、それね」
流奈と「るーなちゃん」を重ねないようにするためにも先ずは呼び方から変えることにした。どうしても「るーなちゃん」と呼んでしまえば「るーなちゃん」を重ねてしまいそうになるからだ。と、ただそれだけのこと。
「どうしたんだよ?」
「藍土さんとるーなちゃんは違うからね」
「……また喧嘩したのか?」
「違うよ。ちゃんと藍土さんを見るためにだから。ていうか、喧嘩なんか一回もしてないし」
「はいはい……で、何でまたそんなこと? 藍土が推しじゃなかったのか?」
「るーなちゃんは推しだよ。それは、これからもずっと変わらない」
それは、流奈からも言われたことだ。
これからも「るーなちゃん」を推していればいいと。だから、推しを変えることはない。
「でも、藍土さんとるーなちゃんは違うって気付いたから」
流奈を泣かせたことは言わないでおく。泣いたことを流奈だって知られたくないだろうし、何よりも自分が流奈を泣かせたことを知られたくない。
「ほーん……それで、藍土さん呼びか」
「そういうこと」
「ったく、ビビらせんなよ……藍土だってビビってたぞ」
「……ああ、だから」
ようやく流奈と好太郎が二人揃って驚いていたことが解決した。流奈も名字で呼ばれるとは思っていなかったのだろう。
「ま、そういうことなら理解した。にしても、藍土のことをるーなちゃんとして見ないんならいつでも話し掛けに行けるな」
「え、行かないよ?」
「はあ? 何でだよ? これまでは推しとは話せないとか言って話したそうにしてたのに遠くから見てるだけだっただろ。それが、藍土を推しとして見ないなら好きにしていいってことじゃねえのかよ」
「いや、そもそも藍土さんと何を話したらいいのか分からないからね」
これまでは「るーなちゃん」に関わることで流奈と話すことが出来た。けど、それがなくなれば流奈と何を話したらいいのか内容が思い付かない。
そもそも、流奈とはそんなに話したりする間柄じゃないのだ。ファンと推し、という関係がなくなった今、流奈とはただのクラスメイト。これまでよりも話す機会は減るのが当然だろう。
「そんなん天気の話でもすればいいだろ」
「天気の話って……高校生で天気の話はつまらなくない?」
「最初は何でもいいんだよ。そっから話が広がるかもしれないだろ?」
「そういうものかな」
「そういうもんだよ」
自身ありげに好太郎は口にするが未だに自分以外の誰かと好太郎が話してるところを見かけないのであまり信用ならない。とはいえ、本人に言えば傷付けてしまいそうなので黙っておく。
「ていうか、推野は藍土と話したくないのかよ?」
「うーん……どうなんだろう」
正直なところ、流奈のことを「るーなちゃん」と重ねないようにしてからというもの、以前のような流奈と会話したい、みたいなのがない。意識してるから、というのもあるが教室で流奈を目で追うことも減っていた。
「……その顔、マジで藍土には興味ないんだな」
「興味ない、は言い過ぎだけど……俺が好きなのはるーなちゃんだから。だからって、藍土さんが嫌いとかじゃないけどね」
「話せる時でいいってこと?」
「まあ、そういうことかな。今までと変わらずで」
何か用があればその時に話す。
流奈とはそれが出来れば十分だ。
「……じっと見てきて何?」
「いや、人ってすげえ変わるんだなって」
「そう?」
確かに、前のようにことあるごとに「るーなちゃん」「るーなちゃん」とは言わなくなったが変わらず「るーなちゃん」のことはちゃんと好きだ。
だから、自分ではあまり変わったように思えない。
「まあ、浜崎がそう思ったんなら藍土さんにもちゃんと伝わるはずだからこれからも頑張るよ」
流奈をちゃんと流奈と見ているといつか伝わるように。
改めて浮安は決意した。




