第22話 推しの元アイドルとサインの行方⑦
流奈が現れたことによって浮安は焦った。
自分のサイン付きCDが転売されている、ということを流奈は知ってしまっただろうか。
そう不安を駆られるものの、流奈がいつからいたのかは不明だ。それに、わりと大きめの声を出していたとはいえ、具体的な内容は口にしていなかったはず。
であれば、流奈が何も知らない可能性は十二分にある。
その可能性に賭けて誤魔化すことにした。
「手押し相撲で遊んでたんだ。るーなちゃんは知らないだろうけど、男子の間で今流行ってるんだよ。友達同士で誰が最強かを決めるの。見た通り、俺の完敗だったけどね」
砂ぼこりを払いながら立ち上がる。
いつまでも尻もちをついたままだと流奈に不審がられそうだ。
「浮安に友達なんていないでしょ」
その通りだが他人から言われてしまうと少しばかり悲しくなってしまう。目に砂が入った訳でもないのに涙が出そうだ。
しかし、今は泣いてる場合じゃない。
ここで泣いてしまえば流奈に嘘だと言ってしまうようなもの。堪えなければいけない。
「……るーなちゃんが知らないだけで俺にだって」
「そうね。言い方が悪かったわ。二人はいるけど、手押し相撲するような友達はいないでしょって言いたかったのよ」
「ふ、二人……?」
流奈の言うことがいまいち飲み込めずに首を傾げる。
「それって、どういう――」
「そうだよ、藍土さん。騙されないで」
二人の友達とは誰なのかを聞こうとしたところで遮られた。
「コイツと俺は友達なんかじゃないんだ」
浮安だって、流奈のことを金儲けのかもとしか思っていない連中のことを友達だなんて口が裂けても言いたくない。
それでも、流奈に誤魔化すために我慢して嘘をついたというのにあっさりと裏切られて内心で舌打ちをした。
「知ってる。だから、何してるのって聞いたの」
「それがさ〜、聞いてよ。コイツ、藍土さんのファンらしいんだけど、藍土さんのサインが欲しいのに自分じゃ声を掛けられないからってCDを急に盗んできたんだよ」
「へえ」
細めた目を流奈から向けられて浮安は逃れるようにそっぽを向く。
きっと、流奈は呆れているのだろう。サインを自分から断ったくせにやっぱり欲しくなったからと他人の物を盗むなんて実に馬鹿な話だ。呆れるどころか軽蔑されたって不思議じゃない。
それが、例え作り話であっても何も知らない流奈にとっては彼の言うことが全てだと思うだろう。
「それどころかさ、この前なんて藍土さんからサインを貰った俺の友達を妬んで財布まで盗もうとしてきたんだぜ。最低だよな」
「そんなことがあったんだ」
「だから、大事な藍土さんのサイン付きCDを奪われないように必死に抵抗してたところなんだ」
「それで、突き飛ばしたんだ」
「コイツ、スッゲーしつこかったから。藍土さんが可哀想だよ。こんな厄介なファンがいて。そうだ。この際だし、藍土さんからも一言、言っておいた方がいいよ。気持ち悪いから今すぐファンをやめてって」
「そうね。じゃあ、一言だけ。うるさいからそろそろ黙ってくれる?」
「……え?」
百点満点の笑顔から出るとは思えない言葉に彼は鳩が豆鉄砲でも食ったように呆気にとられている。浮安だって同じだ。流奈の言葉に驚きを隠せない。
「う、うるさいってどういう……」
「あ、うるさいって意味が分からない? 耳障りな声だから口を閉じろって言ってるのよ。聞いていて気分が悪くなる声だわ。吐きそう」
「き、気分が悪くなる声……」
「る、るーなちゃん。何もそこまで言わなくても」
「浮安はノイズくんの肩を持つ訳?」
「いや、そういう訳じゃないけど」
「なら、いいじゃない。カエルの鳴き声を聞いてる方がまだマシだわ」
「るーなちゃんにとってアレってカエル以下の存在なの!?」
「ええ、そうよ。カエルに悪いけどね」
容赦のない辛辣な言葉を並べる流奈に浮安は苦笑を浮かべる。
「……な、何なんだよ。ソイツ、藍土さんの厄介なファンなんだぞ。なのに、何でそんな楽しそうに話してるんだよ!」
散々、罵られた彼が顔を真っ赤にさせながら叫んだ。どうやら、流奈のためを思って言ったのに邪険に扱われて怒っているようだ。
「は? 楽しそう? どこが? そんなことないから! 目、腐ってるんじゃないの? いい加減なこと言わないでくれる? いい? 分かった?」
「わ、分かった」
物凄い剣幕で早口で畳み掛けた流奈に彼も度肝を抜かれたらしい。素直に頷いている。
「ったく、どこをどう見たら私が楽しそうにしてるっていうのよ」
そんなことを呟きながら流奈は自分の頬を引っ張ったり、押したりしている。乳白色のように白い頬が僅かに赤く色付いた。
「で、浮安が厄介なファンだったわね。あなたから教えられなくてもとっくに知ってるわよ」
「嫌じゃないのかよ」
「嫌よ。さっさと推し変してほしいわ」
「じゃあ、何でソイツの味方なんだよ」
「知ってるからよ。浮安が理由もなしにそんなことするような人じゃないって。で、その理由ってのはどうせ藍土流奈絡み。なら、悪いのは私じゃない」
「るーなちゃんのせいじゃ」
全部、浮安が勝手にやったことで流奈が悪いことなどこれっぽっちもない。それを伝えようとすれば遮られるように手を向けられた。
「いいのよ。だいたいの検討はついてるから。ノイズくんは私がサインしたCDを転売しようとしてるんでしょ?」
「……聞いてたの?」
「やっぱりね」
半信半疑だったのを浮安の反応を見て確信した、といったところだろうか。呆れるように流奈がため息を溢した。
それから、彼が持っているCDに向けて指を差す。
「ねえ。それ、好きにしていいから」
「……返してとか言わないのか?」
「変なこと言うのね。それを買ったのはあなたでしょ。私の物じゃないのに返してって言う訳ないじゃない。それとも、私がそんなに馬鹿に見える訳?」
「そ、そういう訳じゃない」
「あっそ。じゃあ、最後に一つだけ。それをどうしようとあなたの自由だけど、言っておくわ。私、もう誰にもサインしないから。だから、浮安と私にもう二度と近付いたりしないで。破ったら事務所に駆け寄ってCDを転売したことで裁判起こすから」
「さ、裁判……?」
「別に、難しいことじゃないでしょ。守ればいいだけの話なんだから」
本当に裁判を起こせるのかどうかは詳しくない浮安には分からない。けど、流奈が言うのだからそうなのだろう。彼もちょっとした小遣い稼ぎのつもりでいただけなのに、事態が大きくなって焦っているようだ。顔から血の気が引いている。
「ちゃんと頭に叩き込んだんならもう行きなさい」
かもだと思っていた相手からこうも一方的に言われ続け思うところがあるものの、流石に何かしたら自分の方が被害が大きいと考えたのか彼は悔しそうに舌打ちを残して去っていった。
その背中に向かって流奈が舌を出している。
「べーっだ。二度と顔を見せるんじゃないわよ」
「よっぽどな馬鹿じゃない限り、見せには来ないと思うよ」
「当然よ当然。近付いたら地獄送りにしてやるわ」
「地獄……あ、裁判だね。裁判って起こせるの?」
「起こせないわよ。事務所に言ったって私はもう所属してないから聞いてもくれないでしょうしね。そもそも、転売事態は禁止されてることじゃないし。だから、さっきのは嘘。まんまと信じて怯えてたわね」
彼のことを思い出してか愉快そうに流奈は唇を緩めた。
「あの、るーなちゃん。他にも聞きたいことが」
どうして、彼がCDを転売しようとしていると知っていたのか。
そう質問しようとしたのを遮るようにチャイムが鳴った。昼休みがもう終わるから早く教室に戻りなさいという知らせだ。
「私も言いたいことがあるから、放課後、教室で話しましょ。いいわね?」
「う、うん!」
こうして普通に流奈と話しているが流奈とは顔を合わせづらい状況にあった。だから、教室に戻ってしまえばまた何となく同じような感じになるんじゃないかと不安だったが放課後にまた話せるらしい。
どうしようもなく嬉しくて浮安は放課後が待ち遠しくなった。