第19話 推しの元アイドルとサインの行方④
結局、流奈に声を掛けられないままさらに数日が経った。自分でも驚くことだが、学校がこれっぽっちも楽しいと感じられない。
流奈と話せないことが当たり前で推しは遠くから見守るものだと思っているはずなのに、流奈と関わった楽しさによって覆されている。
「なあ、これ見てみろよ」
「やっば!」
「馬鹿っ! 声が大きいって!」
トイレから教室へと戻るまでの廊下を重たい足取りで歩いていれば声が聞こえてきた。声のする方を見れば三人の男子が廊下の隅で集まっている。
今の大きな声で注目を浴びたらしく廊下にいた人から何事かと視線を寄せられているが何もなかったと分かってすぐに気にされなくなった。
普段なら、浮安もその内の一人だ。大きい声が聞こえてくれば一瞬だけ視線を向けるが自分には関係のないことだと分かればすぐにどうでもよくなる。
けれど、今日はそうならなかった。
三人の内の一人が流奈にサインを貰いに来た男子だったからだ。他人に興味がないのに彼のことは勝手に嫌いな奴だと妬んでいたから覚えていた。
かといって、廊下で駄弁っているだけならどうでもいいことなのだが何やら自慢しているようで少し興味が湧いた。というより、流奈のサインを自慢しているのではないかと悔しくなって見てしまう。
三人に見つからないようにしながら覗く。
「やっぱ、凄えよ……これ」
「こんな大金、どうしたんだよ?」
てっきり、流奈のサイン付きCDを見て盛り上がっているのだと思っていた。
でも、それは外れていた。
三人が見ていたのは紙のお金。盛り上がり具合から予想するに一万円札が何枚かあるのだろう。遠くて何枚あるのか見えないがバイトでもして稼いだのだろうか。
流奈のサイン付きCD以外で盛り上がっていようがどうでもいいことだ。一気に興味がなくなった。とっとと教室に戻ろう。
「ふっふっふ。ここだけの話な。元アイドルの藍土っているじゃん?」
踵を返したところで流奈の名前が出てきて足を止める。
「この前、藍土が出したCDに藍土からサインしてもらったんだけど、それをフリマアプリで出品したらこうなったんだ」
「げえっ、マジかよ!」
「マジマジ! やばくね!?」
大金を稼いだ方法を聞いてますます盛り上がる三人に浮安の口からは「は?」と勝手に漏れていた。
「藍土とか聞いたこともないアイドルなのにこの金額はエグいな」
「俺、興味なんて全然なかったのに俄然興味が湧いてきたわ」
「中古屋で買ったやっすいCDが五万に化けたのは嬉しい誤算だったよ。終わってるアイドルのサインなんて付いてもせいぜい一万程度だと思ってたからさ」
「終わってるアイドルでもファンってのはそれくらい出すんじゃね」
「そう! そこで、俺は考えた訳よ」
流奈にサインを貰いに来た男子が指を鳴らす。
そして、ニヤリと笑みを浮かべて口にした。
「一緒に金儲けしないか?」
「というと?」
「中古屋で売られてる藍土のCDを片っ端から集めて藍土にサインしてもらうんだよ。で、それを、転売する」
「なるほど。でも、流石に何回もサインしてもらうのは不審がられないか?」
「だから、まずは俺達三人……って言っても、俺はもうサインしてもらったから二人が期間を空けてサインを貰いに行く」
「それで、転売が上手くいけば他の生徒にも声を掛けて仲間にする、みたいな?」
「その通り。まだ、上手くいく確証はないから俺達三人で試してみてからだけど……どうだ?」
残りの二人は顔を見合わせて同じようにニヤリと笑うと頷いた。
「いいね」
「面白そうだ。やろう!」
「よっしゃ! 決まりな!」
三人はイタズラでも企んでいるような少年みたいに笑っている。
「じゃあ、今日は成功を祝う前祝いってことでこの金で遊びに行こうぜ。奢るからよ」
「お、いいな」
「ぱーっと騒ぐか」
紙幣を片付けた財布を手にしたまま三人が隣を通り過ぎて行く。気にもされなかった浮安は急いで教室に戻るために駆け出した。
自分のファンだと思っていた人物が自分のサイン付きCDを使って金儲けしていると知れば流奈を傷付けてしまうかもしれない。だから、事情を話したりはしない。
そのうえで、流奈にはもうサインをしないように伝える。
「それにしても、いいかもを見つけられてラッキーだわ」
その言葉を聞いて浮安は足を方向転換させた。
そのまま、三人の元へと駆け出して財布を奪い取る。
突然のことに三人は驚いたようだ。
「いきなり何するんだよ!」
「うるさい! るーなちゃんに謝れ!」
生きてきた中で今まで出したことのないような声量が出ていた。
ずっと、腹が立っていた。
せっかく、書いてもらった流奈のサインを転売していたことにもそれをこれからも続けようとしていることにも。何より、流奈を馬鹿にし続けていた発言の数々に。
けど、自分が出て行ったところで今さら何かが変わる訳じゃないと我慢していた。転売はもう行われた後だ。流奈のサインは顔も知らない本当のファンの元へと届けられている。ファンでもない奴が持っているよりはずっとマシだと自分に言い聞かせて。
それが、最後の発言で我慢の限界を迎えた。
どうやら、自分が思っている以上に苛立っているらしい。
「はあ? 何言ってんのか分かんねえんだよ! さっさと返せよ!」
「返さない。お前がるーなちゃんに謝るまで絶対に返さない!」
大声に気付いて廊下に人が集まってきた。
何が起こっているのかと騒々しくなっているのを感じる。
「ちょ、取り押さえてくれ」
両脇から二人に腕を掴まれて動けなくなる。
その隙に財布を取り返された。
「返せ」
「馬鹿か、お前。これは、俺の財布だろうが。泥棒」
周りから財布を泥棒したんだという話が囁かれ始めた。指を向けられて、何やら言われている。
そんなのどうでもいい。
「ちょ、暴れんなって」
腕をめちゃくちゃに振り回してすり抜けるともう一度、財布を取り上げようと手を伸ばす。
別に、お金にも財布にも興味はない。
正直、財布を取り上げても意味があるとは思えない。
それでも、何かしないと気が済まなかった。
「俺は許さないぞ。るーなちゃんをこけにするのもいい加減にしろ」
「だから、意味分かんねえって!」
その瞬間、頬に衝撃が走り、足がよろめく。
彼を見れば伸ばされた腕の先に丸められた拳があり、そこでようやく殴られたのだと実感する。
痛い。口の中は血の味がする。構えることが出来ず噛んでしまったようだ。集まっている関係のない中から悲鳴のような声も聞こえた。
これ以上、騒ぎになるのは控えた方がいい。
そう分かってはいてももう引くに引けなくなっている。
もう一度向かっていけば、視線が低くなった。足を引っ掛けられたのだ。膝が廊下に付き、頭を押し付けられる。咄嗟に顔がぶつかるのは手を付いて回避したが上から押さえられて身動きが取れない。
「くっ……離せ」
「離すかよ。誰か、先生呼んでくれ」
先生を呼ばれてしまえばもう何も出来なくなる。
「るーなちゃんは……るーなちゃんは世界で一番素敵なアイドルなんだ。お前達の金儲けにしていい相手じゃないんだよ!」
結局、手も足も出せずにそう叫び続けることしか敵わず、やって来た先生によって生徒指導室まで連れて行かれることになった。