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第17話 推しの元アイドルとサインの行方②

 ――るーなちゃんのサインだと!? そんなん俺だって欲しいわ!


 突如としてやって来て、流奈にサインをねだる男子に浮安は羨ましいという気持ちと同時に苛立ちのようなものを覚えた。

 芸能人のサインなど、一般人がそうそう手に出来る物ではない。そもそも、芸能人と出会う機会すらほとんどないというのが一般人だ。サインを入手する機会もほとんどない。

 それこそ、何かしらのイベントなどで向こうからサインを配ってくれない限り、サインを入手することなんて出来やしない。


 それなのに、だ。奇跡的に流奈と同じ学校になれたことをいいことにサインを欲しがるというのは、他のファンにとって卑怯になるだろう。


 浮安だって、流奈のサインが欲しくないかと言われれば欲しいに決まっている。何度か流奈のサインが書かれた色紙が当たるキャンペーンに応募したが当選することは出来なかった。

 だから、手にすることが出来るなら何を払ってでも手に入れたい。


 しかし、流奈に頼んでまで手に入れようとは思えない……というより、実行してはいけないと思っている。

 だからこそ、何も考えずに流奈にサインをねだることが出来る度胸が羨ましくなると同時に流奈のようなスーパーアイドルのサインを簡単に手に入れようとしていることに腹が立つ。


「ほら見て、これ。藍土さんのCD。このジャケット部分にサイン欲しいんだけど……どうかな?」


 食い気味に流奈に聞く男子を見ながら流奈はどう答えるのだろうか、とソワソワしてしまう。


「私なんかのサインでよかったら喜んで。ちゃちゃっと書いちゃうね」

「うおおおお――まじか。めっちゃ嬉しいわ」


 ささっと流奈がペンを持った手を動かしている。


「名前はなんて書けばいい?」

「あ、俺の名前はなしで。俺なんかの名前を入れたら余計なものがあって邪魔してる感じになるし」


 そこは、浮安とは違うらしい。

 公式企画で配られるようなものとは違い、個人的にサインを貰えることがあるなら浮安は自分の名前を入れてほしい。自分の名前が入っていることによって世界で一つだけの貴重な宝物になるからだ。


「え〜何それー」


 可笑しそうに笑うも流奈は書く手を止めない。


「はい、どうぞ」

「ありがとう。や、冗談抜きでほんとに嬉しい。一生大事にする」

「あはは、大袈裟だなあ」


 CDを掲げて男子は嬉しそうに唇を弧の形にしている。


「最後に握手もしてもらっていい?」


 ――なっ! 握手も!?

 流奈に向かって手を差し出す男子に浮安は目を丸くした。浮安だって、叶うなら流奈に触れたい。それは、気持ち悪い意味でではなく、憧れから握手したいのだ。

 でも、言う勇気がない。言っても気持ち悪がられるんじゃないかと余計な心配が頭に浮かんで実行にまで移せない。


 なのに、あの男子はそんなことお構いなしに浮安が望んでいるものを手に入れていく。彼は何も悪くなく。むしろ、勇気がない自分のせいだというのに自分が欲しいものを横取りされた気持ちになって浮安は彼が嫌いになった。

 せめて、流奈に握手を拒否されればいいのに、なんてことを考えてしまっては自分の醜い一面に嫌気が差す。


「いいよ。応援、ありがとうね」


 可愛らしい笑顔を浮かべて流奈は握手をした。

 時間にしてほんの僅かな一瞬だったが男子は満足したのだろう。ニコニコと嬉しそうに顔を緩み切らせて教室を出て行った。


 それからすぐに教室の中は騒然となった。

 一人が自分もサインが欲しい、と言い始め。それが、波紋のように広がっていく。

 やがて、いつの間にか教室では流奈のサイン会が開かれていた。クラスメイトの各々がサインしてほしい私物を流奈に持っていき、サインを書いてもらう。

 流奈にサインをしてもらった面々の顔を見れば、誰もが嬉しそうに喜んでいて幸せそうにしていた。


 高校生活が始まった時は誰一人として流奈がアイドルだったことも知らなかったくせに調子がいい、と思う反面。この流れに乗れば自分もサインを貰えるのではないかと誘惑に駆られそうになる。


 サインが欲しい。

 それは、紛れもない本音だ。


 しかし、本当のファンに悪いのではないかという気持ちも少なからず、確かに存在している。ただでさえ、流奈と同じクラスという幸せを手にしているのだ。

 これ以上、抜け駆けのようなことをしてもいいのだろうか。


「推野は行かなくていいのか?」

「……今、迷ってるとこ」

「ふーん。じゃ、俺は貰ってこよっと」

「浜崎はるーなちゃんのファンじゃないでしょ」

「そんなの関係ねえよ。欲しいから貰うだけだ」


 そう言う残して好太郎は自席に戻り、ノートを取り出すと流奈の元へと向かっていった。

 声を掛けてノートを差し出した好太郎と受け取る流奈。嫌な顔を一つもせず流奈は受け取ったノートにさらさらとペンを走らせている。


 二人の姿を見ながら浮安は好太郎の言葉を繰り返していた。


「欲しいから貰うだけ、か」


 なんだかそれが自分には足りないもののような気がした。

 せっかく、こんな機会はないのだから自分に素直になればいい。欲しいものに手が届くというのに手を伸ばさないのは馬鹿のすることだ。顔も知らない本当のファンのために気持ちを押し殺すのはやめにしよう。


「よし!」


 覚悟を決めて浮安もノートを手にして流奈の元へと向かおうと腰を浮かす。

 その瞬間だった。

 独特な休み時間終了を告げるチャイムが鳴り響き教室に先生が入ってくる。


 自然と流奈のサイン会は解散となり、クラスメイトの各々は自席へと戻っていく。

 また次の休み時間にサイン会は開催されるのだろうか。

 いや、その可能性は低いだろう。

 今回でサインを欲しがっていた人は全員してもらったように思える。

 つまり、次の休み時間にまでサイン会を行う必要がない。


「推野くん、どうかしましたか?」

「……いえ」


 タイミングの悪さに呆気に取られていれば先生から声を掛けら我に返る。それから、弱々しく腰を下ろして頭を抱えた。


 ――や、やってしまった!


 もっと早く素直に行動していればよかった、と後悔した。



 後悔がいっぱいで全く身が入らなかった授業も終わり、机にうなだれる。

 自分はなんて馬鹿なんだろう、と泣きたくなる。


「寝てるの?」


 どうして、真っ先に流奈にサインが欲しいと言いに行かなかったのか。後悔してもしきれない。


「ねえ、浮安ったら。寝てるの?」


 体を揺さぶられながら名前を呼ばれて急いで体を起こす。

 目の前には流奈が立っていた。


「いきなりびっくりするじゃない。起きてたならそう言いなさいよ」

「る、るーなちゃん……」


 流奈はそう言うが驚いたのはこっちだ。

 普段なら、大好きな流奈の声を聞き逃したりはしないが顔を伏せていたし、後悔していたから呼ばれていると思いもしなかった。


「どうしたの?」

「さっき、物欲しそうにこっち見てたでしょ? だから、浮安も私のサインが欲しいんじゃないかと思って」

「え……どうして分かったの?」

「それくらい、顔を見れば分かるわよ。さしずめ、今はサインが貰えなくてふて寝してたってところでしょ」


 それは少しズレているが浮安は得意気な流奈が可愛くて何も言わずにそっとしておく。

 それよりも、だ。

 まさかの流奈の方からサインの話を持ち出してくれた。しかも、こっちの様子を確認して。優しい流奈に嬉しい以外の言葉が見つからない。


「書いてもらっていいの?」

「いいわよ、別に」

「やったあ。ありがとう、るーなちゃん!」


 ずっと欲しくてたまらなかった流奈のサイン。

 それを、まさか流奈がアイドルじゃなくなってから手にする機会が訪れるとは思ってもいなかった。自然と笑みが溢れてしまう。

 サインを書いてもらうノートを用意している間もそれは変わらない。


「ほんと、不思議よね。私みたいな終わったアイドルのサインなんて価値もないのにみんな嬉しそうにして」


 その言葉を聞いて、浮安は自分の顔から笑みが消えていくのを感じた。


「固まってどうしたのよ?」

「……ごめん、るーなちゃん。サインはやっぱりいいや」

「急にどうしたのよ。欲しいんでしょ?」


 訳が分からないとでも言いた気な顔で聞いてくる流奈の言う通りだ。


「欲しいよ。ずっと欲しいって思ってたんだ。欲しいに決まってるよ」

「じゃあ、そう言いなさいよ。書いてあげるって言ってるでしょ」

「……そうしてほしいよ。でも……」

「でも、何よ」

「自分のサインに価値がないと思ってるるーなちゃんから貰っても俺は素直に喜べない」

「何それ……意味分かんないんだけど」


 流奈からすればこっちの事情なんて知り得ないことでそう言うのも当然だろう。

 しかし、浮安にも譲れないものがある。


「るーなちゃんは知ってるでしょ。俺がるーなちゃんのこと大好きなの。そんなるーなちゃんからしてもらったサインは俺にとって世界で一つしかない宝物なんだ。価値があるんだよ」

「だから、価値がないと思ってる私からサインを貰っても嬉しくないって? 馬っ鹿じゃないの?」

「自覚してるよ。せっかく、るーなちゃんが作ってくれた貴重な機会を棒に振ってるって。でも、こんな機会だからこそ、流れ作業みたいにするんじゃなくて、ちゃんと愛を込めてサインしてほしいって願っちゃうんだよ」


 図々しいことも。いちファンとして生意気なことを言っているとも。何よりも流奈に迷惑を掛けていることも承知している。

 そのうえで「これはるーなちゃんが俺のために愛を込めて書いてくれた世界で一つしかないサインなんだ」と心の底から喜びたい。


「流れ作業……あっそう。それじゃあ、もう要らないってことでいいのね」

「……るーなちゃん?」

「何よ?」

「……もしかして、気に触った?」


 綺麗な形をしている流奈の眉が寄せられている。


「別に。本当のことを言われたからって気にしてないわ。ただ、浮安が要らないって言うから最終確認をしてるだけ」

「最終確認?」

「そうよ。今後一切、浮安にはサインなんてしてあげないけど、それでいいのよね? 要らないんだもんね?」

「えっ……」


 今後一切、と言われてしまうと狼狽えてしまう。これから先、流奈が自分のサインには価値があると思ってくれたその時に改めてサインを望みたい。


「何よ、その顔。要らないんでしょ。愛が込もってないんだものね。それとも、訂正するの? やっぱり、欲しいって訂正するなら特別に書いてあげる。どうするの?」


 ここで訂正しなければ本当にもう流奈のサインは貰えそうにない。

 そうなることを考えれば今すぐにでも頭を下げるべきだ。


「……い、いい」


 それなのに、頑固になってしまった。

 自分でも驚いたがどうやら流奈に流奈のサインは価値がないと言われたことがよっぽど気になっているらしい。


「あっそ。じゃあ、もう、今後一切浮安にはサインなんてしてあげないから。どれだけ頼まれたって断るから。それじゃ」


 きっぱりと言い切られてしまった。

 せっかく、流奈から声を掛けてくれたというのに流奈の機嫌を損ねた。挙げ句の果てにはもう流奈のサインを手にする機会を失ってしまった。


 席に帰る流奈の背中を見ながら浮安は今日二度目の後悔に飲み込まれた。

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