第15話 推しの元アイドルとイケナイこと
朝、教室に入って来た流奈が席に着くのを確認した浮安は流奈に声を掛けに向かった。
「る、るーなちゃんっ!」
「……このやり取り、昨日もしたと思うんだけど。で、朝から大きな声出して何か用?」
カバンの中から教科書などを机の引き出しに入れながら流奈が聞き返してくる。カバンの中身がなくなったのを目視してから浮安は流奈の前に手を差し出した。
「るーなちゃんこれ」
「……何よ、これ」
差し出した手に乗せていた物を見た流奈が目を丸くする。
「るーなちゃんへのお礼……これじゃ駄目かな」
昨日、流奈がゲームセンターから帰ってしまった後、一人になって浮安は流奈が嘘をついていると思った。
たぶん、自分よりもお金を持ってない人から奢られるのが嫌だというのは本音だろう。
だから、嘘をついているのはその前の部分。
あの猫のぬいぐるみが欲しくなくなったという言葉だ。
あれは、流奈なりの気遣いだろう。
どれだけお金を使ってもぬいぐるみがとれないことに対して浮安の手持ちを考えて流奈が身を引いてくれた。
そうとしか思えなかった。
実際、流奈に比べたら浮安が自由に使えるお金は限られている。バイトをしている訳でもなく、自由に使える分と言ったらこれまでに貯金していた両親から貰ったお小遣いだ。
昨日だって、ぬいぐるみをとれるまで挑戦するつもりではいたが限界というものはあったのだ。
それを察した心優しい流奈が浮安が気負わないように嘘をついてくれたのだろう。
何より、ぬいぐるみを見る流奈の瞳が欲しくなくなったという言葉を否定していたのだ。
それなのに、いきなり欲しくなくなることなんてあり得ない。
そう考えたからこそ、浮安はどうしても流奈にお礼をしたくなった。
しかし、欲しがっていたぬいぐるみを渡しても流奈は嫌がるだろう。
どうした物かと悩んで色々と見て回っていた時に発見した手のひらサイズの猫のぬいぐるみが浮安の手に乗っている。
「受け取れなくなるって言ったでしょ」
「大丈夫。あのぬいぐるみは俺が欲しくてやったことだから」
「はあ?」
「ほら、見て。とれたんだ」
スマホの写真フォルダから部屋で撮影した一枚を見せる。自室の中で存在感を強く主張するぬいぐるみが写った写真に流奈は困ったように眉を寄せた。
「あの後もやったの?」
「あのまま帰るのは癪だったし、実は愛着も湧き始めてたからね。るーなちゃんが挑戦する機会をくれたおかげだよ。ありがとう」
「……それ、本音?」
「……って、ことにしてくれないかな?」
どうせ、嘘をついても流奈には気付かれてしまいそうで本音を漏らした。こうでもしないと流奈は受け取ってくれないだろう、と思ってやったことだがおかげで財布の中身は少なくなったし、部屋の中は狭くなった。
正直、あのぬいぐるみは邪魔でしかない。
真っ直ぐ見てくる流奈に照れてしまうのをぐっと堪えて向き合う。
すると、流奈は呆れたように目を伏せた。
「いいわよ、それで。もう浮安の部屋にあの子はいるんでしょ。私がとやかく言ったところで遅いし。そもそも、言う理由なんてないし」
思うところはあるのだろうが、そう言われて浮安は安堵する。
「じゃあ、これ受け取ってもらえる?」
「一応、聞くけど……あの子よりも簡単にとれたのよね」
「それは、勿論。ワンコイン分でいけた」
最初に流奈が欲しがっていたぬいぐるみと比べてこれは手のひらに乗るサイズ。
せっかく、流奈が気を遣って浮安の部屋にあるぬいぐるみを要らないと言ってくれたのに、今回のも苦戦すれば意味がないとハラハラの勝負だったが数回挑戦するだけでポトリと落とすことに成功した。
「そう……じゃあ、有り難く受け取るわ」
片手で掴み、空いている片手にぬいぐるみを乗せた流奈はじっとぬいぐるみを見つめている。
因みに、今回のも最初に流奈が欲しがったのと同じ猫だ。大きなお腹に背中の部分がラーメンの模様になっていて、作られた意図は不明だが妙に愛くるしい見た目をしている。
「ふふっ……かーわいい」
ぼそっと言葉を漏らしては流奈が唇を緩ませながら人差し指でぬいぐるみをつつく。
その様子から少しは気に入ってもらえたようだ。心の底から安心し、浮安は緊張から解放された気持ちになった。
――それにしても、何をしていてもるーなちゃんは可愛いなあ。いつまでだって見ていられる。
嬉しそうにぬいぐるみを眺める流奈に浮安は胸が温かくなる。なんといえばいいのか分からないが、保護欲が掻き立てられるみたいだ。流奈が傷付くようなことなど起きてほしくない。
「……ニヤニヤして何よ。気持ち悪い」
「るーなちゃんが――」
「ストップ。いちいち、言わなくていいわ。この後の展開なんて目に見えてるんだもの。どうせ、私が可愛くて、とか言うんでしょ」
「凄い……るーなちゃんって未来予知も出来るんだね」
「浮安が分かりやすいのよ。ほんと、私なんて見てて何が楽しいのやら」
理解出来ないとでも言いたいように流奈の口から嘆息が出る。
「好きな子を見てるんだもん。楽しくて飽きないよ」
「はいはい。変な趣味してるわね〜」
相手にする気はないようで軽く流された。そっちのけでぬいぐるみに触れている。
「……ま、今だけは特別に好きなだけ見てたらいいわ。楽しいんでしょ」
「るーなちゃん……改めて本人から言われるとなんかイケナイことしてる気になって気が引けるね」
「はい、じゃあ、もうこっち見ないでくださーい。私のこと見るの禁止でーす」
「わああ。ごめん。ごめんなさい!」
流奈のことを見れなくなったら何を楽しみに学校に来ればいいのか分からなくなるので慌てて謝る。必死になって両手を擦り合わせていれば、クスリと小さく流奈が笑みを溢した。
「そんな風になるなら最初から私の言う通りにしておきなさいよ」
「その通り、なんだけど……こう、本人から言われてしまうと俺が変質者みたいじゃない?」
「変質者と変わらないじゃない。自分の行動を思い出しなさい。黙ってずっと見てきて不気味で危険な存在だわ」
「そんな……ことも、あるね」
「ま、もう慣れたからいいけど」
今は浮安だけがその役割だが、アイドルをしていた頃は今の比ではなかったはずだ。
それこそ、教室中の視線を集めるくらい、流奈にかかれば造作のないことで、そんなアイドル時代を過ごしてきたからこそ、流奈は見られることに慣れてしまったのだろう。
「だからって、四六時中見られるのは気分が良いものじゃないんだから気を付けてよね」
「が、頑張るよ」
「信用ならないわね……いいけど。あと。えーっと、その」
何やら視線を泳がせて、流奈は居心地悪そうに体を揺らしている。何か言いづらそうにしているみたいだ。
「これ、ありがとね!」
大きな声で言ってきた流奈に浮安は驚いた。
いきなり大きな声を出されたから、というのもあるが何よりも流奈が自分と同じようなことをしていることにだ。
人前で歌っていた流奈に緊張することなど存在しないと思っていたが、たった一言を言うためだけに緊張して声を大きくするなんて意外だった。
自分でも思っていた以上に声が大きくなったことが恥ずかしかったようで流奈の頬が朱色に染まっていく。
「わ、笑わないでよ!」
「ご、ごめん……るーなちゃんはやっぱり飽きないね」
必死に笑いを堪えるものの、少しばかり笑い声が漏れてしまい、不服そうに流奈が頬を膨らませる。
そんな姿も愛おしくて浮安は唇を緩ませた。