第11話 推しの元アイドルに恋人?
「ヤバくねえか、この歌。めちゃくちゃ良いんだけど。推野も聴いてみろよ」
「あー、うん……ありがとう」
好太郎に流奈のこと――というよりも、アイドルについて教えてほしいと言われて数日が経ったが好太郎はすっかりアイドルにハマったようだ。
それはもう、どっぷりと沼に浸かっていて今や流奈しか知らない浮安よりも詳しくなっていた。
数日の間にどれだけ知識を深めているんだと思ったがずっとアイドルの曲ばかり聴いているらしい。流行の曲ばかりでなく、少し前の曲も聴いていてすっかりアイドルオタクだ。
昼休みに自席で弁当を食べているところにやって来ては逆に勧めてくる好太郎に浮安は聞いてみた。
「るーなちゃんはどうだった?」
「めっちゃいい……明るい曲は楽しそうに歌うしバラード曲はしっかりと心が込められてる。今さらだけど、あんな凄い元アイドルと同じクラスってとんでもなく運が良いよな」
「そう。その通りなんだよ!」
ようやく流奈の凄さを理解してくれる存在に浮安は興奮しながら頷いた。
みんな、流奈と同じクラスということを軽く見過ぎている。
もっと、凄いことだと受け止めるべきなのだ。
「でも、俺は推野ほど藍土が好きではないかな」
「はあっ!?」
「や、そんな睨むなよ。曲は良いし、歌と踊りも上手いし、顔も可愛いしで最高のアイドルだったってのは分かる。でも、俺は推野みたいにずっと藍土を推してきたわけじゃないし、何よりもうアイドルじゃないだろ。俺は今を頑張ってるアイドル達を好きになったってだけだ」
「ぐう……この裏切り者があっ!」
「裏切りも何も俺がどのアイドルを好きになろうと俺の自由だろ」
「正論をぶつけないでくれるかなあ!?」
好太郎の言う通りだ。
数え切れないほどいるアイドルの中からどのアイドルが好きになり、推しとして推していくかは好太郎の自由である。
悔しいけれど、何も言い返せない。
歯を噛み締めながらスマホの動画投稿サイトでアイドルのミュージックビデオを楽しそうに眺める好太郎を睨んでいると。
「ねえ、何の話ししてるの?」
流奈がやって来て声を掛けてきた。
カラオケの後に呼び出されて以降、流奈とは話していなかったので久し振りの推しとの会話に背筋が伸びる。
好太郎を睨んでいた目元も流奈の声を聞いただけで緩んでしまった。
「浜崎にるーなちゃんを布教してたんだ」
「何やってるのよ……」
「るーなちゃんのファンを増やそうと思って。るーなちゃんの凄さを知らないなんて人生の全てを損してて可哀想だからね」
「私のことなんて知らなくても誰も損しないわよ。あなたもごめんなさいね。浮安の言ってることなんて聞かなくていいから」
「あー、大丈夫。藍土が凄えアイドルだったってことは分かったけど、布教には成功してないから」
好太郎は流奈をチラリと見ただけで、すぐに見ていたミュージックビデオに視線を落として、パンを口にする。
「お、うめ」
まるで、流奈に興味がないその動きに流奈はどこか呆然としたように見ていた。
「……ほらね。藍土流奈なんてパン以下のアイドルだったのよ。浮安もよく分かったでしょ?」
「お、俺はこんな惣菜パンなんかよりるーなちゃんの方が大好きだよ! 不味そうだし!」
「よく人が食ってる物を目の前で不味そうだなんて言えるな。うめーぞ、このパン。一口いるか?」
「いらない……っていうか、浜崎がるーなちゃんを傷付けたりするから言ったんだけど」
「お、そうなんか。悪いな、藍土」
「別に、傷付いたりしてないから謝る必要はないわよ。これからもパン以下のアイドルだったと認識しておいてちょうだい」
そんな認識はするなよ、という念を込めて好太郎に圧を掛ける。惣菜パンよりも流奈が劣るなどあってはならないのだ。
「そんなに見てなんだよ。推野もこの子達が気になるのか?」
「は?」
しかし、好太郎には圧を掛けていることなど通じていないらしい。勘違いもいい加減にしてほしくなるようなことを言ってきた。
「しょうがねえな。一緒に見せてやるよ」
「いや、俺は」
断ろうとしたその時だ。
妙案でも閃いたかのように流奈が手を叩いた。
「そうね、見せてもらいなさいよ。それで、推し変すればいいわ」
他のアイドルにも目を向ければ浮安の推しが変わるだろう、と企んでいるようだ。ふふん、と鼻を鳴らして流奈はどこか嬉しそうにしている。
「まあ、見るだけならいいけど……俺は一生るーなちゃん一筋だから推しは変わらないよ。これまでもこれから先も好きなのはるーなちゃんだけ」
好太郎をアイドルオタクへとしてしまったのはアイドルに詳しくなれば友達が出来ると勘違いした好太郎がきっかけだとしても、一度ハマれば抜けることの出来ない藍土流奈を紹介した浮安にも原因がある。
他人に自分の好きなものを勧めておいて、他人の好きなものは受け付けない、というのは自分勝手なことだろう。少しくらいは付き合う必要がある。
だとしても、流奈から推しが変わることはあり得ない話になるが。
「……ほんっと、人生損するわよ」
流奈に言われたことがよく分からず、首を傾げてから気が付いた。よく見れば薄っすらとだが、流奈の頬が紅潮している。
「るーなちゃん、顔が赤いような気がするけど大丈夫? 体調でも悪い?」
「べ、別に赤くなんてなってないわよ。じゃあね」
やや口早に言った流奈は席には戻らなかった。
「もしかして、保健室に行くの? 一緒に行った方がいい?」
体調が悪くて保健室で休もうとしているのなら、道中に何かあっては大変だ。流奈に万が一なことでもあれば、付き添わなかったことを一生後悔し続けることになる。
「保健室なんて行かないわよ。呼び出されてるの」
「呼び出し?」
「そっ。昼休みに体育館裏に来てくださいってね」
「へえ……体育館裏に呼び出しって珍しいね。何の用事があるんだろう」
「さあね。でも、ま、告白でもされるんじゃない」
「へ〜告白……告白っ!?」
頭の片隅にもなかった言葉が出てきて思わず叫んでしまった。何事かと教室中から視線が集まってくる。
「声が大きいわよ」
「ご、ごめ……でも、告白。告白って……」
「私が告白されることに問題でもあるの?」
「いや、そんなことはない、けど……」
言葉が上手に出てこずにしどろもどろになってしまう。
「まだ告白されるって決まったわけじゃないけどね」
「……その、るーなちゃんはどうするの?」
こんなこと、聞いていいのか分からないけど、口が勝手に動いていた。
「何が?」
「……もし、告白されたら」
付き合うのか、付き合わないのか。
関係は何もないはずなのに、どうしてだか気になってしまう。
「さあ、どうしようかしら。もう、アイドルじゃないから恋愛禁止って訳でもないし。私だって普通の女子高生として、恋愛とかしてみたいし付き合っちゃうかもしれないわね」
「そ、そう……」
「なーんか、元気がないようだけど?」
ニヤニヤと唇を緩ませながら言ってくる流奈に慌てて手を振る。
「そ、そんなことないよ。行ってらっしゃい。いい呼び出しだったらいいね」
「そうね。行ってくるわ」
笑顔を浮かべながら教室から出ていく流奈を見送る。
完全に流奈の姿が見えなくなってすぐに頭を抱えた。
流奈が誰かと付き合っているところを想像したらなんだか凄く嫌な気持ちになった。
浮安が世界で一番好きな女の子が藍土流奈。
でも、それは恋愛対象としての話じゃない。
アイドルをしていて、アイドルをしていた流奈のことが大好きで推しになったのだ。
だから、流奈と恋人関係でもない自分がそんなことを思うのは不相応だと分かっているはずなのに想像するだけで元気がなくなってくる。
流奈が彼氏と一緒に仲良く帰っているところ。
流奈が彼氏とコーヒー店で楽しそうにお茶をしているところ。
そんな場面を想像するだけで食欲が失せてきた。まだ弁当の中身も残っているというのに。
「ひっでー顔してるなあ、大丈夫か?」
「だ、大丈夫……」
「はは、全然そうは見えねえ」
ということは、かなり顔色が悪いらしい。
自分ではあまり感じないが好太郎が笑いながら言うので酷い顔をしているのだろう。
「藍土に彼氏が出来るのがそんなに嫌なのか?」
「……るーなちゃんが幸せなら言うことはないよ」
「だったら、そんな吐きそうな顔してねえで祝福してやれよ。それが、ファンとしての務めだろ?」
好太郎の言う通りだ。
浮安は流奈の幸せを願っている。流奈が幸せなら浮安もこれ以上にない幸せだ。推しの幸せを願うのが真のファンであるといえるだろう。
「……そうするよ」
恋愛をしてみたい、と流奈も望んでいたのだ。
流奈の希望が叶って幸せなら、ファンとしてこれ以上に嬉しいことはない。
そう何度も自分に言い聞かせてもなかなか気持ちの整理がつきそうにない。
モヤモヤしたまま過ごしていれば昼休みの終わり間近に流奈が教室に戻ってきた。
いつ見ても可愛い表情にはいつもと大した差がなく、どういう用件での呼び出しだったのか見当もつかない。
結局、その後も自分から聞き出しに行くことが出来ずにモヤモヤを引きずったまま家に帰った。
そのモヤモヤは家でも治まることがなく、流奈と想像上の彼氏が仲睦まじい様子を思い浮かべるだけで何も手につかない。
そうして四六時中、変なことを考えては気分を悪くしていたのが原因だろう。
翌日、浮安は熱を出して学校を休んだ。