第10話 推しの元アイドルを布教
カラオケに参加することで藍土流奈という元アイドルがたいしたことのないしょうもないアイドルだと証明しようとしていた作戦はよくも悪くも浮安のせいで失敗した。
だから、クラスメイトは藍土流奈がたいしたことのないしょうもないアイドルだということを知らない。藍土流奈という元アイドルは世界で一番のアイドルだから今後もクラスメイトが知ることはないだろうが。
と、話が逸れてしまったが、知りもしないから今日も今日とて、流奈は男女問わずに囲まれる中心で可愛い笑顔を振りまいている。話している内容は流奈がアイドルだった頃の話のようだ。どんなレッスンをしていたのかと質問されている。
そんな姿を浮安は自席から見て、流奈の笑顔に癒されつつ、悪いことしたなあ、と反省していた。
あんな風に元アイドルだったことを深掘りされても流奈はいい気がしないはずだ。みんなの前で歌うのが嫌な中、カラオケに参加してまで今のような状況が起こらないようにしようとしていたのだ。ストレスが溜まるような生活は流奈もしんどいだろう。
かと言って浮安にはどうすることもしてあげられない。
心苦しくなっていると背後から肩を叩かれた。
「なあ」
野太い声で呼ばれ、浮安は体をビクつかせた。
恐る恐る振り返るとすぐそばに大柄の男子が立っている。浮安は男子の中でも平均的な身長なので頭一つ分は大きい男子が睨むような目付きで見下ろしてくる。
おまけに髪は金色で怖いという印象を抱いた。
何か知らない間に怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。
「な、何か用……?」
あまり関わりたくない、という思いがあからさまにならないように気を付けながら聞き返す。
「お前、アイドルに詳しいのか?」
「……は?」
ビクビクしながら構えていたが予想外の質問に拍子抜けしてしまった。
「……えっと、別に詳しくはない、かな」
浮安はアイドルオタク、という訳ではない。
アイドルなら誰でもいい、と推しが何人もいるようなことはないからこそ、他のアイドルについては詳しくない。
流石に、グループ名や楽曲に関してはテレビで見て多少は分かるだろうが語ったりは出来ない。
好きなのは流奈だけだ。
「そうか……」
残念そうに頭を垂れる姿を見て、今度はこちらから質問してみる。
「君はアイドルに詳しいの?」
もしも、アイドルに詳しいのなら、流奈について同志として語り合うことが出来るかもしれない。
今まで友達もろくにおらず、オタク同士がするような語り合いということをしたことがなくて憧れがある。
「いや、アイドルなんて微塵も分からねえ」
「あ、そうなんだ……」
期待して損した。
流奈について語り合うことが出来ないのならば、これ以上、会話を続ける必要はないだろう。
やはり、推し活は一人で楽しむに限るのだ。
流奈の方を見ようとすれば邪魔をするかのように金髪男が正面に移動してくる。
「だから、お前にアイドルを教えてもらおうとして声を掛けた」
「……何で、俺なの?」
「この前、カラオケで藍土の曲を気持ちよさそうに歌っただろ。それを見て、アイドルに詳しいんじゃないかと思ったんだ」
全然、記憶にないがカラオケにも参加していたらしい。髪が金色の人間なんて周りを見ても一人しかいないのに、気付いていなかった。
というか、同じクラスだということも初めて知った。
入学して以来、ずっと、流奈しか目で追っておらず、クラスメイトに興味を抱いていなかったから知らなかったのだ。
自分の周囲への関心のなさに少し呆れる。
「アイドルなんて微塵も分からないのに詳しくなろうとしたの?」
「アイドルに詳しいと友達を作れるだろ」
「そうなの?」
知らなかった。アイドルに詳しいと友達を作ることが出来るらしい。
なのに、不思議なことだ。
流奈に詳しいのに未だに一人も友達と呼べる相手がいないなんて。
「お前が俺に見せたんじゃねえか」
「どういうこと?」
「カラオケでアイドルの曲を熱唱した途端、人気者になっただろ」
「なってないよ!?」
「なってた。一気にクラスメイトに囲まれて中心にいた。羨ましい!」
どこをどう見れば自分が人気者に見えるのか自分ではよく分からない。
確かに、流奈の歌でそれなりの点数を出した直後はそのようなことが起きていたがあれも浮安からすればちんぷんかんぷんなことだった。
それに、それ以降も今日だって浮安は一人だ。人気者とは到底、呼べないだろう。
「……ていうか、何? 友達が欲しいの?」
さっきから聞いていれば、言葉の節々からそのように感じ取れる。
「欲しい! めっちゃ欲しい!」
「なら、なおさら俺にアイドルがどうのこうの言ってる場合じゃないと思うんだけど……」
「何だよ。人気を独り占めするつもりなのか?」
「そんなつもりじゃないけど」
「じゃあ、教えてくれよ」
「だから、アイドルにも詳しくないってば」
「嘘つくなよ。あんなにも熱唱して」
「それは、るーなちゃんの曲だったからで……るーなちゃん以外のアイドルは詳しくないんだって」
「なら、藍土でいい。藍土について、教えてくれ。そしたら、クラスの奴らとも話を合わせることが出来て俺にも友達が出来る」
目を輝かせたまま顔を近付けられ、浮安は逆に顔を背けた。
どうやら、アイドル――もとい、流奈に詳しくなれば本当に友達が出来ると信じているようだ。
浮安自身、友達を欲しいと思ったことは一度や二度じゃない。
だから、金髪男の気持ちが分からなくはない。
ということで、流奈について教えてやることに決めた。
「……しょうがないな」
それに、流奈のことを布教出来れば浮安の望んでいる流奈について語り合う、ということも叶うかもしれない。
さらに、流奈のファンを増やせれば流奈に藍土流奈はたいしたことのないしょうもないアイドルなんかじゃなかったと伝えられるかもしれない。
この前、流奈の話を聞いて、浮安は思った。
流奈が抱いている藍土流奈への考えをどうにか払拭したい、と。藍土流奈こそが、世界で一番のアイドルなのだと流奈に思ってもらいたい、と。
そして、流奈が自信を取り戻せれば、またアイドルとして活躍してほしい、と。
それは、夢のまた夢でしかないし、流奈への押し付けになってしまうからどうしても叶えたい願いではない。でも、浮安からすれば流奈にはアイドルがとても似合うのだ。
そのための一歩として考えればいくらでも協力は惜しまない。
「本当か!?」
「いたっ!」
急に腕を握られて、背後に悪寒を感じた。
強い力でぶんぶん振られ、腕がもげそうになる。
「恩に着るぜ、師匠」
「師匠はやめて。推野浮安だから」
どうせ、名前は知られていないだろうと伝えておく。
「よろしくな、推野。俺は浜崎好太郎」
「よろしく」
金髪男――もとい、知らなかった好太郎の名前も教えてもらったところで浮安はポケットからスマホを取り出した。
「じゃあ、るーなちゃんのことを教える前に――まずは聴こう。聴いて感じよう。そして、沼にハマろう」
流奈が出した素晴らしい数々の曲を勧めた。