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医療獣団  作者: 鳥鈴 昴
第一章
9/9

新たな生活

 宿舎に着くと、優は思わず足を止めた。男臭いと聞いて想像していた荒れた小屋のようなものとは、まるで違っていたのだ。


 目の前に現れたのは、しっかりとした石造りの建物。屋根は丁寧に葺かれ、壁には蔦がほどよく絡んでいて、落ち着いた雰囲気を醸し出している。入り口の脇には色とりどりの花が咲く花壇が整えられ、周囲の小道には砂利が均されており、一片の落ち葉もないほどに掃き清められていた。


 柔らかな光が差し込む中、建物の窓からはカーテンが風に揺れて見え、どこか心がほっとする空気が流れていた。


 「想像してたのと、全然違う。」


 優がぽつりと呟くと、隣のフドが少し笑って言った。


 「案外、几帳面なやつが多いんだよ。俺らは清潔が第一だからな。」


 「それにしても、大きいですね。」


 優は宿舎の全景を見上げながら言った。宿舎だけでこれだけの規模なのだ。医療獣団全体の施設がどれほどのものか、想像もつかない。


 「この宿舎だけで、ざっと二百人はいるからな。」


 フドの言葉に、優は目を見張った。自分がいま、どれほど大きな組織の中にいるのかを改めて実感していた。


「よし、部屋に行くぞ。」


 そう言ってフドは建物の中へと足を踏み入れる。優もその背を追って、整然とした廊下へと足を踏み入れた。木製の床は丁寧に磨かれていて、かすかに薬草と石鹸の香りが漂っている。


「慣れるまでは、俺と同じ部屋だ。」


「はい、よろしくお願いします。」


 フドが案内するままに廊下を歩いていくと、左右にはずらりと並んだ扉が続いていた。それぞれの扉には小さな金属板が取り付けられており、そこに所属班や名前らしきものが丁寧に刻まれている。


 やがて一つの扉の前でフドが足を止め、扉を開けた。


 「ここだ。」


 中に入ると、部屋は質素ながらも温かみのある空間だった。二つのベッドが左右に分かれて置かれ、間には小さな木の机と椅子、窓際には陽が差し込み、淡いカーテンが静かに揺れている。収納棚も整っており、すでにフドの私物が片側にきちんと収められていた。


 「空いてる方を使ってくれ。荷物はまだ少ないだろうが、必要なもんがあれば言ってくれ。」


 「ありがとうございます。」


 優はそっと空いているベッドに腰を下ろし、ふかりと沈み込む感触に思わず目を細めた。


そのとき、不意にフドが口を開いた。


 「お前が救命士って仕事をしてたって話は、ギドさんから聞いてるんだが…よかったら、もう少し詳しく聞かせてもらってもいいか?」


 その声音に咎める色はなく、ただ純粋な関心と理解してくれようとする静かな温もりがあった。


 優は一瞬だけ迷うように目を伏せたが、やがて静かに口を開いた。


 「はい……分かりました。」


 優は、ぽつりぽつりと語りはじめた。


 日本という国で救命士として働いていたこと。事故や急病の現場で止血や蘇生処置を行い、多くの命と向き合っていた日々。肉体的にも精神的にも過酷だったが、「誰かを助ける」ことが、自分の存在価値そのものだった。


 ある日、仕事を終えて帰宅したが、疲れているはずなのにどうしても眠れず、気晴らしに夜の雨の中を歩くことにした。傘も差さず、濡れた道を歩いていたそのとき、足を滑らせた瞬間に意識が遠のき――気がつくと、あの戦場にいた。


 その話を聞いたフドは、腕を組みながらゆっくりと頷いた。


「そんな不思議なこともあるのか。」


 少し黙ったあと、彼は柔らかく笑い、ぽんと優の肩を叩いた。


「まあ、お前はどう思ってるかわからんが、俺はお前と出会えて良かったと思ってるぞ。」


 その言葉に、優の胸の奥がじんわりと温かくなる。まだこの世界のことはわからないことだらけだけど、自分の居場所が、少しずつ形になっていくような気がした。


 そのとき、フドの腰に付けられた無線機から、静かで落ち着いた声が響く。


「フド、聞こえるか? ギドだ。今すぐマサルを団長室まで連れてきてくれ。」


フドは歩みを止めて無線機に手を添え、軽く返事をする。


「了解。すぐに連れて行きます。」


 そして優の方へ顔を向けると、柔らかく言った。


「入団の手続きだろうな。」


 その一言に、優の表情がわずかに引き締まる。肩に小さく力が入り、胸の奥が静かに高鳴るのを感じた。これから正式に、この世界の組織に属するという実感が、少しずつ現実味を帯びてくる。


「はい。」


 優が頷くと、フドはうなずき返し、二人で宿舎を後にした。歩き慣れない廊下を抜け、澄んだ空気の中を並んで歩く。遠くに見えていた司令塔の大広場が、徐々に近づいてくる。


 石造りの道を踏みしめる足音が、やけに静かに響いた。さっきまで団員たちの声で賑わっていた場所も、今は穏やかな静けさに包まれている。


 目の前に見える塔が、まるでこの先の道を見定めるように堂々とそびえ立っていた。


 優とフドは、大広場の端にそびえる司令塔の前に立った。重厚な扉が静かに開かれ、中から吹き抜ける涼しい空気が二人を迎える。


「行こうか。」


 フドの一声に、優は頷いてその後をついていく。塔の内部は石でできた螺旋階段が伸びており、足元を照らす灯りが等間隔に並んでいた。一歩、また一歩と、石段を踏みしめるたびに、胸の奥で緊張が少しずつ強まっていく。


 壁には古びた紋章や、過去の戦歴を物語るような額が飾られ、静寂の中にも歴史の重みが漂っている。階を上がるごとに、窓から差し込む光が増え、次第に塔の上層へと近づいていくのがわかった。


 そして、最後の一段を上がった先に、ひときわ重厚な扉があった。その扉の奥が、医療獣団の中枢——団長室であることを、優は直感で理解した。


 フドは立ち止まり、扉の前で振り返って優に小さく頷いた。そして拳を軽く握り、扉を三度、静かに叩く。


「フドです。マサルを連れて来ました。」


中から低く、よく通る声が返ってくる。


「入れ。」


 部屋の中央には、大勢が腰をかけられるような円卓が据えられており、その周囲には幾つもの椅子が綺麗に配置されている。天井からは淡く揺れる照明が吊られ、室内を柔らかい光で包んでいた。


 円卓の中央には、立体的に地形を映し出す投影装置が設置されており、現在の地勢や拠点の位置が立体地図として浮かび上がっている。壁際には記録用の端末や通信装置のような機械が整然と並び、棚には薬品の類や分厚い資料がびっしりと詰まっていた。


 実戦と指揮、両方のために整えられたこの空間は、まさに医療獣団の中枢を象徴する場所だった。


 円卓の奥に座っていたギドが、ゆっくりと立ち上がる。重厚な視線を優に向け、短く、しかし真っ直ぐに問いかけた。


 「入団する決意に、変わりはないか?」


 その言葉は、単なる確認ではなかった。命を扱う組織の一員としての覚悟を、今一度、問うような重みがあった。


 一拍の沈黙の後、優は真っ直ぐギドの瞳を見返し、はっきりと口を開いた。


 「はい、ありません。」


 声に迷いはなかった。


 優の力強い返答を聞いたギドは、しばし目を細めて見つめ、ゆっくりと頷いた。そのまま視線を扉の方へと向け、少しだけ声を張る。


「ニーファ。持って来てくれ。」


 数秒後、扉が静かに開かれ、副団長のニーファが姿を現した。彼女の腕には、丁寧に折り畳まれた白い制服と、滑らかな光沢を放つ同色の鎧が抱えられている。


 白の制服は、動きやすさと機能性を両立したもので、柔軟な布地と密かに織り込まれた耐熱・耐薬素材によって、治療中の安全を確保していた。胸元には医療獣団の青い紋章が刺繍され、袖口と襟にわずかに銀糸が走っている。無駄のない単純な造りながら、その姿は清廉な意志を象徴しているようだった。


 そしてもう一つの白い鎧は、現場での危険から身を守るための特殊装備だった。金属と樹脂の中間のような独特な質感を持ち、軽量で柔軟ながらも、高い防御力を有している。胴体と肩を守る箇所には繊細な模様が浮かび上がり、背面には応急処置用の道具が組み込まれていた。



 それらを前に置いたニーファが、静かに言った。


 「これを受け取ったからには、分かっているな。その命は、もうお前だけのものじゃない。」


 その声に続くように、ギドが奥の壁へと視線を向ける。


 「そして最後に、“命の明記”だ。」


 部屋の奥、半月状に湾曲した黒い石板が、淡く光を放ちながら存在感を放っていた。無数の名が光の文字で刻まれており、その一つ一つが、この組織に命を託した者たちの証だった。


 ニーファが手渡したのは、銀色に輝く細い器具。先端には青白い光を帯びた小さな宝石が嵌め込まれている。


 「これで名前を刻め。お前の意思と覚悟を、ここに残すんだ。」


 優は一度深く息を吸い、静かにその器具を手に取った。そして、黒い石板へと歩み寄り、躊躇うことなく自らの名を記す。


 桜田 優


 その瞬間、名が刻まれた箇所がふわりと光り、部屋に静かな余韻が流れた。


 「これで、お前も医療獣団の一員だ。」


 ギドの低く落ち着いた声が、静けさの中に力強く響いた。


 その言葉を聞いた瞬間、優の胸の奥に、じんわりと熱いものが広がっていくのを感じた。この世界で、誰かの命を救うために。ここから、優の新たな人生が静かに動き出した。

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