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医療獣団  作者: 鳥鈴 昴
第一章
8/9

医療獣団本部へ③

「おい、マサル。起きる時間だ。」


 低く、穏やかな声が寝袋の外からかけられた。優はまぶたを重たく持ち上げ、ぼんやりと視界を確かめる。


 焚き火の炎はすでに小さくなっており、辺りは朝の淡い光に包まれていた。


 「あ、すみません……」


 ゆっくりと身を起こした優の目に飛び込んできたのは、すでに起きて動き出している団員たちの姿だった。


 誰もが手際よく寝具を畳み、荷物をまとめ、騎獣たちに装備を取り付けている。ハスナは手早く自分の荷を背負いながら、鹿のアスリに軽く語りかけていた。ミスラは無言でラファの背中に医療用の荷を括りつけている。


 「……もうみんな、準備してるんですね。」


 「寝坊はしてねぇよ。俺が一番最後に起こしただけだ。」


 そう言って、フドは笑いながら手を差し伸べた。マサルはその手を借りて立ち上がる。


 朝の冷たい空気の中に、これから向かう“本部”の空気が、静かに漂い始めていた。


 荷物をまとめていると、ハスナが軽く手を振りながら声をかけてきた。


 「マサル先輩、朝ごはんは移動しながらですよー!」


 手に持った包みをひょいと掲げる。


 「干し果物、こぼさないようにね!」


 「ありがとう、気をつけます。」


 明るく笑うその声に、マサルは思わず頬を緩めた。


 準備が整い、団員たちはそれぞれの騎獣の背に乗り込んでいく。騎獣たちはすでに鎧を着け終え、静かに地を踏み鳴らしていた。


 「全班、準備完了!」


 誰かの声が響いた直後、無線からギドの声が重なる。


 「よし、出発だ。各班、隊列を保ち本部へ向かえ。」


 その号令と同時に、隊列がゆっくりと動き出した。


 優もフドに手を引かれ、バリオの背に跨る。不思議と恐怖はなかった。


 横を見れば、ハスナがアスリの背で笑って手を振っている。ミスラは無言でラファを操り、淡々と列の中を進んでいた。


 乾いた地面に無数の蹄が刻まれていく音が、ゆっくりと朝の空へと溶けていく。それは新しい一日と、新しい旅の始まりを告げる音だった。


 柔らかな朝霧の中を、医療獣団の一行は静かに進んでいた。騎獣たちは、穏やかな足取りで森の小道を進む。バリオの大きな背に揺られながら、優は時折そよぐ風と、土の匂いに包まれていた。


 道の両脇には、戦場では想像もできなかったような美しい情景が広がっていた。荒れ果てた大地は姿を変え、草花が咲き誇る緑の絨毯へと変わっている。森を流れる川の水は澄みきり、時折、水面を跳ねる魚の鱗が朝日にきらめいた。


 その穏やかさの中、静かに声がかかる。


 「マサル。あの山が見える?」


 ミスラが前方にそびえる大きな山を指さした。


 マサルは彼女の視線を追い、緑に包まれた山並みを見つめた。頂には白く薄い雲がかかり、朝日を受けて黄金色に輝いている。


 「はい、見えます。」


 ミスラは静かに頷き、言葉を続けた。


 「その向こうに、私たちの本部がある。もうすぐよ。」


 その言葉に、優の胸がわずかに高鳴った。未知の世界で、自分の“居場所”になるかもしれない場所が、ついに見え始めていた。


「良い所ですよ。ご飯は美味しいし、何より皆と仲良く暮らせます。」


 ハスナが満面の笑みを浮かべてそう言った。


 優の顔に、不安の色が無意識に浮かんでいたのを見て、彼女なりに気遣ったのだろう。その明るさは、どこか太陽のようで、優の不安を溶かしてゆく。


「バリオも気に入ってる。本部に着けば、きっとお前も分かる。」


 フドはそう言って、ゆっくりと頷いた。遠くに見える山を見つめるその横顔は、どこか穏やかで頼もしいものだった。


 それから優たちは、山を貫く道を抜け、大きな門の前へと辿り着いた。そこにそびえ立っていたのは、まるで要塞のような巨大な建物。一周するのにどれほどの時間がかかるのか見当もつかないほど、圧倒的な規模だった。


 門には、戦場で見たものと同じ紋章が描かれていた。重厚な石造りの扉に刻まれた青い紋章は、静かに力強さを放っている。


 その紋章を見つめていると、金属同士が擦れ合うような、重く響く音が周囲に鳴り響いた。

 

 ギィィ……という低く鈍い音とともに、門がゆっくりと開いていく。まるで巨大な鎧が動くかのようなその音は、静寂だった周囲の空気に緊張を孕ませた。


 その瞬間、風が吹き抜け、どこか温かな匂いが優の鼻先をかすめた。

――ようこそ、とでも告げるように。


 優は自然と背筋を伸ばし、目の前に広がるその先を見つめた。


 門が完全に開いた瞬間、優の目に飛び込んできたのは、静かで整然とした光景だった。


 広々とした石畳の道がまっすぐに延び、その左右には白を基調とした堅牢な建物が並んでいる。装飾はほとんどなく、無駄を排した実用的な設計。だがその佇まいはどこか温かく、命を預かる場所としての静かな威厳を感じさせた。


 医療棟、搬送棟、研究棟、資材倉庫……それぞれの建物は明確に機能が分けられ、必要なものが必要な場所に収められている。ガラス張りの廊下で繋がれた一部施設からは、白衣の団員たちが出入りしていた。


 敷地内には清掃の行き届いた水路が流れ、整備された植栽が控えめに彩りを添えている。騎獣のための厩舎も用意されており、団員たちが慣れた手つきで世話をしていた。


 戦場とはまるで別世界のような静けさの中に、確かな生命の営みが息づいている。


 「ここが、医療獣団の本部。」


 優は小さく呟いた。


 その場に立ち尽くし、目の前の光景に呆気に取られていたマサルの肩を、ぽんと軽く叩く手があった。


 「驚いてるところ悪いが、これから司令塔の“大広場”に行くぞ。」


 振り返ると、いつものように落ち着いた顔をしたフドが立っていた。彼は前方を指し示す。


 優はその言葉に頷き、視線を前へと向け直す。


 すでに多くの団員たちが、任務を終えた安堵の空気をまといながら、ゆったりとした足取りで大広場へと向かっていた。


 「やっとゆっくり休めるわ。」

 「あぁ、背中がもう限界だ。」

 「今夜は温かい風呂に入りたい」   

 「俺はまず飯。とにかく飯……」


 交わされる言葉には疲労が滲んでいるが、どこか柔らかく、笑い混じりの声さえ聞こえてくる。


 その傍らで、騎獣たちもまた、自然と自らの道を選んでいた。


 馬や鹿、狼たちは、誰に促されるでもなく拠点の奥にある厩舎へと歩き出す。空を駆けていた鳥たちは、翼を軽く広げながら舞い降り、象や大牛たちは、大きな息を吐いてのんびりと大草原へ向かっていく。


 そして、人間たちの足もまた一つの場所へと向かっていた。本部中央に広がる大広場。その一角には、まるで朝礼台のような石造りの台座が設置されている。その上に、すでに団長のギドが立っていた。


 その傍らには、ニーファ、トトル、そしてアノクらが並び、静かに周囲を見守っている。


 団員たちは広場に自然と集まり始め、それぞれが静かに台座を見上げた。


 ギドは一度周囲を見渡し、深く息を吸ってから、力強く声を響かせた。


 「今回の任務では、誰一人として命を落とさなかった。それはお前たち一人ひとりが、全力を尽くした結果だ。」


 短く、簡潔に。それでもその言葉は、聞く者の胸に確かに届く。


 「本日より一週間、しっかり身体を休め、次に備えてくれ。俺たちが倒れては、守れる命も守れん。」


 「心と身体を整えることも、戦場に立つ者の務めだ。それを忘れるな。」


 ギドの視線が、ひとりひとりを包み込むように広場をゆっくりと見渡す。


 「以上だ。解散。」


 その言葉とともに、大広場にはしばしの静寂が流れ、その後、あちこちから安堵と感謝が混ざった拍手と笑い声が広がっていく。


 ギドの言葉を受けて、広場にいた団員たちは安堵の息をつき、それぞれ思い思いの方向へと足を運び始めた。ある者は厩舎の手伝いへ、ある者は医務室へと向かい、またある者は休息のため静かな場所を目指していた。


 「ふぁ〜、やっと休める〜!」


 伸びをしながら明るい声を上げたのは、ハスナ。彼女は隣を歩くミスラに、笑いかける。


 「ね、ミスラさん。今日はぐっすり眠れますね。」


 ミスラはそんなハスナの顔をちらりと見やると、口元だけでわずかに笑った。


 「柔らかい枕があるだけで、寝床って感じがするから不思議ね。」


 「分かります! お風呂に入れば完璧!」


 「久しぶりに髪を洗えるは。」


 二人のやりとりはどこか微笑ましく、その背を見送っていた優も、自然と頬をゆるめていた。


 ふと振り返ったハスナが、手を軽く振りながらマサルに言った。


 「私とミスラさんは女性宿舎に戻るから、またあとでね〜!」


 「はい。また。」


 そう答えた優に、ハスナはにこっと笑いかけると、ミスラと並んで宿舎の方へと歩いていった。


 そんな彼の前に、威圧する足取りで現れたのは、ニーファだった。


 その姿を認めた途端、空気が一変する。


 まっすぐに歩み寄るその気配には、一切の甘さがなかった。鋭い視線が優を射抜くように見据え、ピタリと足を止める。


 「お前がマサルか。」


 その低く鋭い声音に、思わず優は背筋を伸ばした。


 「……はい。」


「いきなり現れて、見事に応急措置をしてみせたそうだな。」


 その言葉に、優の眉がわずかに動いた。


 褒め言葉にしては鋭く、評価にしては重い。だがその一言には、確かな関心と、団の中で無視できない存在として見ている意志が含まれていた。


 「あの場で、できることをしただけです。」


 優の返答に、ニーファはふっと息を吐きながら、静かに言った。


 「そうか。」


 そう言った後、ニーファはちらりと朝礼台のほうに視線を向けた。そこには、団員たちに囲まれながらもどこか飄々とした態度のギドの姿があった。


「あの馬鹿は、簡単に人を信用する癖がある。」


 その言葉に優は目を見開き、思わずギドの方を見た。


 「だから、お前がどういう人間か、私がこの目で確かめておく必要がある。」


 鋭くも静かな言葉。だがその裏にあるのは、仲間と団の未来を本気で守ろうとする副団長としての強い責任感だった。


 ニーファは一歩近づき、じっと優を見つめた。その瞳は冷たくも、揺るぎない意思を宿していた。


 「団を裏切るようなことをしてみろ。私はお前を地の果てまで追いかけ、八つ裂きにしてやる。」


 その言葉に、優は背筋を伸ばすしかなかった。冗談ではない。そう確信できる気迫が、ニーファの声には込められていた。


 沈黙が落ちたその瞬間、後ろから低く穏やかな声が挟まれた。


 「ニーファさん、脅しが過ぎますよ。」


 振り向けば、フドが腕を組んだまま苦笑いを浮かべて立っていた。


 「マサルが萎縮してますよ。」


 ニーファは肩をすくめ、少しだけ表情を和らげた。


 「本気でやるつもりはないわよ。……よほどのことがなければね。」


 その言葉を最後に、ニーファはくるりと背を向け、迷いなくその場を立ち去っていった。


 その後ろ姿をしばらく見つめていた優は、少し遠慮がちにフドへと尋ねた。


 「フドさん……ニーファさんって、いつもあんな感じなんですか?」


 フドは小さく笑いながら、肩を竦めて答えた。


 「まあ、だいたいあんな感じだ。けどな、団で一番仲間思いなのも、あの人なんだよ。」


 マサルは「へぇ……」と驚いたように呟きながら、去っていくニーファの背中をもう一度見つめた。


「それはそうと、ギドさんからお前の世話を頼まれてるんだ。」


 「えっ、俺の?」


 「おう。だから俺と一緒に、男臭ぇ宿舎に行くぞ。」


 「はい。」


 苦笑しながらも、優は頷いた。そうして二人は、本部の建物の奥へと足を向けた。


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