入団の決意
できるのだろうか、自分に。団員たちのように、迷いなく命を救える日が来るのだろうか。この世界の何もかもが未知だ。彼らと肩を並べて同じことができる気がしない。
けれど、もしここを出ていくとしたら——どこへ行けばいい?
異世界の街も地理も知らない。自分一人ではきっと生きていけない。
(できないかもしれない。でも……どこへ行くっていうんだ。)
選べと言われたその瞬間、マサルの胸の奥には、逃げ場のない二つの不安が交差していた。
(ここに残るのが怖い。けど、去るのはもっと怖い。)
そのとき、遠くから聞こえてきた。誰かの怒鳴り声。誰かの泣き声。
命が今まさに失われようとしている——そんな叫びが、空気の中に響いていた。
優はゆっくりと視線を上げた。
目の前に立つギドの姿。
その後ろで走り回る団員たちの姿。
そして、自分の両の手。
命を救ってきた手。
迷いながらも、今日も誰かの命に触れた手。
(俺にしかできないことが、きっとある。)
震えは、完全には消えなかった。けれどその奥に、確かな光が灯った。
自分はまだ何も分からない。けれど、それでもこの場所で——
「俺は、ここに残ります。」
その言葉は、震えていた。けれど確かに、迷いの中にあっても前を向いた言葉だった。
「皆さんと同じ事ができるか分かりません。でも、ここで、誰かの命を救いたいです。」
ギドは無言のままマサルを見つめ、ふっと口元をゆるめた。
「それでいい。今の言葉が、お前の決意だ。」
その一言に、ハスナが「やった!」と大きく喜び、フドはふっと鼻で笑った。
「ほらな、だから言ったろ? もう顔が仲間だったって。」
フドがそう言って笑ったそのとき、すっと影が差した。
「——邪魔して悪いけど。」
淡々とした声。振り向けば、黒髪の女性が静かに立っていた。鋭い灰青色の瞳が、会話を交わす彼らを静かに見ていた。
「まだ、正門に負傷者が大勢残ってる。お喋りは、後にして。」
その言葉に、空気が一瞬で引き締まる。
「そうだな。」
フドが静かに頷き、ハスナも「わっ、ごめんごめん!」と舌を出して駆け足で戻っていく。
黒髪の女性はマサルにだけ一瞥を向けると、短く名乗った。
「ミスラ・マヤ。よろしく。」
それだけ言うと、ミスラはすぐに踵を返し、ハスナ、フドと共に再び負傷者の治療へと戻っていった。それぞれが迷いのない足取りで、命を救う現場へ向かっていく。
自分もあの背中を追いかけたい。命を支える一人になりたい。そう、心から思った。
——まだ一日。けれど、たった一日でここは“他人の世界”ではなくなっていた。
マサルはゆっくりと歩き出した。仲間と呼ばれた場所へ、今度は自分の意志で向かっていく。
医療獣団の一員として。
この世界で、命を守る者として——。
それから数時間、優はギドたちと共に応急措置にあたり、次々と運ばれてくる負傷者を治療班や手術班へと引き継いでいった。
一人を送り出せば、また新たな負傷者が運ばれてくる。その繰り返しだった。止血のために布を縛り、骨折には添え木を当て、浅い呼吸に合わせて酸素補助を施す。
「この傷は縫合が必要だ、手術班に回せ!」
「この人は意識あり、でも熱がある。感染の兆候かもしれない――すぐに薬を!」
次々に飛び交う指示と報告の声に応えながら、優もまた、必死に手を動かし続けていた。
混乱と緊張の中で動き続けるうちに、いつしか戦場では和平交渉が進みはじめ、ついには終結を迎えた。
負傷者の数も、少しずつではあるが確実に減ってきた。喧騒に包まれていた拠点にも、ようやくわずかな余白が生まれはじめている。それは、命のやり取りがようやく峠を越えたことを意味していた。
そんな中、後方から大きな手がマサルの肩をぽんと叩いた。
「おい、マサル。あと数人でひとまず終わりだ。」
振り返ると、フドが穏やかな笑みを浮かべながら立っていた。その隣では、ハスナが手に包帯を持ったまま、明るい声をかけてくる。
「もうちょっとだよ、マサル先輩! あと少し踏ん張れば、ちゃんと座って水飲めるから!」
優は驚いたように目を瞬かせ、それからふっと笑った。この忙しさの中でも、誰かを気遣う余裕がある。そういう場所なんだ、ここは。
そんな和やかな空気の中、不意に拠点全体に響き渡る無線の声が届いた。
「こちら医師長のアノクです。全負傷者の応急措置及び手術完了を確認、死亡者……無し!」
落ち着いた口調のアノクだが、その声には抑えきれない熱が込められていた。言葉は短く簡潔ながら、その一言が、今日の戦いがどれほどの重みに満ちていたかを雄弁に物語っていた。
一瞬の沈黙ののち、どこからともなく歓声が上がる。
「やった……!」
「全員、生きてるんだ……!」
その場にいた誰もが、深く、静かに息を吐いた。張りつめていた糸が、ようやく緩んだ瞬間だった。
マサルも、その声を聞いた瞬間、胸の奥から何かがふっと溶け落ちるような感覚に襲われた。重い荷物を手放したような、しかしそれと同時に、立っていることすら難しいほどの疲労が一気に押し寄せる。
気づけば、呼吸が荒くなっていた。腕は鉛のように重く、足は震え、視界がわずかに揺れている。
周囲では、仲間たちが互いの背を叩き合い、短く言葉を交わしながら肩を並べて笑っていた。
「お疲れさん」「あんたの判断、助かったよ」「ほんと、無茶しやがって」
そんな声が飛び交うなか、騎獣たちもまた、鼻を鳴らしながら伏せたり、水を与えられたりしていた。誰かが騎獣の首筋をなでながら、「よく頑張ったな」と優しく声をかけている。
その光景を、マサルはぼんやりと眺めていた。目の奥がじんわりと熱くなり、喉がひりつく。
(生きてるんだ……)
そう実感した瞬間、ふらりと膝が折れた。
「あっ……」
周囲の誰かの声が聞こえた気がしたが、もう立っていられなかった。そのまま、ゆっくりと地面へ倒れこむ。頬が土に触れた。乾いた匂いが心地よくて、まるで夢の中に沈むように、意識が遠のいていった。
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