命を救う者たち②
拠点全体が、慌ただしく動き出した。
地面を駆ける足音、誰かの叫び、担架の軋む音。空気がぴんと張り詰め、誰もが一秒でも早く手を動かそうと、迷いなく動き出す。
医療器具の準備に走る者、空いたベッドを整える者、血に染まった布を交換する者——すべてが、運ばれてくる命のため。
その緊迫した空気の中、拡声器から落ち着いた声が響いた。
「皆さん、医師長のアノクです。見ての通り、大勢の負傷者が運ばれてきます。私たちの仲間が、その命を賭して応急措置を施し、消えかけた命を必死に繋ぎ止めています。できる限り、多くの命を救いましょう!」
「おうっ!!」
その場にいた者たち全員が、一斉に声を上げる。
負傷者を死なせてなるものか。誰もがその思いを胸に刻み、士気が一気に高まった。
そのとき背中を軽く叩かれた。
「マサル。お前も治療を手伝ってくれないか? 」
声をかけられた優は、一瞬だけ戸惑ったように目を伏せる。この世界に来て、まだ数時間、自分にできるのか、不安がなかったわけではない。
だが、目の前の命を救おうと動く人々の姿を見て、優は小さく息を吐き、顔を上げた。
「分かりました。」
その瞳には、確かな決意が宿っていた。
「……で、マサル。お前、治療に関してどこまでできる?」
その問いに、優は少し考えてから答える。
「止血、骨の固定、呼吸の補助、意識のない人への鼓動再起動の処置、それと搬送中の身体状態の観察と維持……状況によっては応急処置や心臓の蘇生もやってきました。」
ギドは頷いた。
「十分だ。」
その短い言葉は、優を評価する色を帯びていた。
「安心しろ。もしここで生きてゆくなら、その術はお前の中にもうある。」
その言葉に、優の胸が少しだけ熱くなった。見知らぬ世界、理解できない現実——だが、自分の手で命を救えるのなら、ここにも自分の居場所はあるのかもしれない。そう思うことで、不安がほんの少し和らいだ。
門の外から複数の騎獣の蹄音と羽ばたきが重なって響いてきた。
土煙を巻き上げながら、巨大な獣たちが次々と門をくぐってくる。それぞれの背には、血に染まった負傷者と、それを支える団員たちの姿があった。
「ゆっくり降ろせ、脊椎損傷の疑いあり!」
「こちら意識なし、呼吸浅い!急げ!」
「後肢の骨が露出してる!患部を覆って運んでくれ!」
団員たちは無駄のない動きで騎獣の背から負傷者を慎重に降ろしていく。大鷹の背からは翼を広げるようにして運搬されていた者が滑るように降ろされ、重傷者を乗せた象の背では、複数人がかりで丁寧に担架ごと引き下ろしていた。
「気をつけろ、痛覚反応が戻ってきてる!」
「治療班、すぐに来て!」
短く的確な指示が飛び交い、息を切らしながらも、団員たちは一人また一人と負傷者を地上へと運び下ろしていく。
その様子に、優はただ目を見張るしかなかった。これが、命を守る者たちの最前線——まさに、命が行き交う戦場だった。
周囲では慌ただしく担架が行き交い、獣の息遣いと負傷者の呻き声が交錯する。団員たちは短く指示を飛ばし合い、まさに戦場からの帰還者たちを受け入れる修羅場と化していた。
そんな混乱の渦中に身を置きながらも、ギドの足取りには一切の迷いがなかった。後ろを追う優は、初めて目にする光景の連続に圧倒されつつも、知らず知らずのうちに呼吸が浅くなっていることに気づいた。
それでも、何かしなければという焦りが、胸の奥をせき立てる。
「ギドさん、何をすればいいですか?。」
その声に、ギドはちらりと優を見やり、一拍置いて静かに頷いた。
「止血を手伝ってくれ。」
そう言って彼が指差したのは、血を流しながら担架の上で呻いている若い兵士だった。
二人はすぐさま兵士のもとへ駆け寄った。ギドは素早く止血用の布と器具を取り出し、優に渡す。
「傷口を露出させろ。服は切っていい。」
優は躊躇なく小型のハサミを取り出し、指示どおりに兵士の服を切り裂いていく。露出した腹部には、裂傷が走っており、血がにじみ出ていた。
「圧迫止血をかける。俺が押さえるから、お前は止血帯を巻け。」
ギドの太い手が傷口を的確に押さえつける。その圧に合わせて、優はしっかりと止血帯を巻き、固定していく。手は震えそうだったが、今は目の前の命に集中するしかなかった。
「よし、縫合は後でいい。手術班に引き渡す。」
そう言うと、ギドは手を挙げて看護師を呼び、担架の端を自ら支えて立ち上がった。優もその手を添えながら、静かに息を吐いた。共に救った命が、今、次の希望へと引き渡されていく――そんな感覚が、胸の奥に残っていた。
汗がにじむ額を袖で拭いながら、ふと門の方へ視線を向ける。
そこには、続々と戦場から戻ってくる団員たちの姿があった。
まず目に飛び込んできたのは、小柄な女性。俊敏な鹿の背からひらりと降り、手際よく少年兵を担架へと引き渡している。
「脚の骨が少しズレてるかも。でも、すぐ良くなるから安心してね!」
明るく笑いながらも、彼女の声には根拠と自信があった。まるで傷ついた兵士を安心させる術を、自然と心得ているかのようだった。
そのすぐ後ろ、重厚な気配と共に現れたのは黒髪の女性。巨大な黒銀の狼の背から、彼女は黙々と患者を降ろし、簡潔に状態を報告していく。
「意識混濁、脈は弱い。応急処置は済んでる。搬送後すぐに確認を。」
言葉は少なく、態度は静かだが、そのひとつひとつに深い信頼と威厳があった。
そして最後に、重い足音と共に現れたのは大柄な男。大牛の背から、自らの大きな腕で担架を降ろしながら、負傷者の状態を看護師に手渡すように伝える。
「こっちは腰に銃弾を受けてる。あとのふたりは意識はあるが呂律が回らん。無理に動かさないようにしてくれ。」
重々しい声だが、そこには焦りも混乱もない。ただ、仲間の命を信じて託す強さがあった。
優はその光景を、ただ静かに見つめていた。
自分は、彼らのようにはなれないかもしれない。けれど、戦場で見たもの。命の重さ。それを知ってしまった今、自分にできることをやらずにはいられなかった。
「……すごいな、あの人たち。」
ぽつりと漏らした優の言葉は、誰に届くでもなく、ただ空に消えていった——はずだった。
「ん? 今、すごいって言った?」
ふいに横から声が飛んできた。振り返ると、そこには栗色の短髪を揺らした女性が立っていた。つい先ほど、鹿に乗って戦場から戻ってきたばかりの団員だ。
「私、ハスナ・カグ。もしかして、あなたが“マサル”って人?」
「え、あ……はい。優です。」
「やっぱり! なんか見ない顔だと思った!ねぇねぇ、見てたでしょ? うちのアスリ、けっこう走るでしょ? 怪我人を乗せたままでも安定感ばっちりなんだから!」
そう言ってハスナは、門の近くで大人しくしている鹿のアスリを親指で指し示し、得意げに笑った。
マサルは思わず小さく笑みを返す。
「はい、すごく……その、驚きました。あんなに速くて、でも丁寧に運べるなんて……」
「ふふーん、でしょ? でも、それも私がちゃんと手綱握ってるからなんだからね?。」
おどけたように胸を張る彼女の姿は、戦場の空気とは不思議なほど不釣り合いで——それが、どこかマサルの心をほぐした。
「でも、あなたもさっきギドさんと一緒に治療してたんでしょ? ちゃんと見てたよ。手際、悪くなかったよ?」
「……ありがとうございます。ただ、必死でやってただけですけど。」
「最初はみんなそんなもん。っていうか、あたしもそうだったし。だから大丈夫!」
そう言って、ハスナはマサルの肩を軽くぽん、と叩いた。
「これからよろしくね、“マサル先輩”!」
「……え、先輩?」
「だって命を救う仕事、ずっとやってきたんでしょ? 私なんかよりずっとすごいってこと!」
彼女の明るい声と笑顔は、どこか戦場の喧騒すら遠ざけるような、不思議な力を持っていた。
そのとき——
「おいおい、また勝手に人を“先輩”にしてるな?」
低く、包み込むような声が背後から届いた。振り返ると、がっしりとした体格の男がゆっくりと歩いてくる。無精髭に優しげな目つき、鍛え抜かれた身体。
「フドさん!」ハスナが手を振ると、彼は苦笑を浮かべながらマサルに視線を向ける。
「俺はフド・マクス、お前がマサルか。新入りの救命士だってな?」
その一言に、マサルは小さく目を瞬かせた。
「……新入り?」
思わず口に出ていた。自分はまだ“ここに残る”と決めていない。
フドはそんなマサルの反応に気づくと、眉を少しだけ上げた。
「なんだ、お前……入団したんじゃないのか?」
「い、いえ…まだ何も…そ…」
言葉を探しながらうろたえるマサルを見て、フドは短く息をついた。
「なるほどな、じゃあ半分ってところか。でもな……」
フドは大きな手でマサルの肩をぽんと叩いた。
「さっきの動き見てりゃ、もう十分“仲間”の顔してたぞ。」
ハスナがにこっと笑って頷いた。
「うん、私もそう思う。ね、マサル先輩?」
マサルはその言葉にうまく返せなかった。
でも、自分でも気づかぬうちに、いつの間にか心のどこかで“ここにいたい”と思っているのを感じている気がする。
そのとき、すぐ横でギドの低く通る声が響いた。
「——で、どうする?」
マサルが顔を上げると、ギドは腕を組んだまま、真正面から彼を見据えていた。
「ここで俺達と共に命を救うか。それとも、ここから去るか。選ぶのはお前だ。」
その言葉は決して強制ではなかった。だが、その瞳の奥には真剣な光が宿っていた。
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