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医療獣団  作者: 鳥鈴 昴
第一章
3/9

命を救う者たち①

「ギド、戻っていたのね。」


 長く整えられた黒髪が風に揺れ、鋭く光る茶色の瞳がこちらを射抜く。

足早に駆け寄ってきたのは、一人の女性だった。

そしてその視線は、ギドの隣に立つ優へと向けられる。


「その人は?」


 見慣れない顔。


 それどころか、彼女の知るどの民族とも違う異質な雰囲気を持つ男だった。服装、髪型、立ち振る舞い……どこか場違いな印象を受ける。


「サクラダマサル。戦場で拾った。」


 「戦場で?」


 彼女は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに再び優をじっと見つめる。その目には、観察する者の鋭さと研究者のような好奇心が宿っていた。


 「ふーん…その服、その顔…あんた、どこから来たの?」


 唐突に問いかけられ、優は思わず戸惑う。


 「えっと、その……」


 何と答えればいいのか、自分でも分からない。ギドはそんな優を横目で見やり、彼女に向き直った。


 「話は後だ。まずは怪我がないか見てやってくれ。」


 「そうね。いくらなんでも、このままじゃ色々と保たないわね。」


 彼女は肩をすくめると、優に向き直って微笑んだ。


 「私はトトルよ。ま、とりあえず歓迎するわ。ここなら安全よ。」


 その言葉に、優の張り詰めた胸の奥が少しだけ和らいだ。


 優の手当てが終わり、彼女は医療室の簡素な椅子に腰を下ろしていた。体の痛みはまだ残るが、応急処置のおかげでいくらか楽になっている。


 トトルは隣に腰をかけ、手際よく片付けをしながら優と軽く言葉を交わしていた。彼女の口調は淡々としているが、その眼差しには観察者の鋭さが宿っている。


 「それで、あんた…」


 トトルが何かを聞こうとしたその時、医療室の扉が開き、若手らしい看護師が慌ただしく駆け込んできた。


「看護師長! ニーファさんから連絡です。重傷の患者を七名、ニーファさんを含む四人で搬送してくるそうです!」


 トトルの表情が瞬時に引き締まる。


 「到着まで、あとどれくらい?」


 「数分以内には!」


 「分かった。すぐに受け入れ準備をするわ。」


 トトルは即座に立ち上がると、優に向かって言った。


 「ここで待ってなさい。」


 優は戸惑いながらも頷く。


 「はい。」


 緊迫した空気の中、医療室の人々が次々と動き出し、手分けして器具の準備や担架の配置に取りかかる。誰もが無言のまま、それぞれの役割を理解し、迅速に動いていた。


 そして、ほどなくして外から風を切るような大きな羽ばたきの音と、重々しく地を蹴る音が響いてくる。窓の外では、大鷲が空を舞い降りる影が揺れ、土煙とともに何かが近づいてくるのが見えた。


 やがて門の先から現れたのは、堂々たる姿の獣たちだった。


 先頭にはしなやかな脚を持つ大きな鹿。その背には若い女性がまたがり、負傷者をしっかりと固定している。


 続いて現れたのは、鋭い目をした巨大な狼。黒銀の毛並みが太陽の光を受けて煌めき、その背では一人の女性が冷静に指示を飛ばしていた。


 そして最後に姿を現したのは、筋骨隆々とした大きな牛。重たい足取りでありながら、その背には二人の負傷者を安定して乗せ、周囲を気にかけるように慎重に歩いていた。


 土煙を纏いながら進んでくるその姿は、まるで命を守る使者のようだった。治療室の前に立つ者たちは一斉に動き、受け入れ態勢を整える。空気はさらに張り詰めていた。


 真っ先に降り立った、金髪を一つに束ねた長身の女性が鋭く声を張る。


 「腹部裂傷、 応急措置は済んでいる! すぐに手術班へ!」


 その凛とした声に看護師たちが一斉に動き出し、担架を受け取って駆け出す。


 続いて、筋骨隆々とした大柄の男が静かに言葉を落とす。


 「脚を砕かれてる。戦車で轢かれたようだ。意識朦朧。固定を維持したまま、ゆっくり運んでくれ。」


 その落ち着いた声に、場の緊張が少し緩んだように見えた。


 黒の長い髪をを高く結った女性が、冷静な眼差しで一人の兵士の胸元を押さえながら短く指示を出す。


 「胸部損傷、右肺に異常あり。応急処置は済んでる。呼吸を確保した状態で、速やかに搬送を。」


 無駄のない所作と凛とした声が、周囲に安心と緊張感を同時に与えていた。


 そして、小柄で栗色の短髪の女性が、負傷者の手を取りながら明るい声で励ます。


 「大丈夫、大丈夫ですよ〜! もうすぐ本格的な処置をしてもらえますからね! もうちょっと、頑張ってくださいっ!」


 その笑顔に、苦しげな兵士もかすかに表情を緩めた。


 彼らの一挙手一投足が、ひとつの流れとなって命を救おうと動いている。その姿に、優はただ、圧倒されるように見つめていた。


 ギドは獣の傍らで次々と降ろされる負傷者に目を走らせると、すぐさま負傷者の元へと駆け寄り、傷の様子を素早く確認した。


 「右腕は断裂に近い損傷。血は止まってるが、壊死の恐れあり。手術班へ運べ!止血器具の補強もだ!」


 トトルは、腹部を押さえて苦しんでいる兵士へ移動する。


 「内臓損傷の疑い。呼吸浅い、意識不明。酸素供給を継続して。すぐに検査班へ!」


 その後も、一人ひとりの負傷者の様子を鋭く見極めていく。戦場で数多くの命を拾い上げてきた彼の目は、わずかな異変も見逃さない。止血処置の甘い兵士には自ら包帯を巻き直し、搬送の角度まで調整していた。


 トトルは負傷者の全体把握を進めていた。冷静な視線で状態を把握し、看護師たちに次々と手を動かすよう身振りと短い言葉で指示を飛ばす。


「酸素の残量確認して!」

「この子の脈、あと5分で再測定!」


 看護師たちは、その的確で迅速な命令に従い、誰一人無駄な動きもなく連携を取っていく。トトルは団員だけでなく、若い看護師たちの動揺や焦りにも敏感で、必要とあらば落ち着いた声で支えを与えていた。


 ギドは新たに運び込まれた負傷者を抱え上げると、トトルはそれに合わせて動線を確保し、搬送班を呼び寄せる。さらに空き部屋の状況や器具の使用順を即座に看護師に伝え、現場の混乱を最小限に留めていく。


 その最中、背後から金髪の女性が、短く声をかけた。


 「ギド、後は任せた。私は戦場に戻る。」


 鋭い瞳に疲労の色が浮かぶも、姿勢は崩れない。副団長、ニーファ・シュレ。その言葉には一切の迷いがなかった。


「ニーファ、少し休んだらどうだ?」


 ニーファは真顔で否定する。


「私の心配はいらん。」


 それだけを告げると、彼女は迷いのない足取りで大鷲のもとへと戻っていく。そして再び、背に乗り込んだ。


 空気を裂くように羽ばたく大きな翼。大鷲が天へと舞い上がると、それに続くように、共に負傷者を運んできた鹿や狼、牛に騎乗した団員たちも、それぞれの獣に跨がり、迷うことなく戦場へと引き返していった。


 優は、その光景をただ呆然と見送っていた。言葉も動きも出てこない。ほんの数十秒の出来事だったのに、何か大きなものが目の前を通り過ぎていったような感覚だけが、胸に残っていた。


 そんな中、ギドは隣にいたトトルに声を落として問いかけた。


 「なあ、トトル。ニホンって国、聞いたことあるか?」


 トトルは負傷者の状態を確認しながらも、少しだけ首を傾けた。


 「……いいえ。このミールズ界のどこにも、そんな名前の国は存在しないはずよ。」


 ギドは短く唸りながら、視線を優へと戻した。その目は、ただの旅人に向けるものではなく、なにかもっと大きな意味を見極めようとする眼差しだった。


 少し沈黙が流れたのち、ギドはぽつりと呟くように口を開いた。


 「俺がマサルを見つけた時、あいつは、負傷者に応急措置をしてたんだ。」


 その言葉に、トトルの眉がわずかに動く。ギドの声には、わずかな感嘆の色が混じっていた。


 「動揺はしてたが、正確な止血と固定をしてた。俺達のように。」


 トトルは静かに頷きながら、視線を優へと向ける。その表情には、わずかな興味と探るような色が浮かんでいた。


「なら、あの子は少なからず医療の心得があるのね。」


 静かな声だったが、その一言に含まれた意味は大きい。戦場で、命を扱う現場において、ただの偶然や幸運で正確な処置はできない。トトルはそれを知っていた。


 ギドは一瞬だけ考えるように黙り込んだあと、ふと顔を上げ、呆然と立ち尽くしている優の方へと目を向けた。


 「おい、マサル。」


 低く、しかしよく通る声で呼ばれたその名に、優ははっと我に返るように顔を上げる。まだ状況を完全に飲み込めてはいないが、確かにそこに“呼ばれている”ことだけは、感じ取れた。


 ギドはその様子を見ながら、一歩だけ近づく。


 「お前はその、“ニホン”って国で――何をしてたんだ?」


 問いかけは静かだが、その奥には確かな興味と警戒の色が混じっていた。優の答え次第で、ここでの立場が変わることを、彼自身もどこかで理解し始めていた。


 優は一瞬だけ言葉を選ぶように口を閉ざした後、しっかりとギドを見て答えた。


 「自分は、“救命士”として働いていました。」


 「……キュウメイシ?」

 

 ギドとトトルが同時に小さく疑問の声を漏らす。聞き慣れない単語に、互いに視線を交わす。


「皆さんとまったく同じとはいきませんが…負傷者の応急措置や、状態の安定、搬送前の処置などをしていました。戦場ではなく、事故や急病の現場で……人の命を救う仕事です。」


 その説明に、ギドが合点がいったように頷いた。


 「なるほど、だからあの処置が出来たのか。お前は、きちんとした訓練を受けていたんだな。」


 ギドの低く落ち着いた声には、確かな納得とわずかな称賛が込められていた。


 優は思わず肩の力が抜け、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。張り詰めていた心が、ほんのわずかだが緩む。


 ——だが、次の瞬間。


 「ドンッ……! ドォン……ドン……!」


 低く重たい音が、断続的に五度、遠くの空から響いた。空気を揺らすような衝撃音。


 ギドとトトルは、表情を引き締め、音のした方へと静かに目を向けた。


 「今のは、五回砲よね?」


 トトルが眉をひそめながら静かに問いかける。


 「間違いない。」


 ギドは短く答えると、腰に下げていた無線機のような小型通信器を手に取った。周囲の騒がしさの中、緊迫した声で指示を飛ばす。


 「五回砲だ! 各班、必要最低限の人員を残し、正門に集まれ!」


 その声は拠点中に響き渡り、すぐに応答の声と慌ただしい足音がいたる所から返ってきた。緊張が一気に拠点を包み込み、戦場の余波が再び動き始めた。


 担架を抱えて駆け出す者、医療器具を手早くまとめて運ぶ者。誰もが目的を持って動き出す。


「ギドさん、今のは……?」


 隣で様子を見ていた優が尋ねる。


 ギドは短く答えた。


 「一時休戦だ。これから、大勢の負傷者が一気に運ばれてくるぞ。」


 周囲から、長い白衣をまとった数十人の団員たちが次々と正門に集まり、緊迫した表情で口々に指示を飛ばしていた。


 その異様な光景に、優は胸騒ぎを覚え、ギドと共に正門へと足を速める。


 すると、戦場の方角から土煙が大きく立ち上るのが見えた。


 その中から、何かが一斉に拠点に向かってくる。


 優は思わず目を見張った。


 土煙の中から現れたのは、牛、鹿、狼、猪、象、鳥——無数の獣たち。


 そして、それぞれの背には医療獣団の団員たちが騎乗していた。


 さらに目を凝らすと、彼らが獣たちの背や担架に大勢の負傷者を乗せているのが分かる。


 圧倒的な数。圧倒的な速度。


 まるで戦場のすべてを背負って帰還してくるかのように、彼らは拠点へと近づいてくる。

感想等よろしくお願いします。

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