初任務
雨の降る夜。優はベッドに身を横たえながら、明日から正式に医療獣団の一団員として働けることへの高揚感に包まれていた。胸の奥がじんわりと熱く、まぶたを閉じても心が落ち着かない。
「明日からか……」
呟いてみても、静かな闇の中で返事はない。外では雨音が一定のリズムで窓を叩き、時折、風に揺れる枝葉の擦れる音が微かに聞こえてくる。
隣の簡素な寝台では、フドが静かにいびきをかきながら、深く眠っていた。彼の寝息は穏やかで、まるで「大丈夫だ」と言ってくれているようだった。
優はふと天井を見上げ、耳を澄ませた。雨の音と、フドの寝返りを打つ気配。騎獣たちの息づかいが遠くから微かに届くような、静かで、守られた夜の匂いがした。
だがその静寂を破るように、けたたましい警報音が宿舎全体に鳴り響いた。
「……!」
優は跳ね起き、隣のフドを起こそうと身を乗り出したが、すでに彼は目を覚まし、素早く身を起こしていた。
続いて、緊迫した声が宿舎内に響く。
「司令室より一斉。場所、ガドレア国ナレスの街。状況――大雨による洪水および地滑り発生。負傷者・行方不明者多数。当直勤務でない各員は装備を整え、至急、団長の指揮下に入れ。行動開始!」
その瞬間、宿舎全体が動き出した。ベッドから飛び起きる団員たちの声、装備を整える金属音、足音が一斉に響き渡る。寝静まっていたはずの建物が、まるで一つの巨大な生命体のように、慌ただしく息づき始めた。
優も布団を跳ねのけて立ち上がり、部屋の隅に置いていた装備を手に取る。その横でフドが鎧の留め具を締めながら、優に声をかけた。
「マサル!急いで準備しろ。もっと穏やかな初任務にしてやりたかったんだがな。今回は厳しいぞ。耐えろよ。」
司令室では、ギドを中心に、ニーフ、アノク、トトル、整備隊、偵察隊の責任者など、医療獣団の中枢を担う幹部たちが勢揃いしていた。
室内は半円形の構造をしており、中央には大型の立体地形装置が据えられ、その投影によって、ガドレア国ナレス一帯の地形と現在の気象情報がリアルタイムで表示されている。雨雲が流れ込み、河川の水位が警戒線を越えたことを示す赤い警報が瞬く。
「我々全員で出動しないと対応しきれないが、ここの守りも疎かにはできん。」
ギドの低く重い声が司令室に響き、誰もが一瞬、息をのむ。その言葉に続くように、ニーファが冷静な口調で言葉を継いだ。
「被災地の規模を考えれば、全戦力を投入しなければならない。しかし本部には治療中の者も多く、最低限の防衛と医療体制は維持しなければならん。」
ニーファの言葉に、周囲の幹部たちは一様に頷いた。ギドも黙ってその言葉を咀嚼するように目を細める。
その時、端のほうに座っていた一人の男が、静かに口を開いた。
「団長、パメノア王国医療団に協力要請をしたらどうだ? あいつら、俺らよりずっと近い位置にいるぜ。」
視線が自然とその男に集まる。黒い戦衣に身を包み、闇をまとったようなその佇まい。アーキー・サドベルス、医療獣団の偵察隊隊長である。
「ナレスから東に抜けた山脈のふもと、あそこにパメノアの訓練場がある。今そこには、約三百人居る。有翼獣二型が五〇機、四足獣四型が五〇機、そして騎獣が百体。物資もそこそこあるはずだ。」
アーキーの声は静かでありながら、その中に一切の迷いはなかった。
立体地図の上で示された地点に、赤いマーカーが投影される。そこからナレスまでの経路が自動的に引かれ、パメノア王国医療団の到達時間が表示された。
アノクが短く息をつき、眉を上げる。
「団長。我々よりかなり早く対応してもらえるはずです。」
ギドは頷くと、力強い声で命じた。
「よし、すぐに支援要請を出す。――出発の準備もそろそろ整っている頃だな。ニーファ、部隊の指揮を頼む。各員、行動開始!」
その言葉と同時に、司令室内に緊張感が走る。立ち上がる椅子の音、各員の意識が自分の任務へと切り替わっていく。
扉が開き、ニーファ、アノク、トトル、アーキーら幹部が次々と司令室を後にした。彼らの背中を追うように、各部署の責任者たちも駆け出していく。
外はまだ激しい雨が降り続いていた。だがその中で、医療獣団の拠点は一つの巨大な鼓動のように動き始めていた。それぞれが、自分に与えられた役割を果たすために。
激しい雨が降りしきる司令塔の大広場には、当直勤務者と基地機能維持のために残された団員を除き、全団員が緊急招集に応じて集まっていた。騎獣たちも、その背に相棒を乗せたまま静かに待機し、指揮官からの命令が下されるのを今か今かと待っている。
騎獣のほかにも、有翼獣二型と四足獣四型がそれぞれ約百機ずつ、離陸態勢で準備を整えていた。機体のランプが雨ににじみ、ぼんやりと光っている。
「総員、つけい! 」
前方に立つニーファの声が、雨音を貫いて広場全体に響いた。
「これよりガドレア国ナレスの街にて、治療および救助活動を実施する。現在、団長がパメノア王国医療団へ協力を要請中。要請は即時受理され、彼らは我々より先に現地へ到着する予定だ。」
騎獣たちの低く重い息づかいが、雨に包まれた広場の中で妙に大きく響いていた。鼻先から白い蒸気を吐きながら、彼らもまた、これから始まる任務の重みを察しているかのようだった。
「我々は一秒でも早くパメノアと合流し、任務を開始する。詳細な指示は移動中に伝える――以上、行動開始!」
その号令と同時に、正門の重厚な鉄扉が音を立てて開かれた。夜の雨に煙る外の景色が広がり、そこへ向かって医療獣団の一団が、整然とした隊列を保ったまま出撃していく。
騎獣たちは、装甲の音を鳴らしながら力強く地を蹴り進んだ。重装備の四足獣四型が濡れた地面を踏みしめ、後方からは荷台に医療器具を載せた車列が続く。有翼獣二型は、次々に滑走路を駆け抜け、翼を広げて黒雲の垂れ込める空へと舞い上がっていく。暗闇の中、機体の端に取り付けられた信号灯が点滅し、天を駆ける閃光のように瞬いた。
団員たちの顔には緊張が走る中、それでも誰もが己の使命を胸に、迷いなく進んでいく。
優もまた、フドの導きに従って騎獣の背にまたがり、前を見据えた。冷たい雨が頬を打つたびに、胸の奥に灯る決意の火が、より強く燃え上がっていくのを感じていた。




