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それから数年、彼への思いを胸に秘めたまま私は成長した。
何の音沙汰もなかったけれど、夢見る年頃の少女が当然皆そうするように、自分のもとに訪れる白馬に乗った王子様を想像するようになっていた。そして、それはロレンシオなのだと、甘く淡い期待をいつも胸に抱いていた。
そんなある日、王家主催の茶会が開かれた。招かれたのは自分と同じ年頃の少女ばかりで、この会が開かれた理由が言わずともわかった。
第二王子の婚約者を決めるためだ。
第二王子より五歳年上の第一王子には既に婚約者がおり、茶会には国王陛下と王妃殿下、それからイグナシオ第二王子のみが出席した。
今日この日のために華々しく着飾った令嬢たちがイグナシオ殿下の席に押しかけ、競うように己をアピールしているのとは逆に、私は離れた席から静かに眺めていた。
ロレンシオを密かに想っている私には、第二王子自身も、王子妃という地位も全く魅力的に感じなかったのだ。それがいけなかった。
陛下と王妃様の目に、私が慎ましく、控えめな女性として好ましく映ってしまった。
その日のうちに王宮から家に書状が届けられた。個人的に陛下が私に会いたいという趣旨の内容だった。嫌な予感に震えながらも会いに行けば、そこには王妃様もいた。二人とも柔和な顔で出迎えてくれ挨拶をし終わると、王妃様が気安い態度で私の手をとった。
「あなたみたいな子がイグナシオの隣にいてくれれば、安心だわ。母親の私が言うのもなんだけど、あの子は移り気で、なんでも途中で放り出してしまって、長く続いたことがないの。あなたみたいな落ち着きのある子がそばにいてくれれば、いい作用になって、見習ってくれると思うのよ」
陛下も後押しするように口を開く。
「我先に自分を押し出す令嬢と違って、君は控えめだ。似た者同士だとかえって、反発してしまうこともあるだろう。その点、君にもイグナシオの存在は新鮮じゃないかな。お互い相性がいいんじゃないかと私は思っているよ。どうかな?」
尋ねてはいるけれど、最初から断りの言葉なんて、一切予期していない顔だ。
茶会に出席した時点で――半ば義務ではあるのに――婚約者志望ととられた上、王家の一員になる名誉が賜われるのだ。断るほうがおかしい。
目を細めて微笑ましく見つめる姿には一切の悪気はなかった。
この国を統べる至高の存在に、一介の貴族の令嬢が直接口答えすることなんてできるはずもなく――。
震えを緊張もしくは気後れしたと思われたのか、返事をしないまま家に返されたときはほっとした。
お父様から言ってもらおう。私にはお慕いしている方がいて、その方を待っているから、婚約者にはなれませんって。宰相であるお父様から話せば、波風立たないはず。
お父様の帰りを自室でまんじりともせず待っていれば、夜の帳がおりて数時間後、ようやくお父様が帰ってきた。
急いで執務室に向かえば、お父様が喜色満面に手を広げて迎えてくれた。その手には一通の手紙。
その封蝋を見て、さっと顔が青褪めた。
「ジャスミン! 喜びなさい。陛下がお前を第二王子の婚約者として迎えたいと手紙を寄越してきた」
父上が子供のように無邪気に笑う姿を見れば、何も言えない。そんなにも嬉しそうに笑う理由が何故かわかったから。
「お前を立派な家柄に嫁がせることが、私の責務であり夢だった。王家ならこれ以上ない家柄だ。お前をきっと幸せにしてくれるだろう。陛下も王妃殿下も、信頼できるお人柄だ。お前を安心して預けられる」
朗らかなに笑うお父様。幼い頃にお母様が亡くなってから、男手ひとつで過保護なまでに私を育ててくれたお父様。
ひとりで侯爵家を支える大変さも、手探りで娘を育てる気苦労も人知れず味わってきたに違いない。
そんなお父様がこれ程まで喜んでくれている。
今、私が断ったら、お父様は陛下に伝えることになり、王家と侯爵家の間に軋轢が入るかもしれない。
そんなのは駄目。これ以上、余計な苦労はかけさせなくない。
私は同調のしるしとして、お父様に微笑もうとした。
その時、私の胸にロレンシオの顔が過ぎった。胸に鋭い痛みが走る。
幼い頃の約束をいつまで大事にとっておくの?
あれから何の音沙汰もないじゃない。
本当に想ってたら、手紙の一つや二つくれるはず。
向こうはもうとっくに私を忘れているかもしれない。
自分を納得させるため、諦める理由をいくつもいくつもあげていく。
私は瞳を閉じた。ふうと、息を吐いた。
「ジャスミン?」
一言も発しない私にお父様が首を傾げる。
私はぱっと目を開けた。
「――陛下にお伝えして下さい。喜んでお受けしますと」
私はその瞬間、ロレンシオの記憶の扉に鍵をかけた。
それから数日後、改めてイグナシオ殿下と二人きりでお会いすることになった。
ほぼ初対面の二人。天気の話など当たり障りのない会話を終えて、何を話せばいいかまごついてると、殿下が盛大な溜め息を吐いた。
「殿下?」
殿下が冷たい目線を向けてくる。
「お父様もお母様も、二人とも薦めるからどんな素晴らしい令嬢かと思ったら、陰気なつまらないやつだな」
何を言われたのか一瞬頭が働かず、呆然としてしまう。
「これなら、自分で選んだほうがましだった。髪だって黒いし、俺のタイプじゃない」
お茶会の時の殿下は、自身の伴侶選びだというのにまだ婚約者というものに実感がわかないのか、心ここにあらずといった感じだった。あとからわかったことだが、殿下は婚約者選びは陛下と王妃様に丸投げだったそうだ。
それなのに、今更そんなことを言うなんて。
私はテーブルの下で、拳をぎゅっと握る。
悔しくて何も言い返せないでいると、殿下が再び溜め息を吐く。
その息に重く沈められていく心地がした。
殿下と私は初めからそんな関係だった。
本人同士は決して良好とは言えなかったけど、外側から見れば当たり障りのない関係と言えた。
そんなふうに日々を過ごす中で、私は王子妃教育の授業中で、隣国の王子の名が『ロレンシオ・ベルセリウス』と知った。
息がとまりそうになった。
まさかロレンシオが王子様だったなんて。
夢見る白馬の王子様は本当に王子様だった。
そう思った瞬間、苦いものがこみ上げた。
それなら余計、『夢』だったのだ。夢は夢で終わるしかない。決して現実には起こらないのだ。
王子という身分なら、今頃は婚約者もいるはず。
あのまま、ずっと儚い夢を見続けなくて良かった。
馬鹿な真似をせずに済んだ自分に安堵したはずなのに、何故か心は苦しかった。